2009年 03月 27日
アイドルワイルド
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テレンス・ハワード的落穂ひろい、第四弾。
2006年の劇場未公開映画です。
ミュージカルであるということしか知らなかったので、テレンス・ハワードが歌って踊る? とワクテカして観たのですが、ハワードさん、歌いません。踊りません。残念無念です。
なぜかと言うに、この映画、アウトキャスト(OUTKAST)というヒップホップ・デュオがフューチャーされていて、ミュージックシーンは全てかれらのために演出されているからです。
1930年代のアメリカ南部アイドルワイルド。厳格な葬儀屋の父親に育てられたパーシヴァル(アンドレ・ベンジャミン、アウトキャスト)とギャングの叔父に育てられたルースター(アントワン・A・パットン、アウトキャスト)。両極端な環境にもかかわらず、共に音楽を愛するふたりは親友同士だった。長じてルースターは、叔父のシマのクラブ“チャーチ”で人気№1のシンガーとなり、パーシヴァルは優れた音楽の才能を持ちながら、厳格な父親に逆らいきれず、父親の仕事を手伝う傍ら、同じクラブで細々とピアノを弾いていた。
そんなある日、叔父とクラブのオーナーが射殺され、ルースターは上納金を納めるために、クラブの経営を引き継ぐことに。一方パーシヴァルは、契約シンガーとしてクラブにやってきたエンジェル(ポーラ・パットン)と恋に落ち、自作の楽曲を提供して一躍人気者になるのだが……。
というお話。少年時代の描写はなかなかいいです。少年パーシヴァルの目を通して描かれたノスタルジックで叙情的な葬儀の様子や、少年ルースターの、栴檀は双葉より芳し的ギャング稼業に対する才能の描写が生き生きとしています。尤も、少年ルースターの描写が面白いだけに、長じたルースターはなぜギャングスターにならず、クラブ歌手なんかやってるんだ? という疑問がわかなくもないですが、そこはそれ、歌手という設定にしておかないとステージシーンが作れないから。
そうなんですよ。ミュージカルなのに、この映画のミュージカルシーンはステージシーンにほぼ限られるのです。もっと破天荒に随所で歌って踊ればいいものを、律儀に歌う必然性のあるシーンでしか歌わない。だから歌手じゃないテレンス・ハワードも歌わない。勿体無いにもほどがある(>_<)。
とは言うものの、このステージシーンは、すっごく楽しいのですよ♪
なにしろ、30年代なのに音楽がヒップホップ(笑)。30年代の衣装で、30年代の舞台装置で、音楽だけがヒップホップというミスマッチ感覚は、最初は、ん? と思うけど、それ単体で見るととてもかっこよいです。曲もいいけど、ダンスがまたとってもパワフルで♪ PVとして観たら百点満点だろうなぁ。
ただ、やっぱりどうしても、ドラマ部分との整合性が悪く、ドラマ部分自体も、脚本の流れが悪いです。敢えて悲劇的場面を作るために、死ぬ必然性のない人物が死ぬ展開もいただけないし、それをきっかけにパーシヴァルがスターダムをのしあがっていくという流れも、感情的にしっくりきません。
パーシヴァルとルースター、パーシヴァルと父親、パーシヴァルとエンジェル、ルースターとその妻、ルースターとトランピー(テレンス・ハワード)などの、キーとなる人間関係がきちんと描かれていないので、ただイベントが進行していくだけで、ドラマが不在になってしまう。
特に、ギャングのボスの甥だったルースターと、長年その男の右腕を勤め、結局そのボスを殺すことになるテレンス・ハワードの感情的な確執というのは、きちんと描いていればかなり面白いドラマになったはずなのに、ルースターの叔父とハワードのボスが同一人物だったということに気づくことすらむずかしいような描き方なのには首をかしげてしまいます。
で、テレンス・ハワードですが。
警官役がはまり役で、普段は秩序を維持する側のひと、というイメージの強い、高潔な印象のハワードですが、この映画では正真正銘のワルイやつ。サディスティックなハワードさんもまた乙なものです(笑)。
登場シーンでは、大ボスの背後に静かに控える切れ者の右腕、という感じで、おお、これは『ゴッド・ファーザー』のロバート・デュバル的キャラなのか!? とワクワクしました。無口ででしゃばらず、日ごろは完全に存在を消していることができるけれど、鋭利な頭脳で常に先を読み、必要とあらばライバルのベッドに殺した馬の首をつっこんでおくことのできる冷酷な男! ……しかしこの映画のハワードさん、クールだったのは登場シーンだけで、次第にほんまもんのチンピラであることが露呈してしまうのが非情に残念です。
ただし、思いもかけない拾い物、それはかれの華麗なる衣装の数々であります。
ただでさえ、30年代の男の衣装はカッコイイ。スーツの仕立ても帽子とのマッチングもそもそもが絵になるものです。しかもハワードさんの役はギャングスター。スーツといってもカタギさんが着るものとは一味ちがいます。シャツやネクタイのコーディネイト、悪趣味の一歩手前でピタリと決めたヴィヴィッドな色あわせはお見事のひと言。それをまあ、テレンス・ハワード、かっこよく着こなす着こなす。日ごろからスーツの着こなしには定評のある人が、次から次へと様々なスーツをとっかえひっかえする様は、完璧にファッションモデル状態です。眼福とはこのことね。
歌わなかったけど、踊らなかったけど、悪役だったけど、でもこれだけでかなり満足度の高い一本であります。
2006年の劇場未公開映画です。
ミュージカルであるということしか知らなかったので、テレンス・ハワードが歌って踊る? とワクテカして観たのですが、ハワードさん、歌いません。踊りません。残念無念です。
なぜかと言うに、この映画、アウトキャスト(OUTKAST)というヒップホップ・デュオがフューチャーされていて、ミュージックシーンは全てかれらのために演出されているからです。
1930年代のアメリカ南部アイドルワイルド。厳格な葬儀屋の父親に育てられたパーシヴァル(アンドレ・ベンジャミン、アウトキャスト)とギャングの叔父に育てられたルースター(アントワン・A・パットン、アウトキャスト)。両極端な環境にもかかわらず、共に音楽を愛するふたりは親友同士だった。長じてルースターは、叔父のシマのクラブ“チャーチ”で人気№1のシンガーとなり、パーシヴァルは優れた音楽の才能を持ちながら、厳格な父親に逆らいきれず、父親の仕事を手伝う傍ら、同じクラブで細々とピアノを弾いていた。
そんなある日、叔父とクラブのオーナーが射殺され、ルースターは上納金を納めるために、クラブの経営を引き継ぐことに。一方パーシヴァルは、契約シンガーとしてクラブにやってきたエンジェル(ポーラ・パットン)と恋に落ち、自作の楽曲を提供して一躍人気者になるのだが……。
というお話。少年時代の描写はなかなかいいです。少年パーシヴァルの目を通して描かれたノスタルジックで叙情的な葬儀の様子や、少年ルースターの、栴檀は双葉より芳し的ギャング稼業に対する才能の描写が生き生きとしています。尤も、少年ルースターの描写が面白いだけに、長じたルースターはなぜギャングスターにならず、クラブ歌手なんかやってるんだ? という疑問がわかなくもないですが、そこはそれ、歌手という設定にしておかないとステージシーンが作れないから。
そうなんですよ。ミュージカルなのに、この映画のミュージカルシーンはステージシーンにほぼ限られるのです。もっと破天荒に随所で歌って踊ればいいものを、律儀に歌う必然性のあるシーンでしか歌わない。だから歌手じゃないテレンス・ハワードも歌わない。勿体無いにもほどがある(>_<)。
とは言うものの、このステージシーンは、すっごく楽しいのですよ♪
なにしろ、30年代なのに音楽がヒップホップ(笑)。30年代の衣装で、30年代の舞台装置で、音楽だけがヒップホップというミスマッチ感覚は、最初は、ん? と思うけど、それ単体で見るととてもかっこよいです。曲もいいけど、ダンスがまたとってもパワフルで♪ PVとして観たら百点満点だろうなぁ。
ただ、やっぱりどうしても、ドラマ部分との整合性が悪く、ドラマ部分自体も、脚本の流れが悪いです。敢えて悲劇的場面を作るために、死ぬ必然性のない人物が死ぬ展開もいただけないし、それをきっかけにパーシヴァルがスターダムをのしあがっていくという流れも、感情的にしっくりきません。
パーシヴァルとルースター、パーシヴァルと父親、パーシヴァルとエンジェル、ルースターとその妻、ルースターとトランピー(テレンス・ハワード)などの、キーとなる人間関係がきちんと描かれていないので、ただイベントが進行していくだけで、ドラマが不在になってしまう。
特に、ギャングのボスの甥だったルースターと、長年その男の右腕を勤め、結局そのボスを殺すことになるテレンス・ハワードの感情的な確執というのは、きちんと描いていればかなり面白いドラマになったはずなのに、ルースターの叔父とハワードのボスが同一人物だったということに気づくことすらむずかしいような描き方なのには首をかしげてしまいます。
で、テレンス・ハワードですが。
警官役がはまり役で、普段は秩序を維持する側のひと、というイメージの強い、高潔な印象のハワードですが、この映画では正真正銘のワルイやつ。サディスティックなハワードさんもまた乙なものです(笑)。
登場シーンでは、大ボスの背後に静かに控える切れ者の右腕、という感じで、おお、これは『ゴッド・ファーザー』のロバート・デュバル的キャラなのか!? とワクワクしました。無口ででしゃばらず、日ごろは完全に存在を消していることができるけれど、鋭利な頭脳で常に先を読み、必要とあらばライバルのベッドに殺した馬の首をつっこんでおくことのできる冷酷な男! ……しかしこの映画のハワードさん、クールだったのは登場シーンだけで、次第にほんまもんのチンピラであることが露呈してしまうのが非情に残念です。
ただし、思いもかけない拾い物、それはかれの華麗なる衣装の数々であります。
ただでさえ、30年代の男の衣装はカッコイイ。スーツの仕立ても帽子とのマッチングもそもそもが絵になるものです。しかもハワードさんの役はギャングスター。スーツといってもカタギさんが着るものとは一味ちがいます。シャツやネクタイのコーディネイト、悪趣味の一歩手前でピタリと決めたヴィヴィッドな色あわせはお見事のひと言。それをまあ、テレンス・ハワード、かっこよく着こなす着こなす。日ごろからスーツの着こなしには定評のある人が、次から次へと様々なスーツをとっかえひっかえする様は、完璧にファッションモデル状態です。眼福とはこのことね。
歌わなかったけど、踊らなかったけど、悪役だったけど、でもこれだけでかなり満足度の高い一本であります。
by shirakian
| 2009-03-27 21:23
| 映画あ行