2009年 01月 08日
ワールド・オブ・ライズ
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今年最初のスクリーンは、この映画。期待にたがわぬ面白さでした♪
あのね、これはね、「シリアスな社会派」とか思って観ると、ちがうと思うの。たぶん、ジャック・ライアンのシリーズみたいなノリで楽しむのが正しいと思う。
そういう意味で、またしても、またしても、日本の配給会社は余計なことをして観客をミスリードしてると思う。「世界を救うのはどっちの嘘か!?」ってなんやねん。嘘は世界を救ったりしません。
そもそも、『ワールド・オブ・ライズ』というおセンチな邦題がまず大嘘なわけで、原題は『嘘の集まり(BODY OF LIES)』。言わんとするところは恐らく、「虚飾にまみれた世界」とかそんな大上段に構えたことではなく、世界には正直に誠実に実直に生きている人々がたくさんおり、アラブだろうがアメリカだろうが、大半の市井の人々は、概ねそうなんだけど、国家とか軍部とか諜報機関とかテロ組織とか、そういった「嘘の集まり」が、世界をひっかきまわしているのである、と、たぶん、そういう感じです。
リドリー・スコットの映画は、観ていて実にストレスがないです。すごくよく切れるナイフでスッスッとバターの塊でも切ってるような感じ。無駄がない。過剰がない。不足がない。停滞がない。映像の作り方にまちがいがない。編集の仕方に齟齬がない。演出に破綻がない。この映画もまた、乗り物に乗って運ばれていくみたいに、流れに身をまかせていれば存分に楽しめる。ほんとに良質のエンターテイメントだと思います。
物語は、CIAの現地工作員であるディカプリオが、アメリカの本部から指令を出すクロウと共に、テロ組織のリーダーを捕獲するために、無関係な民間人を巻き込んだダミーのテロ組織をでっちあげ……という一連のオペレーションの話です。
ディカプリオは現場で死ぬ目にあっているのに、クロウの方は、おやつ食べながらとか、子どもの送り迎えなんかしながらとか、片手間に携帯で過酷な指示を出す。当然ふたりの見解はかみあわず、かみあわないことが致命的な失敗に繋がったりもする。
ディカプリオが「良心的白人」の象徴で、20キロ以上増量して撮影に臨んだクロウは「肥え太った倣岸なアメリカ人」の象徴だ、とか言うのは簡単ですが、いや、この話は、どっちもどっちなのだからして、特にディカプリオが「良心」の代表だと思う必要もないのだと思います。
だったらば、なぜクロウは20キロも太らされちゃったのかな。クロウはね、『インサイダー』でもマイケル・マン監督から同じくらい太らされちゃってたけど、スコット監督もクロウを太らせたいって思ったのかな。クロウって、監督の「太らせてみたい欲求」をかきたてる俳優なのかな。なんか、太めの女子を彼女にして、たくさん食べさせて、さらに太らせてみたいフェチというのがあるそうですが、そこまでいくと、ディープすぎてわたしにはよくわかりません(絶対そぉいう話ではない)。
劇中、クロウはディカプリオに「自分こそがアメリカであるような発言をするな」ときめつけられているわけだし。ディカプリオだって別に白人右代表ではなく、この話の場合、あくまでロジャー・フェリスという個人としての物語だと思うし。
レオナルド・ディカプリオもラッセル・クロウも、特に好きな役者さんというわけではないので、この映画は俳優萌え目的で観に行ったわけではないのですが(たまには、そういうことだって、あるよ)、ヨルダン情報局のハニ・サラームが出てきたとたん、思わず前のめりになってしまいました。
だ、だれっ、このひとっ!? うわぁ、カッコイイ! アンディ・ガルシアを若くして細くして背を高くして足を長くしてスッとカッコよくしたみたい!(ガルシア、ごめん)。 なに、あのパーフェクトなスーツの着こなし! 気品あるものごし! 皮肉な台詞まわし! かっこよすぎるってば。
というわけで、一体このひとはだれなのか、ワクテカしながら見守るエンドロール。
さあ、こい! よし、きた! え? だれ?
マーク・ストロング!
思わず椅子から転がり落ちましたから。
え? ええーっ!?
マーク・ストロングって言えば、『リボルバー』で凄腕のヒットマンを演じたひとでしょう? なになになに? 同一人物? 同一人物なのっ!?
や、だって、『リボルバー』のストロングは、確かに役柄としてカッコイイ殺し屋ではありましたが、容姿がカッコイイとはお世辞にも思った覚えがないんですけど(汗)。あんなに背が高かったっけ? スタイルよかったっけ? 自信に満ちた眼光だったっけ? 髪の毛フサフサしてたっけ!?
化けるわねー。ものっそ化けるわねー、あなた。
化けすぎる役者は、すんごい大物になるか、決して顔を覚えてもらえないか、どっちかだと思うけど(笑)、や、ストロング、あなたはきっと大物になれる! ブレイクする、と思う。しっかり見守らせていただきます。
だってですよ、次の出演作、モリアーティ教授なんですって(≧▽≦)!
ガイ・リッチー監督、ロバート・ダウニー・Jrとジュード・ロウがホームズ&ワトソンの、あのシャーロック・ホームズのモリアーティですよ。これは期待するなというのが無理ですね。そうか、リッチー監督は、ストロング氏のこと、気にいっちゃったんだな。それでの大抜擢か。そっか、そっか。その気持ちはよぉっくわかるよ!
それにしても、アメリカの情報局や軍部が持ってる小道具って、いつもながらに面白いですねぇ。この映画でも、孤立した砂漠の真ん中でのミッションすらも、偵察機を通じてリアルタイムでパッチリ本国と繋がってたり、タイムラグなしに携帯で話ができたり、ゲーム感覚になるな、というのがむずかしいくらいですが、最初にこの感じを味あわせてくれたのは、『パトリオット・ゲーム』だったかもしれない。あの映画もショーン・ビーンの美貌が印象的テロリストのテントの中身まで映し出してしまう偵察衛星の映像が衝撃的でしたもの。あんなに細部まで鮮明に見えるなら、なんで誤爆とか起きるんでしょうね。
あのね、これはね、「シリアスな社会派」とか思って観ると、ちがうと思うの。たぶん、ジャック・ライアンのシリーズみたいなノリで楽しむのが正しいと思う。
そういう意味で、またしても、またしても、日本の配給会社は余計なことをして観客をミスリードしてると思う。「世界を救うのはどっちの嘘か!?」ってなんやねん。嘘は世界を救ったりしません。
そもそも、『ワールド・オブ・ライズ』というおセンチな邦題がまず大嘘なわけで、原題は『嘘の集まり(BODY OF LIES)』。言わんとするところは恐らく、「虚飾にまみれた世界」とかそんな大上段に構えたことではなく、世界には正直に誠実に実直に生きている人々がたくさんおり、アラブだろうがアメリカだろうが、大半の市井の人々は、概ねそうなんだけど、国家とか軍部とか諜報機関とかテロ組織とか、そういった「嘘の集まり」が、世界をひっかきまわしているのである、と、たぶん、そういう感じです。
リドリー・スコットの映画は、観ていて実にストレスがないです。すごくよく切れるナイフでスッスッとバターの塊でも切ってるような感じ。無駄がない。過剰がない。不足がない。停滞がない。映像の作り方にまちがいがない。編集の仕方に齟齬がない。演出に破綻がない。この映画もまた、乗り物に乗って運ばれていくみたいに、流れに身をまかせていれば存分に楽しめる。ほんとに良質のエンターテイメントだと思います。
物語は、CIAの現地工作員であるディカプリオが、アメリカの本部から指令を出すクロウと共に、テロ組織のリーダーを捕獲するために、無関係な民間人を巻き込んだダミーのテロ組織をでっちあげ……という一連のオペレーションの話です。
ディカプリオは現場で死ぬ目にあっているのに、クロウの方は、おやつ食べながらとか、子どもの送り迎えなんかしながらとか、片手間に携帯で過酷な指示を出す。当然ふたりの見解はかみあわず、かみあわないことが致命的な失敗に繋がったりもする。
ディカプリオが「良心的白人」の象徴で、20キロ以上増量して撮影に臨んだクロウは「肥え太った倣岸なアメリカ人」の象徴だ、とか言うのは簡単ですが、いや、この話は、どっちもどっちなのだからして、特にディカプリオが「良心」の代表だと思う必要もないのだと思います。
だったらば、なぜクロウは20キロも太らされちゃったのかな。クロウはね、『インサイダー』でもマイケル・マン監督から同じくらい太らされちゃってたけど、スコット監督もクロウを太らせたいって思ったのかな。クロウって、監督の「太らせてみたい欲求」をかきたてる俳優なのかな。なんか、太めの女子を彼女にして、たくさん食べさせて、さらに太らせてみたいフェチというのがあるそうですが、そこまでいくと、ディープすぎてわたしにはよくわかりません(絶対そぉいう話ではない)。
劇中、クロウはディカプリオに「自分こそがアメリカであるような発言をするな」ときめつけられているわけだし。ディカプリオだって別に白人右代表ではなく、この話の場合、あくまでロジャー・フェリスという個人としての物語だと思うし。
レオナルド・ディカプリオもラッセル・クロウも、特に好きな役者さんというわけではないので、この映画は俳優萌え目的で観に行ったわけではないのですが(たまには、そういうことだって、あるよ)、ヨルダン情報局のハニ・サラームが出てきたとたん、思わず前のめりになってしまいました。
だ、だれっ、このひとっ!? うわぁ、カッコイイ! アンディ・ガルシアを若くして細くして背を高くして足を長くしてスッとカッコよくしたみたい!(ガルシア、ごめん)。 なに、あのパーフェクトなスーツの着こなし! 気品あるものごし! 皮肉な台詞まわし! かっこよすぎるってば。
というわけで、一体このひとはだれなのか、ワクテカしながら見守るエンドロール。
さあ、こい! よし、きた! え? だれ?
マーク・ストロング!
思わず椅子から転がり落ちましたから。
え? ええーっ!?
マーク・ストロングって言えば、『リボルバー』で凄腕のヒットマンを演じたひとでしょう? なになになに? 同一人物? 同一人物なのっ!?
や、だって、『リボルバー』のストロングは、確かに役柄としてカッコイイ殺し屋ではありましたが、容姿がカッコイイとはお世辞にも思った覚えがないんですけど(汗)。あんなに背が高かったっけ? スタイルよかったっけ? 自信に満ちた眼光だったっけ? 髪の毛フサフサしてたっけ!?
化けるわねー。ものっそ化けるわねー、あなた。
化けすぎる役者は、すんごい大物になるか、決して顔を覚えてもらえないか、どっちかだと思うけど(笑)、や、ストロング、あなたはきっと大物になれる! ブレイクする、と思う。しっかり見守らせていただきます。
だってですよ、次の出演作、モリアーティ教授なんですって(≧▽≦)!
ガイ・リッチー監督、ロバート・ダウニー・Jrとジュード・ロウがホームズ&ワトソンの、あのシャーロック・ホームズのモリアーティですよ。これは期待するなというのが無理ですね。そうか、リッチー監督は、ストロング氏のこと、気にいっちゃったんだな。それでの大抜擢か。そっか、そっか。その気持ちはよぉっくわかるよ!
それにしても、アメリカの情報局や軍部が持ってる小道具って、いつもながらに面白いですねぇ。この映画でも、孤立した砂漠の真ん中でのミッションすらも、偵察機を通じてリアルタイムでパッチリ本国と繋がってたり、タイムラグなしに携帯で話ができたり、ゲーム感覚になるな、というのがむずかしいくらいですが、最初にこの感じを味あわせてくれたのは、『パトリオット・ゲーム』だったかもしれない。あの映画も
by shirakian
| 2009-01-08 21:26
| 映画わ行