2013年 10月 11日
マイネーム・イズ・ハーン
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★ネタバレ注意★
楽天で『ラガーン』をレンタルすると、この作品を借りた人は、こんな作品も借りていますよとお勧めされたので、それじゃついでにと借りてみました。
2010年、カラン・ジョーハル監督作品。こちらも本邦未公開です。
シャールク・カーンの主演作ということ以外何も知らずに借りたのですが、これがとんでもない号泣映画だったのでした。泣き疲れた162分。
リズワン・ハーン(シャールク・カーン)は幼時より他人と同じ行動ができない変わった子どもだった。財力も教養もない母親は、リズワンに正しい診断をつけてやることはできなかったが、それでも精一杯の愛情でもって舐めるように慈しみ、できる限りの教育を与えてくれた。そんな母親の死は、リズワンには癒しようのないトラウマとなった。かれにとって「死」は何よりも悪いこと。恐ろしいこと。決して起こってはならないことだった。
ひとりで生活する能力のないリズワンは、留学したアメリカに根を下して成功している弟を頼って渡米する。新天地サンフランシスコ。母親の愛情を独占した兄に対して、思うことがないわけではないのに、温かく迎え入れてくれる弟。そして何よりも、弟の配偶者である心優しい義妹は、大学で心理学を教える専門家だった。ここでようやくリズワンはアスペルガー症候群の診断を得ることができ、障害に対処する術を学ぶことができるようになった。
化粧品を販売する弟の会社でセールスマンとして働くリズワン。コミュニケーションに問題のあるリズワンには想像を絶する難しい仕事だったが、それでも懸命に頑張るある日、営業に赴いた美容院で、美容師として働くマンディラ(カージョル)と出会う。明るく優しく花のように美しいマンディラ。たちまち恋に落ちたリズワンは、ただただ愚直に結婚を申し込むのだが。
という、前半のテーマは愛情です。母から子の、子から母への、兄弟の、愛。肌理細やかに丹念に描かれたインドでの少年時代のエピソードは、新味はないのかもしれませんが、真摯に胸をうちます。そしてサンフランシスコでのリズワンとマンディラの物語。
巷間、愛情なんだか性欲なんだか中二病なんだかよくわからない「ラブ・ストーリー」が氾濫する中、リズワンとマンディラの物語は、掛け値なしの「ラブ」ストーリーだと思えるのです。障害があって満足にコミュニケーションがとれないリズワンとは、普通に友達づきあいすることすら難しい。ましてや人生を共に歩もうだなんて博打であり過ぎる。だけどマンディラは臆することなくリズワンを受け入れてくれた。それは何も大上段に構えた慈母神のごとき人類への愛、とかそんなものではなく、マンディラの曇らぬ心は見抜いていた。不器用な言動のその奥で、リズワンは決して嘘をつかない。裏切らない。それどころか、生まれてこの方ただの一度も、本当にただの一度も、意図的に他人を傷つけようとしたことすらない。それは凄いこと。とんでもなく美しいこと。リズワンの誠実さを、まっすぐで正直な心を、マンディラは見抜き、そして愛した。だから彼女は常に、突拍子もないリズワンの言動を、「普通に」受け止めてくれた。これもまた凄いこと。とんでもなく美しいこと。
そんな美しいふたりのラブ・ストーリーに、影を落すのが911です。
あの恐ろしいテロが、あまりにも多くのことを変えてしまった。
マンディラはヒンズー教徒でしたが、リズワンはイスラム教徒でした。
リズワンと結婚したことにより、マンディラもまたイスラムの姓を名乗ることになった。当事者同士が納得して互いの宗教の違いを受け入れ乗り越えていく決意をした以上、そのこと自体は何の問題もないはずだった。だけど、イスラム教徒によるテロが起こってしまった。そのために激しいイスラム教徒への憎悪の嵐が、全米で吹き荒れてしまった。
マンディラだけならまだよかった。彼女は自立した大人だし、なによりとても強靭な魂を持っている。イスラムへの圧力なんか、たぶん笑って吹き飛ばしてみせたはず。だけどマンディラには幼い連れ子がいた。ほんの子どもに過ぎないマンディラの(そしてリズワンにとっても大事な)息子のサミールは、リズワンがもたらしたイスラムの姓ゆえに、激しい差別やイジメを受け、挙句に殺されてしまったのです。
マンディラだけならまだよかった。自分のことなら耐えていけた。だけど息子を殺されて、マンディラの怒りの矛先は、まちがった方へ向いてしまった。社会に吹き荒れる恐怖や憎悪や暴力にこそ怒らなければならなかったはずなのに、彼女はリズワンのもたらしたイスラムの姓を憎んでしまった。リズワンと結婚したことを後悔し、罵倒した挙句、追い出してしまったのです。
大統領に言ってみなさいよ!
わたしの名前はハーンです、(ハーンというイスラムの姓ではあるけれど)わたしはテロリストじゃありません、って!
言って証明しなさいよ! イスラムがみんなテロリストなわけじゃないって! サミールはテロリストなんかじゃありませんって!
言ってみなさいよ! 大統領に証明してみなさいよ!
かくてリズワンは、大統領に会うために、アメリカ横断の旅に出ます。
大事なメッセージを忘れないように、ずっと声に出してつぶやきながら。
My name is Khan, I’m not terrorist.
かつて、リズワンが暮らしたインドの街でも、イスラム教徒とヒンズー教徒の激しい対立がありました。受容に限界のあるリズワンの頭では、神様を信じることが互いに殺しあう原因になるだなんて、到底理解できなかった。街で見かける暴力が、ただただ恐ろしかった。
そんなリズワンに母親は、絵を描いて諭します。こちらの人は棒でおまえを殴ろうとする。そしてこちらの人はおまえに飴をくれる。どちらの人がイスラム教徒?
そうは言われても、母親の描いた絵は極端に単純化された棒と丸の組み合わせに過ぎず、リズワンにはよくわかりません。かれは答える。「どっちも同じに見える」。
だけどそれこそが、母親の求めた答えであり、映画の根底を貫くテーマでもある。
そうよ、リズワン、覚えておいて、人間にはただ、いい行いをするいい人間と、悪い行いをする悪い人間の二種類しかいないのよ。イスラム教徒であれヒンズー教徒であれ仏教徒であれキリスト教徒であれ、それは本質的な違いなんかじゃない。いい行いをするいい人間。そうであれるように生きていけばいい。暴力はいらない。憎しみもいらない。だれも何も悲しむことはない。
ぼくの名はハーン。ぼくはテロリストじゃない。
感難辛苦のその末に、孤独に耐え、辛さに耐え、ひたすらマンディラとの再会を願い、旅を続けたリズワンは結局、そのひとに会うために旅立った時の大統領、ブッシュに会うことは叶いませんでした。しかし、リズワンの旅は、いつしかマスコミの注目を集めることになります。そしてリズワンはついに大統領に会えたのです。新しい大統領、米国史上初の黒人大統領に。バラク・オバマ大統領(クリストファー・B・ダンカン)はマスコミの報道を通じて、言わずともリズワンのメッセージを知っていました。
きみの名はハーン。きみはもちろんテロリストじゃない。
脚本で十分観客を泣かせる力を持った映画ですが、しかしやっぱりシャールク・カーンの渾身の演技の持つインパクトには凄まじいものがありました。愛嬌のあるアイドル、かっこいいヒーロー、そんなインドのスーパースターが、背をかがめ内股でよたよたと歩きぶつぶつと独り言をつぶやく、まともな受け答えもできず、苛立たしいお喋りばかりする、社会のシステムの中では通用しないはみだし者になりきり、そしてそんな姿の中で、決して挫けない気高い魂の存在を表現してみせた。恐らくこの役を演じるとき、シャールク・カーンはリズワン・ハーンそのひとだったに違いないです。
すばらしい映画でした。楽天の中のひと、勧めてくれてありがとう。日本でも劇場公開されればよかったのにね。ただそれだけが残念だわ。
楽天で『ラガーン』をレンタルすると、この作品を借りた人は、こんな作品も借りていますよとお勧めされたので、それじゃついでにと借りてみました。
2010年、カラン・ジョーハル監督作品。こちらも本邦未公開です。
シャールク・カーンの主演作ということ以外何も知らずに借りたのですが、これがとんでもない号泣映画だったのでした。泣き疲れた162分。
リズワン・ハーン(シャールク・カーン)は幼時より他人と同じ行動ができない変わった子どもだった。財力も教養もない母親は、リズワンに正しい診断をつけてやることはできなかったが、それでも精一杯の愛情でもって舐めるように慈しみ、できる限りの教育を与えてくれた。そんな母親の死は、リズワンには癒しようのないトラウマとなった。かれにとって「死」は何よりも悪いこと。恐ろしいこと。決して起こってはならないことだった。
ひとりで生活する能力のないリズワンは、留学したアメリカに根を下して成功している弟を頼って渡米する。新天地サンフランシスコ。母親の愛情を独占した兄に対して、思うことがないわけではないのに、温かく迎え入れてくれる弟。そして何よりも、弟の配偶者である心優しい義妹は、大学で心理学を教える専門家だった。ここでようやくリズワンはアスペルガー症候群の診断を得ることができ、障害に対処する術を学ぶことができるようになった。
化粧品を販売する弟の会社でセールスマンとして働くリズワン。コミュニケーションに問題のあるリズワンには想像を絶する難しい仕事だったが、それでも懸命に頑張るある日、営業に赴いた美容院で、美容師として働くマンディラ(カージョル)と出会う。明るく優しく花のように美しいマンディラ。たちまち恋に落ちたリズワンは、ただただ愚直に結婚を申し込むのだが。
という、前半のテーマは愛情です。母から子の、子から母への、兄弟の、愛。肌理細やかに丹念に描かれたインドでの少年時代のエピソードは、新味はないのかもしれませんが、真摯に胸をうちます。そしてサンフランシスコでのリズワンとマンディラの物語。
巷間、愛情なんだか性欲なんだか中二病なんだかよくわからない「ラブ・ストーリー」が氾濫する中、リズワンとマンディラの物語は、掛け値なしの「ラブ」ストーリーだと思えるのです。障害があって満足にコミュニケーションがとれないリズワンとは、普通に友達づきあいすることすら難しい。ましてや人生を共に歩もうだなんて博打であり過ぎる。だけどマンディラは臆することなくリズワンを受け入れてくれた。それは何も大上段に構えた慈母神のごとき人類への愛、とかそんなものではなく、マンディラの曇らぬ心は見抜いていた。不器用な言動のその奥で、リズワンは決して嘘をつかない。裏切らない。それどころか、生まれてこの方ただの一度も、本当にただの一度も、意図的に他人を傷つけようとしたことすらない。それは凄いこと。とんでもなく美しいこと。リズワンの誠実さを、まっすぐで正直な心を、マンディラは見抜き、そして愛した。だから彼女は常に、突拍子もないリズワンの言動を、「普通に」受け止めてくれた。これもまた凄いこと。とんでもなく美しいこと。
そんな美しいふたりのラブ・ストーリーに、影を落すのが911です。
あの恐ろしいテロが、あまりにも多くのことを変えてしまった。
マンディラはヒンズー教徒でしたが、リズワンはイスラム教徒でした。
リズワンと結婚したことにより、マンディラもまたイスラムの姓を名乗ることになった。当事者同士が納得して互いの宗教の違いを受け入れ乗り越えていく決意をした以上、そのこと自体は何の問題もないはずだった。だけど、イスラム教徒によるテロが起こってしまった。そのために激しいイスラム教徒への憎悪の嵐が、全米で吹き荒れてしまった。
マンディラだけならまだよかった。彼女は自立した大人だし、なによりとても強靭な魂を持っている。イスラムへの圧力なんか、たぶん笑って吹き飛ばしてみせたはず。だけどマンディラには幼い連れ子がいた。ほんの子どもに過ぎないマンディラの(そしてリズワンにとっても大事な)息子のサミールは、リズワンがもたらしたイスラムの姓ゆえに、激しい差別やイジメを受け、挙句に殺されてしまったのです。
マンディラだけならまだよかった。自分のことなら耐えていけた。だけど息子を殺されて、マンディラの怒りの矛先は、まちがった方へ向いてしまった。社会に吹き荒れる恐怖や憎悪や暴力にこそ怒らなければならなかったはずなのに、彼女はリズワンのもたらしたイスラムの姓を憎んでしまった。リズワンと結婚したことを後悔し、罵倒した挙句、追い出してしまったのです。
大統領に言ってみなさいよ!
わたしの名前はハーンです、(ハーンというイスラムの姓ではあるけれど)わたしはテロリストじゃありません、って!
言って証明しなさいよ! イスラムがみんなテロリストなわけじゃないって! サミールはテロリストなんかじゃありませんって!
言ってみなさいよ! 大統領に証明してみなさいよ!
かくてリズワンは、大統領に会うために、アメリカ横断の旅に出ます。
大事なメッセージを忘れないように、ずっと声に出してつぶやきながら。
My name is Khan, I’m not terrorist.
かつて、リズワンが暮らしたインドの街でも、イスラム教徒とヒンズー教徒の激しい対立がありました。受容に限界のあるリズワンの頭では、神様を信じることが互いに殺しあう原因になるだなんて、到底理解できなかった。街で見かける暴力が、ただただ恐ろしかった。
そんなリズワンに母親は、絵を描いて諭します。こちらの人は棒でおまえを殴ろうとする。そしてこちらの人はおまえに飴をくれる。どちらの人がイスラム教徒?
そうは言われても、母親の描いた絵は極端に単純化された棒と丸の組み合わせに過ぎず、リズワンにはよくわかりません。かれは答える。「どっちも同じに見える」。
だけどそれこそが、母親の求めた答えであり、映画の根底を貫くテーマでもある。
そうよ、リズワン、覚えておいて、人間にはただ、いい行いをするいい人間と、悪い行いをする悪い人間の二種類しかいないのよ。イスラム教徒であれヒンズー教徒であれ仏教徒であれキリスト教徒であれ、それは本質的な違いなんかじゃない。いい行いをするいい人間。そうであれるように生きていけばいい。暴力はいらない。憎しみもいらない。だれも何も悲しむことはない。
ぼくの名はハーン。ぼくはテロリストじゃない。
感難辛苦のその末に、孤独に耐え、辛さに耐え、ひたすらマンディラとの再会を願い、旅を続けたリズワンは結局、そのひとに会うために旅立った時の大統領、ブッシュに会うことは叶いませんでした。しかし、リズワンの旅は、いつしかマスコミの注目を集めることになります。そしてリズワンはついに大統領に会えたのです。新しい大統領、米国史上初の黒人大統領に。バラク・オバマ大統領(クリストファー・B・ダンカン)はマスコミの報道を通じて、言わずともリズワンのメッセージを知っていました。
きみの名はハーン。きみはもちろんテロリストじゃない。
脚本で十分観客を泣かせる力を持った映画ですが、しかしやっぱりシャールク・カーンの渾身の演技の持つインパクトには凄まじいものがありました。愛嬌のあるアイドル、かっこいいヒーロー、そんなインドのスーパースターが、背をかがめ内股でよたよたと歩きぶつぶつと独り言をつぶやく、まともな受け答えもできず、苛立たしいお喋りばかりする、社会のシステムの中では通用しないはみだし者になりきり、そしてそんな姿の中で、決して挫けない気高い魂の存在を表現してみせた。恐らくこの役を演じるとき、シャールク・カーンはリズワン・ハーンそのひとだったに違いないです。
すばらしい映画でした。楽天の中のひと、勧めてくれてありがとう。日本でも劇場公開されればよかったのにね。ただそれだけが残念だわ。
by shirakian
| 2013-10-11 22:14
| 映画ま行