2010年 05月 31日
ディア マイ ファーザー
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2007年のオーストラリア映画。日本未公開作品です。
この作品で、AFI(オーストラリア映画協会賞)の最優秀主演賞にノミネートされた名子役のコディ・スミット=マクフィーは、近々公開のヴィゴ・モーテンセン主演の『ザ・ロード』でも、その演技を絶賛されている注目株。そして主演は大好きなエリック・バナ、ということで、前から観たいなぁ、と思っていた作品です。
物語は、哲学者であり作家でもあるレイモンド・ガイタの、ベストセラーになった自伝的小説を映画化したもの。1960年代、ドイツからオーストラリアの農村に移住してきたロミュラスとクリスティーナの夫妻は、息子のレイモンドと共に新天地で生活を始めたが、環境に馴染めなかったクリスティーナは心を病み、家庭は崩壊の一途を辿る。そんな中、父親のロミュラスは、自らの苦悩を乗り越えつつ、息子に惜しみない愛情を注ぐのだった、という実話ならではの哀感と迫力に満ちたお話。
この映画って、リチャード・ロクスバーグの初監督作品なのだそうです。ロクスバーグって、『ヴァン・ヘルシング』の超セクシーなドラキュラを演じた俳優さんですよね。監督としてこれほどの手腕を持っていらっさるとはびっくり。
なにしろ、初監督作品とはとても思えない画面作りの妙。セピアカラーに統一された荒涼とした中にも美しいオーストラリアの農場の風景。その中にくっきりと際立つミルクの白。白い羽のオウム。真っ黒い痩せた犬。広大な大地を切り取る柵や道、レンガの街並み、くすんだ服装の人々。なんとも美しい映画です。
そして物語の悲しさに、観ているうちに少しずつ少しずつ胸がしめつけられていって、ここぞクライマックス! とこれみよがしに盛り上がるわけではないのに、気づいたときにはホロホロと涙が止まらない、そんな感じの映画です。
勤勉で、穏やかで、向上心もある。エリック・バナ演じるロミュラスはよい父親で、息子を愛していて、よい教育を受けさせようと頑張っている。本当なら如何様にでもうまくやっていけたはずの男なのに、乾いていれば楽に歩けたはずの平坦な道を、徒にぬかるませる豪雨のような妻の存在。
クリスティーナ(フランカ・ポテンテ)はロミュラスとのささやかな生活に落ち着くことができず、気まぐれに現れたりどこかに消えてしまったりする。挙句の果てには、夫の親友の弟と暮らし始め、子どもまでもうける。それでもロミュラスはクリスティーナを見捨てることができない一方で、ロミュラスと落ち着けないクリスティーナが、新しいパートナーのミトゥル(ラッセル・ディクストラ)とうまくやれるわけもなく、本来好人物のミトゥルを、暴力を振るわざるをえないような情況に追い込み、やがては自殺に追いやってしまう。
魔女、疫病神、尻軽女、娼婦……なのではなくて、クリスティーナは単に病気だったのに、あの時代のあの場所であの暮らし向きでは、適切な治療を受けさせることはもとより、病気と気づくこともできなかったという、悲劇はそこにあったと思う。
ロミュラスはクリスティーナが好き、クリスティーナもロミュラスが好き、だけどそれだけじゃ十分じゃない、うまくいかない。そして、まだほんの子どもであるレイモンドからすれば、父親も好き、母親も好き、自分の弟が親友の妻を寝取ってしまった形になって苦悩する父親の親友のホーラ(マートン・ソーカス)も好き、母親の愛人であるミトゥルのことだって好き、父親違いの小さな妹のことだって好き、ひとりひとりはみんないいひとなのに、そこに関係性が生じると、うまくいかない。
事態はどんどん悪くなる。止めようがない。悲劇が起こる。悲劇がひとを傷つける。事態はさらに悪くなる。やがては、不安定な母親に代わってしっかりと自分を支えてくれていたはずの父親までもが心を病んでしまう。
個々の愛情のありかたがミニマムな描写の中で確実に適確に描けているだけに、愛情がありながらうまくいかない人々の姿に胸がしめつけられるような気持ちになるのです。
そして、少人数のアンサンブルを奏でる役者がみんなすばらしい。
病んでいる自分に対する自己嫌悪でドロドロになりながらも、自分ではどうしようもなくてズルズルとすべり落ちていくフランカ・ボテンテの姿も悲しいし、愛している女性が自分から離れていくのをどうにもできず、守ってきた家庭が指の間から崩壊していくのを見ているしかないエリック・バナの静謐な悲しみも胸が痛いし、複雑な立場に立たされてながらも、常にロミュラスに寄り添い、レイモンドを保護しようとうする、穏やかなホーラを演じたマートン・ソーカスの存在感もいいのです。
だけどやっぱりビックリするのがコディ・スミット=マクフィーだなぁ。どうしてこんな小さな子どもに、あんなお芝居ができてしまうの? 演技っていうのは、専門的な学校に行って何年も勉強したり、いくつも舞台を演じて場数を踏んだり、色んな本を読んで様々な感情について学んだり、色んなパフォーマンスを見て少しずつ自分の中に取り込んでいったり、なんかそういう、地道なプラクティスが必要なんじゃないの? なんでこんな生まれて10年も経っていないような子どもにそれができてしまうの? ほんっとに、呆然として物も言えなくなるほどの、すばらしい演技なわけです。
寂しさとか不安とか怒りとか恐怖とか、そのときどきの感情が、ろくに台詞もない表情だけの演技で適確に表現されてしまう。母親に暴力を振るった愛人のミトゥルが、衝動のままに自分にも手をあげるのではないかと恐れたレイモンドが、思わず拳を固めて挑みかかろうとするときの、あの目。恐怖だけじゃない、憎しみと怒りに満ちた目。なんか、もう、凄いとしか言いようがないんですけど。しつこいようですが、なんで、そんなことが可能なの? 間もなく公開の『ザ・ロード』を観るのが、待ち遠しいです。
by shirakian
| 2010-05-31 21:10
| 映画た行