2015年 11月 04日
PAN ~ネバーランド、夢のはじまり~
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★ネタバレ注意★
ジョー・ライト監督がピーター・パン誕生の物語を描いたファンタジー大作。
ピーター・パンの前日譚なんてカケラも興味がわかないというか、ハリウッドもいよいよネタ不足なんだなぁ、とうら寂しい気持ちになるというか、まあ普通だったらスルーする映画だったと思うのですが、なにしろヒュー・ジャックマンが出ておりますので観てまいりました。
ジャックマンは海賊船長の役ですので、フック船長だとばかり思っていたら、ブラックビアードというフックとは全くの別人で、フックはフックで別にいました。
この物語で語られる先史ネバーランドの概要は。
それがあれば永遠の命が得られる鉱石を産出する鉱山があり、ブラックビアードはそれを採掘するため、孤児を買い取って奴隷労働に従事させていた。一方で、鉱石を大量に保持する妖精国と戦争した結果、妖精国は姿を隠してしまい、妖精国を守るトライブたちとの戦争はいまだ継続中だった。
要は戦争と殺戮と搾取と暴力の暗黒時代。罪もない子供が奴隷労働に駆り出され、容赦なく人間が殺され、嘘と裏切りがまかり通る世界。さして深みがあるわけでもない他愛ない子ども向けの物語でありながら、あまり子どもには見せたくないイヤな感触。そんな話をカラフルな映像で誤魔化してサーブされても、不快感はやはりどうしようもない。ワクワクする要素がない。日本での興行成績が確定するのはまだこれからですが、世界的には案の定振るわなかった模様。
ピーター・パンの物語って、結局死後のお話であるというのがもはや定説。幼くして死んでしまった子どもたちの魂が訪れる、子どもたちの魂の安息所。この映画でも、その設定は踏襲されていたのだと思う。映画冒頭、リアルな現実としての孤児院が描写された後、ロンドン空襲で直撃を受けた孤児院、しかしピーターたちには特にその影響はなく、代わりに現実ではありえないことが次々と起こり出す。トランクいっぱいの金貨しかり、シスターたちが掲げる海賊旗しかり、空飛ぶ海賊船しかり。極めつけはブラックビアードがピーターに語る(そこだけ浮いて感じられる)意味深な台詞、「眠りの世界に落ち込んで、それがあまりに甘美であるため、醒めるに醒められない状態にある、それが死だ」云々。
だとしたらそこは時など止まった世界であろうはずなのに、ブラックビアードは加齢を極端に恐れているし、鉱山労働者たちは、子どもの頃買われてきてそれからずっと大人になっても働かされている、という描写。どうもひっかかる。
物語の主人公はピーターなんだけど、子どもがひとりで解決するにはあまりに残酷で過酷すぎる世界観を作ってしまった為に、大人のヒーローが必要となってしまい、そのために(前代未聞の善玉の)フックというキャラクターが造形されている。これもやはりなんかひっかかる。
これでフックが問答無用で魅力的なキャラクターだったのなら問題ないんだけど、フックを演じたギャレット・ヘドランドがどうにもこうにも微妙な感じ。かっこよくないわけじゃないけど、魅力的じゃないわけじゃないけど、アクションが全くできてないわけじゃないけど、個性とか華とかカリスマとか愛嬌とか、ヒーローに不可欠な要素が悉く欠けている印象。この映画的には「ヒーロー」はあくまでピーターで、フックはサイドキックだからという認識のキャスティングだったのだと思うけど、それは大きな計算間違い。この映画のヒーローポジションはフックだ。
一方でルーニー・マーラのタイガー・リリーはよかったなぁ。
メイクも衣装もかわいくて、気位の高い勇敢なお姫様の雰囲気がよく出てて。なんでネイティブアメリカン系(か、せめて、そう見える外見)の役者さんじゃないんだ、という疑問は残るけれども、これだけチャーミングならノープロブレム。
この華奢で小柄なタイガー・リリーを容赦なくぶっ飛ばすジャックマンのブラックビアードが、益々冷血漢のモンスターに見えるという効果も。
色々ある中で一番よくなかったのは、ピーターの「飛翔」に関する描写だったと思う。空が飛べる、ということは、ピーターがただの孤児ではなく、伝説のパン(勇者)であるということを証拠づける大事な要素だし、何より、空を飛ぶという行為の爽快な解放感は映画にもカタルシスをもたらし得たと思うのだけど、これだけ凄い映像を見せてくれた大作でありながら、ピーターが飛ぶシーンに限って、安っぽいワイヤーアクション感まる出し。なんでそこで手を抜くのか全く不明。
そして、空を飛ぶという事象の意味が特別なら、その事象そのものも特別でなければならないと思うのだけど、この映画ではピーターの他に「常識では飛ばないけれど当たり前のように空を飛び回る存在」がある。言うまでもなく海賊船。海賊船が普通に飛び回っている世界なら、ピーターの飛翔にもある種の陳腐感が生じてしまう。これを回避するためには、なぜ海賊船は空を飛べるのか、という理屈付けを、ファンタジーという文脈の中でもちろん構わないからきちんとやっておくべきだったんじゃないかな。
「飛ぶ」という魅力を描くにかけては宮崎駿には敵わない。
・PAN ~ネバーランド、夢のはじまり~@ぴあ映画生活
ジョー・ライト監督がピーター・パン誕生の物語を描いたファンタジー大作。
ピーター・パンの前日譚なんてカケラも興味がわかないというか、ハリウッドもいよいよネタ不足なんだなぁ、とうら寂しい気持ちになるというか、まあ普通だったらスルーする映画だったと思うのですが、なにしろヒュー・ジャックマンが出ておりますので観てまいりました。
ジャックマンは海賊船長の役ですので、フック船長だとばかり思っていたら、ブラックビアードというフックとは全くの別人で、フックはフックで別にいました。
この物語で語られる先史ネバーランドの概要は。
それがあれば永遠の命が得られる鉱石を産出する鉱山があり、ブラックビアードはそれを採掘するため、孤児を買い取って奴隷労働に従事させていた。一方で、鉱石を大量に保持する妖精国と戦争した結果、妖精国は姿を隠してしまい、妖精国を守るトライブたちとの戦争はいまだ継続中だった。
要は戦争と殺戮と搾取と暴力の暗黒時代。罪もない子供が奴隷労働に駆り出され、容赦なく人間が殺され、嘘と裏切りがまかり通る世界。さして深みがあるわけでもない他愛ない子ども向けの物語でありながら、あまり子どもには見せたくないイヤな感触。そんな話をカラフルな映像で誤魔化してサーブされても、不快感はやはりどうしようもない。ワクワクする要素がない。日本での興行成績が確定するのはまだこれからですが、世界的には案の定振るわなかった模様。
ピーター・パンの物語って、結局死後のお話であるというのがもはや定説。幼くして死んでしまった子どもたちの魂が訪れる、子どもたちの魂の安息所。この映画でも、その設定は踏襲されていたのだと思う。映画冒頭、リアルな現実としての孤児院が描写された後、ロンドン空襲で直撃を受けた孤児院、しかしピーターたちには特にその影響はなく、代わりに現実ではありえないことが次々と起こり出す。トランクいっぱいの金貨しかり、シスターたちが掲げる海賊旗しかり、空飛ぶ海賊船しかり。極めつけはブラックビアードがピーターに語る(そこだけ浮いて感じられる)意味深な台詞、「眠りの世界に落ち込んで、それがあまりに甘美であるため、醒めるに醒められない状態にある、それが死だ」云々。
だとしたらそこは時など止まった世界であろうはずなのに、ブラックビアードは加齢を極端に恐れているし、鉱山労働者たちは、子どもの頃買われてきてそれからずっと大人になっても働かされている、という描写。どうもひっかかる。
物語の主人公はピーターなんだけど、子どもがひとりで解決するにはあまりに残酷で過酷すぎる世界観を作ってしまった為に、大人のヒーローが必要となってしまい、そのために(前代未聞の善玉の)フックというキャラクターが造形されている。これもやはりなんかひっかかる。
これでフックが問答無用で魅力的なキャラクターだったのなら問題ないんだけど、フックを演じたギャレット・ヘドランドがどうにもこうにも微妙な感じ。かっこよくないわけじゃないけど、魅力的じゃないわけじゃないけど、アクションが全くできてないわけじゃないけど、個性とか華とかカリスマとか愛嬌とか、ヒーローに不可欠な要素が悉く欠けている印象。この映画的には「ヒーロー」はあくまでピーターで、フックはサイドキックだからという認識のキャスティングだったのだと思うけど、それは大きな計算間違い。この映画のヒーローポジションはフックだ。
一方でルーニー・マーラのタイガー・リリーはよかったなぁ。
メイクも衣装もかわいくて、気位の高い勇敢なお姫様の雰囲気がよく出てて。なんでネイティブアメリカン系(か、せめて、そう見える外見)の役者さんじゃないんだ、という疑問は残るけれども、これだけチャーミングならノープロブレム。
この華奢で小柄なタイガー・リリーを容赦なくぶっ飛ばすジャックマンのブラックビアードが、益々冷血漢のモンスターに見えるという効果も。
色々ある中で一番よくなかったのは、ピーターの「飛翔」に関する描写だったと思う。空が飛べる、ということは、ピーターがただの孤児ではなく、伝説のパン(勇者)であるということを証拠づける大事な要素だし、何より、空を飛ぶという行為の爽快な解放感は映画にもカタルシスをもたらし得たと思うのだけど、これだけ凄い映像を見せてくれた大作でありながら、ピーターが飛ぶシーンに限って、安っぽいワイヤーアクション感まる出し。なんでそこで手を抜くのか全く不明。
そして、空を飛ぶという事象の意味が特別なら、その事象そのものも特別でなければならないと思うのだけど、この映画ではピーターの他に「常識では飛ばないけれど当たり前のように空を飛び回る存在」がある。言うまでもなく海賊船。海賊船が普通に飛び回っている世界なら、ピーターの飛翔にもある種の陳腐感が生じてしまう。これを回避するためには、なぜ海賊船は空を飛べるのか、という理屈付けを、ファンタジーという文脈の中でもちろん構わないからきちんとやっておくべきだったんじゃないかな。
「飛ぶ」という魅力を描くにかけては宮崎駿には敵わない。
・PAN ~ネバーランド、夢のはじまり~@ぴあ映画生活
by shirakian
| 2015-11-04 14:51
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