2016年 01月 26日
ブリッジ・オブ・スパイ
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★ネタバレ注意★
・ブリッジ・オブ・スパイ@ぴあ映画生活
米ソ冷戦時代に行われたスパイ交換の実話に基づく映画。監督はスティーヴン・スピルバーグ、脚本はコーエン兄弟、主演はトム・ハンクス。
原題は"BRIDGE OF SPIES"。
allcinemaさんからあらすじを引用すると、
米ソ冷戦下の1957年、ニューヨーク。ルドルフ・アベルという男がスパイ容疑で逮捕される。国選弁護人として彼の弁護を引き受けたのは、保険を専門に扱う弁護士ジェームズ・ドノヴァン。ソ連のスパイを弁護したことでアメリカ国民の非難を一身に浴びるドノヴァンだったが、弁護士としての職責をまっとうし、死刑を回避することに成功する。5年後、アメリカの偵察機がソ連領空で撃墜され、アメリカ人パイロットのパワーズがスパイとして拘束されてしまう。アメリカ政府はパワーズを救い出すためにアベルとの交換を計画、その大事な交渉役として白羽の矢を立てたのは、軍人でも政治家でもない一民間人のドノヴァンだった。交渉場所は、まさに壁が築かれようとしていた敵地の東ベルリン。身の安全は誰にも保証してもらえない極秘任務に戸惑いつつも、腹をくくって危険な交渉へと臨むドノヴァンだったが…。(/引用これまで)。
ドノヴァン弁護士がトム・ハンクス、ソ連のスパイ、ルドルフ・アベルがマーク・ライランスです。結論から言って、わたしこの映画、好きだなぁ。
ひとつにはやはりスピルバーグ。
インディーズ系の低予算映画や新人監督のデビュー作などに、物凄い新しい才能の煌めきを発見して震えるほどの喜悦を感じる、いわゆる「サンダンスの閃光」現象もすばらしいものですが、超大物監督による横綱相撲でしか見ることのできない映画というものもある。
時代の雰囲気を再現することひとつにしても、細部まで破綻のない安定感のある描写によって瞬くうちに観客を「あの時代」に引き込む映画的マジック、端役のひとりひとりに至るまで、実際にそこにいてそのように行動した人、として認識させる演出の手腕とヒューマンリソース。間違いなくサスペンスを盛り上げていく狂いのない采配。映画って楽しいなぁ、楽しいなぁ、こんなん観れて幸せだなぁ、と思わせる匠のお仕事です。
ふたつにはやはりコーエン兄弟。
映画の命は脚本だと思う。3Dだの4Dだの何が出てきて劇場がどう変容しようと、脚本がダメならダメな映画にしかならない。何よりもいいなと思うのは、コーエン兄弟の脚本には常に上質のユーモアがあるということ。ユーモアは、もしかしたら、スピルバーグは苦手の分野かもしれない。コーエン兄弟を得られていなければ、この映画はもっと息苦しい映画になっていたかもしれない。
たとえばキャラクター描写ひとつとっても、トム・ハンクス演じるドノヴァンという弁護士は、大変高潔な人物として描かれているので、普通だったら多少権高い印象になってしまったかもしれないところ、コーエン兄弟が描出するドノヴァンには、「酒好き」という愛すべき特徴があったりする。
酒好きと言っても別にアル中寸前の飲んだくれ、とかそういうわけではなく、ドノヴァンはほんとに美味しいお酒が好きなんだね。自分が弁護することになったソ連スパイが死刑にされることのないよう、判事の自宅に助命嘆願に訪れる、というような場面でも、判事の妻が酒を勧めてくれれば、全然時間のない中、ありがたくいただいてしまう。しかも自分の好みの飲み方をちゃっかり伝えて。東側の手強い交渉相手のオフィスでも、いい酒を出されると、相手が話をしている隙にクイと飲み干しちゃって、おかわりを催促する。別の場面でも、グラスを渡された瞬間邪魔が入っても、一瞬の隙をついて味見しちゃう、などなど、とりあえずいい酒を飲めるチャンスは逃さない、という描写が、映画全体に大変ユーモラスな雰囲気を与えると同時に、ドノヴァンという人間への親しみや共感を感じさせることに成功している。
そしてまた、練り上げられた台詞の数々。後に映画台詞のクラシックとして語り継がれていくのではないかと思われるレベルの台詞が、いくらでも散見されるその楽しみ。同じことを語るにしても、貧弱な語彙で語られるより洗練された言葉で語られる方が、千倍も楽しい。
最後に三つめにはやはりトム・ハンクス。
それはまた脚本と演出の合わせ技でもあるのだけど、この映画のトム・ハンクスを見ると、「気高い」という印象を受ける。
うん。こんな政治的な題材の映画で、しかも、アメリカ人がアメリカ的価値観で描いたアメリカよりの映画で、しかもしかも演じるのはアメリカ的良心を代表するトム・ハンクス、演出はスピルバーグ、こんな映画で「気高い」などと言うのは、あまりにチョロ過ぎる。と言われても仕方ない。
ドノヴァンは、弁護士としてとても原理原則に忠実なひとなわけですね。そこを曲げない故に「信念のひと」という印象になるけれど、見方によっては融通のきかない人情味のないひと、という印象にもなりかねない。そんな一面が映画冒頭、ドノヴァンの日常的仕事っぷりを説明するシーンで描かれています。
かれはもっぱら保険関連の弁護を専門に行う弁護士だったわけですが、被害者側の代理人と自動車事故に対応する保険の交渉を行っている。どうやらその事故は、一件の事故で5人が怪我なり死亡なりした事故であるらしく、被害者側としては個別の補償を求めてくる。しかしドノヴァンは、事故が一件である以上、あくまでそれはひとつの事案として扱うべき問題で、個別対応などありえない、とつっぱねる。「一件なんだよ、一件! 一件!」この、"One,one,one!" と繰り返すかれの口癖は、その後、節目節目でそれぞれ異なる意味合いで実に効果的に使われていきます。
たぶん、法律の細目や契約の詳細を見ればドノヴァンの主張の方が正しいのだろうということはわかる。けれどあまりにも揺るがないその主張は、まさに「取り付く島もない」といったもので、弱者の気持ちなど忖度しないエリート、という人間像を感じさせる。
しかしかれが曲げないのは、相手が弱者だからではなく、相手が誰であれかれは曲げないのですね。そしてその規範は、個人の信念などと言った曖昧なものではなく、あくまで憲法におかれたものなのです。
憲法の意味、そこで語られる基本的人権の意味、思想信条も主義主張も出自も環境も文化的背景も教養の度合いも悉く異なるあなたやわたしが、同じ一つの国民として立脚できるその所以はただひとつ、同じ憲法に守られている存在だからである。憲法というのはそれぐらい重い。
それ故、かれの揺らぎなさは、相手が敵国のスパイであろうと変わらない。守られるべき人権は守られなければならない。さきの戦争の傷も未だ癒えず、来るべき核の脅威が真剣に懸念される世相の、集団ヒステリーじみた敵対的空気の中にあっても、ドノヴァンはソ連人スパイ、アベルが不当に扱われてはならないと考える。その考えは、時代の雰囲気とは相いれない故に、かれのみならずかれの家族までもが命の危険に曝されてしまう。それでもかれの信念は揺らがない。
そしてそのことはまた、頭蓋に軍事機密を詰め込んだ米軍パイロットだけでなく、不幸な偶然により東ドイツに拘束されてしまった一学生フレデリック・プライヤー(ウィル・ロジャース)の身を案じる気持ちにも及ぶのです。捕虜交換という政治劇の場では無価値どころか交渉の邪魔ですらある学生であっても、ドノヴァンにとっては守られるべきアメリカ市民であり、しかもかれは(熱心だけどちょっぴり頼りない)自分の助手と同世代のまだほんの若者なのだから。
かれの行動に気高さを感じるのは、その行動の根底にこのような信念があるからですが、その一方でかれは決してナイーブな理想主義者などではなく、極めてしたたかなネゴシエーターである。なんともそれがいい。
建前上、この捕虜交換には政府は関知せず(そのためあくまで一民間人としての立場のドノヴァンは、政府関係者が利用するホテルを使うことができず、ろくに暖房もきかないボロ家を根城に交渉を行わななければならなかった)、しかも、ほぼ等価交換が成立する米ソの「スパイ」のみならず、巻き込まれた学生を含めた二対一の交換を成立させなければならない綱渡りの交渉です。はたから見ればほぼ不可能事に思われる。
しかし、ぬらりくらりと実態を掴ませないソ連に対しては、「ここでアベルを見捨てれば、次に米国に捕まったスパイはあっさり機密を売り渡すようになるだろう」と脅し、アメリカに主権国家として認めさせようと躍起になっている東ドイツには、「おまえらの横槍のせいで交渉が失敗したら、ソ連はどう思うだろう?」と脅す。相手が一番言われたくない脅しどころを見事に抑えた恫喝者の鑑。これぞ外交交渉。まことに惚れ惚れするのであります。
国と国とが人命を浪費しつつ武器で闘うなんてあまりに馬鹿げてる。そんなこと誰でも知っている。ほんとならそうならないように、国家間の利益対立やわだかまりを交渉で解決する方が賢明であり人道的であり何より安上がりだ。だからほんとにエキサイティングなのは、武器を使った戦争ではなく、交渉人による外交交渉なのです。この映画は、その一番面白いところを存分に見せてくれました。これはおいしい。
ことほど左様に、さすがトム・ハンクスな映画なんですが、実はしかし役者で言えば、アベル役のマーク・ライランスがすばらしいのです。敵国のスパイという立場ながら、品位と教養を感じさせる全てを達観した男の、なんとも味わい深い佇まい。一体これほどの名優が今までどこに隠れていたのかしら。『ブーリン家の姉妹』なんかにも出ていたらしいのだけど、全然存在に気づかなかったわ。本作の演技で世界的に絶賛されている模様ですので、恐らくこの後、クリストフ・ヴァルツみたいに遅咲きのブレイクを果たして引っ張りだこになるのではないかと思うのですが。
あと、映画のラストで、実在のジェームズ・ドノヴァンは、この人質交換を成功させた後、キューバ相手の交渉で数千人の命を救った、というテロップが流れたのが気になって気になって。なにそれ、凄い、面白い! 是非是非続編として同じキャストで観てみたいものです。
by shirakian
| 2016-01-26 20:11
| 映画は行