2008年 03月 17日
バンテージポイント
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実際の上映時間は90分と普通なのですが、体感時間は54分ぐらい。あっという間に終わったという印象です。面白かったということなのでしょうが、あっけなかったという感じもします。
スペインはサラマンカで開かれたテロ撲滅サミット、そこで演説しようとしたアメリカ大統領が銃撃された! という事件を、現場で実況報道していたひとたち、シークレットサービス、たまたま居合わせた観光客、犯人グループ、などの複数の視点から描いていきます。従って同じ時間を何度も何度もリピートして違った角度から見せていく。この展開がやたら面白いです。
登場人物の主観によって証言が変わってくる、ということではなく、事実そのものが観る角度を変えれば全く違う様相を呈してくる、というのが面白い。睦言を囁いている恋人同士に見えたものが、そのふたりの視点に切り替わると、殺すの殺さないのの話をしていたりするのですから、世の中侮れない(>_<)!
というわけで、「札」が出揃い、時間軸が収束するまでの経過には、パズルのピースがカチカチとはまっていくような圧倒的な面白さがあるのですが、事の様相が知れてからの物語が、なんだかすごく平凡です。テレビドラマを観ているような平板な印象で、映画を観ているというイベント感がないです。この辺のギャップが、面白かったけどあっけなかった、という印象の所以なのかしら、と思ったりもします。
「余計な説明はしない」という姿勢は意図的なもので、しかもものすごく一貫しています。登場人物の背景説明も必要最低限度しかしないし、事件そのものについても、実際に起こっている事象以上のことは一切説明されません。それはそれで、ひとつの戦略で、しかも成功した戦略だと思います。おかげでドラマにはだらけたところが少しもなく、心地よい緊張感が持続しています。
だけどやっぱり、せめてこれだけはちゃんと説明してくれよ! と思ってしまう点もあるわけで、一つにはテロリストたちはどういう思想信条を持った連中で、何が目的だったのか。やっぱりこれが気になってしかたありません。
それからもう一つ、大統領側近たちの思惑も気になります。かれらは狙撃事件を口実に、きわめて強硬にモロッコ爆撃を進言するのですが、なぜそのことにそんなに固執するのか、そこにはどういう意図や計画があるのか、全然説明してくれないので、観ている方としてはたまらなくもどかしくなります。カーチェイスとかは適当に切り上げて、まずはそこを説明してくれたまへ、と思ってしまう。そおいうのこそが面白いんじゃんね?
キャストはかなり多彩です。
大統領がウィリアム・ハート、シークレット・サービスにデニス・クエイド、現場中継を指揮したテレビ局のプロデューサーにシガニー・ウィーバー、たまたま現場に居合わせて全てをビデオに収めてしまった観光客にフォレスト・ウィティカー、テロリスト側の「切り札」にエドガー・ラミレス。
敢えて「主演」を挙げるなら、やはりデニス・クエイドということになります。大統領警備中に、大統領を庇って撃たれたクエイドは、一応現場に復帰はしたものの、まだ本復とはいかず、立場も二軍扱い、不安定な精神状態で大事件に直面しなければなりません。
このクエイドが、きみはブルース・ウィリスかっ! とつっこみたくなるような、不死身の追跡劇を演じるので、思わずあんぐりしてしまいます。なるほど撃たれた時に死ななかったわけね、って、いや、そういう映画ではないはずですが。
だけど、デニス・クエイドという役者さんって、ブルース・ウィリスが持ってる「愛嬌」というか、いい意味での「漫画っぽさ」がないです。いい意味での漫画っぽさって、たとえばアメコミのヒーローみたいなスコンと突き抜けた明るいタフネスです。なので、クエイド、ボロボロ! のアクションシーンは、ウィリスのときみたいに、よっしゃ! 行け行け! もっとやれっ! というノリでは観ていられず、なんとなく痛々しくて落ち着きません。役柄を思えば、それで別に悪くないのですが、シリアスな展開ではなくこの手のアクションに話をもっていくなら、もっと痛快感がほしかったかも。なんか観ていて息切れするんだもん……。
ドラマは排除、というのは確固たる方針であって手落ちではないので、そこに文句をつけてもしかたないのですが、でもたとえばフォレスト・ウィティカーなんか、描写がないなりにかなり好感度の高いキャラクターだったので、もっとちゃんとふくらませてくれたら、感慨もまた違ってきただろうなぁ、とちょっぴり残念です。
あと、エドガー・ラミレス、無敵(笑)! まさにターミネーターかランボーか。あの年代のアクションスターのみなさんが第一線を退いた後、そこに収まるのはかれしかいないと思いました(笑)。……でも、シュワルツェネッガー知事はともかく、スタローン氏はもう一本、自分主演でランボーを撮る、とか言ってるみたいだけど。すごいなぁ。生涯一アクションスター(笑)。
スペインはサラマンカで開かれたテロ撲滅サミット、そこで演説しようとしたアメリカ大統領が銃撃された! という事件を、現場で実況報道していたひとたち、シークレットサービス、たまたま居合わせた観光客、犯人グループ、などの複数の視点から描いていきます。従って同じ時間を何度も何度もリピートして違った角度から見せていく。この展開がやたら面白いです。
登場人物の主観によって証言が変わってくる、ということではなく、事実そのものが観る角度を変えれば全く違う様相を呈してくる、というのが面白い。睦言を囁いている恋人同士に見えたものが、そのふたりの視点に切り替わると、殺すの殺さないのの話をしていたりするのですから、世の中侮れない(>_<)!
というわけで、「札」が出揃い、時間軸が収束するまでの経過には、パズルのピースがカチカチとはまっていくような圧倒的な面白さがあるのですが、事の様相が知れてからの物語が、なんだかすごく平凡です。テレビドラマを観ているような平板な印象で、映画を観ているというイベント感がないです。この辺のギャップが、面白かったけどあっけなかった、という印象の所以なのかしら、と思ったりもします。
「余計な説明はしない」という姿勢は意図的なもので、しかもものすごく一貫しています。登場人物の背景説明も必要最低限度しかしないし、事件そのものについても、実際に起こっている事象以上のことは一切説明されません。それはそれで、ひとつの戦略で、しかも成功した戦略だと思います。おかげでドラマにはだらけたところが少しもなく、心地よい緊張感が持続しています。
だけどやっぱり、せめてこれだけはちゃんと説明してくれよ! と思ってしまう点もあるわけで、一つにはテロリストたちはどういう思想信条を持った連中で、何が目的だったのか。やっぱりこれが気になってしかたありません。
それからもう一つ、大統領側近たちの思惑も気になります。かれらは狙撃事件を口実に、きわめて強硬にモロッコ爆撃を進言するのですが、なぜそのことにそんなに固執するのか、そこにはどういう意図や計画があるのか、全然説明してくれないので、観ている方としてはたまらなくもどかしくなります。カーチェイスとかは適当に切り上げて、まずはそこを説明してくれたまへ、と思ってしまう。そおいうのこそが面白いんじゃんね?
キャストはかなり多彩です。
大統領がウィリアム・ハート、シークレット・サービスにデニス・クエイド、現場中継を指揮したテレビ局のプロデューサーにシガニー・ウィーバー、たまたま現場に居合わせて全てをビデオに収めてしまった観光客にフォレスト・ウィティカー、テロリスト側の「切り札」にエドガー・ラミレス。
敢えて「主演」を挙げるなら、やはりデニス・クエイドということになります。大統領警備中に、大統領を庇って撃たれたクエイドは、一応現場に復帰はしたものの、まだ本復とはいかず、立場も二軍扱い、不安定な精神状態で大事件に直面しなければなりません。
このクエイドが、きみはブルース・ウィリスかっ! とつっこみたくなるような、不死身の追跡劇を演じるので、思わずあんぐりしてしまいます。なるほど撃たれた時に死ななかったわけね、って、いや、そういう映画ではないはずですが。
だけど、デニス・クエイドという役者さんって、ブルース・ウィリスが持ってる「愛嬌」というか、いい意味での「漫画っぽさ」がないです。いい意味での漫画っぽさって、たとえばアメコミのヒーローみたいなスコンと突き抜けた明るいタフネスです。なので、クエイド、ボロボロ! のアクションシーンは、ウィリスのときみたいに、よっしゃ! 行け行け! もっとやれっ! というノリでは観ていられず、なんとなく痛々しくて落ち着きません。役柄を思えば、それで別に悪くないのですが、シリアスな展開ではなくこの手のアクションに話をもっていくなら、もっと痛快感がほしかったかも。なんか観ていて息切れするんだもん……。
ドラマは排除、というのは確固たる方針であって手落ちではないので、そこに文句をつけてもしかたないのですが、でもたとえばフォレスト・ウィティカーなんか、描写がないなりにかなり好感度の高いキャラクターだったので、もっとちゃんとふくらませてくれたら、感慨もまた違ってきただろうなぁ、とちょっぴり残念です。
あと、エドガー・ラミレス、無敵(笑)! まさにターミネーターかランボーか。あの年代のアクションスターのみなさんが第一線を退いた後、そこに収まるのはかれしかいないと思いました(笑)。……でも、シュワルツェネッガー知事はともかく、スタローン氏はもう一本、自分主演でランボーを撮る、とか言ってるみたいだけど。すごいなぁ。生涯一アクションスター(笑)。
by shirakian
| 2008-03-17 22:16
| 映画は行