2007年 09月 23日
デュカリオン
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『シッコ』のエントリーで「ムーア氏って編集がうまいよなぁ」というようなことを書いた時、ふとこの映画のことが浮かびました。
『デュカリオン』は、映画分類上のジャンルとしては「トーマス・くれっち」、くれっち的分類によると「かなりおいしい」にカテゴライズされる映画です。決して映画として良作だと言う意味ではないので要注意です。
製作にマーティン・スコセッシの名前があったりもするんですが、監督ってわけじゃないですもんね。
で、どういう映画かと言うと、フランケンシュタインとかれのモンスターの物語なのです。フランケンシュタイン博士は、200年前にプロトタイプを作って以来、なぜか現代まで延々年も取らずに生き続け、日々モンスター造りの研鑽を重ねた結果、モンスターとは言いながら、外見的には人類と何ら見分けのつかないクリーチャーを造ることに成功したのです。さすがドイツ的勤勉さです。
このフランケンシュタインがくれっちで、モンスターがヴァンサン・ペレーズ、ペレーズの役名が「デュカリオン」というわけですが、デュカリオンというのはフランケンシュタイン博士のプロトタイプ、いわゆる「フランケンシュタインのモンスター」なのであります。ですけども、そんなにおどろおどろしいメイクをしているわけでもなく、なんというか、多少顔に傷のある普通にハンサムなひと、という感じです。もしかしたら衣装のフードの陰あたりに、でっかいボルトか何かが突き刺さってたりしたのかもしれないけど。
なんで「編集がうまいよなぁ」でこの映画のことが浮かんだのかと言いますと、この映画の予告編が、日本版とUS版では全く違っていたからです。
日本語のタイトルは『デュカリオン』、当然モンスターが主人公ですから、予告編も、モンスターを使ったモンスターを盛り立てるためのモンスターのコラージュになっているのですが、US版のタイトルは実はズバリ『フランケンシュタイン』。当然予告編はフランケンシュタイン博士一色となります。白衣のくれっち、晩餐会のくれっち、微笑むくれっち、苦悩するくれっち、悪だくむくれっち。くれっち三昧。
もう、全然別の映画であるかのように、全く印象が違います。
もとにしたフィルムが同じであるだなんて、ちょっと信じられないくらい。
ことほど左様に、編集というものは、印象をどうにでも左右できるということですね。
この映画、メガネ白衣ツンデレ(というか、デレなしツン)美貌のくれっちが楽しめる以外にも、なかなか意欲作であることが窺われます。
フランケンシュタイン博士は、単に人工生命体を作ることに意欲を燃やしているのみならず、こうして作られた「息子たち」を使って、「世界征服」(だったかなぁ……)を企んでいるらしい。そしてデュカリオンは、それを阻止すべく立ち上がろうとしているらしい。
しかもそうした中、フランケンシュタインの息子たちの間には、不気味な異変が広がりつつあった。なんとそれは、次世代の誕生だったのである! しかもしかも、事がそれだというのに、その異変を担うのがなぜがフィーメールボディではなく、メールボディであったという衝撃の事実! 一体これはなにっ!? この話、どこへ行こうとしているのっ!?
と、意欲作であることは窺われるのですが、残念ながら窺われるだけで、全貌が露わになることはありません。なんでか知らないけど、さあ、これから本番だっ! と膝を乗り出したところで、そそくさとエンドクレジットが始まるからです。
大人の事情ってやつだったのかなぁ……。
恐らくテレビシリーズ用のパイロットフィルムだったのでしょうけれど……。
まさか、サプライズエンディングのつもりだったとしたら、凄くイヤですね。
『デュカリオン』は、映画分類上のジャンルとしては「トーマス・くれっち」、くれっち的分類によると「かなりおいしい」にカテゴライズされる映画です。決して映画として良作だと言う意味ではないので要注意です。
製作にマーティン・スコセッシの名前があったりもするんですが、監督ってわけじゃないですもんね。
で、どういう映画かと言うと、フランケンシュタインとかれのモンスターの物語なのです。フランケンシュタイン博士は、200年前にプロトタイプを作って以来、なぜか現代まで延々年も取らずに生き続け、日々モンスター造りの研鑽を重ねた結果、モンスターとは言いながら、外見的には人類と何ら見分けのつかないクリーチャーを造ることに成功したのです。さすがドイツ的勤勉さです。
このフランケンシュタインがくれっちで、モンスターがヴァンサン・ペレーズ、ペレーズの役名が「デュカリオン」というわけですが、デュカリオンというのはフランケンシュタイン博士のプロトタイプ、いわゆる「フランケンシュタインのモンスター」なのであります。ですけども、そんなにおどろおどろしいメイクをしているわけでもなく、なんというか、多少顔に傷のある普通にハンサムなひと、という感じです。もしかしたら衣装のフードの陰あたりに、でっかいボルトか何かが突き刺さってたりしたのかもしれないけど。
なんで「編集がうまいよなぁ」でこの映画のことが浮かんだのかと言いますと、この映画の予告編が、日本版とUS版では全く違っていたからです。
日本語のタイトルは『デュカリオン』、当然モンスターが主人公ですから、予告編も、モンスターを使ったモンスターを盛り立てるためのモンスターのコラージュになっているのですが、US版のタイトルは実はズバリ『フランケンシュタイン』。当然予告編はフランケンシュタイン博士一色となります。白衣のくれっち、晩餐会のくれっち、微笑むくれっち、苦悩するくれっち、悪だくむくれっち。くれっち三昧。
もう、全然別の映画であるかのように、全く印象が違います。
もとにしたフィルムが同じであるだなんて、ちょっと信じられないくらい。
ことほど左様に、編集というものは、印象をどうにでも左右できるということですね。
この映画、メガネ白衣ツンデレ(というか、デレなしツン)美貌のくれっちが楽しめる以外にも、なかなか意欲作であることが窺われます。
フランケンシュタイン博士は、単に人工生命体を作ることに意欲を燃やしているのみならず、こうして作られた「息子たち」を使って、「世界征服」(だったかなぁ……)を企んでいるらしい。そしてデュカリオンは、それを阻止すべく立ち上がろうとしているらしい。
しかもそうした中、フランケンシュタインの息子たちの間には、不気味な異変が広がりつつあった。なんとそれは、次世代の誕生だったのである! しかもしかも、事がそれだというのに、その異変を担うのがなぜがフィーメールボディではなく、メールボディであったという衝撃の事実! 一体これはなにっ!? この話、どこへ行こうとしているのっ!?
と、意欲作であることは窺われるのですが、残念ながら窺われるだけで、全貌が露わになることはありません。なんでか知らないけど、さあ、これから本番だっ! と膝を乗り出したところで、そそくさとエンドクレジットが始まるからです。
大人の事情ってやつだったのかなぁ……。
恐らくテレビシリーズ用のパイロットフィルムだったのでしょうけれど……。
まさか、サプライズエンディングのつもりだったとしたら、凄くイヤですね。
by shirakian
| 2007-09-23 22:49
| 映画た行