2009年 09月 05日
ジャック・ザ・ベア/みんな愛してる
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こちらも前回のエントリー同様、蔵出し放出品です。
シニーズ探訪の十。
1992年、マーシャル・ハースコヴィッツ監督。
ダニー・デヴィートが演じる、テレビのホラー映画劇場のホストを務めるコメディアンと、そのふたりの息子たちが、母親の死を乗り越えていくさまを描くホームドラマなんですが、ゲイリー・シニーズがとても珍しい役柄を演じていて面白いです。
1972年、オークランドに住む少年ジャックは、母親を交通事故で失ったばかり。コメディアンの父親は、いつも過剰におどけることで悲しみをごまかしているけれど、お酒の量はふえる一方。そんな父親に、祖父は苛立ちを隠さず、おまえが失業でもしたら即座に孫たちはうちに引き取る、と厳しい態度。そんな中でジャックは、たっぷりと愛してはくれるけれどパーフェクトとは言えない父親をフォローして、3歳半の弟の世話をしたり、学校では小さな恋が芽生えたり、懸命に毎日を暮らしていました。
ところがハロウィンの夜、曰くありげな向かいの住人が、ナチの崇拝者にして激しい人種差別主義者であることが判明してから、事態は緊迫した様子を見せ始めるのです。
このナチ崇拝者の男がシニーズです。
えーと、劇中シニーズは20代後半、という設定になってますが、55年生まれのシニーズにさすがにその設定はちょっと無理があります。役作りなのか、額が禿げ上がったメイクだし(はげあがった額に、くるくるカールしたへんてこな前髪がおちゃめ。当時のトレンドヘアーかしら)。
シニーズは、交通事故で足が不自由という設定で、いつも杖をついています。これ、後半の少年との追跡劇で、少年と互角に動くための「縛り」かもしれない。健常者だったら、少年に勝ち目がなさすぎますものね。
髪型だの杖だの色々言いましたが、特筆すべきは、なんといってもかれの目です。
明らかに狂気を感じさせる底知れない目で、黙ってみつめられるだけで竦みあがりそうになります。温かみなんかかけらもない冷たい目。かれの心が頑なに閉ざされてしまっていることが目だけで明らかにわかるのです。
そして、その声としゃべり方。静かにおだやかに囁くように話すその喋り方の、底冷えのする感情の伺えなさ。まじで怖いです。
狂ったナチ信奉者と少年たちとの諍いは、まず少年たちのちょっと行き過ぎたいたずらから始まります。なにしろ、いつも何をしているのだかよくわからない杖をついた目つきの鋭い男は、少年たちにとって気になってしかたのない存在なのです。あの杖には刀が仕込まれている、という噂もあるし、近所に住んでいるひとは木の枝で殴りかかられたと言っているし。
シニーズからすれば、深夜敷地にしのびこんだ少年たちに玄関のアプローチにペンキで落書きされた上に、自分の思想信条はデヴィートに理解されず、しかも飼っていた犬まで毒殺されてしまう(これはデヴィートや、ましてや少年たちの仕業ではなく、別人の犯行だったわけですが)という、起爆要因は十分です。
ある日ついに爆発し、ジャックの幼い弟を誘拐する、という所業に出るのです。
弟は幸い無傷で発見されましたが、トラウマのため口をきかなくなってしまう。そこから、いままで必死にごまかしてきた「悲しみ」が、抗いきれない勢いで一家に襲い掛かってくるのです。デヴィートもジャックも、もう悲しんでいないふりなんか、できなくなってしまったのでした。
母親の死は、ジャックにとってもデヴィートにとっても後悔してもしきれない、あまりに突然すぎるものでした。デヴィートは妻と口論し、いやなら出て行け! ええ、出て行くわ! というお決まりのやり取りの結果、飛び出した妻が事故で逝ってしまうという、どうにも感情の処理ができないやりきれないものでした。
ジャックの方もまた、誕生日のサプライスパーティを開いてくれた母親に、恥をかかされたと思い込み、部屋から出て行けと怒鳴りつけた思い出が、深く心につきささっているのです。
父も子も、どちらも他意はなかった。翌日、ごめんと謝ることさえできていれば、どうということもなかったのです。だけどそれがもうできないとなると、どうにもやりきれない重い深い後悔となって、いつまでものしかかってくるのです。
結局、シニーズという「外から来た敵」との闘いを通して、ジャックもデヴィートも自らの悲しみと正面から向きあう強さを得ます。
それまでは、大丈夫だよ、すべてうまくいくから、という父親の台詞を、それはちがうと思いながらも黙って受け入れてきたジャックでしたが、シニーズとの戦いの後、ついにハッキリと、大丈夫なんかじゃない! と父親にくってかかります。
もちろん、大丈夫でなんか、あるはずがないのです。かれは母親を亡くしたのです。悲しくて悲しくてたまらないのです。母親はもう戻らない。明日もあさっても未来永劫、彼女はもういないのです。大丈夫であるはずがないのです。
しかしそこで、父の言う台詞がいいです。
だったら、大丈夫になるようにしていこうじゃないか。
全編を通して、ジャックの視点から描かれる物語は、家族の再生の物語であり、少年の成長譚であり、淡い初恋の思い出であり、脚本の構成もしっかりしていて、叙情性に富んだ演出も効いています。なにより、ジャックを演じたロバート・J・スタインミラー・Jr.くんの演技が自然でよいです。顔立ちも綺麗だし、演技センスもあるのだから、大人になっても活躍していないのかな、と思ってちょっと調べてみたのですが、最近の出演作というのは見当たらなかったです。もう役者さんやめちゃったのかな。
その代わり(?)、ジャックのほのかな初恋の相手を演じた、「ちょっぴりのっぽの女の子」は、リース・ウィザースプーンですよ(笑)。リース、このときから身長伸びなかったんだねぇ。でも演技者としては大いにご成長遊ばしたわけで、なによりです。
シニーズ探訪の十。
1992年、マーシャル・ハースコヴィッツ監督。
ダニー・デヴィートが演じる、テレビのホラー映画劇場のホストを務めるコメディアンと、そのふたりの息子たちが、母親の死を乗り越えていくさまを描くホームドラマなんですが、ゲイリー・シニーズがとても珍しい役柄を演じていて面白いです。
1972年、オークランドに住む少年ジャックは、母親を交通事故で失ったばかり。コメディアンの父親は、いつも過剰におどけることで悲しみをごまかしているけれど、お酒の量はふえる一方。そんな父親に、祖父は苛立ちを隠さず、おまえが失業でもしたら即座に孫たちはうちに引き取る、と厳しい態度。そんな中でジャックは、たっぷりと愛してはくれるけれどパーフェクトとは言えない父親をフォローして、3歳半の弟の世話をしたり、学校では小さな恋が芽生えたり、懸命に毎日を暮らしていました。
ところがハロウィンの夜、曰くありげな向かいの住人が、ナチの崇拝者にして激しい人種差別主義者であることが判明してから、事態は緊迫した様子を見せ始めるのです。
このナチ崇拝者の男がシニーズです。
えーと、劇中シニーズは20代後半、という設定になってますが、55年生まれのシニーズにさすがにその設定はちょっと無理があります。役作りなのか、額が禿げ上がったメイクだし(はげあがった額に、くるくるカールしたへんてこな前髪がおちゃめ。当時のトレンドヘアーかしら)。
シニーズは、交通事故で足が不自由という設定で、いつも杖をついています。これ、後半の少年との追跡劇で、少年と互角に動くための「縛り」かもしれない。健常者だったら、少年に勝ち目がなさすぎますものね。
髪型だの杖だの色々言いましたが、特筆すべきは、なんといってもかれの目です。
明らかに狂気を感じさせる底知れない目で、黙ってみつめられるだけで竦みあがりそうになります。温かみなんかかけらもない冷たい目。かれの心が頑なに閉ざされてしまっていることが目だけで明らかにわかるのです。
そして、その声としゃべり方。静かにおだやかに囁くように話すその喋り方の、底冷えのする感情の伺えなさ。まじで怖いです。
狂ったナチ信奉者と少年たちとの諍いは、まず少年たちのちょっと行き過ぎたいたずらから始まります。なにしろ、いつも何をしているのだかよくわからない杖をついた目つきの鋭い男は、少年たちにとって気になってしかたのない存在なのです。あの杖には刀が仕込まれている、という噂もあるし、近所に住んでいるひとは木の枝で殴りかかられたと言っているし。
シニーズからすれば、深夜敷地にしのびこんだ少年たちに玄関のアプローチにペンキで落書きされた上に、自分の思想信条はデヴィートに理解されず、しかも飼っていた犬まで毒殺されてしまう(これはデヴィートや、ましてや少年たちの仕業ではなく、別人の犯行だったわけですが)という、起爆要因は十分です。
ある日ついに爆発し、ジャックの幼い弟を誘拐する、という所業に出るのです。
弟は幸い無傷で発見されましたが、トラウマのため口をきかなくなってしまう。そこから、いままで必死にごまかしてきた「悲しみ」が、抗いきれない勢いで一家に襲い掛かってくるのです。デヴィートもジャックも、もう悲しんでいないふりなんか、できなくなってしまったのでした。
母親の死は、ジャックにとってもデヴィートにとっても後悔してもしきれない、あまりに突然すぎるものでした。デヴィートは妻と口論し、いやなら出て行け! ええ、出て行くわ! というお決まりのやり取りの結果、飛び出した妻が事故で逝ってしまうという、どうにも感情の処理ができないやりきれないものでした。
ジャックの方もまた、誕生日のサプライスパーティを開いてくれた母親に、恥をかかされたと思い込み、部屋から出て行けと怒鳴りつけた思い出が、深く心につきささっているのです。
父も子も、どちらも他意はなかった。翌日、ごめんと謝ることさえできていれば、どうということもなかったのです。だけどそれがもうできないとなると、どうにもやりきれない重い深い後悔となって、いつまでものしかかってくるのです。
結局、シニーズという「外から来た敵」との闘いを通して、ジャックもデヴィートも自らの悲しみと正面から向きあう強さを得ます。
それまでは、大丈夫だよ、すべてうまくいくから、という父親の台詞を、それはちがうと思いながらも黙って受け入れてきたジャックでしたが、シニーズとの戦いの後、ついにハッキリと、大丈夫なんかじゃない! と父親にくってかかります。
もちろん、大丈夫でなんか、あるはずがないのです。かれは母親を亡くしたのです。悲しくて悲しくてたまらないのです。母親はもう戻らない。明日もあさっても未来永劫、彼女はもういないのです。大丈夫であるはずがないのです。
しかしそこで、父の言う台詞がいいです。
だったら、大丈夫になるようにしていこうじゃないか。
全編を通して、ジャックの視点から描かれる物語は、家族の再生の物語であり、少年の成長譚であり、淡い初恋の思い出であり、脚本の構成もしっかりしていて、叙情性に富んだ演出も効いています。なにより、ジャックを演じたロバート・J・スタインミラー・Jr.くんの演技が自然でよいです。顔立ちも綺麗だし、演技センスもあるのだから、大人になっても活躍していないのかな、と思ってちょっと調べてみたのですが、最近の出演作というのは見当たらなかったです。もう役者さんやめちゃったのかな。
その代わり(?)、ジャックのほのかな初恋の相手を演じた、「ちょっぴりのっぽの女の子」は、リース・ウィザースプーンですよ(笑)。リース、このときから身長伸びなかったんだねぇ。でも演技者としては大いにご成長遊ばしたわけで、なによりです。
by shirakian
| 2009-09-05 21:12
| 映画さ行