2008年 04月 06日
ノーカントリー
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コーエン兄弟の映画が苦手です。
なぜ苦手なのか、ということについて、つらつらと考えてみたのですが、どうもかれらの映画は「不要に残酷な」感じがするので、そこが苦手らしい。ユーモアが突出している『ファーゴ』ですら、不要に残酷な感じがして嫌だったのだから、残酷さではお墨付きのこの映画なんか、絶対ダメだろうな、と思っていました。
ところがさにあらず。非常に楽しんでしまいました。なぜに。
思うに、わたしが苦手だったのは、コーエン兄弟の「残酷」ではなく「不要に」残酷なところだったわけで、だったらこの映画の残酷は不要ではなかった、必然だった、ということになります。
必然性のある残酷。はたしてそんなものがあるのかどうか。
リアルをリアルに描くと自然とそうなる、それが残酷であるのなら、残酷は残酷として描くしかない。シガーは決してモンスターなのではなく、いまそこにあるまさに「リアル」なんだろうなと。リアルなアメリカなんだろうなと。
老人のための国などない。のは何も今に始まったことではなく、アメリカは常に、かくも老人に(オンナや子どもや弱い男たちに)優しくない国であったわけだと。
物語はこうです。麻薬取引の現場で偶然多額の現金を手にいれた元溶接工(にしてベトナム帰還兵)のルウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)は、殺し屋のアントン・シガー(ハビエル・バルデム)に追い回される身となる。さらにそのシガーを追う保安官のエド・トム・ベル(トミー・リー・ジョーンズ)。追われる者、追う者、さらにそれを追う者、三者の息詰まる道行。
やはり何と言ってもハビエル・バルデムのキャラクターが凄いです。アントン・シガーは、このさき映画のオールタイムベストをやったら必ず悪役としてランクインすること間違いなしの、ただいま絶賛公開中にしてすでに伝説のキャラクターになってしまったような恐ろしい男です。
そして映画史に残るであろうこの恐ろしい男を、恐ろしく描写する演出力が凄い。殺しのシーンを直接見せるのも秀逸なら、殺しの存在をほのめかすだけで極限までテンションをあげてみせたシーンも秀逸。徐々に近づいて来る殺しを待ち受けるシーンも秀逸なら、あたかも殺しなどなかったかのように殺しが行われる描写も秀逸。そして、それらの秀逸な殺しのシーンの配分や序列がまたまたものすごく秀逸。
殺し屋がシガーなら、なにをどう描いてもとにかく残酷なので、シガーの存在自体にショッカー効果があり、凡百のホラーなんかの何千倍も、シガーだけで怖い。出てくるだけで怖い。近づいて来たらたまらない。視線があうなんてとんでもない。
シガーは決して激昂したりはしないのに。
というわけで、バルデム氏の演技は存分に評価され、オスカー受賞に繋がったわけですが、その影になっちゃってちょっとお気の毒なくらい、ジョッシュ・ブローリンもすばらしかったです。
そもそもルウェリン・モスってどういう男なんでしょう。せっかくベトナムから帰還したのに、「命をかけて守った祖国」にはなんの夢もない。トレーラー住まいのその日暮らし。妻のカーラ(ケリー・マクドナルド)にはスーパーのレジ打ちなんかさせている。煮詰まっていたのか、逃げ出したかったのか、世界を変えてしまいたかったのか。
だけど、モスにはそんなギラギラした「欲」は感じられないのです。
それなのに、戦場で鍛えたかれのサバイバル技術は凄い。「シガーを見たのにまだ生きている」ほどのレベル。
普通、逃亡者というものは、バカなミスを犯して追い詰められていくのに、ブローリンは常に冷静で豪胆で計算の行き届いた理屈に適った行動を取り、現金を守り通していく。ブローリンのサバイバルは観ていて心地よいです。普通だったら、これは逃げ切れるパターンなんじゃないのか。だけどいかんせん、追手はあのアントン・シガー(>_<)!
まさに、「敵にとって不足なし!」の好勝負のふたりだったわけですが、でも、この映画がこのふたりの追跡劇をメインとしたサスペンス映画だったとしたら、もちろん極めてよくできたサスペンス映画ではあるけれど、なにもコーエン兄弟が撮るべき映画ではないだろうな、とも思うのです。この映画がほんとうに面白いのは、さらにその上を包むトミー・リー・ジョーンズのラインがあるから。かれの存在がこの映画のテーマが「アメリカ」そのものであることを浮き上がらせているのです。
この国はダメになった。いまの犯罪はわからない。
老人をしてそう嘆かしめている「いま」というのは実は1980年代。ベトナムはそんな昔のことじゃない。トミー・リー・ジョーンズの嘆きは、単なる懐古趣味じゃなく、過去もいまもそのさきも常にあるアメリカの本質をついたものであるということ。
だからね、この映画、タイトルがものごっつ大事。もちろん、なんとなくノリでつけたようなタイトルだってないとは言わないけど、基本的にタイトルは大事。特にこの映画みたく端的にきっちりテーマを現わしたものであるならば。
なのに、なんですか、この意味不明の邦題は?
邦題の意味、ほんと、わかんないんですけど?
『女帝エンペラー』とか『敬愛なるベートーヴェン』とか、頭おかしいんじゃない? と言いたくなるような邦題が最近でもちょくちょくありますけど、このタイトルも「酷い邦題選手権」にエントリーしてよいのではと思います。むか。
なぜ苦手なのか、ということについて、つらつらと考えてみたのですが、どうもかれらの映画は「不要に残酷な」感じがするので、そこが苦手らしい。ユーモアが突出している『ファーゴ』ですら、不要に残酷な感じがして嫌だったのだから、残酷さではお墨付きのこの映画なんか、絶対ダメだろうな、と思っていました。
ところがさにあらず。非常に楽しんでしまいました。なぜに。
思うに、わたしが苦手だったのは、コーエン兄弟の「残酷」ではなく「不要に」残酷なところだったわけで、だったらこの映画の残酷は不要ではなかった、必然だった、ということになります。
必然性のある残酷。はたしてそんなものがあるのかどうか。
リアルをリアルに描くと自然とそうなる、それが残酷であるのなら、残酷は残酷として描くしかない。シガーは決してモンスターなのではなく、いまそこにあるまさに「リアル」なんだろうなと。リアルなアメリカなんだろうなと。
老人のための国などない。のは何も今に始まったことではなく、アメリカは常に、かくも老人に(オンナや子どもや弱い男たちに)優しくない国であったわけだと。
物語はこうです。麻薬取引の現場で偶然多額の現金を手にいれた元溶接工(にしてベトナム帰還兵)のルウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)は、殺し屋のアントン・シガー(ハビエル・バルデム)に追い回される身となる。さらにそのシガーを追う保安官のエド・トム・ベル(トミー・リー・ジョーンズ)。追われる者、追う者、さらにそれを追う者、三者の息詰まる道行。
やはり何と言ってもハビエル・バルデムのキャラクターが凄いです。アントン・シガーは、このさき映画のオールタイムベストをやったら必ず悪役としてランクインすること間違いなしの、ただいま絶賛公開中にしてすでに伝説のキャラクターになってしまったような恐ろしい男です。
そして映画史に残るであろうこの恐ろしい男を、恐ろしく描写する演出力が凄い。殺しのシーンを直接見せるのも秀逸なら、殺しの存在をほのめかすだけで極限までテンションをあげてみせたシーンも秀逸。徐々に近づいて来る殺しを待ち受けるシーンも秀逸なら、あたかも殺しなどなかったかのように殺しが行われる描写も秀逸。そして、それらの秀逸な殺しのシーンの配分や序列がまたまたものすごく秀逸。
殺し屋がシガーなら、なにをどう描いてもとにかく残酷なので、シガーの存在自体にショッカー効果があり、凡百のホラーなんかの何千倍も、シガーだけで怖い。出てくるだけで怖い。近づいて来たらたまらない。視線があうなんてとんでもない。
シガーは決して激昂したりはしないのに。
というわけで、バルデム氏の演技は存分に評価され、オスカー受賞に繋がったわけですが、その影になっちゃってちょっとお気の毒なくらい、ジョッシュ・ブローリンもすばらしかったです。
そもそもルウェリン・モスってどういう男なんでしょう。せっかくベトナムから帰還したのに、「命をかけて守った祖国」にはなんの夢もない。トレーラー住まいのその日暮らし。妻のカーラ(ケリー・マクドナルド)にはスーパーのレジ打ちなんかさせている。煮詰まっていたのか、逃げ出したかったのか、世界を変えてしまいたかったのか。
だけど、モスにはそんなギラギラした「欲」は感じられないのです。
それなのに、戦場で鍛えたかれのサバイバル技術は凄い。「シガーを見たのにまだ生きている」ほどのレベル。
普通、逃亡者というものは、バカなミスを犯して追い詰められていくのに、ブローリンは常に冷静で豪胆で計算の行き届いた理屈に適った行動を取り、現金を守り通していく。ブローリンのサバイバルは観ていて心地よいです。普通だったら、これは逃げ切れるパターンなんじゃないのか。だけどいかんせん、追手はあのアントン・シガー(>_<)!
まさに、「敵にとって不足なし!」の好勝負のふたりだったわけですが、でも、この映画がこのふたりの追跡劇をメインとしたサスペンス映画だったとしたら、もちろん極めてよくできたサスペンス映画ではあるけれど、なにもコーエン兄弟が撮るべき映画ではないだろうな、とも思うのです。この映画がほんとうに面白いのは、さらにその上を包むトミー・リー・ジョーンズのラインがあるから。かれの存在がこの映画のテーマが「アメリカ」そのものであることを浮き上がらせているのです。
この国はダメになった。いまの犯罪はわからない。
老人をしてそう嘆かしめている「いま」というのは実は1980年代。ベトナムはそんな昔のことじゃない。トミー・リー・ジョーンズの嘆きは、単なる懐古趣味じゃなく、過去もいまもそのさきも常にあるアメリカの本質をついたものであるということ。
だからね、この映画、タイトルがものごっつ大事。もちろん、なんとなくノリでつけたようなタイトルだってないとは言わないけど、基本的にタイトルは大事。特にこの映画みたく端的にきっちりテーマを現わしたものであるならば。
なのに、なんですか、この意味不明の邦題は?
邦題の意味、ほんと、わかんないんですけど?
『女帝エンペラー』とか『敬愛なるベートーヴェン』とか、頭おかしいんじゃない? と言いたくなるような邦題が最近でもちょくちょくありますけど、このタイトルも「酷い邦題選手権」にエントリーしてよいのではと思います。むか。
by shirakian
| 2008-04-06 22:39
| 映画な行