2016年 01月 31日
パディントン
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★ネタバレ注意★
・パディントン@ぴあ映画生活
ポール・キング監督のイギリス映画です。
原題は"PADDINGTON"。
この映画を楽しめるかどうかは、パディントンという熊がどのくらいデフォルメ、あるいは擬人化されているかにかかっている、と思っていました。やたらと大きな目だとかバサバサのまつ毛だとか表情豊かな眉毛だとか、動物の顔がそんな風に表現されているのをわたしはかわいいと思えませんので、もしパディントンがそんなんだったら楽しめないだろうな、と思ったし、「人間の言葉を話す熊」というのが前提ですからパディントンがある程度擬人化されているのは当然のことだとしても、その擬人化がどっちのベクトルに向かっているかによってまた、楽しめなくなるな、と思っていました。
結果。
うん。パディントン、かわいい。涙が出るほどかわいい。実際泣いた。かわいすぎて泣いた。
極めてリアル寄りなビジュアルデザインも素晴らしいですが、声をあてているのがベン・ウィショー。この、ウィショーの声が、も、の、す、ご、く、かわいい。信じられないくらいかわいい。ヘッドロックしてグリグリしたおしたいほどかわいい。今まで声にだけフォーカスしたことがなかったのでこんなにかわいい声だったなんて全く気付いていませんでした。
昔々、ペルーの奥地を訪れたイギリスの探検家が出会ったのは、人語を解する熊の夫婦(イメルダ・スタウントン&マイケル・ガンボン)だった。すっかり打ち解けた両者は楽しい時を過ごし、帰国の際、探検家は夫婦の歓待のお礼に、自分の帽子とマーマレードを置き土産にする。「何かあったらロンドンにいらっしゃい、あなたたちが棲む家を提供しよう」という言葉と共に。
それから幾星霜、熊の夫婦は甥っ子(ベン・ウィショー)を引き取り、仲良く三人で暮らしていたが、ある日大きな地震が起こり、家は倒壊、おじさんは下敷きになって亡くなってしまった。これこそ探検家の言う「何かあった」時だと、おばさんは熊の子を連れてロンドンを目指す。
ひとりペルーに残った高齢のおばさんと別れ、単身ロンドンに渡った熊の子は、ロンドンの大きな駅で途方に暮れてしまう。おばさんは、「この国は助け合いの心がある国、かつての大戦中、迷子札を首にかけた子どもたちは、善意の大人に引き取られて行ったもの、おまえもきっと優しいひとがひきとってくれる」と言っていたのに、足早に駅を歩く人々は熊の子なんぞに目もくれない。しかしそんな中で、熊の子の存在に、そしてその迷子札に気づいてくれたのがブラウン夫人(サリー・ホーキンス)だった。
という物語で、今この時期、何よりも鋭く胸を突き刺すのは、確かにそれが得られるかどうかもわからない、見知らぬ他人の善意を頼りに、命を賭して、長い長い旅路の果てに、異国の地を目指す、幼い命の物語であるということです。言うまでもなく、これはもう、そのまんま今のシリア難民の物語です。
そういう視点で見ると、おばさんと二人、広大なペルーの大河を小さなカヌーで漕ぎ抜き、見知らぬ港で見知らぬ船に乗り、気候も植生も言葉も何もかもが違う異国の地に、たったひとりで降り立ったパディントンの心情を思うと、それだけで胸がぎゅっと締め付けられるような気持ちで、最初から泣いてしまいます。なによりあの迷子札、反則だよ。
もちろんパディントンは熊だから、必要以上に悲劇ぶったり悲観したりはしないです。大きな船の中、安全に隠れていられる場所は確保した。食料なら古いトランクいっぱいのおいしいマーマレードがある。座っていればロンドンに着ける。ロンドンに着いたら誰かが「家」に連れて行ってくれる。パディントンは熊らしく、飄々と淡々と堂々と苦難を乗り越えていきます。しかしそれでも、パディントン、子どもだし、何にも知らないし、孤独だし、なによりロンドンは遠いし、あまりにも故郷から遠いし。
そんな風に100%パディントンに感情移入して見守る観客にとって、パディントンを受け入れてくれたブラウン夫人の無邪気な善良さは、この上なく嬉しい。困っている人がいたら、それが小さい子どもだったら尚更のこと、手を差し伸べずにはいられない、その善良さ、優しさ、そうした美質をごく当たり前に持っているブラウン夫人は、もしかしたらパディントン以上にリアリティのないお伽噺のキャラクターなのかもしれません。だがしかし、それがいい。そうれなければならない。
また、この話の発端となった探検家も、ペルーの奥地を探検に行くのに、ポーターにピアノまで運ばせるあたり、鼻持ちならない上流階級人士であるのかと思いきや、実は帰国後、珍種の熊を捕獲に行かん、と色めきたつ同朋たちを押しとどめ、それゆえ学会から存在を抹消されてしまっても決して節を曲げなかったという、正真正銘善意のジェントルマンだったことが明かされる展開も最高です。
だけど、なんですね。探検家の善意は、探検家の娘にとっては、恐ろしい挫折の始まりであり、そのため娘の心にわだかまった"unfinished business"が、パディントンを大変な騒動に巻き込むことになってしまう。
この娘、ミリセントを演じたのがニコール・キッドマン。ファミリー・ムービーの悪役ですから、『101』のクルエラみたいなデフォルメのきつい、ある意味狂ったキャラクターなんですけど、最近のキッドマンは、なんかこう顔がこわばった感じで微妙な表情が出ないなぁ、という印象があるんですが、それが逆に功を奏して、ロボットめいた血も涙もない狂人、という役柄にぴったりマッチしています。怖いけど綺麗。綺麗だけど怖い。そんな綺麗なキッドマンがミッション・インポッシブルのパロディみたいなアクションを決めてみせるのもご愛嬌。
あとはもう、美術がステキ。ロンドンの街の描写がステキ。ブラウン家のインテリアがステキ。ミリセントが働く博物館もステキ。こういう映像が観られるのは本当に至福ですのよ。
最後にふと思うのは、パディントンを育てた熊夫妻は、パディントンの実の両親ではないんですよね。実の両親はどうしちゃったんだろう。何があって亡くなってしまったんだろう。そう言えば、夫婦共に仕事をもっているブラウン家で主に家政を切り盛りしているバードさん(ジュリー・ウォルターズ)も、しっかり家族の一員ではあるんだけど、ブラウン夫妻のどちらかのお母さん、というわけではないのよね。ここでも何があったのかなぁ。何気に孤独の影が差してる。
by shirakian
| 2016-01-31 19:14
| 映画は行