2015年 11月 30日
ベル&セバスチャン
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★ネタバレ注意★
ニコラ・ヴァニエ監督のフランス映画です。
原題は"BELLE ET SEBASTIEN"。
原作はセシル・オーブリーの『アルプスの村の犬と少年』。この小説は80年代に「名犬ジョリィ」というタイトルでTVアニメ化され人気を博したそうですが、原作未読、アニメの方も知りませんでした。
だったらなんで観ようと思ったのかと言うと、まずひとつは、今期は3本の犬映画を観ようと思っていて、この作品がその第一弾に当たること。ほかの2作というのは、『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』と『シーヴァス 王子さまになりたかった少年と負け犬だった闘犬の物語』。どっちもタイトル長いよ。
そしてもうひとつは、主演の少年の面構えが大変よろしかったことです。や、かわいらしい少年なんですけれどもね、なんかこう、児童劇団のスター的飼い慣らされたかわいらしさじゃなくて、野趣あふれるというか、要するに、うん、面構えがよろしかった。
三つめは、ベルを演じた犬が、大変ふかふかであったこと。山がそこにあるから登るひとがいるのなら、犬がふかふかだから観るひとがいたっていいじゃな~い。
1943年、アルプスの麓の寒村。戦火とは無縁に見えるこんな小さな村にも、ドイツ軍が駐留してきた。ナチスの手を逃れスイスに向かうユダヤ人の逃走を幇助していると思われる村を監視するためだった。村人たちは表向きはドイツ軍に従順にふるまいつつ、裏ではユダヤ人らを助け、スイスへの道案内をしていたのだ。一方、ドイツ軍の中にも、情報を村人に流す内通者がいるらしかった。
そんな大人たちの事情とは無縁に、少年セバスチャン(フェリックス・ボッスエ)は学校にも行かず、毎日野山を駆け回って暮らしていたが、村の周辺には“野獣”と呼ばれる野犬が出没していた。かつて飼い犬だった野獣は、虐待され、人間不信に陥ってしまい、もう人間に心を開くことはできまいと思われていたのだ。しかし、そんな野獣と遭遇した少年は、野獣が決して獰猛な獣などではないことを見抜き、ベルと名付けて友情を育んでいった。
という物語は純然たるファミリー映画ではあるんですが、良質の子ども向きは、決して所詮子どもだからと妥協した映画ではなく、子どもだからこそと全力を尽くした映画であることの見本であるかのような、ほんとに上等の映画です。大人の鑑賞に十二分に耐える。
何よりも素晴らしいのがとにかく、ロケーション、ロケーション、ロケーション。雄大で峻烈で美しいアルプスの山並みを見事に捉えたカメラワーク。冬に向かう山の色と完璧に調和した人々の暮らしの中の色彩。そんな天然の美の中で、ひときわ目をひく、若い娘の真っ赤なドレス。
中でも特に感動したのが、冬山のシーンを走るまっ白い犬です。一面の白の中で白い被写体を撮るなんて、わたしがカメラマンなら泣いて嫌がるところですが、どういうテクニックだかトリックだかマジックだか、決して雪の色に埋没することなく生き生きと白犬ベルの動きを捉えて見せた映像が、ほんとにすばらしいのです。
セバスチャンはセザールという老人(チェッキー・カリョ)と暮らしているのだけど、どうやらセザールはセバスチャンと血の繋がった祖父ではないらしい。セバスチャンの母親は、事情はわからないけれど、「アメリカにいる」ということになっていて、アメリカという国はアルプスを越えた山の向うにあるらしい。そして間もなくやって来るクリスマスの日に、きっとお母さんは帰って来る。ほしかったプレゼントを携えて。というのが最近のセバスチャンの頭の大半を占める最重要課題。
セバスチャンがほしい物というのは、村長さんが持っていて、時々取り出して使っている羅針盤つきの懐中時計なんですね。何もない山奥の村で少年が目にする品物の中では、とびぬけて最高にカッコイイ品物であるには違いない。
この物語は大きく分けると二つの葛藤から成り立っています。
一つ目は、ベルが決して野獣ではないことを人々の共通認識にできるかどうか。
二つ目は、セバスチャンがクリスマスに母親と再会できるかどうか。
一つ目については、銃で撃たれ純白の被毛を鮮血に染めるベルとか、崖から滑落してロープ一本でぶら下がっているベルとか、短い予告編の中に幾つも危機一髪のシーンが見られましたので、ベルが市民権を得るまでの間、ハラハラそわそわ気が気ではなかったのですが、そこはそれ、ファミリームービーですから、ベルの怪我はちゃんとお医者さんに診てもらえるし、崖から落ちかけたら全員が必死に助けてくれます。
要するに、ベルが賢いステキな犬であることを人々が認知するに至るまで、さほどの時間を要さなかったわけですが、認知されるについても納得のいくイベントが仕込んでありましたし、セバスチャンが一目でベルの本質を見抜くについても、くだくだしく段取り的な描写を重ねなくても、セバスチャンという独特の存在感のある少年のおかげで、目と目で見つめあうだけでわかりあえる魂のとき、という描写がすんなり腹に落ちる感じです。
ところが二つ目についてはそんなにうまくはいかなかった。
そもそもが、セザールがセバスチャンに語った全てが、悉く嘘だったのですね。あの山の向うはアメリカなんかじゃない。お母さんはアメリカなんかにいやしない。アメリカは遠いの、とセバスチャンに尋ねられれば、さあなぁ、アメリカに行ったことないからわからんよ、とはぐらかす。どうしてセザールはそんな心無い嘘をつかねばならなかったのか。
それは厳しい現実から目を逸らすセザール自身の怯懦だったし、幼いセバスチャンを厳しい現実から守ってやりたいという虚しいあがきの結果だった。お母さんはクリスマスにセバスチャンに会いには来れない。
セザールはせめてこれだけは、と、村長の下を訪れ、なけなしの貯金をはたいたのか、泣き落としをしたのか、詐欺まがいのことをしたのか、わかりませんが、とにかく村長の羅針盤つきの時計を手にいれた。そしてそれをセバスチャンにプレゼントした。
ほしくてたまらなかったカッコイイ時計。それを手にした瞬間、セバスチャンの顔はぱあっ、と輝くのですが、しかし次の瞬間、笑顔はふっと掻き消える。
「お母さんは?」
「お母さんがプレゼントの時計を持ってクリスマスに帰って来る」、お題目のように毎日唱えていたその呪文の、ほんとのほんとに肝心なところは、決して「プレゼントの時計」なんかじゃなかった。お母さんが帰って来る、ただそれだけ。お母さんさえ帰って来てくれるなら、時計なんかほんとはどうでもよかった。時計だけ手に入ったってしょうがない。だってお母さんはどこ?
その悲しいクリスマスの日、セバスチャンは結局、セザールから「真実」というプレゼントを受け取るのです。逞しく山で生活する少年は、銃を持ったドイツ兵にもひるまない、トモダチのベルを大人たちから守り抜く根性と知略がある、そんなセバスチャンであればこそ、お母さんを巡る真実の物語も、しっかりと受け止める素地がもうできている。
フェリックス・ボッスエ以外の役者さんについて言えば、ドイツ軍人を演じたアンドレアス・ピチューマンが大変美貌でした。この人が悪い人でなくてよかった。そしてチェッキー・カリョはいいカンジにおじいちゃんになってきてて大変喜ばしいと思いました。
あとね、ベルって登場シーンでは、灰色に薄汚れた大変汚っこい姿なんですよ。全身まんべんなく汚れているので、もとから灰色の犬かと思っちゃうくらい。だけど、あまりの臭さにセバスチャンが洗ってやると、輝くばかりの純白の犬であることが発覚するわけです。なんかそれって、クラスでも目立たない地味な図書委員の女の子が、眼鏡をはずすとあっと驚く美少女でした、という描写に相通ずるものが。
・ベル&セバスチャン@ぴあ映画生活
ニコラ・ヴァニエ監督のフランス映画です。
原題は"BELLE ET SEBASTIEN"。
原作はセシル・オーブリーの『アルプスの村の犬と少年』。この小説は80年代に「名犬ジョリィ」というタイトルでTVアニメ化され人気を博したそうですが、原作未読、アニメの方も知りませんでした。
だったらなんで観ようと思ったのかと言うと、まずひとつは、今期は3本の犬映画を観ようと思っていて、この作品がその第一弾に当たること。ほかの2作というのは、『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』と『シーヴァス 王子さまになりたかった少年と負け犬だった闘犬の物語』。どっちもタイトル長いよ。
そしてもうひとつは、主演の少年の面構えが大変よろしかったことです。や、かわいらしい少年なんですけれどもね、なんかこう、児童劇団のスター的飼い慣らされたかわいらしさじゃなくて、野趣あふれるというか、要するに、うん、面構えがよろしかった。
三つめは、ベルを演じた犬が、大変ふかふかであったこと。山がそこにあるから登るひとがいるのなら、犬がふかふかだから観るひとがいたっていいじゃな~い。
1943年、アルプスの麓の寒村。戦火とは無縁に見えるこんな小さな村にも、ドイツ軍が駐留してきた。ナチスの手を逃れスイスに向かうユダヤ人の逃走を幇助していると思われる村を監視するためだった。村人たちは表向きはドイツ軍に従順にふるまいつつ、裏ではユダヤ人らを助け、スイスへの道案内をしていたのだ。一方、ドイツ軍の中にも、情報を村人に流す内通者がいるらしかった。
そんな大人たちの事情とは無縁に、少年セバスチャン(フェリックス・ボッスエ)は学校にも行かず、毎日野山を駆け回って暮らしていたが、村の周辺には“野獣”と呼ばれる野犬が出没していた。かつて飼い犬だった野獣は、虐待され、人間不信に陥ってしまい、もう人間に心を開くことはできまいと思われていたのだ。しかし、そんな野獣と遭遇した少年は、野獣が決して獰猛な獣などではないことを見抜き、ベルと名付けて友情を育んでいった。
という物語は純然たるファミリー映画ではあるんですが、良質の子ども向きは、決して所詮子どもだからと妥協した映画ではなく、子どもだからこそと全力を尽くした映画であることの見本であるかのような、ほんとに上等の映画です。大人の鑑賞に十二分に耐える。
何よりも素晴らしいのがとにかく、ロケーション、ロケーション、ロケーション。雄大で峻烈で美しいアルプスの山並みを見事に捉えたカメラワーク。冬に向かう山の色と完璧に調和した人々の暮らしの中の色彩。そんな天然の美の中で、ひときわ目をひく、若い娘の真っ赤なドレス。
中でも特に感動したのが、冬山のシーンを走るまっ白い犬です。一面の白の中で白い被写体を撮るなんて、わたしがカメラマンなら泣いて嫌がるところですが、どういうテクニックだかトリックだかマジックだか、決して雪の色に埋没することなく生き生きと白犬ベルの動きを捉えて見せた映像が、ほんとにすばらしいのです。
セバスチャンはセザールという老人(チェッキー・カリョ)と暮らしているのだけど、どうやらセザールはセバスチャンと血の繋がった祖父ではないらしい。セバスチャンの母親は、事情はわからないけれど、「アメリカにいる」ということになっていて、アメリカという国はアルプスを越えた山の向うにあるらしい。そして間もなくやって来るクリスマスの日に、きっとお母さんは帰って来る。ほしかったプレゼントを携えて。というのが最近のセバスチャンの頭の大半を占める最重要課題。
セバスチャンがほしい物というのは、村長さんが持っていて、時々取り出して使っている羅針盤つきの懐中時計なんですね。何もない山奥の村で少年が目にする品物の中では、とびぬけて最高にカッコイイ品物であるには違いない。
この物語は大きく分けると二つの葛藤から成り立っています。
一つ目は、ベルが決して野獣ではないことを人々の共通認識にできるかどうか。
二つ目は、セバスチャンがクリスマスに母親と再会できるかどうか。
一つ目については、銃で撃たれ純白の被毛を鮮血に染めるベルとか、崖から滑落してロープ一本でぶら下がっているベルとか、短い予告編の中に幾つも危機一髪のシーンが見られましたので、ベルが市民権を得るまでの間、ハラハラそわそわ気が気ではなかったのですが、そこはそれ、ファミリームービーですから、ベルの怪我はちゃんとお医者さんに診てもらえるし、崖から落ちかけたら全員が必死に助けてくれます。
要するに、ベルが賢いステキな犬であることを人々が認知するに至るまで、さほどの時間を要さなかったわけですが、認知されるについても納得のいくイベントが仕込んでありましたし、セバスチャンが一目でベルの本質を見抜くについても、くだくだしく段取り的な描写を重ねなくても、セバスチャンという独特の存在感のある少年のおかげで、目と目で見つめあうだけでわかりあえる魂のとき、という描写がすんなり腹に落ちる感じです。
ところが二つ目についてはそんなにうまくはいかなかった。
そもそもが、セザールがセバスチャンに語った全てが、悉く嘘だったのですね。あの山の向うはアメリカなんかじゃない。お母さんはアメリカなんかにいやしない。アメリカは遠いの、とセバスチャンに尋ねられれば、さあなぁ、アメリカに行ったことないからわからんよ、とはぐらかす。どうしてセザールはそんな心無い嘘をつかねばならなかったのか。
それは厳しい現実から目を逸らすセザール自身の怯懦だったし、幼いセバスチャンを厳しい現実から守ってやりたいという虚しいあがきの結果だった。お母さんはクリスマスにセバスチャンに会いには来れない。
セザールはせめてこれだけは、と、村長の下を訪れ、なけなしの貯金をはたいたのか、泣き落としをしたのか、詐欺まがいのことをしたのか、わかりませんが、とにかく村長の羅針盤つきの時計を手にいれた。そしてそれをセバスチャンにプレゼントした。
ほしくてたまらなかったカッコイイ時計。それを手にした瞬間、セバスチャンの顔はぱあっ、と輝くのですが、しかし次の瞬間、笑顔はふっと掻き消える。
「お母さんは?」
「お母さんがプレゼントの時計を持ってクリスマスに帰って来る」、お題目のように毎日唱えていたその呪文の、ほんとのほんとに肝心なところは、決して「プレゼントの時計」なんかじゃなかった。お母さんが帰って来る、ただそれだけ。お母さんさえ帰って来てくれるなら、時計なんかほんとはどうでもよかった。時計だけ手に入ったってしょうがない。だってお母さんはどこ?
その悲しいクリスマスの日、セバスチャンは結局、セザールから「真実」というプレゼントを受け取るのです。逞しく山で生活する少年は、銃を持ったドイツ兵にもひるまない、トモダチのベルを大人たちから守り抜く根性と知略がある、そんなセバスチャンであればこそ、お母さんを巡る真実の物語も、しっかりと受け止める素地がもうできている。
フェリックス・ボッスエ以外の役者さんについて言えば、ドイツ軍人を演じたアンドレアス・ピチューマンが大変美貌でした。この人が悪い人でなくてよかった。そしてチェッキー・カリョはいいカンジにおじいちゃんになってきてて大変喜ばしいと思いました。
あとね、ベルって登場シーンでは、灰色に薄汚れた大変汚っこい姿なんですよ。全身まんべんなく汚れているので、もとから灰色の犬かと思っちゃうくらい。だけど、あまりの臭さにセバスチャンが洗ってやると、輝くばかりの純白の犬であることが発覚するわけです。なんかそれって、クラスでも目立たない地味な図書委員の女の子が、眼鏡をはずすとあっと驚く美少女でした、という描写に相通ずるものが。
・ベル&セバスチャン@ぴあ映画生活
by shirakian
| 2015-11-30 18:32
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