2016年 03月 05日
★ネタバレ注意★
・SHERLOCK/シャーロック 忌まわしき花嫁@ぴあ映画生活
BBCのTVシリーズ"SHERLOCK"のスペシャルバージョン。
日本では劇場で公開。
原題は"SHERLOCK: THE ABOMINABLE BRIDE"、ダグラス・マッキノン監督。
1895年、ヴィクトリア朝のロンドン。ウエディング・ドレスを纏ったリコレッティ夫人が、拳銃自殺を図った後、なぜか蘇り、夫を射殺したという。レストレードから事件について聞かされたホームズの下に、更なる女性の依頼人が現れる。ある朝届いた手紙に同封されていた5つのオレンジの種、それを見て以来夫の様子がおかしいというのだ。夫もまたリコレッティ夫人の名前に異常な反応を示し、幽霊を恐れているらしい。珍しい事件にホームズは舌なめずり、ワトソンを伴い、事件解決に乗り出すが。
というお話ですので、TVシリーズの方とは全く別仕立ての特別編だとばかり思っていたら、シーズン3最終話にからめたタイムトラベル風味の展開になっていて、時代劇の楽しさと現代劇とのクロスオーバーの楽しさを二重に楽しめるというご機嫌な一本。
本編開始前に、共同脚本を担当したスティーヴン・モファットによる、セットやら世界観やらキャラクターについてやらの解説ビデオが流れるのですが、これがまた楽しいであります。「コナン・ドイルはわれわれほどマニアじゃないからね」という一説が深く頷けます。そうなのね、その作品を一番よく知っているのは実は作者じゃなくて熱狂的なファン。作品世界の年表やらマップやらが作れるのは、実は作者じゃなくて熱狂的なファン。主人公の妹が大事にしている人形の名前が言えるのは、主人公が初めて何かをしたのがいつだったかを言えるのは、主人公の部屋の設えについて正確に描写できるのは、実は作者じゃなくて熱狂的なファン。作者って結構「あれ、そうだったっけ?」ってとこがあるよね。
まあ、なにしろ、あのシリーズですから、ヴィクトリア朝という時代の雰囲気を醸し出す妥協のなさはとてもTVシリーズとは思えず、かと言ってやはりあのシリーズですから、そこで活躍するキャラクターたちの時代感を損なわない現代的センスもまた健在。両者が両立するバランス感覚がすばらしい。
今回はモチーフがモチーフだけに、女権拡張の問題から現代にも通じる性的差別の問題まで見据えた今日的感覚の鋭さもまた魅力。特に「今」この物語を観るという意味は、非常に大きいと思うのでした。男社会で専門職に就くために性別を偽り男装して働くモリー(ルイーズ・ブレーリー)の姿は、社会問題として色々と感慨深い上にキュートで萌え萌えだし、メアリー(アマンダ・アビントン)は例によって「(ぶっ)翔んでる女」だし、ワトソン家の女中さんまで単なる女中じゃないんだぜ。
そして受けたのは、(原作の描写通り)巨デブのマイクロフト(マーク・ゲイティス)です。そうそう、このひと、やっぱこの体型じゃなきゃ! 尤も、現代版の『SHERLOCK』のマイクロフトがほっそりスマート体型なのは、あれはあれで正解だとは思うんですけれども。
しかしわたしが一番感心したのはジョン・ワトソンです。っていうか、ワトソンを演じたマーティン・フリーマンの演技力です。このひと、現代パートとヴィクトリア朝パートでワトソンのキャラクターを微妙に変えてきましたよ。そのさじ加減の絶妙さにはマジで鳥肌が立ちました。
確かにね、異なる時代の異なる環境の下異なる教育を受けて育った異なる価値観を持つ人間であれば、たとえ同じDNAを有する同じキャラクターであったとしても全く同じ人間ではあり得ない。様々な問題に対する感情や思考の違いは、微妙な表情の差異となり口調の差異となり発言や行動の差異となって表に出てくる。現代のジョンにとって「当たり前のこと」はヴィクトリア朝のワトソンにとって「考えたこともないこと」だし、ヴィクトリア朝のワトソンがとるべき「正しい態度」は現代のジョンにとっては「考えられない無礼」であったりする。だから両者は違って然るべきであり違わなければならないんだけれど、やっぱりそれでもふたりが同一人物であるという前提は全く揺るがない。フリーマン凄い、と思う所以です。
もちろんフリーマンだけが凄くてホームズのベネディクト・カンバーバッチは凄くない、とか言う話ではなく、ホームズのような一般的基準からはずれたキャラクターは時代の要請にさほど縛られないわけで、常識人であるワトソンほどには差異が表に出にくい、ということだったと思います。第一、カンバーバッチのホームズが素晴らしいのは言うまでもないことですし。
個人的お気に入りのシーンは、ホームズとワトソンがもめて、腕力に訴えたらどっちが強いか、という話になった時の会話。
「軍人のぼくとジャンキーの君じゃ勝負は見えてるだろ」
「軍人じゃなくて医者のくせに」
「軍医だ。いちいち名前を言いながら骨を折ることができるぞ」
なんて言うんでしょう、良識ある社会人で温厚な性格でしかも体格的にはぐっと小柄なワトソンの方が、いざとなったらむしろ気が強いというかタフガイというかアドレナリンジャンキーというか、この辺の描写ってほんと、どのバリエーションを見ても「してやったり☆」って思いますね。シリーズの一番最初で見事な射撃の腕を披露してみせたあの瞬間からもう、ね。
あともひとつ、事件に気をとられて家庭生活が疎かになり、メアリーの行動を掴めなくなってしまったワトソンがようやく妻と再会するシーンの会話。
「きみとすれ違ってしまうんじゃないかと不安だったんだ」
「出て行ったのはきみの方じゃないか」
「ぼくはメアリーに言ったんだ」
なぜかホームズが答えとる(笑)。
関係ないけどこのシーン、『ビッグバン・セオリー』でハワードがバーナデットに「ハニー」と呼びかけたら隣にいたラージが返事をする、というシーンを思い出します。
それと、もう一個いいかな(言わせておけば一晩中でも言い続けそうな気がするけど)、シャーロックが何かと非常識な発言をするたびに、ワトソンが「シャーロック!」って名前を呼ぶだけで軌道修正させる手綱さばきもツボ。どツボ。ワトソンのピシャリとした口調もいいけど、シャーロックが叱られた犬みたいに素直に従うのもおかしい。
TVシリーズの方では、シャーロックの薬物依存については非常にマイルドな描写に抑えてあって、せいぜいタバコ、それすらもニコチンパッチで対応、という文科省も文句の言いようのない穏当なものだったりするんですが、本作では、ホームズの意識がヴィクトリア朝とリンクする仕掛けとして薬物による酩酊、という説明がなされているせいか、かなりシビアにかれの薬物依存の問題が描かれていたのも印象的でした。大事な友達や血を分けた弟に自分の身体をあんなに粗末にされたら、ジョンもマイクロフトもたまらない気持ちになると思うの。シャーロック、クスリはダメ、絶対(>_<)。
本編終了後は、もうひとりの共同脚本家であるマイクロフト役のマーク・ゲイティスによるキャストへのインタビューというステキなおまけもあって大満足でした。
シャーロックとマイクロフト、邪悪なのはどっち? というスティーヴン・モファットの問いに答えてゲイティス、躊躇わずマイクロフトと断言。マイクロフトがシャーロックを邪悪な側に導いている。では、より賢いのはどちら?
これはトリッキーな質問ですが、この際モファットが言い間違いだったのか何らかの意図があったのか、「どちらが」と尋ねるのに最上級を使った。なのでゲイティスがまず、「より賢い、方だよね、最も賢い、じゃなくて」と釘を刺したところでインタビューは終了しています。さて、回答はどっちだったんでしょ。それはファンそれぞれの心の中に。うまい編集だったのであります。
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by shirakian
| 2016-03-05 20:37
| 映画さ行