2010年 06月 13日
【海外ドラマ】ダーマ&グレッグ/シーズン3
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うちの窓の外でカエルの世界の三大テノールが一晩中アンコールを繰り返すんだけど……すっごく調子っぱずれで、すっごく煩いんだ!
これはトーマス・ギブソンのツィートですけど、読んだ瞬間、オマエ、グレッグだろ、と思いました。力いっぱい思いました。トーマス・ギブソンって、絶対グレッグとニアリーイコールな人物であるにちがいないです(まちがってもホッチではない)。
■ダーマ&グレッグ/シーズン1
■ダーマ&グレッグ/シーズン2
シーズン3最大のトピックスは、なんといってもグレッグのアイデンティティクライシス。
シーズン1でも、果たして自分の天職とは何か? と思い悩んだ末、検事局をやめてシェフを目指したこともあるグレッグですが、今回はもっと根が深い。ある日突然、自分は一体何者なのか? という根源的哲学的命題に憑りつかれてしまったのです。
一旦疑問を感じてしまえば、根がクソまじめなグレッグですから、とことん考えぬいてしまうのだけど、その結果、本人的にはスコンと得心する部分があって、またもや検事局をやめてしまうのでした。
雨の中、屋上で、幸福そうに雨に打たれて佇むグレッグ。雨よ、グレッグ? と心配して声をかけるダーマに対して答えます。
そうだよ、ダーマ、ぼくは今、雨の中に立っている。ぼくは雨を体験し、雨はぼくを体験しているんだ。ぼくは今までの人生でずっと、雨が降れば避けることしか知らなかった。だって、いつも言われていたんだ、グレッグ、雨よ、中に入んなさいって。どうして言ってくれなかったんだろう? グレッグ、雨だぞ、さあ、外に出よう! って。
たわごとです。フィンケルシュタインなら言うかもしれないけど、モンゴメリーが口にする台詞じゃないです。
でも、子どもみたいにキラキラと目を輝かせて、興奮のあまり前のめりの口調になりながら、夢中でこんなこと言われると、グレッグの台詞の背後にある、かれが育ってきた環境なんかを考えて、ちょっとしんみりしてしまうのです。
これは後ほどのエピソードでわかった衝撃の事実ですが、実はグレッグは、生まれつきの左利きではなかったらしい。なんとエドワードが、左利きの方が野球をやるには有利だろうと、矯正してしまったのです。それを知って愕然とするグレッグ。
―――野球ですって!? キャッチボールすらやったことないじゃないですか!
それもそのはず、グレッグは蜂にアレルギーがあり、安全のため、外では遊ばせてもらえない子どもだったのだから……というのも、実は嘘。蜂アレルギーというのは、グレッグが外で遊ばず、家で勉強するようにさせるための、キティの陰謀、でっちあげだったのでした。
爆笑エピソードだけど、考えれば随分酷い話。良家のお坊ちゃまであるグレッグが、いかに管理され、コントロールされた存在だったかがチラリと覗けてしまう、背筋も凍る逸話です(笑)。
そう言えば、グレッグは名門私立小学校の出身ですが、その学校説明のパンフレットを見たダーマが、非人間的だと泣き出してしまう。泣かれてうろたえたグレッグの台詞。
―――だって、学校なんて楽しいものじゃないだろ?
やっぱり、ちょびっと、しんみりしちゃうのです。
それはともかく、検事局をやめたグレッグは、髭を剃るのをやめてしまう! スクープ!
グレッグはもちろん、ホッチにしろミッチにしろニックにしろ(見事に“ッ”が揃いましたね)、クリーンシェイブがデフォルトのギブソンさんが、ふさふさの熊髭! えーと。やっぱ、髭は剃った方がいいと思いました(笑)。そして熊髭さんは、家を出て、放浪の旅に。
自分探しのあてどのない旅、の割には、ゴルフバック持参だったり、ねぐらに借りた安宿のファブリックを、清潔でコージーなものに取り替えちゃったり、たんすに敷く中敷を買ってきたり、どうもやさぐれることができないグレッグですが、それでも、ハーバード主席卒業の履歴書を持って面接に行って、魚介加工工場で職をもらったりするのです。
とにかく危なっかしくて見ていられない感じ。グレッグというひとは、自分が属する世界にいるときは、全く危なげないどころか、仕事に於いてはしたたかですらあり、社交や遊びの場に於いても、どう振る舞い何をすべきかを完璧に心得ていて、申し分なくエレガントなのだけど、ひとたびダーマの文脈の中に入ると、ほんとに、危険で不安でいとけない感じになってしまう。
そして、グレッグが危なっかしいときには、ダーマが土性骨を据えてしまうのが、この夫婦の強いところ。ダーマは、グレッグの出奔について、両方の両親を落ち着いてなだめ、辛抱強く待ち、戻ってきたグレッグを決して責めず、働かないグレッグに代わって、いくつものバイトを掛け持ちして家計を支えすらするのです。
と、これだけだったら、坂田三吉の妻みたいですけど、わたしがいいなぁ、と思うのは、ダーマがほかならぬキティにちゃっかりお金の無心ができるところ。これをしてちっともいやらしくも、みじめっぽくもならない。あくまでカラッとしてケロッとしてほほえましく感じさせるのだからダーマってすごい。
だってね、グレッグは言うのですよ。節約して暮らせば、そんなにお金なんかいらないだろ? ファンシーなレストランとか、ケーブルテレビとか、ドライクリーニングとか、そういう贅沢をしないでシンプルな暮らしをすればいいんだから、って。でもそういう「ミラクル」な暮らしを知ってしまったダーマは、もうそれが手放せない。キティに無心したのは、病気のおとっつぁんの薬代がほしくてとか、子どもの給食費が払えなくてとか、そういうんじゃなくて、ミラクルを楽しむためのお金がほしかったからなんですよ。いいぢゃんね。キティにはお金なんか余ってるんだから。杓子定規も無駄なプライドも、人生をつまらなくするだけです。
そんなこんなで、すったもんだの挙句、結局個人開業の弁護士として仕事を始めるグレッグ。初めはろくな仕事がなくて、男のプライドが傷ついてしまうグレッグだけど、次第に軌道に乗ってきて、検事局をやめたマリーンがいつの間にか秘書の座に収まったのはもとより、検事局を首になったピートまで一緒に働くことになります。……ピートって、よくよくグレッグのことが好きなんだなぁ……。
そんな中で、フィンケルシュタインとモンゴメリーの、「人間関係の摩擦解消法」を端的に表す台詞を拾ってみたいと思います。
まずはモンゴメリー。
We don’t need to talk about it any more.
そしてフィンケルシュタイン。
Put in a bubble and blow it away.
要するに、物事は何がなんでもあからさまにしなければならないというものではなく、話題にせずにやり過ごすことができるなら、そうするのが賢者の道、と心得るモンゴメリー流と、とにかく何でも腹を割って話しましょう、謝罪されたら快く受け入れて水に流してあげればいいのだから、とするフィンケルシュタイン流。
一見両極端のように見えるけど、でも結局は、相手の感情を傷つけず、適度な距離感をはかろうとする態度にちがいはないようにも思えます。ダーマもグレッグも(そして両方の親たちも)それぞれ勝手にふるまっているかに見えて、実は常に相手の心情を慮ることを忘れないから、ちゃんとうまくやれているのだと思う。
最後に、シーズンラストのエピソードで、ダーマが転寝の夢で赤ん坊のビジョンを得て、子作りに励む、という流れがあるのだけど、不思議なことに、ここで明らかにされるのは、ダーマではなくアビーの妊娠です。
ダーマとグレッグも結婚してそろそろ3年、グレッグの仕事も情緒も安定してきたし(年齢だって30過ぎだし)、子どもを持つことを考えてもちっともおかしくないのに、番組としてそれを回避したのはなぜだろう、と考えてしまいますね。結局、ラストシーズンの5でも、ふたりの子どもは見られなかったわけで、この辺の判断が、ちょっと残念な気もするのでした。
by shirakian
| 2010-06-13 21:54
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