2012年 03月 06日
英雄の証明
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★ネタバレ注意★
これは何かと言うと、『コリオレイナス』です、シェイクスピアの。
原題も “CORIOLANUS” です。内容も、時代を現代(風)にアレンジしてあるだけで原作にほぼ忠実。なんでそれがこの邦題? 観客なんかバカだからシェイクスピアとか言ってもわからないでしょってことなのかしら。この邦題つけた人的に「キャッチーでカッコイイ」タイトルに「改善」したつもりなのかしら。微妙にイラッときますね。
それはともかく、この作品は、レイフ・ファインズの監督デビュー作です。主演もファインズが勤めています。監督第一作にシェイクスピアを選ぶなんて、さすがファインズ、貫禄だわ☆
原作の舞台は古代ローマですが、映画では現代の物語に改変してあります。ただし、政治体制が現実のイタリアとは全く異なりますので、架空の現代、ということになります。ちょっと不思議な雰囲気の映画になりました。
民衆が食料不足に喘ぐローマ。少年時代からずっと国の為に闘ってきた救国の英雄として誉れの高いケイアス・マーシアス(レイフ・ファインズ)は、しかし、民衆の苦情を冷淡にはねつけ、怒りを燻らせてしまう。マーシアスの親友で人望の厚いメニーニアス・アグリッパ(ブライアン・コックス)は、民衆とマーシアスとの間に立って関係調整に奔走するが、マーシアスの傲慢な態度は改まる気配がなかった。護民官であるシシニアス・ヴェリュータス(ジェームズ・ネスビット)とジューニアス・ブルータス(ポール・ジェッソン)もまた、マーシアスへの反感を募らせ、陰で貧民たちを煽っていた。
しかし、軍人としてはあくまで勇猛果敢優秀有能なマーシアスは、ローマに侵攻を重ねるヴォルサイ人の将軍、タラス・オーフィディアス(ジェラルド・バトラー)と闘い、ヴォルサイ人の街コリオライを攻め落とし、その戦功を称えられて「コリオレイナス」の名を与えられる。
優秀な軍人で終わっていれば何の問題もなかったものを、マーシアスは母ヴォラムニア(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)の野望を断りきれず、執政官選挙に出馬する。しかし、陰で糸を引く護民官によって民衆の暴動が勃発し、反逆罪で告発された挙句、追放刑となってしまう。
復讐の鬼と化したマーシアスは、宿敵であるはずのオーフィディアスに共闘を申し出て、共にローマに攻め入る。誰よりもローマ防衛に詳しいマーシアスに攻められてはひとたまりもなく、たちまちローマは混乱状態に陥る。説得に訪れたメニーニアスを冷たく退けたマーシアスだったが、続いて説得に訪れた母と妻ヴァージリア(ジェシカ・チャステイン)のことはさすがに拒めず、嘆願に負けて和平に同意してしまう。オーフィディアスの下に戻ったマーシアスだったが、やはりその怒りを買い、裏切り者として嬲り殺しにされてしまう。
という粗筋は、オリジナルの戯曲に忠実です。異なるのは、現代のテクノロジーがふんだんに描きこまれていることで、武器弾薬車輌の類はもとより、テレビによる報道がとても効果的に使われているのが印象的です。ヴォルサイと闘うマーシアスの勇姿を人々や家族がリアルタイムのテレビ中継で見ていたり、執政官に立候補したマーシアスの演説をやはりリアルタイムでオーフィディアスが見ていたり、さまざまな場面で、本来なら誰かが口頭で延々と語らなければならなかったはずの情況説明が、同時的に処理されるので、テンポもよく理解も容易になります。
この物語の今日的な主題は、戦場の英雄はイクオル政治的指導者足り得るのか、という問題であり、また、対立する二つの政治勢力(民主制と貴族制)のうちより正しい体制はどちらか、という問題であろうかと思われますが、マーシアスの悲劇が、軍人としては優秀だった男を無理に政治の場に引きずり出したことに起因していることは言うまでもありませんし、二つの政治勢力の対立については、民主制は気まぐれな人気や扇動に左右され、貴族制は人々の困窮を汲み取らない傲慢に堕する危険がある、といった、どちら側にも与しない描かれ方だったように思います。
というわけで、物語自体は難解ではなかったと思うのだけど、登場人物の感情面を理解するのがちょっとむずかしいな、と思いました。特に、ジェラルド・バトラーが演じたオーフィディアスね。
オーフィディアスは戦うたんびにマーシアスにやられて、怒り心頭に発しているんです。マーシアスが憎くて憎くてたまらないんだけど、どうしても敵わないマーシアスに対するあこがれみたいな気持ちもあるのかな。だからなのか、追放されて落ちぶれたマーシアスが共闘を求めてくると、けんもほろろに追い出す代わりに、よくぞ来てくれた! と大歓迎しちゃう。あんなにマーシアスのこと嫌っていたくせに。自分の軍門にマーシアスがくだったことが嬉しくて仕方ない風情なんだけど、見下してるわけではなく、頼られたことが純粋に嬉しい様子。伸び放題のマーシアスの髪の毛を手ずから刈ってやったりする。
だけど、その後の進軍の過程で、マーシアスという男はやっぱりお山の大将なんですね。オーフィディアスの懐を借りて戦わせてもらっているという認識がないわけではないんでしょうけれど、やっぱりボス面をするので、オーフィディアスは不満を募らせてしまう。なんだよ、頼ってきたから庇ってやったのに、俺を部下扱いかよ、とふてくされてしまう。
ところがところが、マーシアスに不満を感じていたはずなのに、マーシアスが母親の説得に負け、勝利まであと一歩のところで和平に靡いてしまう局面では、マーシアスに「母親にああまで言われたら断れないだろー?」とすがられると、「もちろんだ!」と和平に同意してしまう。ちょ、オーフィディアス、それでいいわけ!?
したらばやっぱり、よくはなかったみたいで、和平が成立してしまえば、マーシアスへの怒りが抑え難いオーフィディアス。あの裏切り者め、と部下に命じてボコボコにしてしまう。せめてタイマン勝負しないのか、と観客は思ったりもするんだけれど、部下にやらせて構わないと思うくらいに、マーシアスのことが大っ嫌いになっちゃってるオーフィディアス。
……なんとも一貫性がないので、わたしにはかれが何を考えていたのかイマイチわからない、というより、もしかしてオーさん、アンタ何にも考えてないでしょ? と思ってしまった(汗)。
オーフィディアスも謎でしたが、マーシアスの母親であるヴォラムニアの行動原理も、現代的感覚ではちょっとわかりにくかったです。彼女は、男子たるもの、平安の中で生きるより誉の中で死ね、という信念の持ち主で、大事な息子を平然と戦場に送り出す軍国の母。とにかく名誉欲が強く、息子が戦場で成功すると、今度は政界での成功を目指して、気後れする(というか、そっちは自分のフィールドではないとわかっている)息子の尻を叩いて執政官に立候補させてしまう。息子が政敵に追い落とされれば家名のために憤り、その息子が攻め込んでくれば、この親不幸者め、と罵り倒す。彼女の行動には母子の情というものが見えにくいのです。
とは言っても、演じるヴァネッサ・レッドグレーヴの存在感は大したもので、私服のドレス姿はエレガントそのもの、長身をキリリと軍服に包んだ姿は男装の麗人のよう。感情移入はしにくいですが、かっこよくて面白いキャラクターでした。
面白いと言えば、シェイクスピア劇、なんといっても台詞が滅法面白い。現代人の感覚から言えば、いつだってあまりに過剰で豊穣で、ここでこんな台詞吐いてる暇なぞあるまいに、と思ってしまうんだけど、リアリティを犠牲にしてまで詰め込まれる華麗な比喩の数々には、やはりウットリしてしまうんであります。
たとえば、いよいよローマの市街地に侵攻してきたマーシアスを説得に赴いたメニーニアスが、そっけなくはねつけられて、しょんぼりと帰還するシーン。首尾はどうだったかと尋ねられたメニーニアス、「あいつは、雄虎が乳房を持たぬように慈悲の心を持たぬ男だ」と答える。
ね、このときのメニーニアスって、友情もプライドも踏みにじられて心身ともにズタズタになっている情況なわけですよ。マーシアスのばかばかっ! おれがどんだけ苦労してるかわかってんのかよっ! って喚き散らしてもあきたらないくらいの心境のはずなんです。それなのに「雄虎の乳房」。なにその凝ったメタファー。だれがそんなうまいことを言えと(笑)。思わず観客の脊髄に喜びが走りぬける瞬間なのであります。
メニーニアスは、冷静に判断すると純粋にいいひとなんだけど、演じているのがブライアン・コックスであるあたり、やっぱり曲者に見えてしまいます。それはそれで面白い。
レイフ・ファインズさん、初監督、グッジョブ! お疲れ様でした。
・英雄の証明@ぴあ映画生活
これは何かと言うと、『コリオレイナス』です、シェイクスピアの。
原題も “CORIOLANUS” です。内容も、時代を現代(風)にアレンジしてあるだけで原作にほぼ忠実。なんでそれがこの邦題? 観客なんかバカだからシェイクスピアとか言ってもわからないでしょってことなのかしら。この邦題つけた人的に「キャッチーでカッコイイ」タイトルに「改善」したつもりなのかしら。微妙にイラッときますね。
それはともかく、この作品は、レイフ・ファインズの監督デビュー作です。主演もファインズが勤めています。監督第一作にシェイクスピアを選ぶなんて、さすがファインズ、貫禄だわ☆
原作の舞台は古代ローマですが、映画では現代の物語に改変してあります。ただし、政治体制が現実のイタリアとは全く異なりますので、架空の現代、ということになります。ちょっと不思議な雰囲気の映画になりました。
民衆が食料不足に喘ぐローマ。少年時代からずっと国の為に闘ってきた救国の英雄として誉れの高いケイアス・マーシアス(レイフ・ファインズ)は、しかし、民衆の苦情を冷淡にはねつけ、怒りを燻らせてしまう。マーシアスの親友で人望の厚いメニーニアス・アグリッパ(ブライアン・コックス)は、民衆とマーシアスとの間に立って関係調整に奔走するが、マーシアスの傲慢な態度は改まる気配がなかった。護民官であるシシニアス・ヴェリュータス(ジェームズ・ネスビット)とジューニアス・ブルータス(ポール・ジェッソン)もまた、マーシアスへの反感を募らせ、陰で貧民たちを煽っていた。
しかし、軍人としてはあくまで勇猛果敢優秀有能なマーシアスは、ローマに侵攻を重ねるヴォルサイ人の将軍、タラス・オーフィディアス(ジェラルド・バトラー)と闘い、ヴォルサイ人の街コリオライを攻め落とし、その戦功を称えられて「コリオレイナス」の名を与えられる。
優秀な軍人で終わっていれば何の問題もなかったものを、マーシアスは母ヴォラムニア(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)の野望を断りきれず、執政官選挙に出馬する。しかし、陰で糸を引く護民官によって民衆の暴動が勃発し、反逆罪で告発された挙句、追放刑となってしまう。
復讐の鬼と化したマーシアスは、宿敵であるはずのオーフィディアスに共闘を申し出て、共にローマに攻め入る。誰よりもローマ防衛に詳しいマーシアスに攻められてはひとたまりもなく、たちまちローマは混乱状態に陥る。説得に訪れたメニーニアスを冷たく退けたマーシアスだったが、続いて説得に訪れた母と妻ヴァージリア(ジェシカ・チャステイン)のことはさすがに拒めず、嘆願に負けて和平に同意してしまう。オーフィディアスの下に戻ったマーシアスだったが、やはりその怒りを買い、裏切り者として嬲り殺しにされてしまう。
という粗筋は、オリジナルの戯曲に忠実です。異なるのは、現代のテクノロジーがふんだんに描きこまれていることで、武器弾薬車輌の類はもとより、テレビによる報道がとても効果的に使われているのが印象的です。ヴォルサイと闘うマーシアスの勇姿を人々や家族がリアルタイムのテレビ中継で見ていたり、執政官に立候補したマーシアスの演説をやはりリアルタイムでオーフィディアスが見ていたり、さまざまな場面で、本来なら誰かが口頭で延々と語らなければならなかったはずの情況説明が、同時的に処理されるので、テンポもよく理解も容易になります。
この物語の今日的な主題は、戦場の英雄はイクオル政治的指導者足り得るのか、という問題であり、また、対立する二つの政治勢力(民主制と貴族制)のうちより正しい体制はどちらか、という問題であろうかと思われますが、マーシアスの悲劇が、軍人としては優秀だった男を無理に政治の場に引きずり出したことに起因していることは言うまでもありませんし、二つの政治勢力の対立については、民主制は気まぐれな人気や扇動に左右され、貴族制は人々の困窮を汲み取らない傲慢に堕する危険がある、といった、どちら側にも与しない描かれ方だったように思います。
というわけで、物語自体は難解ではなかったと思うのだけど、登場人物の感情面を理解するのがちょっとむずかしいな、と思いました。特に、ジェラルド・バトラーが演じたオーフィディアスね。
オーフィディアスは戦うたんびにマーシアスにやられて、怒り心頭に発しているんです。マーシアスが憎くて憎くてたまらないんだけど、どうしても敵わないマーシアスに対するあこがれみたいな気持ちもあるのかな。だからなのか、追放されて落ちぶれたマーシアスが共闘を求めてくると、けんもほろろに追い出す代わりに、よくぞ来てくれた! と大歓迎しちゃう。あんなにマーシアスのこと嫌っていたくせに。自分の軍門にマーシアスがくだったことが嬉しくて仕方ない風情なんだけど、見下してるわけではなく、頼られたことが純粋に嬉しい様子。伸び放題のマーシアスの髪の毛を手ずから刈ってやったりする。
だけど、その後の進軍の過程で、マーシアスという男はやっぱりお山の大将なんですね。オーフィディアスの懐を借りて戦わせてもらっているという認識がないわけではないんでしょうけれど、やっぱりボス面をするので、オーフィディアスは不満を募らせてしまう。なんだよ、頼ってきたから庇ってやったのに、俺を部下扱いかよ、とふてくされてしまう。
ところがところが、マーシアスに不満を感じていたはずなのに、マーシアスが母親の説得に負け、勝利まであと一歩のところで和平に靡いてしまう局面では、マーシアスに「母親にああまで言われたら断れないだろー?」とすがられると、「もちろんだ!」と和平に同意してしまう。ちょ、オーフィディアス、それでいいわけ!?
したらばやっぱり、よくはなかったみたいで、和平が成立してしまえば、マーシアスへの怒りが抑え難いオーフィディアス。あの裏切り者め、と部下に命じてボコボコにしてしまう。せめてタイマン勝負しないのか、と観客は思ったりもするんだけれど、部下にやらせて構わないと思うくらいに、マーシアスのことが大っ嫌いになっちゃってるオーフィディアス。
……なんとも一貫性がないので、わたしにはかれが何を考えていたのかイマイチわからない、というより、もしかしてオーさん、アンタ何にも考えてないでしょ? と思ってしまった(汗)。
オーフィディアスも謎でしたが、マーシアスの母親であるヴォラムニアの行動原理も、現代的感覚ではちょっとわかりにくかったです。彼女は、男子たるもの、平安の中で生きるより誉の中で死ね、という信念の持ち主で、大事な息子を平然と戦場に送り出す軍国の母。とにかく名誉欲が強く、息子が戦場で成功すると、今度は政界での成功を目指して、気後れする(というか、そっちは自分のフィールドではないとわかっている)息子の尻を叩いて執政官に立候補させてしまう。息子が政敵に追い落とされれば家名のために憤り、その息子が攻め込んでくれば、この親不幸者め、と罵り倒す。彼女の行動には母子の情というものが見えにくいのです。
とは言っても、演じるヴァネッサ・レッドグレーヴの存在感は大したもので、私服のドレス姿はエレガントそのもの、長身をキリリと軍服に包んだ姿は男装の麗人のよう。感情移入はしにくいですが、かっこよくて面白いキャラクターでした。
面白いと言えば、シェイクスピア劇、なんといっても台詞が滅法面白い。現代人の感覚から言えば、いつだってあまりに過剰で豊穣で、ここでこんな台詞吐いてる暇なぞあるまいに、と思ってしまうんだけど、リアリティを犠牲にしてまで詰め込まれる華麗な比喩の数々には、やはりウットリしてしまうんであります。
たとえば、いよいよローマの市街地に侵攻してきたマーシアスを説得に赴いたメニーニアスが、そっけなくはねつけられて、しょんぼりと帰還するシーン。首尾はどうだったかと尋ねられたメニーニアス、「あいつは、雄虎が乳房を持たぬように慈悲の心を持たぬ男だ」と答える。
ね、このときのメニーニアスって、友情もプライドも踏みにじられて心身ともにズタズタになっている情況なわけですよ。マーシアスのばかばかっ! おれがどんだけ苦労してるかわかってんのかよっ! って喚き散らしてもあきたらないくらいの心境のはずなんです。それなのに「雄虎の乳房」。なにその凝ったメタファー。だれがそんなうまいことを言えと(笑)。思わず観客の脊髄に喜びが走りぬける瞬間なのであります。
メニーニアスは、冷静に判断すると純粋にいいひとなんだけど、演じているのがブライアン・コックスであるあたり、やっぱり曲者に見えてしまいます。それはそれで面白い。
レイフ・ファインズさん、初監督、グッジョブ! お疲れ様でした。
・英雄の証明@ぴあ映画生活
by shirakian
| 2012-03-06 21:29
| 映画あ行