2015年 11月 22日
ミケランジェロ・プロジェクト
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★ネタバレ注意★
監督ジョージ・クルーニー、製作ジョージ・クルーニー、脚本ジョージ・クルーニー、主演ジョージ・クルーニーという、クルーニーのクルーニーによるクルーニーのための映画です。
第二次世界大戦下、ナチスドイツによって強奪された各地の美術品を奪還する米英仏混成チームのお話です。チームの名前はモニュメンツ・メン! その7人のメンバーは、フランク・ストークス(ジョージ・クルーニー)、ジェームズ・グレンジャー(マット・デイモン)、リチャード・キャンベル(ビル・マーレイ)、ウォルター・ガーフィールド(ジョン・グッドマン)、プレストン・サヴィッツ(ボブ・バラバン)、ジャン=クロード・クレルモン(ジャン・デュジャルダン)、ドナルド・ジェフリーズ(ヒュー・ボネヴィル)という顔ぶれ。
こんな面子を集めることができるのもジョージ・クルーニーならでは、と思うのです。プロデューサーとしてのかれは、もしかしたら俳優として以上の才能を持っているのかもしれない。単に大物を集めたというのみならず、絵面がいいでしょ、特にビル・マーレイ、ジョン・グッドマン、ボブ・バラバンという、「ご老体、マジで戦場に行くんかい」トリオのスリーショットがもたらすインパクトなどを見るにつけ、それだけで面白い映画であることを確信させてしまうのです。
ただ、えー、実際に面白い映画だったかと言うと、どうなのかなぁ。
予告編が結構うまく作ってありましたね、あれを観る限り、コメディ映画だと思うではありませんか。オシャレで軽快で知的な。言うなればまさにオーシャンズ11みたいな映画だと期待してしまいます。実際、この映画もコミカルなシーンや演出がたくさんあって、予告編ではそれらをうまく継ぎ合わせて作ってあったので騙されちゃった感じ。
実際のこの映画は、ハリウッド一"意識高い系"俳優であるジョージ・クルーニーが「主張したいこと」を声高に主張する"意識高い系"の映画になってしまっていて、娯楽作品としての練度が大変不十分な印象なのです。せっかくオーシャンズみたいな印象に作れそうな映画なんだから、監督もソダーバーグにお願いしとけばよかったのに。餅は餅屋って言うじゃない。
クルーニー監督が主張したかったことは、今まさに人命が失われようとしてる状況で、美術品や文化遺産に拘るなんて不謹慎かもしれないけれど、そうした品々は人類全体のかけがえのない宝物である上に、一旦失われてしまったらもう二度と取り戻すことはできないのだから、やっぱり人命を犠牲にしても美術品を守ることは貴い行為であるんですよ、ということです。これをまんま、台詞で言った。しかもクルーニー自身が言った。
わかるよ? わかりますけれどもね、ほんとに、アルカイダがバーミヤンの石仏ふっ飛ばした時なんか、思わず悲鳴をあげちゃいましたものね。あれらもまたもう二度と取り戻すことはできないわけで、同じ愚行を人類は昔からずーっとあっちでもこっちでもやってきた。止められるものなら止めるにしくはない。
だけど、人命を犠牲にしても、って言われると、やはり素直には首肯できないものを感じてしまうのです。劇中にもあったよね、あの教会の尖塔は貴重な文化財なので、できれば戦闘行為はよそでやってほしいんだけど、とかなんとか申告にやって来たモニュメンツ・メンに対して、現場の将校さんが、ふざけんな!あそこを拠点にすることでどんだけの兵員の命が助かってると思ってるんだ! って切れるシーンがありましたが、そうなんですよね、理念は理念として、今そこで人が死んでいるというのに、美術品だの文化遺産だのの方を重視してしまうってどうなの、ということです。
たぶん、時節が時節なので、そっちの方に気持ちが傾いてしまうのだとは思うのです。今がほんとに平和な時代なら、美術品が失われてしまう辛さの方が大きかったかもしれない。
だからね、本来これは徹底的にコメディで撮るしかなかった題材なんだと思うの。すみませんね、や、ほんと、所詮は絵だものね、彫刻だものね、もちろんそれはわかるんだけど、やっぱり気になるもんは気になっちゃうからね、ちょっくら失礼して機材も人員も割かせていただきますよ、どうしても助けたいんですよ、こらもうしょがない、いわばサガみたいなもんでして、というような姿勢が大事。
一見ドタバタ笑える展開で、最後まで潔く笑わせて終わる。だけどもちろん、そんな「コメディ」を観せられた観客が観終わった後何も考えないなんてあり得ない。戦争という暴力を前にした時の、文化というかけがえのない存在の儚さを、映画が笑えれば笑えるほど、観客は感じずにはいられないと思う。娯楽作で何かを伝えるというのはそういうことでしょう。台詞で声高に己の正しさを主張してしまってはダメだと思うの。
そういうテーマ的なことを除いても、実話ベースという縛りがあったにせよ、物語の組み立てや見せ方などもなんだかやっぱりぎこちなくて、だからソダーバーグにお願いしとけばよかったのに、と思ってしまう結果になってしまったのでした。
たとえば、せっかく魅力的な7人の俳優を集めてチームを結成しておきながら、7人がそれぞれのスペシャリティを生かし、その上で全員で力を合わせて何かを成し遂げる、という描写が全然なかった、という以前に、7人揃って作戦行動すること自体ほとんどなくて、物語の大部分はメンバーがバラバラに散らばってバラバラのことをやっていたりする。
たとえば、せっかく魅力的なケイト・ブランシェットを配しておきながら、彼女が実質的に作戦行動に絡むわけでもなかったりする。彼女が情報を出し惜しみするのでマット・デイモンが彼女に絡まざるをえなくなる、という流れが「作ってある」んだけど、これはデイモンをブランシェットに絡ませるための「ためにする流れ」なのが見え見えで、必然性に乏しいのです。せっかくブランシェット出すならもっと大活躍させればいいのに。
や、もう、そもそも何よりもそれ以前に、美術品の隠し場所を巡る謎解き、っていうのがあまりにもおざなりに過ぎるでしょ。本来的にはそこが見どころになるはずなのに。
剥き出しの主張をコメディでくるみ、物語の中で起こるイベントそれ自体に語らせよ、と思う立場から見ると、ドナルドが戦死する場面でかれが父親に宛てた手紙の朗読をかぶせたりするシーンや、クリスマスのキャンプで家族の歌の録音を流すシーンなどもまた、非常にあざとく感じてノーサンキューだったのでした(個人の感想です)。
ただね、随所に、とてもいいコメディーシーンが散りばめられていて、個々のシーンのセンスは大変すばらしいのです。脚本レベルでキャラクターを立てることには成功していないのに、役者さんたち自身の力でもって、画面に見えるキャラクターはきっちり観客の心を掴んでくるし、そういう力のある役者さんたちが演じるだけに、ユーモアがそれ自体いい仕事している。あともうほんのちょっと、こっちの方につきぬけてくれていれば傑作だったよねぇ、主題も面白いし、役者さんたちも圧倒的にいいんだから、と残念に思うのでした。……なんかまた、偉そうね。偉そうでごめんね。
・ミケランジェロ・プロジェクト@ぴあ映画生活
監督ジョージ・クルーニー、製作ジョージ・クルーニー、脚本ジョージ・クルーニー、主演ジョージ・クルーニーという、クルーニーのクルーニーによるクルーニーのための映画です。
第二次世界大戦下、ナチスドイツによって強奪された各地の美術品を奪還する米英仏混成チームのお話です。チームの名前はモニュメンツ・メン! その7人のメンバーは、フランク・ストークス(ジョージ・クルーニー)、ジェームズ・グレンジャー(マット・デイモン)、リチャード・キャンベル(ビル・マーレイ)、ウォルター・ガーフィールド(ジョン・グッドマン)、プレストン・サヴィッツ(ボブ・バラバン)、ジャン=クロード・クレルモン(ジャン・デュジャルダン)、ドナルド・ジェフリーズ(ヒュー・ボネヴィル)という顔ぶれ。
こんな面子を集めることができるのもジョージ・クルーニーならでは、と思うのです。プロデューサーとしてのかれは、もしかしたら俳優として以上の才能を持っているのかもしれない。単に大物を集めたというのみならず、絵面がいいでしょ、特にビル・マーレイ、ジョン・グッドマン、ボブ・バラバンという、「ご老体、マジで戦場に行くんかい」トリオのスリーショットがもたらすインパクトなどを見るにつけ、それだけで面白い映画であることを確信させてしまうのです。
ただ、えー、実際に面白い映画だったかと言うと、どうなのかなぁ。
予告編が結構うまく作ってありましたね、あれを観る限り、コメディ映画だと思うではありませんか。オシャレで軽快で知的な。言うなればまさにオーシャンズ11みたいな映画だと期待してしまいます。実際、この映画もコミカルなシーンや演出がたくさんあって、予告編ではそれらをうまく継ぎ合わせて作ってあったので騙されちゃった感じ。
実際のこの映画は、ハリウッド一"意識高い系"俳優であるジョージ・クルーニーが「主張したいこと」を声高に主張する"意識高い系"の映画になってしまっていて、娯楽作品としての練度が大変不十分な印象なのです。せっかくオーシャンズみたいな印象に作れそうな映画なんだから、監督もソダーバーグにお願いしとけばよかったのに。餅は餅屋って言うじゃない。
クルーニー監督が主張したかったことは、今まさに人命が失われようとしてる状況で、美術品や文化遺産に拘るなんて不謹慎かもしれないけれど、そうした品々は人類全体のかけがえのない宝物である上に、一旦失われてしまったらもう二度と取り戻すことはできないのだから、やっぱり人命を犠牲にしても美術品を守ることは貴い行為であるんですよ、ということです。これをまんま、台詞で言った。しかもクルーニー自身が言った。
わかるよ? わかりますけれどもね、ほんとに、アルカイダがバーミヤンの石仏ふっ飛ばした時なんか、思わず悲鳴をあげちゃいましたものね。あれらもまたもう二度と取り戻すことはできないわけで、同じ愚行を人類は昔からずーっとあっちでもこっちでもやってきた。止められるものなら止めるにしくはない。
だけど、人命を犠牲にしても、って言われると、やはり素直には首肯できないものを感じてしまうのです。劇中にもあったよね、あの教会の尖塔は貴重な文化財なので、できれば戦闘行為はよそでやってほしいんだけど、とかなんとか申告にやって来たモニュメンツ・メンに対して、現場の将校さんが、ふざけんな!あそこを拠点にすることでどんだけの兵員の命が助かってると思ってるんだ! って切れるシーンがありましたが、そうなんですよね、理念は理念として、今そこで人が死んでいるというのに、美術品だの文化遺産だのの方を重視してしまうってどうなの、ということです。
たぶん、時節が時節なので、そっちの方に気持ちが傾いてしまうのだとは思うのです。今がほんとに平和な時代なら、美術品が失われてしまう辛さの方が大きかったかもしれない。
だからね、本来これは徹底的にコメディで撮るしかなかった題材なんだと思うの。すみませんね、や、ほんと、所詮は絵だものね、彫刻だものね、もちろんそれはわかるんだけど、やっぱり気になるもんは気になっちゃうからね、ちょっくら失礼して機材も人員も割かせていただきますよ、どうしても助けたいんですよ、こらもうしょがない、いわばサガみたいなもんでして、というような姿勢が大事。
一見ドタバタ笑える展開で、最後まで潔く笑わせて終わる。だけどもちろん、そんな「コメディ」を観せられた観客が観終わった後何も考えないなんてあり得ない。戦争という暴力を前にした時の、文化というかけがえのない存在の儚さを、映画が笑えれば笑えるほど、観客は感じずにはいられないと思う。娯楽作で何かを伝えるというのはそういうことでしょう。台詞で声高に己の正しさを主張してしまってはダメだと思うの。
そういうテーマ的なことを除いても、実話ベースという縛りがあったにせよ、物語の組み立てや見せ方などもなんだかやっぱりぎこちなくて、だからソダーバーグにお願いしとけばよかったのに、と思ってしまう結果になってしまったのでした。
たとえば、せっかく魅力的な7人の俳優を集めてチームを結成しておきながら、7人がそれぞれのスペシャリティを生かし、その上で全員で力を合わせて何かを成し遂げる、という描写が全然なかった、という以前に、7人揃って作戦行動すること自体ほとんどなくて、物語の大部分はメンバーがバラバラに散らばってバラバラのことをやっていたりする。
たとえば、せっかく魅力的なケイト・ブランシェットを配しておきながら、彼女が実質的に作戦行動に絡むわけでもなかったりする。彼女が情報を出し惜しみするのでマット・デイモンが彼女に絡まざるをえなくなる、という流れが「作ってある」んだけど、これはデイモンをブランシェットに絡ませるための「ためにする流れ」なのが見え見えで、必然性に乏しいのです。せっかくブランシェット出すならもっと大活躍させればいいのに。
や、もう、そもそも何よりもそれ以前に、美術品の隠し場所を巡る謎解き、っていうのがあまりにもおざなりに過ぎるでしょ。本来的にはそこが見どころになるはずなのに。
剥き出しの主張をコメディでくるみ、物語の中で起こるイベントそれ自体に語らせよ、と思う立場から見ると、ドナルドが戦死する場面でかれが父親に宛てた手紙の朗読をかぶせたりするシーンや、クリスマスのキャンプで家族の歌の録音を流すシーンなどもまた、非常にあざとく感じてノーサンキューだったのでした(個人の感想です)。
ただね、随所に、とてもいいコメディーシーンが散りばめられていて、個々のシーンのセンスは大変すばらしいのです。脚本レベルでキャラクターを立てることには成功していないのに、役者さんたち自身の力でもって、画面に見えるキャラクターはきっちり観客の心を掴んでくるし、そういう力のある役者さんたちが演じるだけに、ユーモアがそれ自体いい仕事している。あともうほんのちょっと、こっちの方につきぬけてくれていれば傑作だったよねぇ、主題も面白いし、役者さんたちも圧倒的にいいんだから、と残念に思うのでした。……なんかまた、偉そうね。偉そうでごめんね。
・ミケランジェロ・プロジェクト@ぴあ映画生活
by shirakian
| 2015-11-22 18:36
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