2011年 10月 27日
ゴーストライター
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★ネタバレ注意★
ロバート・ハリスの小説『ゴーストライター』を、ロマン・ポランスキー監督が映画化。
英国の元首相アダム・ラング(ピアース・ブロスナン)は、回顧録の出版を目前に控えていたが、実際に執筆にあたっていたライターである長年側近を務めていた男が、泥酔してフェリーから転落し溺死してしまう。スケジュール的に厳しい中、後任として白羽の矢が立ったのは、「締め切りを守る」ことに長けたゴーストライター(ユアン・マクレガー)だった。ゴーストライターはラングが滞在するアメリカ東海岸の孤島にある豪華な別荘に赴き、執筆に取り掛かるが、その矢先、ラングは在任中、英国籍を有する四人のテロ容疑者をCIAに引渡し、拷問に加担したとして、元外相のライカート(ロバート・パフ)により、国際刑事裁判所に告発されてしまう。
原作者のハリスは、英国のブレア元首相と昵懇なのだそうで、この小説のラング元首相は、トニー・ブレアがモデルなのではないかと言われているそうです。細かいニュアンスはわかりませんが、劇中大変重要なモチーフとして扱われる首相の「対テロ戦争」への対応を見る限りに於いては、ラングが行ったとされる政策は、「ブッシュのプードル」とまで言われたブレア元首相の、アメリカへの追随姿勢を彷彿させるものがあります。そして、その追随姿勢が、単なる「アメリカ寄りの政策」であるに留まらない、むしろイギリスの国益を損なうほどのものであったとしたら? その背景に、恐ろしい事実が隠されていたとしたら? というあたりがサスペンスのキモであります。
マクレガーがラングの別荘に到着し、仕事に取り掛かる前半では、ラングを取り巻く人々、特に妻のルース(オリヴィア・ウィリアムズ)と秘書のアメリア(キム・キャトラル)らの、表面は穏やかに見えるその水面の下で繰り広げられているドロドロした人間模様を、「存在しない」ゴーストの視点から描く描写が面白く、ああ、なるほどこれは、ハリウッド的演出とは一味ちがった英国ミステリの味わいだなぁ、と嬉しくなります。ポランスキー監督の演出の腕は、正に確かで、それぞれの登場人物の、ちょっとした表情や何気なく聞こえる台詞などから、実際にそこで何が進行しているのか、ということをじっくりとあぶりだしていきます。
面白いことにこの話、一応主人公ポジションのユアン・マクレガーに役名がないのね。強いて言えば、かれ自身が自虐的に名乗る「ゴースト」が役名っぽい。つまりは、ゴーストライターというものは、建前としては存在しないことになっているわけで、だからかれには名前すらない。ゴーストライターにとって、自分の「個性」を前面に出すことは御法度なのに、マクレガー演じる「ゴースト」は、自らゴーストと名乗りながらも、自分の「才能」に未練があり、個性や個人的関心を殺してしまうことができない。
ラングの「自叙伝」にも、自分のテイストを加えたいと思ってしまうし(ハートを感じさせる本でなければ、と主張する)、本来かれの仕事には関係ないはずの、前任者の死の真相にも首をつっこんでしまう。自我がないはずのゴーストが「自分」を持とうとしたとき、本来起こらなくて済んだはずの悲劇がおこる。このあたりの皮肉が面白い。
そして更に、ゴーストの存在を否定して脚光を浴びるはずのクライアントが、その実、影で暗躍する何者かのゴースト(実態のないもの)であったにすぎず、そのことに気づかず(あるいはそのことにうんざりして?)「自分」を持とうとしたとき、クライアント自身も、悲劇に見舞われるという二重に皮肉な展開。おとなしく影の言うことを聞いていれば、こんなことにはならなかったはずなのに。
ラングの妻ルースとゴーストは共に、事態の収束のために飛びまわるラングに放置される形となり、距離を縮めていく展開になるのですが、その中で交わされた会話が、そう思ってみると、とても興味深い。ゴーストがルースに、「あなたは本当は単なる政治家の妻ではなく、政治家になりたいのでしょう?」と皮肉ると、ルースはゴーストに、「あなたもゴーストライターではなく、本物の作家になりたいのでしょう?」と切り返し、どちらも相手の言葉にグッサリ深く傷付くのです。この台詞を口にしたとき、ゴーストが思った以上にはるかに、ルースの権力指向には意味があり、ルースが思った以上にずっと、ゴーストの「本物への未練」は大きな波紋を呼ぶことになる。
それにしても、国民に信頼されているはずの首相が、実は英国民にとっての「獅子身中の虫」であり、アメリカのスパイとして英国の国益ではなくアメリカの利益を代表していた(実際には、首相が虫であったと見せかけて、その身体の中にはさらに、妻という虫が潜んでいた)という真相は、二重の意味で怖いですね。国益云々の問題ともうひとつ、国民の意志(=選挙)で選ばれた人間ではない人間が隠然と権力を行使するという問題がひとつ。
国際刑事裁判所に告発されたラングが、同条約を批准していないアメリカに「逃亡」して匿われている情況は、やはりどうしても、監督のポランスキーが、少女への強姦容疑で逮捕され、裁判中にアメリカを出国し、それからずっと逃亡生活を続けていることを彷彿とさせます。ここにもまた、たくまざる強烈な皮肉がきいている感じ。
ポランスキーの逃亡の是非はさておき、かれが役者の魅力を最大限に引き出す演出力を持った監督であることは否定できません。過去にも、最高に美しくトーマス・クレッチマンを撮ってくれた恩義があるわけで(その節は大変お世話になりました)、この映画でも、主要な役者たちは、存分に持ち味を発揮し、常に増す魅力に輝いています。
ユアン・マクレガーの亡羊とした雰囲気が役柄にとてもマッチしているし、ピアース・ブロスナンの華やかでチャーミングな側面と粗暴で利己的な側面を併せ持つ人物、という造形もまたピッタリです。そして、CIAの蔓を演じたトム・ウィルキンソンの底冷えのするように冷たい目の表現もステキ。あと、ルースを演じたオリヴィア・ウィリアムズがよかったなぁ。大きくて切れ長なのにタレ目、という目に弱いんだよなぁ。
ただひとつ難を言えば、ガジェット(特に電子機器)の使い方のセンスが、現代のサスペンスとは到底思えなかった、ということ。
劇中、動揺したルースが自分の携帯を捜せず、ゴーストの電話を使おうとする、というシーンがあるのに、そのこと自体には何の意味もないし(ゴーストの携帯に残された通話記録が後にゴーストに不利な証拠となる、とかあるいは、かけた先の番号に意味があるとか)、ゴーストが前任者の情報から知った番号に電話した際に、電話に出たライカートがゴーストの人物特定をした様子がないこととか(ゴーストは何の防護措置もとらず自身の携帯からかけている)、ゴーストがグーグルでちょっと調べただけでどんどん真相に到達するという安易さとか、キーになる情報が紙焼きされた写真であったり、写真の裏に手描きされた電話番号だったりすることとか。いっそ60年代の物語として描いていた方が違和感がなかったかも?
あとやっぱり、ゴーストが前任者の残した電話番号から辿りついたライカートをあっさり信用して洗いざらい話してしまう展開も、あまりに無用心すぎて唖然とします。ライカートなんて、ラングの政敵で、かれを国際刑事裁判所に告発している当事者なんだから、ラングの不利になるならどんな嘘でもつくだろうし、ゴーストひとり陥れることなんかなんとも思いはしないだろうに。
そして、それなのに、最終的に真相に辿りついたゴーストは、まっさきにライカートに報告にいく代わりに、犯人に面と向かって「おまえの正体知ってるゾ!」とドヤ顔してしまう。あれって、なんなの、ばかなの? だからあんなラストになるのよ。マクレガーは相変わらずシャロウ・グレイブを掘ってしまった模様。
ロバート・ハリスの小説『ゴーストライター』を、ロマン・ポランスキー監督が映画化。
英国の元首相アダム・ラング(ピアース・ブロスナン)は、回顧録の出版を目前に控えていたが、実際に執筆にあたっていたライターである長年側近を務めていた男が、泥酔してフェリーから転落し溺死してしまう。スケジュール的に厳しい中、後任として白羽の矢が立ったのは、「締め切りを守る」ことに長けたゴーストライター(ユアン・マクレガー)だった。ゴーストライターはラングが滞在するアメリカ東海岸の孤島にある豪華な別荘に赴き、執筆に取り掛かるが、その矢先、ラングは在任中、英国籍を有する四人のテロ容疑者をCIAに引渡し、拷問に加担したとして、元外相のライカート(ロバート・パフ)により、国際刑事裁判所に告発されてしまう。
原作者のハリスは、英国のブレア元首相と昵懇なのだそうで、この小説のラング元首相は、トニー・ブレアがモデルなのではないかと言われているそうです。細かいニュアンスはわかりませんが、劇中大変重要なモチーフとして扱われる首相の「対テロ戦争」への対応を見る限りに於いては、ラングが行ったとされる政策は、「ブッシュのプードル」とまで言われたブレア元首相の、アメリカへの追随姿勢を彷彿させるものがあります。そして、その追随姿勢が、単なる「アメリカ寄りの政策」であるに留まらない、むしろイギリスの国益を損なうほどのものであったとしたら? その背景に、恐ろしい事実が隠されていたとしたら? というあたりがサスペンスのキモであります。
マクレガーがラングの別荘に到着し、仕事に取り掛かる前半では、ラングを取り巻く人々、特に妻のルース(オリヴィア・ウィリアムズ)と秘書のアメリア(キム・キャトラル)らの、表面は穏やかに見えるその水面の下で繰り広げられているドロドロした人間模様を、「存在しない」ゴーストの視点から描く描写が面白く、ああ、なるほどこれは、ハリウッド的演出とは一味ちがった英国ミステリの味わいだなぁ、と嬉しくなります。ポランスキー監督の演出の腕は、正に確かで、それぞれの登場人物の、ちょっとした表情や何気なく聞こえる台詞などから、実際にそこで何が進行しているのか、ということをじっくりとあぶりだしていきます。
面白いことにこの話、一応主人公ポジションのユアン・マクレガーに役名がないのね。強いて言えば、かれ自身が自虐的に名乗る「ゴースト」が役名っぽい。つまりは、ゴーストライターというものは、建前としては存在しないことになっているわけで、だからかれには名前すらない。ゴーストライターにとって、自分の「個性」を前面に出すことは御法度なのに、マクレガー演じる「ゴースト」は、自らゴーストと名乗りながらも、自分の「才能」に未練があり、個性や個人的関心を殺してしまうことができない。
ラングの「自叙伝」にも、自分のテイストを加えたいと思ってしまうし(ハートを感じさせる本でなければ、と主張する)、本来かれの仕事には関係ないはずの、前任者の死の真相にも首をつっこんでしまう。自我がないはずのゴーストが「自分」を持とうとしたとき、本来起こらなくて済んだはずの悲劇がおこる。このあたりの皮肉が面白い。
そして更に、ゴーストの存在を否定して脚光を浴びるはずのクライアントが、その実、影で暗躍する何者かのゴースト(実態のないもの)であったにすぎず、そのことに気づかず(あるいはそのことにうんざりして?)「自分」を持とうとしたとき、クライアント自身も、悲劇に見舞われるという二重に皮肉な展開。おとなしく影の言うことを聞いていれば、こんなことにはならなかったはずなのに。
ラングの妻ルースとゴーストは共に、事態の収束のために飛びまわるラングに放置される形となり、距離を縮めていく展開になるのですが、その中で交わされた会話が、そう思ってみると、とても興味深い。ゴーストがルースに、「あなたは本当は単なる政治家の妻ではなく、政治家になりたいのでしょう?」と皮肉ると、ルースはゴーストに、「あなたもゴーストライターではなく、本物の作家になりたいのでしょう?」と切り返し、どちらも相手の言葉にグッサリ深く傷付くのです。この台詞を口にしたとき、ゴーストが思った以上にはるかに、ルースの権力指向には意味があり、ルースが思った以上にずっと、ゴーストの「本物への未練」は大きな波紋を呼ぶことになる。
それにしても、国民に信頼されているはずの首相が、実は英国民にとっての「獅子身中の虫」であり、アメリカのスパイとして英国の国益ではなくアメリカの利益を代表していた(実際には、首相が虫であったと見せかけて、その身体の中にはさらに、妻という虫が潜んでいた)という真相は、二重の意味で怖いですね。国益云々の問題ともうひとつ、国民の意志(=選挙)で選ばれた人間ではない人間が隠然と権力を行使するという問題がひとつ。
国際刑事裁判所に告発されたラングが、同条約を批准していないアメリカに「逃亡」して匿われている情況は、やはりどうしても、監督のポランスキーが、少女への強姦容疑で逮捕され、裁判中にアメリカを出国し、それからずっと逃亡生活を続けていることを彷彿とさせます。ここにもまた、たくまざる強烈な皮肉がきいている感じ。
ポランスキーの逃亡の是非はさておき、かれが役者の魅力を最大限に引き出す演出力を持った監督であることは否定できません。過去にも、最高に美しくトーマス・クレッチマンを撮ってくれた恩義があるわけで(その節は大変お世話になりました)、この映画でも、主要な役者たちは、存分に持ち味を発揮し、常に増す魅力に輝いています。
ユアン・マクレガーの亡羊とした雰囲気が役柄にとてもマッチしているし、ピアース・ブロスナンの華やかでチャーミングな側面と粗暴で利己的な側面を併せ持つ人物、という造形もまたピッタリです。そして、CIAの蔓を演じたトム・ウィルキンソンの底冷えのするように冷たい目の表現もステキ。あと、ルースを演じたオリヴィア・ウィリアムズがよかったなぁ。大きくて切れ長なのにタレ目、という目に弱いんだよなぁ。
ただひとつ難を言えば、ガジェット(特に電子機器)の使い方のセンスが、現代のサスペンスとは到底思えなかった、ということ。
劇中、動揺したルースが自分の携帯を捜せず、ゴーストの電話を使おうとする、というシーンがあるのに、そのこと自体には何の意味もないし(ゴーストの携帯に残された通話記録が後にゴーストに不利な証拠となる、とかあるいは、かけた先の番号に意味があるとか)、ゴーストが前任者の情報から知った番号に電話した際に、電話に出たライカートがゴーストの人物特定をした様子がないこととか(ゴーストは何の防護措置もとらず自身の携帯からかけている)、ゴーストがグーグルでちょっと調べただけでどんどん真相に到達するという安易さとか、キーになる情報が紙焼きされた写真であったり、写真の裏に手描きされた電話番号だったりすることとか。いっそ60年代の物語として描いていた方が違和感がなかったかも?
あとやっぱり、ゴーストが前任者の残した電話番号から辿りついたライカートをあっさり信用して洗いざらい話してしまう展開も、あまりに無用心すぎて唖然とします。ライカートなんて、ラングの政敵で、かれを国際刑事裁判所に告発している当事者なんだから、ラングの不利になるならどんな嘘でもつくだろうし、ゴーストひとり陥れることなんかなんとも思いはしないだろうに。
そして、それなのに、最終的に真相に辿りついたゴーストは、まっさきにライカートに報告にいく代わりに、犯人に面と向かって「おまえの正体知ってるゾ!」とドヤ顔してしまう。あれって、なんなの、ばかなの? だからあんなラストになるのよ。マクレガーは相変わらずシャロウ・グレイブを掘ってしまった模様。
by shirakian
| 2011-10-27 19:04
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