2009年 04月 09日
トワイライト~初恋~
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少女漫画でした。ものっそ少女漫画でした。見事王道を行く少女漫画でした。
それもそのはず、原作は10代の少女に大人気のヤングアダルト小説だそうです。熱心な小説のファンの女の子たちの支持に支えられて、映画は社会現象と言えるほどの大ヒットになったとか。
ヴァンパイアの少年(推定年齢100歳超)と人間の少女(ぴっかぴかの17歳)の禁断の愛の物語。少年と共にいるためなら、どんな危険も辞さない少女。少女と引き換えにするなら、ワールドだってノットイナフな少年。少女の夢がみっしり詰まった、少女(の心を持った女流作家)による、少女(クリステン・スチュワート)に関する、少女(大勢のファンガールズたち)のためのお話。
や、しかし、白木庵が少女だったころ、森にはまだたくさん恐竜が棲んでいたんだ。
というわけで、完璧に乗りきれなかったことが丸わかりの、テンション低めのレビューでお伝えいたします……。
最初に弁護を試みれば、この映画は長い原作の第一章的な部分を映画にした話だそうで、続編ありきの作りになっていて、作中提示された色々なモチーフが宙ぶらりんのまま放置されています。だから、ネイティブアメリカン(何族でしたっけか?)とヴァンパイアとの確執といった、ほんとだったら一番面白くなりそうな部分が「未だ語られない」状態のままです。もしかしてずっと語られなかったらどうしよう、という一抹の不安を感じないでもないけれど、物語がもっとダイナミックに動き出す(なら)第二部以降の方が、ヴァンパイアものとしては面白くなりそうです。
少なくとも、この第一部は、ガール・ミーツ・ボーイのラブストーリーではあっても、ヴァンパイアものとしてはまだ起動していません。
だいたい、このヴァンパイアの設定はなんなんでしょうか。十字架だの聖水だのは、これほど文化の多様性が表面化した現代においては、むしろ「関係ない」方がリアルかなと思わんでもないですが、太陽光線は、ダメでしょう、軽くながしちゃダメでしょう、太陽に当たったら、ラメ入りファンデを塗りたくったみたくお肌がキラキラ光っちゃうから、ぼくたち、晴れた日は外に出られないんだ、とか言われたら、いままで連綿と語り継がれてきた吸血鬼たちの苦悩を思って、ちょとムッとしませんこと? なにもいきなり塵になれとまでは言わないから、ほら、ちょっと、ジュッってなるとか、ヒリヒリするとか、せめて苦しそうな顔ぐらいしてみせるとか。
それに何より、こいつら、あら、失敬、こちらのヴァンパイアさん方には、牙がないです、牙が。なにも『ブレイド2』のリーパーみたく、十字型にパックリと口が裂けろ、とまでは言わないけど、血を吸うけものに牙もないなんて(>_<)。
なにしろ少女漫画なので、綺麗に綺麗に設定してあり、演じる役者さんたちもルックスのいいひとを集めたのはわかりますが、こんだけルックスのいいキャラクターがわんさか出てきて(この町のメイン・ヴァンパイアファミリー、カレン家のヴァンパイアだけでも総勢7人)、ひとりも「わたしの」琴線に触れるキャラがいなかった、というのは非情に残念であると言わざるを得ません(そんな個人的な嗜好の話をされても)。
まあ、容姿がピンと来なかった、というのもありますけど、そもそも描写がなんにもないので、一体どういうひと、じゃない、ヴァンパイアなのか、皆目見当がつかない、というのが一番のネックだったんだとは思いますが。
とは言っても、青春ラブストーリーとしての側面を見るなら、それなりに成功してるんじゃないでしょうか(っていうか、そもそもこの映画は完全に大成功してるわけだけど)。
なにがいいって、ヒロイン、ベラの丹念な描写に尽きると思います。キャラクター設定も繊細だし、心理描写も説得力があるし、そういうヒロイン像に演じるクリステン・スチュワートが実に無理なくフィットしています。
両親が離婚、母親は親であるより女であることを選び、新しいオトコとの人生にどっぷり、取り残された娘は「自らの意志で」、学期の途中で転校して、離れた町に住む父親との生活を選ぶ。ヒロインのバックグラウンドは、アメリカではありふれたものかもしれません。だれもがその程度の切なさは背負って生きているのかも。だけど、未成年者が、「自らの意志で」親にとって都合のいい選択をするのは、見ていてなんだか割り切れないものを感じてしまいます。そんなケースの恐らく84%ぐらいは、親やまわりの大人たちの、有形無形の圧力(期待と言い換えてもいい)の結果じゃないかなと思うからです。ほんとはそんなこと望んでやしないのに、心の底ではこんなのイヤだと悲鳴をあげているのに、言葉としては「自らの意志で」選んだことになっちゃう。「物分りのいい子ども」は切ないし、子どもの物分りのよさに甘えている母親は、(いくら「電話で」愛しているだの、心配してるだの、ぎゃあぎゃあ自己主張されたところで)不快です。
だけどこの、多少内向的で地味だけど、感じのいい気立てのいいお嬢さんは、被害者意識に苛まれたり、だれかを憎んだり恨んだりせず、自分の境遇を受け入れて、できる範囲でできるだけのことを、とにかく誠実にやっていってる感じです。父親にも母親にも学友たちにも、かなり距離を置いてしまってはいますが、接し方はあくまで誠実で優しい。だから、御伽噺のような出来すぎの恋に舞い上がっている描写を見せられても、ヒロインに対する共感が持続するのです。
一方、乙女心をくすぐってやまない謎めいた超絶美形の王子様、エドワードを演じたロバート・パティンソンですが、このひと、ほんとに美形、なのかな(汗)。や、客観的に見てどこにも文句なんかつけようのない顔立ちをしていらっさるとは思うのですが(汗)、うーんうーん、あの白塗りメイクのせいかしら、なんだかどうにも受け入れがたく……(って、だからそんな個人的な嗜好の話をされても)。
エドワードがベラを背負って森をましら走りするシーンとか、あれは、原作でもああいうテイストのシーンなのかなぁ。たぶん、かなりニュアンスがちがってるんじゃないかなぁと、ちょっと不憫な気持ちにならんでもないです。いまどきあんな安っぽい映像見せられると、むしろびっくりというか、やっぱりお金がなかったのかなぁ。
ヒロインの、とっても少女漫画ちっくな恋模様の描写の中で面白いなぁと思ったのは、ちゃんと欲望も描いているところです。エドワードが最初にベラと同じクラスで授業を受けるシーンで、教室に入ってきたベラの姿に、エドワードは「一目ぼれ」してしまうのだけど、ヴァンパイアにとって人間に「惚れる」ということは、直裁に血への渇望につながり、それは性欲と切り離せない凄い力の情動である、ということが、まずとてもわかり易く描写され(ちなみにこのシーンで、物凄くイヤそうな顔をしてエドワードが自分を避けようとするので、ベラが、やだ、あたし、臭いのかしら、とばかりに、ちょっと自分の匂いを嗅いでみたりする描写がまた、かわいいです)、その後、ふたりが恋仲になると、ファーストキスを試みたエドワードに対し、欲情したベラが思わず積極的に迫ってしまう、なんて描写がある。
プラトニックラブと言うけど、欲望を感じないとか、欲望を知らないんじゃなく、少女にだって性欲はあり、少年にはもちろん肉欲があることを前提に、それでも触れ合えないプラトニックなラブ、というのは面白いですね。
こんなものがちゃんと少女漫画で描かれることって、あんまりないんじゃなかろうか。や、白木庵が最後に少女漫画を読んだのは、まだ森にたくさん恐竜が棲んでいた頃なので、今の少女漫画がどうなっているのかわかりませんが。
キャラクターで興味深いのは、エドワードではなく、その養父であるドクター・カーライル・カレン(ピーター・ファシネリ)の方じゃないかなと思うのです。時を越えて生き続ける苦悩や悲しみ、自らの手で他人をその同じ運命に引き込む葛藤、仲間を守る責任、なにより、進行中のできごとを包括的に見る視点、なにをとっても中心人物はこのひと、と思うのだけど、かれに関する描写はいまのところまだそんなにないので、こちらも第二部以降に期待、というところでしょうか。このひとが、もうちょっとタイプの役者さんだったら、その期待ももっと高まるのになぁ(そんな個人的な嗜好の話はもういいっちゅーに)。
それもそのはず、原作は10代の少女に大人気のヤングアダルト小説だそうです。熱心な小説のファンの女の子たちの支持に支えられて、映画は社会現象と言えるほどの大ヒットになったとか。
ヴァンパイアの少年(推定年齢100歳超)と人間の少女(ぴっかぴかの17歳)の禁断の愛の物語。少年と共にいるためなら、どんな危険も辞さない少女。少女と引き換えにするなら、ワールドだってノットイナフな少年。少女の夢がみっしり詰まった、少女(の心を持った女流作家)による、少女(クリステン・スチュワート)に関する、少女(大勢のファンガールズたち)のためのお話。
や、しかし、白木庵が少女だったころ、森にはまだたくさん恐竜が棲んでいたんだ。
というわけで、完璧に乗りきれなかったことが丸わかりの、テンション低めのレビューでお伝えいたします……。
最初に弁護を試みれば、この映画は長い原作の第一章的な部分を映画にした話だそうで、続編ありきの作りになっていて、作中提示された色々なモチーフが宙ぶらりんのまま放置されています。だから、ネイティブアメリカン(何族でしたっけか?)とヴァンパイアとの確執といった、ほんとだったら一番面白くなりそうな部分が「未だ語られない」状態のままです。もしかしてずっと語られなかったらどうしよう、という一抹の不安を感じないでもないけれど、物語がもっとダイナミックに動き出す(なら)第二部以降の方が、ヴァンパイアものとしては面白くなりそうです。
少なくとも、この第一部は、ガール・ミーツ・ボーイのラブストーリーではあっても、ヴァンパイアものとしてはまだ起動していません。
だいたい、このヴァンパイアの設定はなんなんでしょうか。十字架だの聖水だのは、これほど文化の多様性が表面化した現代においては、むしろ「関係ない」方がリアルかなと思わんでもないですが、太陽光線は、ダメでしょう、軽くながしちゃダメでしょう、太陽に当たったら、ラメ入りファンデを塗りたくったみたくお肌がキラキラ光っちゃうから、ぼくたち、晴れた日は外に出られないんだ、とか言われたら、いままで連綿と語り継がれてきた吸血鬼たちの苦悩を思って、ちょとムッとしませんこと? なにもいきなり塵になれとまでは言わないから、ほら、ちょっと、ジュッってなるとか、ヒリヒリするとか、せめて苦しそうな顔ぐらいしてみせるとか。
それに何より、こいつら、あら、失敬、こちらのヴァンパイアさん方には、牙がないです、牙が。なにも『ブレイド2』のリーパーみたく、十字型にパックリと口が裂けろ、とまでは言わないけど、血を吸うけものに牙もないなんて(>_<)。
なにしろ少女漫画なので、綺麗に綺麗に設定してあり、演じる役者さんたちもルックスのいいひとを集めたのはわかりますが、こんだけルックスのいいキャラクターがわんさか出てきて(この町のメイン・ヴァンパイアファミリー、カレン家のヴァンパイアだけでも総勢7人)、ひとりも「わたしの」琴線に触れるキャラがいなかった、というのは非情に残念であると言わざるを得ません(そんな個人的な嗜好の話をされても)。
まあ、容姿がピンと来なかった、というのもありますけど、そもそも描写がなんにもないので、一体どういうひと、じゃない、ヴァンパイアなのか、皆目見当がつかない、というのが一番のネックだったんだとは思いますが。
とは言っても、青春ラブストーリーとしての側面を見るなら、それなりに成功してるんじゃないでしょうか(っていうか、そもそもこの映画は完全に大成功してるわけだけど)。
なにがいいって、ヒロイン、ベラの丹念な描写に尽きると思います。キャラクター設定も繊細だし、心理描写も説得力があるし、そういうヒロイン像に演じるクリステン・スチュワートが実に無理なくフィットしています。
両親が離婚、母親は親であるより女であることを選び、新しいオトコとの人生にどっぷり、取り残された娘は「自らの意志で」、学期の途中で転校して、離れた町に住む父親との生活を選ぶ。ヒロインのバックグラウンドは、アメリカではありふれたものかもしれません。だれもがその程度の切なさは背負って生きているのかも。だけど、未成年者が、「自らの意志で」親にとって都合のいい選択をするのは、見ていてなんだか割り切れないものを感じてしまいます。そんなケースの恐らく84%ぐらいは、親やまわりの大人たちの、有形無形の圧力(期待と言い換えてもいい)の結果じゃないかなと思うからです。ほんとはそんなこと望んでやしないのに、心の底ではこんなのイヤだと悲鳴をあげているのに、言葉としては「自らの意志で」選んだことになっちゃう。「物分りのいい子ども」は切ないし、子どもの物分りのよさに甘えている母親は、(いくら「電話で」愛しているだの、心配してるだの、ぎゃあぎゃあ自己主張されたところで)不快です。
だけどこの、多少内向的で地味だけど、感じのいい気立てのいいお嬢さんは、被害者意識に苛まれたり、だれかを憎んだり恨んだりせず、自分の境遇を受け入れて、できる範囲でできるだけのことを、とにかく誠実にやっていってる感じです。父親にも母親にも学友たちにも、かなり距離を置いてしまってはいますが、接し方はあくまで誠実で優しい。だから、御伽噺のような出来すぎの恋に舞い上がっている描写を見せられても、ヒロインに対する共感が持続するのです。
一方、乙女心をくすぐってやまない謎めいた超絶美形の王子様、エドワードを演じたロバート・パティンソンですが、このひと、ほんとに美形、なのかな(汗)。や、客観的に見てどこにも文句なんかつけようのない顔立ちをしていらっさるとは思うのですが(汗)、うーんうーん、あの白塗りメイクのせいかしら、なんだかどうにも受け入れがたく……(って、だからそんな個人的な嗜好の話をされても)。
エドワードがベラを背負って森をましら走りするシーンとか、あれは、原作でもああいうテイストのシーンなのかなぁ。たぶん、かなりニュアンスがちがってるんじゃないかなぁと、ちょっと不憫な気持ちにならんでもないです。いまどきあんな安っぽい映像見せられると、むしろびっくりというか、やっぱりお金がなかったのかなぁ。
ヒロインの、とっても少女漫画ちっくな恋模様の描写の中で面白いなぁと思ったのは、ちゃんと欲望も描いているところです。エドワードが最初にベラと同じクラスで授業を受けるシーンで、教室に入ってきたベラの姿に、エドワードは「一目ぼれ」してしまうのだけど、ヴァンパイアにとって人間に「惚れる」ということは、直裁に血への渇望につながり、それは性欲と切り離せない凄い力の情動である、ということが、まずとてもわかり易く描写され(ちなみにこのシーンで、物凄くイヤそうな顔をしてエドワードが自分を避けようとするので、ベラが、やだ、あたし、臭いのかしら、とばかりに、ちょっと自分の匂いを嗅いでみたりする描写がまた、かわいいです)、その後、ふたりが恋仲になると、ファーストキスを試みたエドワードに対し、欲情したベラが思わず積極的に迫ってしまう、なんて描写がある。
プラトニックラブと言うけど、欲望を感じないとか、欲望を知らないんじゃなく、少女にだって性欲はあり、少年にはもちろん肉欲があることを前提に、それでも触れ合えないプラトニックなラブ、というのは面白いですね。
こんなものがちゃんと少女漫画で描かれることって、あんまりないんじゃなかろうか。や、白木庵が最後に少女漫画を読んだのは、まだ森にたくさん恐竜が棲んでいた頃なので、今の少女漫画がどうなっているのかわかりませんが。
キャラクターで興味深いのは、エドワードではなく、その養父であるドクター・カーライル・カレン(ピーター・ファシネリ)の方じゃないかなと思うのです。時を越えて生き続ける苦悩や悲しみ、自らの手で他人をその同じ運命に引き込む葛藤、仲間を守る責任、なにより、進行中のできごとを包括的に見る視点、なにをとっても中心人物はこのひと、と思うのだけど、かれに関する描写はいまのところまだそんなにないので、こちらも第二部以降に期待、というところでしょうか。このひとが、もうちょっとタイプの役者さんだったら、その期待ももっと高まるのになぁ(そんな個人的な嗜好の話はもういいっちゅーに)。
by shirakian
| 2009-04-09 21:23
| 映画た行