2008年 12月 16日
WALL・E/ウォーリー
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予告編で一目その姿を目にした瞬間から、ウォーリーの虜になりました。
ウォーリー携帯ストラップつき前売り券を買いこみ、公開を今か今かと待ち構える日々。
ついに鑑賞叶い、立て続けに二度目を観たいま、三度目が観たくてたまりません(>_<)!
……観たけりゃ、何度でも好きなだけ観るがいいよ。
なぁんて素敵なラブストーリーでしょう(涙目)。ラブストーリー部門、本年後ぶっちぎり№1、というか、堂々のオールタイムベスト入りです。今年もこんなに押し詰まってから、すんごい大傑作にあたってしまいました。映画の神様、ありがとう(>_<)!
ええと、『WALL・E/ウォーリー』は、ピクサー9作目の長編アニメであるそうです。ピクサーの長編ってまだ9作目なのね。もっといっぱいあるような気がしてました。いままでに観たピクサー長編では、『モンスターズ・インク』と『Mr.インクレディブル』がお気に入りです。
環境汚染で住めなくなった地球を棄て、人類が宇宙へ脱出してから700年。ゴミ処理ロボットとして作られたウォーリーは、あるじなき地球で、いまも尚勤勉にお掃除を続けておりました。ある日、そんなウォーリーのもとに、一体の光り輝くロボット、イヴが現れる。たちまちイヴの虜になるウォーリー。うちとけるふたり。しかしイヴは植物の有無を探査し見つけ次第持ち帰る、という使命を帯びており、たまたまウォーリーがそれを見せたところ、宇宙に「連れ去られて」しまう。ウォーリーはイヴを「救出」するために、自らも宇宙へ飛び出すのであった!
ゴミだらけになって打ち棄てられた母星、イヴが担っていた使命、使命が果たされた後の結果――――、このお話は、環境問題に対する提言がひとつの柱となっています。
この映画では、人類は地球でこそ生活すべきであり、あまつさえ、地球環境はだれかが(すなわち人類が)「守ってやるべきもの」であるという考えが根底にあります。なので、700年前に「地球を棄てた」イヴの母船であるアクシオム級クルーズ宇宙船の描写は、ユーモアに彩られてはいるけれど、極めてネガティブなものであると言えます。
確かに、宇宙船という小さな閉鎖空間で暮らすひとびとの様子は、グロテスクである。怠惰のあまり、肉体的には退化し、精神的には淀みきっている。そうなりたいか、と問われれば、イエス・アイ・ドゥ! とは言いにくいです。
だけど、ほんとに、そうか? 思わんでもないのです。
だってね、まず第一に、この宇宙船は、完全なリサイクルを実現しているのですよ?
この程度の大きさの閉鎖環境が700年もの間、一切の劣化もトラブルもなく完璧に機能し続けているという、そのことひとつとっても、瞠目すべき科学の勝利です。普通、宇宙船規模の小さな閉鎖空間は、長持ちしないはずなんですが、アクシオムではその問題を完璧にクリアしている。
ここは、やはり、アトムの国の科学の子としては、もっと賞賛したっていいんじゃね? と思わんでもない。
そして、この小さな社会には、貧富の差がありません。というのは、そもそも貧者はこの船に乗り込む時点でふるい落とされて生存できなかった、という地獄絵図の過去があったものと想像されるわけですが、それにしたってその地獄から700年もたっているのに、その間、新しい共同体に富の偏在が全く起こらなかった、というのは、まことあっぱれ、というか、すばらしいことだと思うのです。
地球上の不幸の、恐らく90%以上は、貧困に起因している。貧困さえ克服できれば、いろいろな大義名分やイデオロギーの名のもとに行われている様々な戦争も紛争もテロも、あらかたなくせるものだと思う。
この小さな社会には、その貧困が存在しないのです。これは、やはり、すばらしいことなのではあるまいか?
そして、ここには差別がない。一切ない。肌の色のちがいなんか、バーチャル世界に没頭している人々にはどうでもいいことだし、美醜すら関係ない。なにかをしろと要求されるわけでもないから、なにかをする能力が云々されることもない。肉体能力は問題ではないのですから、男女の格差もない。年齢の格差すらない。平等。究極の平等。これは、やはり、すばらしいことなのではあるまいか?
事実、この宇宙船で暮らすひとびとの心のありようは、ちっともギスギスしていないのです。鷹揚で、礼儀正しい。まさに衣食足りて礼節を知るひとびとなんであります。
ひとは、地獄に関しては、いかようにもリアルで具体的で独創的なイメージを創造することができるのに、天国を想像する力は常に極めて貧困であると思います。
そんな意味で、貧困や差別や労働や過酷な環境からの解放といった、一種のパラダイスを描きつつ、やはりその描写は、こんなにもグロテスクで否定的なものにならざるを得ないというのは、面白いことだと思うのであります。
しかしそれでも、ぬくぬくと守られた、なにひとつ憂いのない楽園を後にしたひとびとが行き着く先を案じるに、失楽園、という言葉が浮かんだりもするのです。
だけど、ほんとに、そんなことは、どうでもいい。脇に置いといていい。だってこれは、極上のラブストーリーなんだから。
ウォーリーというピュアな魂が、イヴという運命の相手に出会った。
というと臭いけど、ほんとにピュアとしかいいようのない、ウォーリーの恋なのであります。
ウォーリーはイヴに、なにひとつ求めているわけではありません。寂しさを紛らわせたいからでもなく、自己実現したいからでもなく、美人の恋人をゲットして見栄を張りたいからでもなく、もちろんお金目当てでもなければ、カラダ目当てでもありません。
ウォーリーは、ただ純粋に、イヴにそばにいてほしいだけ。幸せでいてほしいだけ。
余計な台詞がない分、思いの純粋さは、よりいっそうストレートに観客に伝わってきます。なので観客は、ウォーリーがいじらしく、途中何度も目頭が熱くなるのです。
ウォーリーの筐体がさびてたり、インジゲーターがひび割れてたりするのを観るだけで、なんか、目頭が熱くなるのです。
ウォーリーとイヴをめぐる描写の細かいとこ、色々、あそこがいい、ここがいい、と言い出すと、すんごい長いリストになります。だからそれは、自分の目で確かめた方がいいと思いますけど、たぶん、観て損したと思うひとは、いないんじゃないかな。
あー、こんな文章書いてる間にも、もう一回観たいでありますよ。
……観たけりゃ、何度でも好きなだけ観るがいいよ。
ウォーリー携帯ストラップつき前売り券を買いこみ、公開を今か今かと待ち構える日々。
ついに鑑賞叶い、立て続けに二度目を観たいま、三度目が観たくてたまりません(>_<)!
……観たけりゃ、何度でも好きなだけ観るがいいよ。
なぁんて素敵なラブストーリーでしょう(涙目)。ラブストーリー部門、本年後ぶっちぎり№1、というか、堂々のオールタイムベスト入りです。今年もこんなに押し詰まってから、すんごい大傑作にあたってしまいました。映画の神様、ありがとう(>_<)!
ええと、『WALL・E/ウォーリー』は、ピクサー9作目の長編アニメであるそうです。ピクサーの長編ってまだ9作目なのね。もっといっぱいあるような気がしてました。いままでに観たピクサー長編では、『モンスターズ・インク』と『Mr.インクレディブル』がお気に入りです。
環境汚染で住めなくなった地球を棄て、人類が宇宙へ脱出してから700年。ゴミ処理ロボットとして作られたウォーリーは、あるじなき地球で、いまも尚勤勉にお掃除を続けておりました。ある日、そんなウォーリーのもとに、一体の光り輝くロボット、イヴが現れる。たちまちイヴの虜になるウォーリー。うちとけるふたり。しかしイヴは植物の有無を探査し見つけ次第持ち帰る、という使命を帯びており、たまたまウォーリーがそれを見せたところ、宇宙に「連れ去られて」しまう。ウォーリーはイヴを「救出」するために、自らも宇宙へ飛び出すのであった!
ゴミだらけになって打ち棄てられた母星、イヴが担っていた使命、使命が果たされた後の結果――――、このお話は、環境問題に対する提言がひとつの柱となっています。
この映画では、人類は地球でこそ生活すべきであり、あまつさえ、地球環境はだれかが(すなわち人類が)「守ってやるべきもの」であるという考えが根底にあります。なので、700年前に「地球を棄てた」イヴの母船であるアクシオム級クルーズ宇宙船の描写は、ユーモアに彩られてはいるけれど、極めてネガティブなものであると言えます。
確かに、宇宙船という小さな閉鎖空間で暮らすひとびとの様子は、グロテスクである。怠惰のあまり、肉体的には退化し、精神的には淀みきっている。そうなりたいか、と問われれば、イエス・アイ・ドゥ! とは言いにくいです。
だけど、ほんとに、そうか? 思わんでもないのです。
だってね、まず第一に、この宇宙船は、完全なリサイクルを実現しているのですよ?
この程度の大きさの閉鎖環境が700年もの間、一切の劣化もトラブルもなく完璧に機能し続けているという、そのことひとつとっても、瞠目すべき科学の勝利です。普通、宇宙船規模の小さな閉鎖空間は、長持ちしないはずなんですが、アクシオムではその問題を完璧にクリアしている。
ここは、やはり、アトムの国の科学の子としては、もっと賞賛したっていいんじゃね? と思わんでもない。
そして、この小さな社会には、貧富の差がありません。というのは、そもそも貧者はこの船に乗り込む時点でふるい落とされて生存できなかった、という地獄絵図の過去があったものと想像されるわけですが、それにしたってその地獄から700年もたっているのに、その間、新しい共同体に富の偏在が全く起こらなかった、というのは、まことあっぱれ、というか、すばらしいことだと思うのです。
地球上の不幸の、恐らく90%以上は、貧困に起因している。貧困さえ克服できれば、いろいろな大義名分やイデオロギーの名のもとに行われている様々な戦争も紛争もテロも、あらかたなくせるものだと思う。
この小さな社会には、その貧困が存在しないのです。これは、やはり、すばらしいことなのではあるまいか?
そして、ここには差別がない。一切ない。肌の色のちがいなんか、バーチャル世界に没頭している人々にはどうでもいいことだし、美醜すら関係ない。なにかをしろと要求されるわけでもないから、なにかをする能力が云々されることもない。肉体能力は問題ではないのですから、男女の格差もない。年齢の格差すらない。平等。究極の平等。これは、やはり、すばらしいことなのではあるまいか?
事実、この宇宙船で暮らすひとびとの心のありようは、ちっともギスギスしていないのです。鷹揚で、礼儀正しい。まさに衣食足りて礼節を知るひとびとなんであります。
ひとは、地獄に関しては、いかようにもリアルで具体的で独創的なイメージを創造することができるのに、天国を想像する力は常に極めて貧困であると思います。
そんな意味で、貧困や差別や労働や過酷な環境からの解放といった、一種のパラダイスを描きつつ、やはりその描写は、こんなにもグロテスクで否定的なものにならざるを得ないというのは、面白いことだと思うのであります。
しかしそれでも、ぬくぬくと守られた、なにひとつ憂いのない楽園を後にしたひとびとが行き着く先を案じるに、失楽園、という言葉が浮かんだりもするのです。
だけど、ほんとに、そんなことは、どうでもいい。脇に置いといていい。だってこれは、極上のラブストーリーなんだから。
ウォーリーというピュアな魂が、イヴという運命の相手に出会った。
というと臭いけど、ほんとにピュアとしかいいようのない、ウォーリーの恋なのであります。
ウォーリーはイヴに、なにひとつ求めているわけではありません。寂しさを紛らわせたいからでもなく、自己実現したいからでもなく、美人の恋人をゲットして見栄を張りたいからでもなく、もちろんお金目当てでもなければ、カラダ目当てでもありません。
ウォーリーは、ただ純粋に、イヴにそばにいてほしいだけ。幸せでいてほしいだけ。
余計な台詞がない分、思いの純粋さは、よりいっそうストレートに観客に伝わってきます。なので観客は、ウォーリーがいじらしく、途中何度も目頭が熱くなるのです。
ウォーリーの筐体がさびてたり、インジゲーターがひび割れてたりするのを観るだけで、なんか、目頭が熱くなるのです。
ウォーリーとイヴをめぐる描写の細かいとこ、色々、あそこがいい、ここがいい、と言い出すと、すんごい長いリストになります。だからそれは、自分の目で確かめた方がいいと思いますけど、たぶん、観て損したと思うひとは、いないんじゃないかな。
あー、こんな文章書いてる間にも、もう一回観たいでありますよ。
……観たけりゃ、何度でも好きなだけ観るがいいよ。
by shirakian
| 2008-12-16 22:22
| 映画あ行

