2015年 09月 22日
カリフォルニア・ダウン
|
★ネタバレ注意★
ブラッド・ペイトン監督のアメリカ映画です。
ドウェイン・ジョンソン主演。
原題は"SAN ANDREAS"、カリフォルニア一帯を走っている断層の名前ですね。
レイ・ゲインズ(ドウェイン・ジョンソン)はロス消防局所属の救難ヘリパイロット。頭脳よし度胸よし腕力よしの凄腕のレスキューマン。ネバダ州で発生した大地震を皮切りに、サン・アンドレアス断層が大きく動き、カリフォルニア州全域が巨大地震に見舞われる。使用機の部品交換のため隊を離れて飛行中だったレイは、妻エマ(カーラ・グギーノ)の危機を知り救助に駆けつける。そんなさなか、娘のブレイク(アレクサンドラ・ダダリオ)にも危険が迫っていることを知り……。
というお話は、一行でまとめると、「大地震が発生したので家族の救助に駆けつける男」です。うん、他に何も言うことはない。ある意味、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』と同じくワンアイディア、ワンプロット、ワンシチュエーションでぐいぐい押してくる映画。見どころはとにかく迫力の映像、度肝をぬく破壊描写。『2012』のレビューの固有名詞を入れ替えればそのまま通用するレベル。これを映画館で観ずして何とする。シネコンの大きなスクリーンで観ましたけれども、それでも映画のスケールに比べたらまだ物足りないと思いました。
大地震の発端となったネバダ州はフーバーダムの決壊シーンからガンガン飛ばしてきます。超巨大な建造物の堅牢なコンクリートに亀裂が走り、それが見る見る広がって轟音と共に崩壊していくさまの恐ろしさ。間一髪で助かるひと、逃げ遅れてしまうひと。運命の非情さ。
やがて拡大した地震は、サンフランシスコの街を飲み込む。波打つハイウェイ、崩落する高架、吹き飛ぶガラス、やがてビル全体が倒壊する。なんていうかもう、手に汗握るというレベルを超えて、一種不思議な爽快感に満たされてしまうほどの破壊に次ぐ破壊。一体これで何万人の人命が失われたんだとか、そういう(まっとうな)感傷はこの破壊の熱狂に跡形もなく飲み込まれてしまう。
だがしかし、ビルの破壊は様式美で楽しめても、津波はやはりダメでした。海そのものに対する原初的な恐怖心とあいまって、あの海面が盛り上がるシーンには足がすくみ、腹腔が空洞になり、全身がザッと冷えきってしまう。わたしの街は津波に襲われた地域からは遠く隔たっており、その様もまた映像で観たに過ぎないのに、それでもやはり、意識下ではかなりのトラウマになっているらしいです。いわんや実際に体験された方々においてをや。劇場のホームページやロビーなんかに、「地震・津波のシーンが含まれております」という言わずもがなに見える注意書きがありましたが、やはりあれは必要なものなのだな、と思いました。
わたくしは概ね「映像はいいけどドラマが薄い」とか言いがちな面倒くさい観客ですけれども、この映画の場合、「あぁん? ドラマが薄いだぁ? そんなもんハナっから用意しちゃいねーんだよ!」と威嚇し倒してくるような塩梅ですので、ドラマとかは、すみませんもうどうでもいいです、っていうか、いっそ、「二人いた子供のうち一人を事故で死なせてしまった自責の念から妻とうまくいかなくなり、離婚に至ってしまった男の苦悩」とかいう、取って付けたような主人公の心情描写なんかむしろ邪魔だと思いました。物語に緩急をつけるっていうのは無駄なシーンを挿入してテンポを乱すことじゃない。
だから、ドラマが不在だとかストーリーの練度が低いとかいうのは別にいいんですが、それでもやはり主人公の職業がプロのレスキュー隊員である、という設定にはかなりひっかかってしまいました。だって、これだけ未曾有の大災害にありながら、このひと、ひとっつも救援活動に参加しないんだもの。自分とこの家族の心配ばっかして。なまじ映画冒頭のイントロデュースシーンで、レイが如何に有能なレスキュー隊員であるか、ということを手際よく描写してくれたがために益々、こんな人材が救難チームにいれば、もっと救えた人命があったのに、と切歯扼腕してしまうのです。
自分の家族の心配をするっていうのは、家族愛と言ってしまえば美談だけれど、要するに「自分の」家族がよければそれでいいというエゴイズムであり、自己愛の延長にすぎないと思う。ハリウッド映画は家族を守るために闘う男っていうのがやたらと好きだけど(そして確かに家族の立場からすれば家族を守ってくれないような男は大変困ってしまうんだけれども)、でもそれが許されるのは無力で役立たずの一般人だけで、みなのために戦えるスキルや能力を持っている、ましてや公金で雇われているプロがそれでは話にならない。だって、レイ以外の制服警官のひとなんかは、逃げずに任務を全うしてたよ。あのひとたちにだって奥さんや子どもはいるんでしょうに。
確かに、これほどの災害とあれば、レイひとりがいようがいまいが大局に影響があるわけじゃなし、だったら「自分にとって価値のある人間だけ」をピンポイントで助けた方が効率がいいに決まってる。だからレイは、自分の妻や娘以外の人間については、基本見事なくらいガン無視なんですが、114分の尺の中で一回だけ(驚くべきことに、ほんとにたったの一回だけ!)、家族以外の人間のために避難誘導するシーンがあります。スタジアムに隣接するビルが倒壊しつつある際に、人々を強固なスタジアムの壁際に避難させたのです。おかげで何十人かの命が助かった。まあ、あのひとたちも次に来た津波を逃れられたかどうかはわかりませんが、とにかく、レイは咄嗟の判断で人々を安全に導くことができるひとだったんです。それが全く生かされなかった。
そして、レイの超自己チューな振る舞いを、家族の誰ひとり疑問に思っていないっぽい。そりゃそうだ、おかげで「自分が」助かるのだもの。それなのにブレイクを置いて逃げたエマの恋人ダニエル(ヨアン・グリフィズ)のことは悪しざまに罵るんだけど、いやさ、あんたら同じ穴の貉だし。第一ダニエルは緊急時の救援訓練なんか受けたこともない一般人なわけで、レイと同じこと期待されても。
唯一、無条件の利他的行為(に近いもの)が描かれていたのが、ブレイクと行動を共にすることになったベン(ヒューゴ・ジョンストーン=バート)とオリー(アート・パーキンソン)のイギリス人兄弟です。兄弟は災厄のほんの直前にたまたまブレイクと言葉を交わしただけの、ほんとの行きずりの他人に過ぎなかったんだけど、ブレイクが地下駐車場に閉じ込められたと知った時、逃げずに助けに行くのですね。兄のベンの方には、ブレイクに対する淡い恋心があったのでしょうが、その程度のものを利己的動機とは言い難い。尤もこれはハリウッド映画ですので、逃避行の過程でブレイクは次第にベンに好意を抱き、ベンとブレイクの関係性がそれぞれ「自分にとって価値のある人間」になってしまえば、利他的行為も無条件ではなくなってしまうのだけれども。
最後に、パニック映画の常道として、その現象を研究している科学者というひとが出てくるのだけど、この映画ではカリフォルニア工科大学( Caltech、カルテク)の地震学者ローレンス教授(ポール・ジアマッティ)がその役割。ローレンス教授は地震を予知する研究をしていて、今回の大地震でその研究が正しいことが図らずも証明されてしまったのです。地震の第一波が襲った後、これで終わりではないことを知った博士は人々にそれを警告しなければならないが、通信網は寸断されてしまっている。さてどうする、という局面で博士、「カルテク舐めんなよ!」と軽々問題をクリア。地震被害はどうしようもなくても、通信網ごときはカルテクの設備と技術をもってすればチョロイもんです。ジアマッティ、かっこいい☆
思うに、理系秀才のひとをナードだのギークだのと貶めてはいけませんね。ハイスクールレベルでフットボールがうまかったって屁のツッパリにもなりませんが、理系秀才は地球の危機を救うからね。
・カリフォルニア・ダウン@ぴあ映画生活
ブラッド・ペイトン監督のアメリカ映画です。
ドウェイン・ジョンソン主演。
原題は"SAN ANDREAS"、カリフォルニア一帯を走っている断層の名前ですね。
レイ・ゲインズ(ドウェイン・ジョンソン)はロス消防局所属の救難ヘリパイロット。頭脳よし度胸よし腕力よしの凄腕のレスキューマン。ネバダ州で発生した大地震を皮切りに、サン・アンドレアス断層が大きく動き、カリフォルニア州全域が巨大地震に見舞われる。使用機の部品交換のため隊を離れて飛行中だったレイは、妻エマ(カーラ・グギーノ)の危機を知り救助に駆けつける。そんなさなか、娘のブレイク(アレクサンドラ・ダダリオ)にも危険が迫っていることを知り……。
というお話は、一行でまとめると、「大地震が発生したので家族の救助に駆けつける男」です。うん、他に何も言うことはない。ある意味、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』と同じくワンアイディア、ワンプロット、ワンシチュエーションでぐいぐい押してくる映画。見どころはとにかく迫力の映像、度肝をぬく破壊描写。『2012』のレビューの固有名詞を入れ替えればそのまま通用するレベル。これを映画館で観ずして何とする。シネコンの大きなスクリーンで観ましたけれども、それでも映画のスケールに比べたらまだ物足りないと思いました。
大地震の発端となったネバダ州はフーバーダムの決壊シーンからガンガン飛ばしてきます。超巨大な建造物の堅牢なコンクリートに亀裂が走り、それが見る見る広がって轟音と共に崩壊していくさまの恐ろしさ。間一髪で助かるひと、逃げ遅れてしまうひと。運命の非情さ。
やがて拡大した地震は、サンフランシスコの街を飲み込む。波打つハイウェイ、崩落する高架、吹き飛ぶガラス、やがてビル全体が倒壊する。なんていうかもう、手に汗握るというレベルを超えて、一種不思議な爽快感に満たされてしまうほどの破壊に次ぐ破壊。一体これで何万人の人命が失われたんだとか、そういう(まっとうな)感傷はこの破壊の熱狂に跡形もなく飲み込まれてしまう。
だがしかし、ビルの破壊は様式美で楽しめても、津波はやはりダメでした。海そのものに対する原初的な恐怖心とあいまって、あの海面が盛り上がるシーンには足がすくみ、腹腔が空洞になり、全身がザッと冷えきってしまう。わたしの街は津波に襲われた地域からは遠く隔たっており、その様もまた映像で観たに過ぎないのに、それでもやはり、意識下ではかなりのトラウマになっているらしいです。いわんや実際に体験された方々においてをや。劇場のホームページやロビーなんかに、「地震・津波のシーンが含まれております」という言わずもがなに見える注意書きがありましたが、やはりあれは必要なものなのだな、と思いました。
わたくしは概ね「映像はいいけどドラマが薄い」とか言いがちな面倒くさい観客ですけれども、この映画の場合、「あぁん? ドラマが薄いだぁ? そんなもんハナっから用意しちゃいねーんだよ!」と威嚇し倒してくるような塩梅ですので、ドラマとかは、すみませんもうどうでもいいです、っていうか、いっそ、「二人いた子供のうち一人を事故で死なせてしまった自責の念から妻とうまくいかなくなり、離婚に至ってしまった男の苦悩」とかいう、取って付けたような主人公の心情描写なんかむしろ邪魔だと思いました。物語に緩急をつけるっていうのは無駄なシーンを挿入してテンポを乱すことじゃない。
だから、ドラマが不在だとかストーリーの練度が低いとかいうのは別にいいんですが、それでもやはり主人公の職業がプロのレスキュー隊員である、という設定にはかなりひっかかってしまいました。だって、これだけ未曾有の大災害にありながら、このひと、ひとっつも救援活動に参加しないんだもの。自分とこの家族の心配ばっかして。なまじ映画冒頭のイントロデュースシーンで、レイが如何に有能なレスキュー隊員であるか、ということを手際よく描写してくれたがために益々、こんな人材が救難チームにいれば、もっと救えた人命があったのに、と切歯扼腕してしまうのです。
自分の家族の心配をするっていうのは、家族愛と言ってしまえば美談だけれど、要するに「自分の」家族がよければそれでいいというエゴイズムであり、自己愛の延長にすぎないと思う。ハリウッド映画は家族を守るために闘う男っていうのがやたらと好きだけど(そして確かに家族の立場からすれば家族を守ってくれないような男は大変困ってしまうんだけれども)、でもそれが許されるのは無力で役立たずの一般人だけで、みなのために戦えるスキルや能力を持っている、ましてや公金で雇われているプロがそれでは話にならない。だって、レイ以外の制服警官のひとなんかは、逃げずに任務を全うしてたよ。あのひとたちにだって奥さんや子どもはいるんでしょうに。
確かに、これほどの災害とあれば、レイひとりがいようがいまいが大局に影響があるわけじゃなし、だったら「自分にとって価値のある人間だけ」をピンポイントで助けた方が効率がいいに決まってる。だからレイは、自分の妻や娘以外の人間については、基本見事なくらいガン無視なんですが、114分の尺の中で一回だけ(驚くべきことに、ほんとにたったの一回だけ!)、家族以外の人間のために避難誘導するシーンがあります。スタジアムに隣接するビルが倒壊しつつある際に、人々を強固なスタジアムの壁際に避難させたのです。おかげで何十人かの命が助かった。まあ、あのひとたちも次に来た津波を逃れられたかどうかはわかりませんが、とにかく、レイは咄嗟の判断で人々を安全に導くことができるひとだったんです。それが全く生かされなかった。
そして、レイの超自己チューな振る舞いを、家族の誰ひとり疑問に思っていないっぽい。そりゃそうだ、おかげで「自分が」助かるのだもの。それなのにブレイクを置いて逃げたエマの恋人ダニエル(ヨアン・グリフィズ)のことは悪しざまに罵るんだけど、いやさ、あんたら同じ穴の貉だし。第一ダニエルは緊急時の救援訓練なんか受けたこともない一般人なわけで、レイと同じこと期待されても。
唯一、無条件の利他的行為(に近いもの)が描かれていたのが、ブレイクと行動を共にすることになったベン(ヒューゴ・ジョンストーン=バート)とオリー(アート・パーキンソン)のイギリス人兄弟です。兄弟は災厄のほんの直前にたまたまブレイクと言葉を交わしただけの、ほんとの行きずりの他人に過ぎなかったんだけど、ブレイクが地下駐車場に閉じ込められたと知った時、逃げずに助けに行くのですね。兄のベンの方には、ブレイクに対する淡い恋心があったのでしょうが、その程度のものを利己的動機とは言い難い。尤もこれはハリウッド映画ですので、逃避行の過程でブレイクは次第にベンに好意を抱き、ベンとブレイクの関係性がそれぞれ「自分にとって価値のある人間」になってしまえば、利他的行為も無条件ではなくなってしまうのだけれども。
最後に、パニック映画の常道として、その現象を研究している科学者というひとが出てくるのだけど、この映画ではカリフォルニア工科大学( Caltech、カルテク)の地震学者ローレンス教授(ポール・ジアマッティ)がその役割。ローレンス教授は地震を予知する研究をしていて、今回の大地震でその研究が正しいことが図らずも証明されてしまったのです。地震の第一波が襲った後、これで終わりではないことを知った博士は人々にそれを警告しなければならないが、通信網は寸断されてしまっている。さてどうする、という局面で博士、「カルテク舐めんなよ!」と軽々問題をクリア。地震被害はどうしようもなくても、通信網ごときはカルテクの設備と技術をもってすればチョロイもんです。ジアマッティ、かっこいい☆
思うに、理系秀才のひとをナードだのギークだのと貶めてはいけませんね。ハイスクールレベルでフットボールがうまかったって屁のツッパリにもなりませんが、理系秀才は地球の危機を救うからね。
・カリフォルニア・ダウン@ぴあ映画生活
by shirakian
| 2015-09-22 16:02
| 映画か行