2012年 01月 04日
エイリアン2
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★ネタバレ注意★
エイリアン・マラソン第二弾。
1986年の作品。
ほぼパーフェクトな一作目の続編とあれば、普通だったら失敗しない方がおかしいくらいなんだけど、エイリアン2は稀に見る続編の大成功例です。サスペンスだった一作目から、思いきりよくミリタリー・アクションに方向転換したのが成功の所以。監督はもちろん、ジェームズ・キャメロン☆ この作品でシガニー・ウィーバーはアカデミー主演女優賞にノミネートされています。ジャンルムービーにはとことん冷淡なアカデミー賞で、これは凄い。
宇宙貨物船ノストロモ号唯一の生存者となったリプリーのシャトルが回収されたのは、事件から57年の歳月が流れた後だった。事の経過を報告し、警鐘を鳴らそうとするも、容易に信じてもらえないリプリー。それもそのはず、エイリアンの営巣地と化していた惑星LV426は、今やアチュロンと名づけられ、テラフォーミングの真っ最中、技術者やその家族が多数移住した殖民星となっていたのである。
というわけで、またもや「会社」が悪さをしでかしてくれます。
殖民星からの連絡が途絶え、調査のため海兵隊が派遣されることになり、リプリーもまたアドバイザーとして同行を請われます。命からがら逃げ延びてきたばかりの(眠っていたリプリーにとって57年前の事件はつい昨日のことも同然)モンスターにわざわざこちらから会いに行くなんて冗談じゃないと思うリプリーでしたが、結局は会社の圧力に負け、宇宙船スラコ号に乗り込んむはめになる。その際ずっと会社側の連絡係としてリプリーに付き添ってあれこれ世話をやいていたバーク(ポール・ライザー)もまた、この旅に同行します。
会社はエイリアンを生物兵器として利用することを目論んでおり、小さなコロニーが全滅しようが海兵隊員が犠牲になろうが、人命よりエイリアンが大事! という大方針には毛筋ほどの揺らぎもありません。あれから57年も経っているのに、あっぱれ見上げた守銭奴魂。商売人はこうありたいです(か?)。
二作目の原題は”Aliens”、複数形になってます。エイリアンもどばどば複数出てきます。なにしろ営巣地が舞台。殺しても殺しても次から次へと襲ってくるエイリアン! ……情況がより一層悪くなっていること自体はまちがいありませんが、こうなると逆に、エイリアンに対する恐怖自体は却って弱まってしまうのが面白いところ。
「殺しても殺しても」ということは、一方では、エイリアンを(容易に?)殺すことができるということで、もちろん、今回闘っているのは、前作のような貨物船のクルーではなく、鍛えぬかれた海兵隊の精鋭部隊である上に、火器だって桁違いの質・量を誇っているわけではあるんですが、でもやっぱり、こんなにあっさりと殺せてしまうエイリアンには、伝説のモンスターたる背筋が凍るような恐怖は感じられません。っていうか、むしろ、こう次から次へと現れるさまはまるでゴキブ……。
それなのに、闘って闘って更にまた闘い続ける、というヘタすればとても単調になりかねない展開を、息をもつかせぬ緊張の連続に仕立て上げた監督の手腕はものすごい。前作は緊張と緩和のバランスが見事でしたが、キャメロン監督は、ひたすらものすごいパワーで押しまくってくる。そしてそのパワーが半端ではないので、観ている方は喉がカラカラ。映画のクライマックスが爆発シーンであるのはよくあることですが、この映画の場合、爆発、さらに大きな爆発、さらにもっと大きな爆発、大爆発、大きな大爆発、制御不能の巨大爆発! といった形に連続している印象。どんだけ凄いパワーだよ。
そして、かくのごとく闘う人々のキャラクター立ても、さすがキャメロン、うまいものです。恐怖からパニックを起こし、ぎゃあぎゃあと泣き喚いてクルー及び観客の神経をズタズタにしてくれるビル・パクストンのいらない子ぶりもすばらしいですし、こんな情況でありながら、それでも尚かつ会社の利益のためにリプリーたちを姑息な罠にはめようとするポール・ライザーもまた、なまじ温厚な顔をしているだけに、その腹黒さがより一層際立つし、今回の紅一点だったヴァスクェスを演じたジャネット・ゴールドスタインもまた印象的でした。
ヴァスクェスは、前作のランバートとは異なり、闘志満々の戦士です。怯えてプルプルと震えたりなんか決してしないし、危険な場面でも先頭に立って闘います。それはもちろん、何度も言いますが、ランバートは軍人ではなかったのに対してヴァスクェスは軍人の中でも精鋭部隊の所属である、という大きな違いがありますが、やはりここには時代の流れというものがあると思われます。その時代の流れというのは、劇中に流れている57年という時間も大きいですが、それよりもっと大きいのはやはり、製作者たちの間に流れた一作目からの7年という時間であろうと思います。あれから7年、徐々に女性も主体的に闘う(闘わざるを得ない)時代になりつつあったのです。
だけど、そうは言ってもヴァスクェスの「強さ」は、殊更マチズモを誇示した強さです。ミシェル・ロドリゲスに代表されるような、近来の闘うヒロイン達が持つ自然体の強さとはやはり違う。ヴァスクェスが強くあるためには、自分は「男に負けないくらい強い」ということを常にアピールしなければならなかった。もっと言えば、男にならなければならなかった。男女同権ということは、女が男になることを決して意味しないはずですが、ある時期闘う女は男にならなければならない時期があったのです。その極限まで行きつくさきが1997年の『G.I.ジェーン』だったのかもしれない。
そうしてヴァスクェスが男になろうとして頑張っている一方で、ヴァスクェスよりもっと強いリプリーに関しては、逆に「母性」が強調されているのがまた面白いところです。リプリーには、前作では言及されることもなかった(たぶん設定上存在しなかった)娘がいて、57年もの間帰れずにいるうちに、小さかった娘は成長し、年老い、老人になって死んでしまっていた。リプリーは娘の11歳の誕生日に帰るという約束も果たせず、その成長を見守ることもできず、ただ「お嬢さんは亡くなりました」という事実だけを知らされたのです。
そんな傷心のリプリーの目の前に現れたのが、壊滅したコロニーの唯一の生存者、レベッカ(akaニュート)(キャリー・ヘン)でした。娘を思わせるブロンドの、年格好もほぼ同じくらいの女の子。しかもニュートは地獄の体験に怯えていたにもかかわらず、聡明さと勇敢さを遺憾なく発揮してみせるすばらしい女の子。こんな少女が、最初のうちは口をきくことすらできなかったのに、次第にリプリーに心を開き、信頼し、最後には思わず「マミー!」と呼んでくれたりするのですからリプリーの母性が発動するのも当然のこと。
戦闘訓練を受けたことすらなかったリプリーが、海兵隊を上回る活躍ができたのも、ひとえにニュートを守ろうとしたがためです。リプリーの超人的な活躍も、母は強し、で説得力がある。
あともうひとり、忘れてはいけないのが、ランス・ヘンリクセンが演じた「今回のロボット」、ビショップです。前作では、イアン・ホルムが名優の底力でもって、得体の知れない・何考えてるかわからない・信頼のおけない「人工知能」というネガティブな存在を演じて秀逸でしたが、今回ビショップがそのロボット=ネガティブな敵、という図式を綺麗に覆して見せます。
マッチョな海兵隊員のだれよりも勇敢で、だれもが嫌がる最も危険な任務を志願してやってのける高潔な人格。しかもかれは、ロボットゆえに恐怖なんか感じないのではなく、ロボットではあっても恐怖を感じるようプログラミングされているのに、その恐怖を克服してやりとげたのだからすばらしい。数ある危険なミッションの中でも、ビショップの活躍には本当に手に汗を握ってしまったし、また、リプリー危機一髪の場面で颯爽と現れたかれの姿には、拍手喝采を送ってしまいます。
こうしてひとつひとつ場面を思い出していくだけで、またもや喉がカラカラになってしまいます。名作の続編にして単なる続編にあらず。すばらしい映画でした。
エイリアン・マラソン第二弾。
1986年の作品。
ほぼパーフェクトな一作目の続編とあれば、普通だったら失敗しない方がおかしいくらいなんだけど、エイリアン2は稀に見る続編の大成功例です。サスペンスだった一作目から、思いきりよくミリタリー・アクションに方向転換したのが成功の所以。監督はもちろん、ジェームズ・キャメロン☆ この作品でシガニー・ウィーバーはアカデミー主演女優賞にノミネートされています。ジャンルムービーにはとことん冷淡なアカデミー賞で、これは凄い。
宇宙貨物船ノストロモ号唯一の生存者となったリプリーのシャトルが回収されたのは、事件から57年の歳月が流れた後だった。事の経過を報告し、警鐘を鳴らそうとするも、容易に信じてもらえないリプリー。それもそのはず、エイリアンの営巣地と化していた惑星LV426は、今やアチュロンと名づけられ、テラフォーミングの真っ最中、技術者やその家族が多数移住した殖民星となっていたのである。
というわけで、またもや「会社」が悪さをしでかしてくれます。
殖民星からの連絡が途絶え、調査のため海兵隊が派遣されることになり、リプリーもまたアドバイザーとして同行を請われます。命からがら逃げ延びてきたばかりの(眠っていたリプリーにとって57年前の事件はつい昨日のことも同然)モンスターにわざわざこちらから会いに行くなんて冗談じゃないと思うリプリーでしたが、結局は会社の圧力に負け、宇宙船スラコ号に乗り込んむはめになる。その際ずっと会社側の連絡係としてリプリーに付き添ってあれこれ世話をやいていたバーク(ポール・ライザー)もまた、この旅に同行します。
会社はエイリアンを生物兵器として利用することを目論んでおり、小さなコロニーが全滅しようが海兵隊員が犠牲になろうが、人命よりエイリアンが大事! という大方針には毛筋ほどの揺らぎもありません。あれから57年も経っているのに、あっぱれ見上げた守銭奴魂。商売人はこうありたいです(か?)。
二作目の原題は”Aliens”、複数形になってます。エイリアンもどばどば複数出てきます。なにしろ営巣地が舞台。殺しても殺しても次から次へと襲ってくるエイリアン! ……情況がより一層悪くなっていること自体はまちがいありませんが、こうなると逆に、エイリアンに対する恐怖自体は却って弱まってしまうのが面白いところ。
「殺しても殺しても」ということは、一方では、エイリアンを(容易に?)殺すことができるということで、もちろん、今回闘っているのは、前作のような貨物船のクルーではなく、鍛えぬかれた海兵隊の精鋭部隊である上に、火器だって桁違いの質・量を誇っているわけではあるんですが、でもやっぱり、こんなにあっさりと殺せてしまうエイリアンには、伝説のモンスターたる背筋が凍るような恐怖は感じられません。っていうか、むしろ、こう次から次へと現れるさまはまるでゴキブ……。
それなのに、闘って闘って更にまた闘い続ける、というヘタすればとても単調になりかねない展開を、息をもつかせぬ緊張の連続に仕立て上げた監督の手腕はものすごい。前作は緊張と緩和のバランスが見事でしたが、キャメロン監督は、ひたすらものすごいパワーで押しまくってくる。そしてそのパワーが半端ではないので、観ている方は喉がカラカラ。映画のクライマックスが爆発シーンであるのはよくあることですが、この映画の場合、爆発、さらに大きな爆発、さらにもっと大きな爆発、大爆発、大きな大爆発、制御不能の巨大爆発! といった形に連続している印象。どんだけ凄いパワーだよ。
そして、かくのごとく闘う人々のキャラクター立ても、さすがキャメロン、うまいものです。恐怖からパニックを起こし、ぎゃあぎゃあと泣き喚いてクルー及び観客の神経をズタズタにしてくれるビル・パクストンのいらない子ぶりもすばらしいですし、こんな情況でありながら、それでも尚かつ会社の利益のためにリプリーたちを姑息な罠にはめようとするポール・ライザーもまた、なまじ温厚な顔をしているだけに、その腹黒さがより一層際立つし、今回の紅一点だったヴァスクェスを演じたジャネット・ゴールドスタインもまた印象的でした。
ヴァスクェスは、前作のランバートとは異なり、闘志満々の戦士です。怯えてプルプルと震えたりなんか決してしないし、危険な場面でも先頭に立って闘います。それはもちろん、何度も言いますが、ランバートは軍人ではなかったのに対してヴァスクェスは軍人の中でも精鋭部隊の所属である、という大きな違いがありますが、やはりここには時代の流れというものがあると思われます。その時代の流れというのは、劇中に流れている57年という時間も大きいですが、それよりもっと大きいのはやはり、製作者たちの間に流れた一作目からの7年という時間であろうと思います。あれから7年、徐々に女性も主体的に闘う(闘わざるを得ない)時代になりつつあったのです。
だけど、そうは言ってもヴァスクェスの「強さ」は、殊更マチズモを誇示した強さです。ミシェル・ロドリゲスに代表されるような、近来の闘うヒロイン達が持つ自然体の強さとはやはり違う。ヴァスクェスが強くあるためには、自分は「男に負けないくらい強い」ということを常にアピールしなければならなかった。もっと言えば、男にならなければならなかった。男女同権ということは、女が男になることを決して意味しないはずですが、ある時期闘う女は男にならなければならない時期があったのです。その極限まで行きつくさきが1997年の『G.I.ジェーン』だったのかもしれない。
そうしてヴァスクェスが男になろうとして頑張っている一方で、ヴァスクェスよりもっと強いリプリーに関しては、逆に「母性」が強調されているのがまた面白いところです。リプリーには、前作では言及されることもなかった(たぶん設定上存在しなかった)娘がいて、57年もの間帰れずにいるうちに、小さかった娘は成長し、年老い、老人になって死んでしまっていた。リプリーは娘の11歳の誕生日に帰るという約束も果たせず、その成長を見守ることもできず、ただ「お嬢さんは亡くなりました」という事実だけを知らされたのです。
そんな傷心のリプリーの目の前に現れたのが、壊滅したコロニーの唯一の生存者、レベッカ(akaニュート)(キャリー・ヘン)でした。娘を思わせるブロンドの、年格好もほぼ同じくらいの女の子。しかもニュートは地獄の体験に怯えていたにもかかわらず、聡明さと勇敢さを遺憾なく発揮してみせるすばらしい女の子。こんな少女が、最初のうちは口をきくことすらできなかったのに、次第にリプリーに心を開き、信頼し、最後には思わず「マミー!」と呼んでくれたりするのですからリプリーの母性が発動するのも当然のこと。
戦闘訓練を受けたことすらなかったリプリーが、海兵隊を上回る活躍ができたのも、ひとえにニュートを守ろうとしたがためです。リプリーの超人的な活躍も、母は強し、で説得力がある。
あともうひとり、忘れてはいけないのが、ランス・ヘンリクセンが演じた「今回のロボット」、ビショップです。前作では、イアン・ホルムが名優の底力でもって、得体の知れない・何考えてるかわからない・信頼のおけない「人工知能」というネガティブな存在を演じて秀逸でしたが、今回ビショップがそのロボット=ネガティブな敵、という図式を綺麗に覆して見せます。
マッチョな海兵隊員のだれよりも勇敢で、だれもが嫌がる最も危険な任務を志願してやってのける高潔な人格。しかもかれは、ロボットゆえに恐怖なんか感じないのではなく、ロボットではあっても恐怖を感じるようプログラミングされているのに、その恐怖を克服してやりとげたのだからすばらしい。数ある危険なミッションの中でも、ビショップの活躍には本当に手に汗を握ってしまったし、また、リプリー危機一髪の場面で颯爽と現れたかれの姿には、拍手喝采を送ってしまいます。
こうしてひとつひとつ場面を思い出していくだけで、またもや喉がカラカラになってしまいます。名作の続編にして単なる続編にあらず。すばらしい映画でした。
by shirakian
| 2012-01-04 19:10
| 映画あ行