2008年 01月 07日
魍魎の匣
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原作は読んでいますが熱心な読者というわけではありません(何より、あの膨大な情報量に貧弱極まりない記憶力がついていけないのデス……)。映画の前作も結局観なかったし。というわけで、あまりいい観客ではないと思うのですが、でも(だから?)この映画はとても楽しく観ることができました。
あの弁当箱のような原作を忠実に映像化しようと思えば、映画の尺ではムリなのは明白で、その点この映画は原作のエッセンスを上手にくみ取った上で巧みにその意味合いを変え、実に的確に換骨奪胎して「娯楽映画」に仕立て上げてる手法が素晴らしいと思いました。
一番ほえ~っと思ったのは、原作はどう見てもコメディではないのに(ユーモラスな描写は多々見られるし、誇張の大きいユニーク過ぎるキャラクターたちも大いに笑いを意識してはいるけれど、根本的にコメディではない)、この映画は、コメディなんですよ。しかもとびきり楽しい。
この映画がコメディであることを一番体現していたのが関口巽のキャラクターです。
関口巽と言えば言わずと知れた鬱キャラです。現代日本文学鬱キャラ選手権を開いたらぶっちぎりで優勝できそうな鬱かつ不安定なパーソナリティの持ち主。現実と妄想の境目が曖昧になることなどしょっちゅうだし、鬱状態に落ち込むと何日も他人と口もきけなくなってしまうような男。
ところが。椎名桔平演じるところの関口巽はまるで別人。
色浅黒く筋骨逞しいその外見からしてまず鬱とはほど遠いです。きちっとなでつけた髪には寝癖の片鱗もなく、その服装には隙がない。しゃべりはきびきびとして、性格はあくまで明るく、人見知りなどせず、天然ボケのすっとぼけたキャラクターがなんとも言えずかわいらしい。
だから悪い、などという気は毛頭なく、この楽しいコメディに於いてこの関口巽はまさに正解なんだと思います。
でも、この作品はこれでよくても、関口巽の鬱ぶりがもっと前面に出てくるほかの作品だったらどうなんだろうな、と、ちょっと気になって前作のキャストをチェックしてみました。
中禅寺秋彦(堤真一)、榎木津礼二郎(阿部寛)、木場修太郎(宮迫博之)、青木文蔵(堀部圭亮)、中禅寺敦子(田中麗奈)といった主要キャラは前作と同じ役者さんがそのまま演じているのに、関口巽だけが永瀬正敏から椎名桔平にチェンジされているのですね。
これってもちろん、部外者には計り知れないオトナの事情ゆえのキャストチェンジであったのかもしれないですが、それでも、ふむふむなるほど、と思ってしまった次第です。
それにしてもうまいキャスティングだなぁ、と思います。それぞれ、原作のイメージにぴったりなのかと言えばそれはちょっと違うかもと思わないでもないですが(それはもう100人の読者がいれば100通りのキャスティングイメージがあるだろうというレベルの話で)、この映画世界のキャラクターとしては、どのひともそれぞれピッタリですよね。
中でも出色だったのは敦子を演じた田中麗奈でしょう。
生き生きとしなやかで、大袈裟になりすぎず、さりとてイヤミもない、とても可憐なコメディエンヌぶりです。作品世界に華やぎや奥行きを与えてくれてます。
どうしても気になったのがやはり中国ロケです。
それは、確かに、仕方ないです。いまの日本で終戦直後の様子を再現しようと思えばセットで撮るしかなく、セットで撮れば、どんなに頑張っても空間の広がりを出すのは難しい。いっそ『300』みたいに全てブルースクリーンの前で撮って、背景は全部CG! ということにすればよかったのかもしれないけど、予算の都合とか色々あったのかもしれない。
だけど、あの風景は、どう見てもどう見てもどう見ても、中国にしか見えないわけで、もっと中国に見えない撮り方もあったんじゃあ? と思う反面、もしかしてあれはわざとか? わざと狙ってあんな絵を作ったのか? とも思わんでもないです。一種のファンタジーとして。
だって悪くないんですよ、中国の風景。「舞台は終戦直後の日本」という知識さえなかったら、とてもいいカンジで観たであろうことは間違いないです。
ところでわたし、「楽しいコメディ」とか言いましたけど、もちろん残酷で猟奇的な話であるには違いないのでお間違えなくです。だってそもそもそういう話なのだし。
あの弁当箱のような原作を忠実に映像化しようと思えば、映画の尺ではムリなのは明白で、その点この映画は原作のエッセンスを上手にくみ取った上で巧みにその意味合いを変え、実に的確に換骨奪胎して「娯楽映画」に仕立て上げてる手法が素晴らしいと思いました。
一番ほえ~っと思ったのは、原作はどう見てもコメディではないのに(ユーモラスな描写は多々見られるし、誇張の大きいユニーク過ぎるキャラクターたちも大いに笑いを意識してはいるけれど、根本的にコメディではない)、この映画は、コメディなんですよ。しかもとびきり楽しい。
この映画がコメディであることを一番体現していたのが関口巽のキャラクターです。
関口巽と言えば言わずと知れた鬱キャラです。現代日本文学鬱キャラ選手権を開いたらぶっちぎりで優勝できそうな鬱かつ不安定なパーソナリティの持ち主。現実と妄想の境目が曖昧になることなどしょっちゅうだし、鬱状態に落ち込むと何日も他人と口もきけなくなってしまうような男。
ところが。椎名桔平演じるところの関口巽はまるで別人。
色浅黒く筋骨逞しいその外見からしてまず鬱とはほど遠いです。きちっとなでつけた髪には寝癖の片鱗もなく、その服装には隙がない。しゃべりはきびきびとして、性格はあくまで明るく、人見知りなどせず、天然ボケのすっとぼけたキャラクターがなんとも言えずかわいらしい。
だから悪い、などという気は毛頭なく、この楽しいコメディに於いてこの関口巽はまさに正解なんだと思います。
でも、この作品はこれでよくても、関口巽の鬱ぶりがもっと前面に出てくるほかの作品だったらどうなんだろうな、と、ちょっと気になって前作のキャストをチェックしてみました。
中禅寺秋彦(堤真一)、榎木津礼二郎(阿部寛)、木場修太郎(宮迫博之)、青木文蔵(堀部圭亮)、中禅寺敦子(田中麗奈)といった主要キャラは前作と同じ役者さんがそのまま演じているのに、関口巽だけが永瀬正敏から椎名桔平にチェンジされているのですね。
これってもちろん、部外者には計り知れないオトナの事情ゆえのキャストチェンジであったのかもしれないですが、それでも、ふむふむなるほど、と思ってしまった次第です。
それにしてもうまいキャスティングだなぁ、と思います。それぞれ、原作のイメージにぴったりなのかと言えばそれはちょっと違うかもと思わないでもないですが(それはもう100人の読者がいれば100通りのキャスティングイメージがあるだろうというレベルの話で)、この映画世界のキャラクターとしては、どのひともそれぞれピッタリですよね。
中でも出色だったのは敦子を演じた田中麗奈でしょう。
生き生きとしなやかで、大袈裟になりすぎず、さりとてイヤミもない、とても可憐なコメディエンヌぶりです。作品世界に華やぎや奥行きを与えてくれてます。
どうしても気になったのがやはり中国ロケです。
それは、確かに、仕方ないです。いまの日本で終戦直後の様子を再現しようと思えばセットで撮るしかなく、セットで撮れば、どんなに頑張っても空間の広がりを出すのは難しい。いっそ『300』みたいに全てブルースクリーンの前で撮って、背景は全部CG! ということにすればよかったのかもしれないけど、予算の都合とか色々あったのかもしれない。
だけど、あの風景は、どう見てもどう見てもどう見ても、中国にしか見えないわけで、もっと中国に見えない撮り方もあったんじゃあ? と思う反面、もしかしてあれはわざとか? わざと狙ってあんな絵を作ったのか? とも思わんでもないです。一種のファンタジーとして。
だって悪くないんですよ、中国の風景。「舞台は終戦直後の日本」という知識さえなかったら、とてもいいカンジで観たであろうことは間違いないです。
ところでわたし、「楽しいコメディ」とか言いましたけど、もちろん残酷で猟奇的な話であるには違いないのでお間違えなくです。だってそもそもそういう話なのだし。
by shirakian
| 2008-01-07 21:41
| 邦画