2011年 05月 29日
ラブ・アクチュアリー
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★ネタバレ注意★
2003年、リチャード・カーティス監督。
アラン・リックマン出演作です。
……であることには、まちがいないです、まちがいないですが、出演者ということを言うのであれば、この映画はリックマンひとりに留まらず、出演者の豪華さにおいては史上最大級の映画のひとつと言えましょう(笑)。
ざっと名前を挙げるだけでも、ヒュー・グラント、リーアム・ニーソン、エマ・トンプソン、コリン・ファース、ローラ・リニー、キーラ・ナイトレイ、ローワン・アトキンソン、ビリー・ボブ・ソーントン、ビル・ナイ、ロドリゴ・サントロ、トーマス・サングスター、キウェテル・イジョフォー、シエンナ・ギロリー、エリシャ・カスバート、デニース・リチャーズ、クラウディア・シファー……などなど、一本の映画の中に一線級のキャストが目白押し。なんてお得なの(>_<)!(庶民感覚)。
というわけで、この映画はもちろんオムニバスなわけですが、オムニバスの嬉しいところは、このお買い得感もさることながら、これだけたくさんの俳優さんが出てきていながら、かれら全員が主役である、ということです。そりゃそうだ、だれの人生もみな、そのひと自身が主役なんだから。
クリスマスを目前に控えたロンドン。難しい政局を抱えた新任の首相は官邸付き配膳係に一目ぼれし、落ち目のロック歌手は起死回生のために昔のヒット曲を焼きなおして放ったクリスマスソングがまさかの大ヒットをし、妻を亡くした男は、なぜか元気がない幼い義理の息子の挙動が心配、幼い息子は学園のアイドルに叶わぬ片思いの真っ最中で、妻子ある会社社長は、恋に臆病な部下のOLに恋愛成就のアドバイスをする気配りを見せる反面、美人の秘書の誘惑に心揺れる日々、そんな夫の行動に聡明な妻は疑惑を抱き、恋人に裏切られた傷心の作家は言葉の通じないポルトガル人家政婦に恋をして、過激なポルノの現場で吹き替え要員として働く男優と女優はピュアで奥ゆかしいおつきあいを始め、夫の親友に嫌われていると思いこんでいた新妻は、親友の秘められた思いに気づき、だれかがだれかに恋をして、だれかがだれかと寄り添って、だれかがだれかをあきらめて、だれかがだれかに夢をみて、メリークリスマス、今宵あなたが幸せでありますように。どっとはらい。そんな話。
優しい暖かいステキなエピソードがぎっしりつまった話ですので、ホロリと涙をさそうシーンもたくさんあって、ひとによってどのシーンでホロリとくるかは様々だと思うのですが、わたしはやっぱり、ビル・ナイのパートで泣かされます(ホロリ)。
ビル・ナイは落ち目のロック歌手。長年ヒット曲もなく、すっかり過去のひとになっていたのだが、この年のクリスマス、昔のヒット曲をクリスマスソングに歌詞だけ焼きなおして再リリースしたところ、プロモーションでのかれの毒舌や奇行が逆に面白がられて、まさかの大ヒット。その年のクリスマスシーズンのナンバーワンヒット曲となる。しかしその陰には、病める日も健やかな日も、常に陰になり、陰になってかれを支え続けたマネージャーの存在があった。
クリスマス当日、ナンバーワン獲得の吉報と共に、エルトン・ジョンのパーティに招かれたビル・ナイ。ふってわいたかのように訪れた、歌手の華やかなクリスマスとは裏腹に、自宅でひとり寂しく過ごすマネージャー。そのマネージャーのもとに、エルトン・ジョンのパーティに出ていたはずの歌手が戻って来る。
「クリスマスは、大事なひとと過ごすべきだと思ってさ」
別にゲイなわけじゃない。むしろロック歌手は女好き。だけど、今宵、大切な晩に、「愛」を告げたい相手は、苦労を共にしてくれた、たったひとりの大事なマネージャー。イルミネーション彩る華やかなクリスマスの夜、冴えないおっさんふたりがぎこちなく抱擁を交わすシーンは、ほんとにぐっとこみあげてくるものがあります。
この映画、とにかく登場人物が多いので、個々のエピソードに関しては、細部にわたって詳細に描くわけじゃない。だから、「掘り下げが足りない」的な指摘も多々受けてはいるようです。ですが、美しい数式のようにしっかりと破綻のない脚本は、ひとつの事象を描くことによって、100ものエピソードを象徴させる力を持っている。
歌手とマネージャーのエピソードにしても、ふたりの出会い(恐らく鼻持ちならない傲慢な歌手と、新人のマネージャー)にしても、絶頂期にしても、人気が翳りだした日々にしても、どん底に落ち込んだ時期にしても、再起をかけて焼き直しを企画したことにしても、その「クソのような」曲をひっさげてプロモーションに駆けずり回る日々にしても、いちいち語られることはないのだけれど、語られたエピソードを観るだけで、ふたりの背後にそのような日々があったことがリアルに感得されるのです。
なにも全て言葉にし、映像にし、提示しなけりゃならないというものではない。ひとは自ずと描かれたものから行間を埋める作業を行っていくもので、描かれた事象に十分力があれば、それはあたかも実際に描かれたもののように、確かな命を持つのです。そのことは、ビル・ナイのエピソードに限らず、全てのエピソードに言えることで、だから、これだけ大勢のキャラクターの雑多な物語が交叉していく物語でありながら、ダイジェストを見せられているような物足りなさや、通り一遍のおざなりさを感じることがないのだと思います。
それともうひとつ大事なことは、この映画の豪華なキャスティングが、決して世間の耳目を集めるための宣伝用の打ち上げ花火じゃないということで、少ない描写から多くのことを感得させるためには、脚本のよさももちろんですが、演じる役者に力量がなければ話にならない。その点、この映画に揃った主役級の役者たちは、だれもが自分のキャラクターを、描かれたその瞬間だけでなく、その前の日も前の週も前の月も前の年も、ちゃんと時間を積み上げてきたリアルな人物として描きだすことができているのです。
そのことを一番強く感じさせるのはやはり、エマ・トンプソンとローラ・リニー、ともに演技巧者のふたりの女優です。
トンプソンはアラン・リックマンの妻。リックマンはいい上司、いい夫、いい父親ではあるのだけれど、どうも誘惑に弱いたちらしい。いまもいまとて、美人秘書にたぶらかされて浮気が進行中である様子。夫を信頼し、なにも疑うことなく毎日を子どもの世話に明け暮れていた主婦である妻は、ある日ほんの小さなきっかけから、夫の浮気に気づいてしまう。……ありふれたメロドラマではありますが、そんな情況に直面してしまったひとりの女性の心の動きを、トンプソン、台詞で語ることなく印象的に演じていて胸に迫るのです。
願わくは、リックマンが反省して、これからは家族一筋になってくれたらいいのに、と思うけど、ふたりの関係がどうなるかは、わからない。
一方のリニーは、そのリックマンの下で働くOL。同じ会社のイケメンデザイナー(ロドリゴ・サントロ)に、入社と同時に一目ぼれ、以来三年近く片想い続行中。不器用な彼女の思いは、当のデザイナーも含めてだれの目にも明らかなのに、彼女だけは気持ちを秘めているつもりで、恋はちっとも進行しない。だけど、やっぱり、クリスマス、思いかげず憧れの君から誘われて、有頂天になるリニー。自宅に招き入れることに成功した彼女の、「1秒だけ待っててね!」は、映画史に残る「かわいい台詞」のひとつでありましょう。その1秒の間、リニーってば、陰に隠れて嬉しさのあまりトトトトトッと足踏みしてるんだよ(笑)。
だけど実はリニーには、内気な性格以外にも、恋に積極的になれない理由があった。精神を患った弟の存在です。弟は5分おきに携帯に電話をかけてきて姉と話をせずにはいられない。電話を拒否しようものなら、弟の症状は深い絶望のあまり極端に悪化してしまう。いつでも、いかなるときでも、三年も片想いしてきた憧れのきみと、これからコトに及ぼうというその瞬間であってすら、電話がかかってきたら「いいのよ、いまは大丈夫よ、どうしたの? 話を聞くわ」と言ってあげなきゃならない。それはいいの、犠牲じゃないの、姉弟なんだもの、あたりまえのことなのと、健気にリニーは言うのだけれど、それでも、やっぱり、どうしようもなく悲しい。
願わくは、ロドリゴが弟の存在も含めて、リニーを愛してくれたらいいのに、と思うけど、ふたりの関係がどうなるかは、わからない。
あと、個人的に、リーアム・ニーソンが好きでした。いつもは派手で華々しい役を演じることの多いかれが、ここでは全く普通の市井の男で、妻に死なれ、義理の息子とは意志の疎通がはかれず、そこはかとなく落ち込んでいる等身大の演技が、とても愛しかったです。クラウディア・シファーが現れたら、ためらわず再婚してね、という妻の遺言をほろ苦く語っていたかれの目の前に、ほんとにクラウディア・シファーが現れちゃったりするのは、クリスマス・ストーリーならではの粋な計らいでありましょう。暖かい幸せな気持ちになるよね。シファーって、あんなに大美女なのに、気さくでかわいい雰囲気でいいよねぇ。
この映画では、大勢のキャラクターがそれぞれ微妙な繋がりをもっています。リックマンとトンプソンが夫妻で、リニーがリックマンの部下であるほかにも、トンプソンは英国首相のヒュー・グラントと姉弟だし、トンプソンとリーアム・ニーソンは友人だし、トンプソンの子どもたちとニーソンの子どもは同じ学校に通っているし、その学校には、グラントの思い人である配膳係りのマルティン・マカッチョンの甥姪も通っているし……と、相関図を描けば、だれかがどこかで何らかの形で巧みに関係をもっているのがわかる仕組みになっています。
その巧妙にしかけられた人間関係の繋がりが、本来バラバラの物語にひとつの流れと統一感をもたらしていることはまちがいないですが、でもこの映画の場合、一番そのことに貢献しているのは、実は個々のキャラクターの小さな偶然による繋がりではなく、クリスマスという時間を共有しているということです。ここで語られた物語は、クリスマスだからこそなりたった話であるものが多い。だってクリスマスだもの、クリスマスだからもしかして、せっかくクリスマスなんだから、せめてクリスマスだけは……。クリスマスは小さな奇跡を期待できる時間。そしてもしかしてほんとに、小さな奇跡が起こってしまうかもしれない時間。
これだけたくさんキャラクターが出ているので、最初に劇場で観たときは、わたしにとっては全くのノーバディだったひとが、時間をおいて改めて観てみると、結構なサムバディになってたりしないかな、というのがひとつの楽しみだったんですが、以下の三人がそうでした。
ひとりは、ロドリゴ・サントロ。ローラ・リニーの憧れのダーリンを演じたサントロは、映画公開当初は、わたしにとっては単に夢のようなハンサム、というに過ぎなかったひとですが、その後言わずとしれた『300』! 夢のようなハンサムが悪夢のようなペルシャ王を演じて、ばっちり印象に刻まれてくれたのでありました。
もうひとりは、キウェテル・イジョフォー。キラー・ナイトレイと結婚する幸運な男を演じました。このひとも、全く知らない俳優さんのひとりだったけど、その後、『キンキー・ブーツ』だの『2012』だの『ソルト』だの数々の大作話題作に出演して、快進撃ですよね。
そして三人目は、トーマス・サングスター。リーアム・ニーソンの亡き妻の連れ子のサムを演じた男の子。小動物みたいな愛くるしい容姿は、森の巨木の洞かなんかに棲んでいそうな人間離れした雰囲気で、幼い身空で恋に悩むオトコを巧みに演じて印象深かったのですが、後に『ノーウェアボーイ』でポール・マッカートニーの青春時代を、やはり印象深く演じてくれたのでした。子どもって、あっという間に大きくなるなぁ(笑)。
2003年、リチャード・カーティス監督。
アラン・リックマン出演作です。
……であることには、まちがいないです、まちがいないですが、出演者ということを言うのであれば、この映画はリックマンひとりに留まらず、出演者の豪華さにおいては史上最大級の映画のひとつと言えましょう(笑)。
ざっと名前を挙げるだけでも、ヒュー・グラント、リーアム・ニーソン、エマ・トンプソン、コリン・ファース、ローラ・リニー、キーラ・ナイトレイ、ローワン・アトキンソン、ビリー・ボブ・ソーントン、ビル・ナイ、ロドリゴ・サントロ、トーマス・サングスター、キウェテル・イジョフォー、シエンナ・ギロリー、エリシャ・カスバート、デニース・リチャーズ、クラウディア・シファー……などなど、一本の映画の中に一線級のキャストが目白押し。なんてお得なの(>_<)!(庶民感覚)。
というわけで、この映画はもちろんオムニバスなわけですが、オムニバスの嬉しいところは、このお買い得感もさることながら、これだけたくさんの俳優さんが出てきていながら、かれら全員が主役である、ということです。そりゃそうだ、だれの人生もみな、そのひと自身が主役なんだから。
クリスマスを目前に控えたロンドン。難しい政局を抱えた新任の首相は官邸付き配膳係に一目ぼれし、落ち目のロック歌手は起死回生のために昔のヒット曲を焼きなおして放ったクリスマスソングがまさかの大ヒットをし、妻を亡くした男は、なぜか元気がない幼い義理の息子の挙動が心配、幼い息子は学園のアイドルに叶わぬ片思いの真っ最中で、妻子ある会社社長は、恋に臆病な部下のOLに恋愛成就のアドバイスをする気配りを見せる反面、美人の秘書の誘惑に心揺れる日々、そんな夫の行動に聡明な妻は疑惑を抱き、恋人に裏切られた傷心の作家は言葉の通じないポルトガル人家政婦に恋をして、過激なポルノの現場で吹き替え要員として働く男優と女優はピュアで奥ゆかしいおつきあいを始め、夫の親友に嫌われていると思いこんでいた新妻は、親友の秘められた思いに気づき、だれかがだれかに恋をして、だれかがだれかと寄り添って、だれかがだれかをあきらめて、だれかがだれかに夢をみて、メリークリスマス、今宵あなたが幸せでありますように。どっとはらい。そんな話。
優しい暖かいステキなエピソードがぎっしりつまった話ですので、ホロリと涙をさそうシーンもたくさんあって、ひとによってどのシーンでホロリとくるかは様々だと思うのですが、わたしはやっぱり、ビル・ナイのパートで泣かされます(ホロリ)。
ビル・ナイは落ち目のロック歌手。長年ヒット曲もなく、すっかり過去のひとになっていたのだが、この年のクリスマス、昔のヒット曲をクリスマスソングに歌詞だけ焼きなおして再リリースしたところ、プロモーションでのかれの毒舌や奇行が逆に面白がられて、まさかの大ヒット。その年のクリスマスシーズンのナンバーワンヒット曲となる。しかしその陰には、病める日も健やかな日も、常に陰になり、陰になってかれを支え続けたマネージャーの存在があった。
クリスマス当日、ナンバーワン獲得の吉報と共に、エルトン・ジョンのパーティに招かれたビル・ナイ。ふってわいたかのように訪れた、歌手の華やかなクリスマスとは裏腹に、自宅でひとり寂しく過ごすマネージャー。そのマネージャーのもとに、エルトン・ジョンのパーティに出ていたはずの歌手が戻って来る。
「クリスマスは、大事なひとと過ごすべきだと思ってさ」
別にゲイなわけじゃない。むしろロック歌手は女好き。だけど、今宵、大切な晩に、「愛」を告げたい相手は、苦労を共にしてくれた、たったひとりの大事なマネージャー。イルミネーション彩る華やかなクリスマスの夜、冴えないおっさんふたりがぎこちなく抱擁を交わすシーンは、ほんとにぐっとこみあげてくるものがあります。
この映画、とにかく登場人物が多いので、個々のエピソードに関しては、細部にわたって詳細に描くわけじゃない。だから、「掘り下げが足りない」的な指摘も多々受けてはいるようです。ですが、美しい数式のようにしっかりと破綻のない脚本は、ひとつの事象を描くことによって、100ものエピソードを象徴させる力を持っている。
歌手とマネージャーのエピソードにしても、ふたりの出会い(恐らく鼻持ちならない傲慢な歌手と、新人のマネージャー)にしても、絶頂期にしても、人気が翳りだした日々にしても、どん底に落ち込んだ時期にしても、再起をかけて焼き直しを企画したことにしても、その「クソのような」曲をひっさげてプロモーションに駆けずり回る日々にしても、いちいち語られることはないのだけれど、語られたエピソードを観るだけで、ふたりの背後にそのような日々があったことがリアルに感得されるのです。
なにも全て言葉にし、映像にし、提示しなけりゃならないというものではない。ひとは自ずと描かれたものから行間を埋める作業を行っていくもので、描かれた事象に十分力があれば、それはあたかも実際に描かれたもののように、確かな命を持つのです。そのことは、ビル・ナイのエピソードに限らず、全てのエピソードに言えることで、だから、これだけ大勢のキャラクターの雑多な物語が交叉していく物語でありながら、ダイジェストを見せられているような物足りなさや、通り一遍のおざなりさを感じることがないのだと思います。
それともうひとつ大事なことは、この映画の豪華なキャスティングが、決して世間の耳目を集めるための宣伝用の打ち上げ花火じゃないということで、少ない描写から多くのことを感得させるためには、脚本のよさももちろんですが、演じる役者に力量がなければ話にならない。その点、この映画に揃った主役級の役者たちは、だれもが自分のキャラクターを、描かれたその瞬間だけでなく、その前の日も前の週も前の月も前の年も、ちゃんと時間を積み上げてきたリアルな人物として描きだすことができているのです。
そのことを一番強く感じさせるのはやはり、エマ・トンプソンとローラ・リニー、ともに演技巧者のふたりの女優です。
トンプソンはアラン・リックマンの妻。リックマンはいい上司、いい夫、いい父親ではあるのだけれど、どうも誘惑に弱いたちらしい。いまもいまとて、美人秘書にたぶらかされて浮気が進行中である様子。夫を信頼し、なにも疑うことなく毎日を子どもの世話に明け暮れていた主婦である妻は、ある日ほんの小さなきっかけから、夫の浮気に気づいてしまう。……ありふれたメロドラマではありますが、そんな情況に直面してしまったひとりの女性の心の動きを、トンプソン、台詞で語ることなく印象的に演じていて胸に迫るのです。
願わくは、リックマンが反省して、これからは家族一筋になってくれたらいいのに、と思うけど、ふたりの関係がどうなるかは、わからない。
一方のリニーは、そのリックマンの下で働くOL。同じ会社のイケメンデザイナー(ロドリゴ・サントロ)に、入社と同時に一目ぼれ、以来三年近く片想い続行中。不器用な彼女の思いは、当のデザイナーも含めてだれの目にも明らかなのに、彼女だけは気持ちを秘めているつもりで、恋はちっとも進行しない。だけど、やっぱり、クリスマス、思いかげず憧れの君から誘われて、有頂天になるリニー。自宅に招き入れることに成功した彼女の、「1秒だけ待っててね!」は、映画史に残る「かわいい台詞」のひとつでありましょう。その1秒の間、リニーってば、陰に隠れて嬉しさのあまりトトトトトッと足踏みしてるんだよ(笑)。
だけど実はリニーには、内気な性格以外にも、恋に積極的になれない理由があった。精神を患った弟の存在です。弟は5分おきに携帯に電話をかけてきて姉と話をせずにはいられない。電話を拒否しようものなら、弟の症状は深い絶望のあまり極端に悪化してしまう。いつでも、いかなるときでも、三年も片想いしてきた憧れのきみと、これからコトに及ぼうというその瞬間であってすら、電話がかかってきたら「いいのよ、いまは大丈夫よ、どうしたの? 話を聞くわ」と言ってあげなきゃならない。それはいいの、犠牲じゃないの、姉弟なんだもの、あたりまえのことなのと、健気にリニーは言うのだけれど、それでも、やっぱり、どうしようもなく悲しい。
願わくは、ロドリゴが弟の存在も含めて、リニーを愛してくれたらいいのに、と思うけど、ふたりの関係がどうなるかは、わからない。
あと、個人的に、リーアム・ニーソンが好きでした。いつもは派手で華々しい役を演じることの多いかれが、ここでは全く普通の市井の男で、妻に死なれ、義理の息子とは意志の疎通がはかれず、そこはかとなく落ち込んでいる等身大の演技が、とても愛しかったです。クラウディア・シファーが現れたら、ためらわず再婚してね、という妻の遺言をほろ苦く語っていたかれの目の前に、ほんとにクラウディア・シファーが現れちゃったりするのは、クリスマス・ストーリーならではの粋な計らいでありましょう。暖かい幸せな気持ちになるよね。シファーって、あんなに大美女なのに、気さくでかわいい雰囲気でいいよねぇ。
この映画では、大勢のキャラクターがそれぞれ微妙な繋がりをもっています。リックマンとトンプソンが夫妻で、リニーがリックマンの部下であるほかにも、トンプソンは英国首相のヒュー・グラントと姉弟だし、トンプソンとリーアム・ニーソンは友人だし、トンプソンの子どもたちとニーソンの子どもは同じ学校に通っているし、その学校には、グラントの思い人である配膳係りのマルティン・マカッチョンの甥姪も通っているし……と、相関図を描けば、だれかがどこかで何らかの形で巧みに関係をもっているのがわかる仕組みになっています。
その巧妙にしかけられた人間関係の繋がりが、本来バラバラの物語にひとつの流れと統一感をもたらしていることはまちがいないですが、でもこの映画の場合、一番そのことに貢献しているのは、実は個々のキャラクターの小さな偶然による繋がりではなく、クリスマスという時間を共有しているということです。ここで語られた物語は、クリスマスだからこそなりたった話であるものが多い。だってクリスマスだもの、クリスマスだからもしかして、せっかくクリスマスなんだから、せめてクリスマスだけは……。クリスマスは小さな奇跡を期待できる時間。そしてもしかしてほんとに、小さな奇跡が起こってしまうかもしれない時間。
これだけたくさんキャラクターが出ているので、最初に劇場で観たときは、わたしにとっては全くのノーバディだったひとが、時間をおいて改めて観てみると、結構なサムバディになってたりしないかな、というのがひとつの楽しみだったんですが、以下の三人がそうでした。
ひとりは、ロドリゴ・サントロ。ローラ・リニーの憧れのダーリンを演じたサントロは、映画公開当初は、わたしにとっては単に夢のようなハンサム、というに過ぎなかったひとですが、その後言わずとしれた『300』! 夢のようなハンサムが悪夢のようなペルシャ王を演じて、ばっちり印象に刻まれてくれたのでありました。
もうひとりは、キウェテル・イジョフォー。キラー・ナイトレイと結婚する幸運な男を演じました。このひとも、全く知らない俳優さんのひとりだったけど、その後、『キンキー・ブーツ』だの『2012』だの『ソルト』だの数々の大作話題作に出演して、快進撃ですよね。
そして三人目は、トーマス・サングスター。リーアム・ニーソンの亡き妻の連れ子のサムを演じた男の子。小動物みたいな愛くるしい容姿は、森の巨木の洞かなんかに棲んでいそうな人間離れした雰囲気で、幼い身空で恋に悩むオトコを巧みに演じて印象深かったのですが、後に『ノーウェアボーイ』でポール・マッカートニーの青春時代を、やはり印象深く演じてくれたのでした。子どもって、あっという間に大きくなるなぁ(笑)。
by shirakian
| 2011-05-29 18:29
| 映画ら行