2014年 02月 10日
★ネタバレ注意★

予告編を観た瞬間、頭の中で『フレンズ』のロス・ゲラーが “Why!? Why TRAIN!? WHY!!!!!!!!!?” とわめきたてたので、それを検証すべく行って来ました。
ポン・ジュノ監督作品。最近、韓国人の監督がハリウッドに進出するのが流行ってるのかしら。
温暖化を食い止めるため世界中で示し合わせて冷却物質を散布した結果、なんと地球は氷河期に突入! 人類どころかほとんどの生物が死に絶えた世界に、「スノーピアサー」と呼ばれる列車だけが走り続けていた。とんでもないことにこの列車、地球を一年がかりで周回する軌道を有し、路線補修もできない過酷な条件にもかかわらず、すでに17年間もノンストップで走り続けているのであった! やだ、なにそれ、こわい。そしてその「走る箱舟」に乗り込んだ生き残りの人類は、前方車両で優雅に暮らす富裕層と、後方車輌に押し込まれ、互いに殺し合って人肉をむさぼる貧困層とに二分され、当然最後尾の連中は、虎視眈々と革命の機会をうかがっていたのだが。
ポン・ジュノ監督とハリウッド近未来ディザースターの取り合わせって、『グエムル 漢江の怪物』を観たひとには違和感がないのかもしれませんが、わたしは『ほえる犬は噛まない』と『殺人の追憶』と『母なる証明』しか観ていないので、ここらへんもちょっと”Why?” っていうひっかかりを感じました。
もともとはフランスのコミックが原作なんだそうですが、うーむ、もうどこからつっこんでいいのやら。えーと、とりあえず、”Why TRAIN!?” についてですけど、この回答は「エド・ハリスが鉄っちゃんだったから」ということらしいです。うーむ。そうか、人類の未来は鉄っちゃんの手に委ねられたか。
やー、だって、冷却物質を散布したら氷河期になっちゃいましたとか、氷河期がきたら生物が死滅しちゃいましたとか、そういうのもなんかひたすらイヤだけど、そういう事態になっちゃった時に、シェルターとして「列車」っていう選択はないでしょ。どう考えたってないでしょ。全世界を一周できて、何十年も無補修で(しかもあんな環境の中で)列車を走り続けさせることが可能な線路を建設できる技術があるのなら、それこそ『エリジウム』みたいな人工衛星を打ち上げた方がよっぽど簡単だし確実だし合理的だし大勢の人間を収容できるでしょ。人工衛星がムリならまずは洞窟だよね、地下に穴掘るよね、人類のお家芸だよね。
だって列車だもの、どんなに長く連結しても車内面積なんか限られたもんじゃない? そこにあんだけの人数、何十年も暮らしているんだよ? それなのにあのスペースの使い方って、ないよね。あれで完全循環系の閉鎖環境を作り上げましたって言われても、なんかさー、もうさー。だいたいエネルギーとかどうなってるの。肉の冷凍倉庫はあったけど牧場はなかったよね。牛肉はどこから来たの。卵を産んだのはだれなの。車輌ひとつぶんの果樹園で一体どれだけの果実がまかなえるというの。水族館みたいなオシャレな水槽で、(年に二回とは言え)富裕層にスシをふるまえるほどのサカナが養殖できると思っているの。魚はともかく米はどうするの。
うるさいね。こだわるね。全然大らかなキモチで受け止められないのね。どうせ「嘘」だからって、こういう設定の甘さが放置されてるのはキライなのよ。嘘なら嘘でそれらしい嘘をついて納得させてくれなきゃイヤなのよ。社会風刺だの寓意だのメタファーだのがやりたいなら、まずはそこが御座なりじゃダメだと思うのよ。
だけど、まあ、列車というとんでも設定に(無理矢理必死で)目をつぶるとすると、これは実はよくある終末世界観的社会描写。極端な貧富の差とか、搾取する者とされる者との闘いとか。よくある描写ではあるんだけれど、やっぱりここまでミニマムな環境でやられると無理を感じすぎて死にそうよ。なぜそもそもの初めに、「乗車券」を買えなかった貧困層を敢えて列車に乗せたのか? 乗せたにもかかわらず、反発が必至の劣悪で非人道的な差別的環境に置いたのか? 貧民層の反発に備える武装コストや、直接労働に寄与しているわけでもないらしいかれらを「飼って」おくコストは、何と相殺されているのか?
わざと社会階層を残したという点については一応説明はあります。一つは、閉鎖環境である故に刺激が必要だったから。虐げられた人々の革命へのポテンシャルは娯楽としては最高だから。もう一つには、エンジンのメンテをするには子どもの小さな身体でなければムリなので、小さな身体を供給する一種の繁殖牧場として貧民層の集団が必要だったから。
この説明で「なるほど!」って納得できるひとは幸いなり、天国はその人のものなり。わたしは地獄に行くわ。
なんかもう、どこをどうとっても「これが最適解」だとは思えませんでした。設定も展開も世界観も、ちっとも納得できなかったので、結論として「ヘンな映画」としか思えんかった。
だいだいさー(ああ、モンクばっかり)、世紀の大美女のティルダ・スウィントンになんであんなブスメイクをさせる必要があるの(怒)!? ブスがほしけりゃブスな女優を使えばいいじゃない!(暴言)。そんでもって、エド・ハリスとジョン・ハートの関係って、あれでほんとにうまくいってたの? 最後の裏切りは驚きませんが、そうなるまでにあの状態で17年も機能してたなんて、一体どんだけマゾなんだよ、ジョン・ハートって!
ジェイミー・ベルは大変キュートでした。ソン・ガンホはもっと何かやってくれるのかと思ったら単に無謀なだけだった。コ・アソンは最後はシロクマに喰われちゃったんだろうなぁ。地球最後の女の死に様(ホロリ)。

予告編を観た瞬間、頭の中で『フレンズ』のロス・ゲラーが “Why!? Why TRAIN!? WHY!!!!!!!!!?” とわめきたてたので、それを検証すべく行って来ました。
ポン・ジュノ監督作品。最近、韓国人の監督がハリウッドに進出するのが流行ってるのかしら。
温暖化を食い止めるため世界中で示し合わせて冷却物質を散布した結果、なんと地球は氷河期に突入! 人類どころかほとんどの生物が死に絶えた世界に、「スノーピアサー」と呼ばれる列車だけが走り続けていた。とんでもないことにこの列車、地球を一年がかりで周回する軌道を有し、路線補修もできない過酷な条件にもかかわらず、すでに17年間もノンストップで走り続けているのであった! やだ、なにそれ、こわい。そしてその「走る箱舟」に乗り込んだ生き残りの人類は、前方車両で優雅に暮らす富裕層と、後方車輌に押し込まれ、互いに殺し合って人肉をむさぼる貧困層とに二分され、当然最後尾の連中は、虎視眈々と革命の機会をうかがっていたのだが。
ポン・ジュノ監督とハリウッド近未来ディザースターの取り合わせって、『グエムル 漢江の怪物』を観たひとには違和感がないのかもしれませんが、わたしは『ほえる犬は噛まない』と『殺人の追憶』と『母なる証明』しか観ていないので、ここらへんもちょっと”Why?” っていうひっかかりを感じました。
もともとはフランスのコミックが原作なんだそうですが、うーむ、もうどこからつっこんでいいのやら。えーと、とりあえず、”Why TRAIN!?” についてですけど、この回答は「エド・ハリスが鉄っちゃんだったから」ということらしいです。うーむ。そうか、人類の未来は鉄っちゃんの手に委ねられたか。
やー、だって、冷却物質を散布したら氷河期になっちゃいましたとか、氷河期がきたら生物が死滅しちゃいましたとか、そういうのもなんかひたすらイヤだけど、そういう事態になっちゃった時に、シェルターとして「列車」っていう選択はないでしょ。どう考えたってないでしょ。全世界を一周できて、何十年も無補修で(しかもあんな環境の中で)列車を走り続けさせることが可能な線路を建設できる技術があるのなら、それこそ『エリジウム』みたいな人工衛星を打ち上げた方がよっぽど簡単だし確実だし合理的だし大勢の人間を収容できるでしょ。人工衛星がムリならまずは洞窟だよね、地下に穴掘るよね、人類のお家芸だよね。
だって列車だもの、どんなに長く連結しても車内面積なんか限られたもんじゃない? そこにあんだけの人数、何十年も暮らしているんだよ? それなのにあのスペースの使い方って、ないよね。あれで完全循環系の閉鎖環境を作り上げましたって言われても、なんかさー、もうさー。だいたいエネルギーとかどうなってるの。肉の冷凍倉庫はあったけど牧場はなかったよね。牛肉はどこから来たの。卵を産んだのはだれなの。車輌ひとつぶんの果樹園で一体どれだけの果実がまかなえるというの。水族館みたいなオシャレな水槽で、(年に二回とは言え)富裕層にスシをふるまえるほどのサカナが養殖できると思っているの。魚はともかく米はどうするの。
うるさいね。こだわるね。全然大らかなキモチで受け止められないのね。どうせ「嘘」だからって、こういう設定の甘さが放置されてるのはキライなのよ。嘘なら嘘でそれらしい嘘をついて納得させてくれなきゃイヤなのよ。社会風刺だの寓意だのメタファーだのがやりたいなら、まずはそこが御座なりじゃダメだと思うのよ。
だけど、まあ、列車というとんでも設定に(無理矢理必死で)目をつぶるとすると、これは実はよくある終末世界観的社会描写。極端な貧富の差とか、搾取する者とされる者との闘いとか。よくある描写ではあるんだけれど、やっぱりここまでミニマムな環境でやられると無理を感じすぎて死にそうよ。なぜそもそもの初めに、「乗車券」を買えなかった貧困層を敢えて列車に乗せたのか? 乗せたにもかかわらず、反発が必至の劣悪で非人道的な差別的環境に置いたのか? 貧民層の反発に備える武装コストや、直接労働に寄与しているわけでもないらしいかれらを「飼って」おくコストは、何と相殺されているのか?
わざと社会階層を残したという点については一応説明はあります。一つは、閉鎖環境である故に刺激が必要だったから。虐げられた人々の革命へのポテンシャルは娯楽としては最高だから。もう一つには、エンジンのメンテをするには子どもの小さな身体でなければムリなので、小さな身体を供給する一種の繁殖牧場として貧民層の集団が必要だったから。
この説明で「なるほど!」って納得できるひとは幸いなり、天国はその人のものなり。わたしは地獄に行くわ。
なんかもう、どこをどうとっても「これが最適解」だとは思えませんでした。設定も展開も世界観も、ちっとも納得できなかったので、結論として「ヘンな映画」としか思えんかった。
だいだいさー(ああ、モンクばっかり)、世紀の大美女のティルダ・スウィントンになんであんなブスメイクをさせる必要があるの(怒)!? ブスがほしけりゃブスな女優を使えばいいじゃない!(暴言)。そんでもって、エド・ハリスとジョン・ハートの関係って、あれでほんとにうまくいってたの? 最後の裏切りは驚きませんが、そうなるまでにあの状態で17年も機能してたなんて、一体どんだけマゾなんだよ、ジョン・ハートって!
ジェイミー・ベルは大変キュートでした。ソン・ガンホはもっと何かやってくれるのかと思ったら単に無謀なだけだった。コ・アソンは最後はシロクマに喰われちゃったんだろうなぁ。地球最後の女の死に様(ホロリ)。
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by shirakian
| 2014-02-10 19:34
| 映画さ行