2015年 12月 20日
007 スペクター
|
★ネタバレ注意★
ダニエル・クレイグのジェームズ・ボンドでは4作目、シリーズ通算では24作目の007です。監督はサム・メンデス、原題は"SPECTRE"。
■007 スカイフォール
■007 慰めの報酬
例によってあらすじをallcinemaさんから引用すると、
“死者の日”の祭りでにぎわうメキシコシティで、凶悪犯スキアラと大立ち回りを演じたジェームズ・ボンド。後日、MI6の本部に呼び出され、Mから職務停止を言い渡されてしまう。折しもロンドンでは、スパイ不要論を掲げるマックス・デンビが国家安全保障局の新トップとなり、MI6をMI5に吸収しようと画策していた。表立って活動することができなくなったボンドだったが、マネーペニーやQの協力でローマへと飛び、そこでスキアラの未亡人ルチアと接触、強大な悪の組織の存在を突き止めるが…。(/引用これまで)。
2015年の4大スパイ映画と言えば、『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』と『キングスマン』と『コードネーム U.N.C.L.E.』とこの『スペクター』。そのうち『ローグ・ネイション』は未見なので残りの3作を「好き順」で並べると、アンクル>007>キングスマン、という感じです。
冒頭、美女同伴でカーニバルを楽しむいなせなボンド、と思いきや、美女はデコイで実はミッション中のボンド、よくある窓越しの狙撃シーンと見せかけて、あっと驚く大破壊シーンによる華々しい幕開けです。一発の銃弾に誘発されたあまりにも深刻なコラテラル・ダメージに戦慄する観客は、息つく暇もなく大群衆の真上で暴走するヘリコプターに、悲鳴をこらえて手に汗握ります。アバンタイトルの掴みはバッチリ。
ダニエル・クレイグになってからのシリーズは、リアルな人間としてのジェームズ・ボンド像を前面に押し出し、ボンドの生い立ちや過去にからんだシリアスなドラマを展開しており、それが持ち味になっていました。だけどもう、デンチのMも亡くなったことだし、過去の亡霊はMと共に葬ってもよかったんじゃないかなぁ、という気がしました。なんていうか、ボンド自身がもう結構吹っ切れてる印象だったし。
前作でメンバーが一新した結果、単なる秘書ではなく元工作員だったマネーペニー(ナオミ・ハリス)、老人ではなくフットワークの軽い若いQ(ベン・ウィショー)、肉体的にはか弱い老女だったMから一転してとりあえず闘える肉体を持った壮年男性のM(レイフ・ファインズ)、と、レギュラー陣が全員外に出て活動できるメンツに変わっているわけです。要するにチームとして稼働できる体制である、ということ。
もはや時代は単独ヒーローがひとりで世界を救うなんてドラマを求めてはいないのだと思う。何かを成し遂げるためには、誰かの協力が不可欠。超人一人の力よりみなが合わせた力の総和の方が大きい。
それなのに、やっぱり、俺様仕様で独断専行したがるボンドは、なんかあんまりかっこよく見えませんでした。マネーペニーやQたちを単に「利用している」ようにしか見えなかったのも大いに減点だし、なにより、「女に弱いドンファン」という設定が激しく浮いて見えたのです。
それが一番感じられたのは、スキアラの未亡人ルチアを演じたモニカ・ベルッチのパートです。史上最高齢のボンド・ガール、などと揶揄されつつも、ルチアの役にはしっとりとした大人の女の色香が不可欠、という判断から起用されたイタリアの宝石でありましょうに、劇中の扱いはほとんど侮辱と言っていいほどのレベル。単に出番が少ないというのみならず、完全にセックス要員としての尊厳のない役だったのです。これには心底ビックリ。ベルッチ起用しといてこのざま?
なんかもうね、出会ったその日にガツガツとセックスに持ち込むボンド、というのが全然いけてないわけです。そういう描写はもはや粋とは言い難い。それと言うのも、かつては、出会った瞬間「ステキ! 抱いて!」と身体を差し出す美女、というのが男目線のファンタジーの中では一種の勲章記号として機能してきたけれど、その「美女」の方を主体にして見れば、自ら進んでそんなリスキーなことをする人間というのがちっとも「ステキ」じゃない、ということに尽きる。もはや一方通行の視点のみでは物事は語れないのです。
なので、マドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)を巡るドラマ部分が、なんかいまいち盛り上がらない。どうせなら、誘拐されて死ぬほどボンドを心配させる役回りは、こんな昨日今日出会ったばかりのキャラクターではなく、マネーペニーなりQなりいっそMでもいいけど、もっとボンドと深い繋がりのあるキャラであってほしかったなぁ、と思ったものでした。
だけどやっぱり一番の困惑のもとは、今回の敵役、クリストフ・ヴァルツ演じるフランツ・オーベルハウザーを巡る描写だったかなぁ。オーベルハウザーはまさにボンドの過去の亡霊そのもの、といった役回りで、ボンドの個人的な歴史にも深くコミットしているのみならず、過去にボンドが手掛けてきた全ての事件の黒幕でもあったらしい。
そういうスペシャルな悪役でありながら、なぜか漂う小物感。小物っていうか、頭悪そう。やることなすことなんだかなぁ、という脱力感。せめてカミソリのような参謀をつけておいてほしかったところですが、いやさ、脚本さえ頑張ってくれれば、そもそもクリストフ・ヴァルツ自身は知性派の悪役が演じられる役者なのですし。観客を悶えさせるこの隔靴掻痒感。ああ、もったいない。
今まで挙げてきた違和感ポイントはすべてドラマに関する部分であって、華麗なるアクションについては大変楽しんで鑑賞しました。先述したアバンタイトルのメキシコ・シークエンスも楽しかったし、ボンドとMr.ヒンクス(デイヴ・バウティスタ)のカーチェイスのシーンはワクワクしました。とにかくすっごくかっこいいシーン。
ただ、最後、川につっこむんなら、ボートか潜水艦に変身してほしかったよなぁ。なんであそこで愛車(実はボンド用のアストンマーチンじゃなかったけど)を見捨ててひとりだけ射出座席で脱出とかしちゃうんだ。せっかくQが丹精込めて作った車なのに。アンパンマンの顔じゃあるまいし、安易に交換すればいいという姿勢はよろしくありませんね。
あと、もう一点不満点を挙げるなら、レア・セドゥのファッションだなぁ。どうしてあんな中年女性のような服を着せるんだろう。せっかくスタイルのいい女優さんなのに、観る楽しみがなさすぎる。なにしろ一方のボンドがトム・フォードのスーツでしょ、それをこれ見よがしにぶぅわしぃっ! と着こなしていらっさるわけでしょ、だったら隣にならぶヒロインももうちょっとイベント感のあるファッションを披露してほしかったと思うの。なんかこう、おばちゃんのような柄物膝丈ワンピとか、寝間着のようなドレスとかでは萌えないのよう。
一番よかったのはQ。何を置いてもQ。前作で期待した通り、出番が増えててほんとに楽しかったです。ダニエル・クレイグはさ、もうボンド、演りたくないらしいから、いっそQ主役でスピンオフ作っちゃえばいいんじゃね、と思いました。
・007 スペクター@ぴあ映画生活
ダニエル・クレイグのジェームズ・ボンドでは4作目、シリーズ通算では24作目の007です。監督はサム・メンデス、原題は"SPECTRE"。
■007 スカイフォール
■007 慰めの報酬
例によってあらすじをallcinemaさんから引用すると、
“死者の日”の祭りでにぎわうメキシコシティで、凶悪犯スキアラと大立ち回りを演じたジェームズ・ボンド。後日、MI6の本部に呼び出され、Mから職務停止を言い渡されてしまう。折しもロンドンでは、スパイ不要論を掲げるマックス・デンビが国家安全保障局の新トップとなり、MI6をMI5に吸収しようと画策していた。表立って活動することができなくなったボンドだったが、マネーペニーやQの協力でローマへと飛び、そこでスキアラの未亡人ルチアと接触、強大な悪の組織の存在を突き止めるが…。(/引用これまで)。
2015年の4大スパイ映画と言えば、『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』と『キングスマン』と『コードネーム U.N.C.L.E.』とこの『スペクター』。そのうち『ローグ・ネイション』は未見なので残りの3作を「好き順」で並べると、アンクル>007>キングスマン、という感じです。
冒頭、美女同伴でカーニバルを楽しむいなせなボンド、と思いきや、美女はデコイで実はミッション中のボンド、よくある窓越しの狙撃シーンと見せかけて、あっと驚く大破壊シーンによる華々しい幕開けです。一発の銃弾に誘発されたあまりにも深刻なコラテラル・ダメージに戦慄する観客は、息つく暇もなく大群衆の真上で暴走するヘリコプターに、悲鳴をこらえて手に汗握ります。アバンタイトルの掴みはバッチリ。
ダニエル・クレイグになってからのシリーズは、リアルな人間としてのジェームズ・ボンド像を前面に押し出し、ボンドの生い立ちや過去にからんだシリアスなドラマを展開しており、それが持ち味になっていました。だけどもう、デンチのMも亡くなったことだし、過去の亡霊はMと共に葬ってもよかったんじゃないかなぁ、という気がしました。なんていうか、ボンド自身がもう結構吹っ切れてる印象だったし。
前作でメンバーが一新した結果、単なる秘書ではなく元工作員だったマネーペニー(ナオミ・ハリス)、老人ではなくフットワークの軽い若いQ(ベン・ウィショー)、肉体的にはか弱い老女だったMから一転してとりあえず闘える肉体を持った壮年男性のM(レイフ・ファインズ)、と、レギュラー陣が全員外に出て活動できるメンツに変わっているわけです。要するにチームとして稼働できる体制である、ということ。
もはや時代は単独ヒーローがひとりで世界を救うなんてドラマを求めてはいないのだと思う。何かを成し遂げるためには、誰かの協力が不可欠。超人一人の力よりみなが合わせた力の総和の方が大きい。
それなのに、やっぱり、俺様仕様で独断専行したがるボンドは、なんかあんまりかっこよく見えませんでした。マネーペニーやQたちを単に「利用している」ようにしか見えなかったのも大いに減点だし、なにより、「女に弱いドンファン」という設定が激しく浮いて見えたのです。
それが一番感じられたのは、スキアラの未亡人ルチアを演じたモニカ・ベルッチのパートです。史上最高齢のボンド・ガール、などと揶揄されつつも、ルチアの役にはしっとりとした大人の女の色香が不可欠、という判断から起用されたイタリアの宝石でありましょうに、劇中の扱いはほとんど侮辱と言っていいほどのレベル。単に出番が少ないというのみならず、完全にセックス要員としての尊厳のない役だったのです。これには心底ビックリ。ベルッチ起用しといてこのざま?
なんかもうね、出会ったその日にガツガツとセックスに持ち込むボンド、というのが全然いけてないわけです。そういう描写はもはや粋とは言い難い。それと言うのも、かつては、出会った瞬間「ステキ! 抱いて!」と身体を差し出す美女、というのが男目線のファンタジーの中では一種の勲章記号として機能してきたけれど、その「美女」の方を主体にして見れば、自ら進んでそんなリスキーなことをする人間というのがちっとも「ステキ」じゃない、ということに尽きる。もはや一方通行の視点のみでは物事は語れないのです。
しかも更に悪いことに、好みの女と見れば手あたり次第のくせに、情をかわした女に対して惚れたの腫れたの愛しているの人生を共に歩くの言い出すあたりが決定的にダサイ。愛してるって、あなた、さっき出会ったばかりでしょーに、浅い。あまりにも浅い。アゾフ海よりも浅い。
なので、マドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)を巡るドラマ部分が、なんかいまいち盛り上がらない。どうせなら、誘拐されて死ぬほどボンドを心配させる役回りは、こんな昨日今日出会ったばかりのキャラクターではなく、マネーペニーなりQなりいっそMでもいいけど、もっとボンドと深い繋がりのあるキャラであってほしかったなぁ、と思ったものでした。
だけどやっぱり一番の困惑のもとは、今回の敵役、クリストフ・ヴァルツ演じるフランツ・オーベルハウザーを巡る描写だったかなぁ。オーベルハウザーはまさにボンドの過去の亡霊そのもの、といった役回りで、ボンドの個人的な歴史にも深くコミットしているのみならず、過去にボンドが手掛けてきた全ての事件の黒幕でもあったらしい。
そういうスペシャルな悪役でありながら、なぜか漂う小物感。小物っていうか、頭悪そう。やることなすことなんだかなぁ、という脱力感。せめてカミソリのような参謀をつけておいてほしかったところですが、いやさ、脚本さえ頑張ってくれれば、そもそもクリストフ・ヴァルツ自身は知性派の悪役が演じられる役者なのですし。観客を悶えさせるこの隔靴掻痒感。ああ、もったいない。
今まで挙げてきた違和感ポイントはすべてドラマに関する部分であって、華麗なるアクションについては大変楽しんで鑑賞しました。先述したアバンタイトルのメキシコ・シークエンスも楽しかったし、ボンドとMr.ヒンクス(デイヴ・バウティスタ)のカーチェイスのシーンはワクワクしました。とにかくすっごくかっこいいシーン。
ただ、最後、川につっこむんなら、ボートか潜水艦に変身してほしかったよなぁ。なんであそこで愛車(実はボンド用のアストンマーチンじゃなかったけど)を見捨ててひとりだけ射出座席で脱出とかしちゃうんだ。せっかくQが丹精込めて作った車なのに。アンパンマンの顔じゃあるまいし、安易に交換すればいいという姿勢はよろしくありませんね。
あと、もう一点不満点を挙げるなら、レア・セドゥのファッションだなぁ。どうしてあんな中年女性のような服を着せるんだろう。せっかくスタイルのいい女優さんなのに、観る楽しみがなさすぎる。なにしろ一方のボンドがトム・フォードのスーツでしょ、それをこれ見よがしにぶぅわしぃっ! と着こなしていらっさるわけでしょ、だったら隣にならぶヒロインももうちょっとイベント感のあるファッションを披露してほしかったと思うの。なんかこう、おばちゃんのような柄物膝丈ワンピとか、寝間着のようなドレスとかでは萌えないのよう。
一番よかったのはQ。何を置いてもQ。前作で期待した通り、出番が増えててほんとに楽しかったです。ダニエル・クレイグはさ、もうボンド、演りたくないらしいから、いっそQ主役でスピンオフ作っちゃえばいいんじゃね、と思いました。
・007 スペクター@ぴあ映画生活
by shirakian
| 2015-12-20 18:44
| 映画た行