2015年 10月 31日
マジック・マイク XXL
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★ネタバレ注意★
踊れるマッチョが帰ってきました。
今回の監督はグレゴリー・ジェイコブズ、マッチョはもちろんチャニング・テイタム☆
■マジック・マイク
あれから3年。ストリッパーを引退したマイク(チャニング・テイタム)は、かつての仲間たちとも疎遠になっていたが、ある日突然、ターザン(ケヴィン・ナッシュ)からの電話を受ける。ダラスが死んだと言うのだ。複雑な気持ちで通夜に駆けつけたマイクだったが、行ってみるとそこはパーティ。ダラスの訃報はマイクを引っ張り出すためのおふざけで、あっさりダラスに見捨てられ行き場を失った「エクスクイジット」のダンサーたちは、引退前に最後にひと花咲かせるべく、ストリップ大会に出場しようとしていたのだった。
夢だった手作り家具の仕事で独立し、名実ともに「実業家」となったはずのマイクでしたが、現状が手放しでハッピーとは言い難かった。確かにやりたかった仕事をやれてはいるれど、未だ店舗も持てず、唯一雇っている従業員を保険に入れてやることもできず、それよりなにより、家も指輪も用意したのに、肝心の彼女には振られてしまった。なぜだかさっぱりわからないけど、なんかおれ、ドツボにはまってるっぽい。なんだよ、この、空っぽの家は。ほんとにこれがおれの望んでた暮らしだったのか?
ターザンの声を聞いたのはそんな時。すっかり引退していたはずなのに、一本の電話でダンスへの情熱が蘇り、どうせ一回限りのことならば、おれもみんなと一緒にやろう! かくてマイクは"CEO"である身分をいいことに、いきなり仕事を休み、仲間たちのキャラバンに加わるのです。
というわけでね、今回の「エクスクイジット」のメンバーたちは、立場的には、前回の比ではない崖っぷちにいるわけです。前回ですら30越えてストリッパー? とバカにされてたくらいなのに、年齢ならさらにそれから三つくってる上に、頼りにしていたダラスからも見放されてしまった。かつての仲間たちの中で、現場労働者ではなく経営者としての才覚を持っていたのはダラスだけで(マイクだけは若干その素養があったけれど)、ダラスがいなくなってしまえばもう踊ることすらできない。
だというのになぜか、今作には前作にあった物悲しさがないのです。
前作では、男性ストリッパーの世界を、ショーとして極めて魅力的に描写しつつ、実はそれらはひと時の徒花、虚構の祝祭であって、いつかは醒めなければならない儚い夢、いずれは出て行かねばならない仮の宿として描いていました。
だけど今作のダンサーたちは、そんな夢から醒めた後、それでも続く確かな人生の固い地盤の上に立ち、さてこれから新しい一歩を踏み出そうとしているのです。あちら側での営みを終え、しかしまだこちら側で本格的に傷ついてはいない。それはまたタイムポケットのような架空の時間ではあるのだけれど、ここでかれらの視線はまっすぐに前を向いていて、そのさきには確実に光がある(ように思える)。
マイクの家具商売は、別に頓挫したわけじゃない。ただちょっと軌道に乗っていないだけ。キャッシュフローだってしっかり掴める賢いマイクだもの、いつかそのうち、もしかして、もしかするかもしれない。
ティト(アダム・ロドリゲス)はフローズンヨーグルト屋という新しい目標を見つけた。まだ海のものとも山のものともつかないけれど、どうやらティトにはおいしいヨーグルトを作る才能があるらしい。本気で頑張れば、もしかして、もしかするかもしれない。
ターザンはアーティストだ。アーティストなんて自己申告の世界。踊れなくなってもアートはできる。本気で続けていけば、もしかして、もしかするかもしれない。
ケン(マット・ボマー)は役者になる道を諦めてはいない。なにしろあの美貌とあの美声だもの、ハリウッドで芽が出ないとしたら、そっちの方がどうかしている。いい役にさえ巡りあえたら、もしかして、もしかするかもしれない。
リッチー(ジョー・マンガニエロ)は、リッチーは……、まだやりたいことが掴めてないけど、うん、まあ、なんだ、リッチーはとことんいいヤツだ。ハンサムでチャーミングでたくましくて素直だ。こんないい人間を、神様がお見捨てになるわけがない。ひょんなきっかけで"何か"に巡り合えたとしたら、もしかして、もしかするかもしれない。
みんなまだ、先のことなんかわからない。だけど誰も絶望したり、いじけたり、恨んだり、ドラッグやアルコールに逃げこんだりしていない。まだ途中だ。それはそうだ。この映画はロードムービーだ。旅の半ばの一日だ。旅はこのさきも続く。ただそれでいい。
そんな風に思えるのも、今作は前作とは違い、マイク以外のキャラクターにもしっかり光を当てて丹念に描写しているからです。特にケンとリッチーの描写が増え、しっかりとした人格が付与されていた点が大きいのです。だってなにしろふたりともとんでもなく魅力的だものね。
あるいは、「おれ、フローズンヨーグルトの商売、うまくやっていけるかなぁ?」というティトに対して、「あとで帳簿とか一緒に見てみようか?」と"実業家"のマイクが応じるシーンの優しさ。そしてまたあるいは、「長いつきあいなのに、おれ、あんたのこと何にも知らなかったなぁ」と呆れるマイクに対して、「あの時電話をかけたのは、おまえをからかおうとしたからじゃないぜ? 本気でおまえの声が聴きたくってさ」とターザンが告げるシーンの胸をしめつけるような感じ。
そんな風にキャラクターたちに容易に感情移入できるドラマ作りと同時に、ショーとしての輝きもやはり特筆したいところ。なんていうか、かれらのショーの徹底的な優しさは凄い。観客に対する問答無用の全面的な肯定。こんなの世界のどこにもない。かれらのパフォーマンスは、単に欲の対象として消費されるわけじゃない。観客がクイーンなら、パフォーマーだってキングだ。決して執事や下僕じゃない。両者の関係は絶対的に対等で、相手の幸せを念じる思いだけがそこにある。
ショーの性質上、ダンスは全て性的なメタファーになるのだけど、というかぶっちゃけ、全てはセックスそのものなんだけど、この世界観はセックスの定義を変えかねない勢いがある。相手を楽しませるためのセックス、相手を気持ちよくするためのセックス、相手に喜ばれるためのセックス、楽しいセックス、嬉しいセックス、幸せなセックス、要するにただひたすらこぼれんばかりの愛のあるセックス。そこにあるのはセクハラや暴力やレイプとは真逆の世界です。これは凄い。こういう価値観が全ての人類に浸透すれば、人類はどれだけ幸せになれるだろう。それはひとつの革命だ。逆に言えば、それを革命とすら思わねばならない現状は切ない。
ただ、ね、ただ、ひとつだけ、言わせてもらえば。
そのメッセージは確かに重要なメッセージではあるのだけれど、そこにばかり特化してしまったがために、ショーとしての完成度は、正直言って、前作よりかなり見劣りがしてしまったのでした。うーん、これはなんとも残念だ。
特にラストのコンテストのステージがねぇ。それまでにも魅力的なダンスのシーンが次々と出てはきたけれど、それらは全て細切れで、最後のクライマックスを待ちなされ、という前座感覚でストーリーが進行していったので、ラストステージ、どんだけ凄いことに! という期待がものすごく膨らんでしまっていただけに、あれではやっぱりがっかりカモシカ。
途中ずっと、リハーサルする時間がない、というのがキーになってたので、嫌な予感はしてたんだけど、結局5人のダンサーたちが全員で合わせて踊る、っていうのが一個もなかったのね。海辺のキャンプか、ローマ(ジェイダ・ピンケット=スミス)の店のシーンか、ナンシー(アンディ・マクダウェル)の邸宅のシーンか、どっかひとつでいいからリハーサルのために時間を割いててくれたらなぁ、というのが非常に無念ですね。
マイクの"ミラーダンス"なんてパフォーマンスは、完成度も難易度も高いものだったと思うんだけど、事前の合わせの時間がなかったせいで、パートナーとなったのはローマの店から来たキャラクター描写のない助っ人くん、そのため、パフォーマンスの間中、相方の顔は一切映らない。ふたりのダンサーが心をあわせてひとつのパフォーマンスをしている、という醍醐味も味わえない。
もういっそ、ラインダンスでいいから5人で一緒にステージに立ってほしかったよ。そういう意味ではダラスってやっぱ偉大なプロデューサーだったんだなぁ。
好きだったシーンは、お金持ちのナンシーから借りたイカしたオープンカーに5人で乗り込んで走るシーン。後部座席にはターザンとケンとティトの三人が座ってたんだけど、ケンとティトのふたりってば母鳥に守られてる小鳥みたいに、真ん中に座ったターザンの腕の中にすっぽりと納まってるのよ。や、これは、ターザンが腕をおろしちゃうと両隣のふたりがはみ出しちゃうくらい座席が小さかったせいだってことはわかるんだけど、それにしたって絵柄が微笑ましくて、幸福で。
もうひとつはリッチーがコンビニで踊るシーン。
ダラスのお仕着せのダンスは踊りたくないけど、新しいダンスを披露する自信が持てないリッチー、そんなリッチーに仲間たちは、You can do it! とばかりはやしたて、あのコンビニで店番の女の子を笑わせることができたら、そしたら新しいダンスを踊ること、という賭けを持ち出す。というわけでコンビニでひとり、セクシーダンスを披露するリッチー。ああ、しかし、女の子は笑ってくれるのか? ここで滑ったら目もあてられん! と観客が手に汗握ったその瞬間、お葬式みたいにむっつりしていた店番の女の子がにっこり笑ってくれたその時の幸福感ときたら、もう。
まあ、現実には、ひとりで店番してるときにあんなのが来たら、迷わず通報するがな。(おい)。
・マジック・マイクXXL@ぴあ映画生活
踊れるマッチョが帰ってきました。
今回の監督はグレゴリー・ジェイコブズ、マッチョはもちろんチャニング・テイタム☆
■マジック・マイク
あれから3年。ストリッパーを引退したマイク(チャニング・テイタム)は、かつての仲間たちとも疎遠になっていたが、ある日突然、ターザン(ケヴィン・ナッシュ)からの電話を受ける。ダラスが死んだと言うのだ。複雑な気持ちで通夜に駆けつけたマイクだったが、行ってみるとそこはパーティ。ダラスの訃報はマイクを引っ張り出すためのおふざけで、あっさりダラスに見捨てられ行き場を失った「エクスクイジット」のダンサーたちは、引退前に最後にひと花咲かせるべく、ストリップ大会に出場しようとしていたのだった。
夢だった手作り家具の仕事で独立し、名実ともに「実業家」となったはずのマイクでしたが、現状が手放しでハッピーとは言い難かった。確かにやりたかった仕事をやれてはいるれど、未だ店舗も持てず、唯一雇っている従業員を保険に入れてやることもできず、それよりなにより、家も指輪も用意したのに、肝心の彼女には振られてしまった。なぜだかさっぱりわからないけど、なんかおれ、ドツボにはまってるっぽい。なんだよ、この、空っぽの家は。ほんとにこれがおれの望んでた暮らしだったのか?
ターザンの声を聞いたのはそんな時。すっかり引退していたはずなのに、一本の電話でダンスへの情熱が蘇り、どうせ一回限りのことならば、おれもみんなと一緒にやろう! かくてマイクは"CEO"である身分をいいことに、いきなり仕事を休み、仲間たちのキャラバンに加わるのです。
というわけでね、今回の「エクスクイジット」のメンバーたちは、立場的には、前回の比ではない崖っぷちにいるわけです。前回ですら30越えてストリッパー? とバカにされてたくらいなのに、年齢ならさらにそれから三つくってる上に、頼りにしていたダラスからも見放されてしまった。かつての仲間たちの中で、現場労働者ではなく経営者としての才覚を持っていたのはダラスだけで(マイクだけは若干その素養があったけれど)、ダラスがいなくなってしまえばもう踊ることすらできない。
だというのになぜか、今作には前作にあった物悲しさがないのです。
前作では、男性ストリッパーの世界を、ショーとして極めて魅力的に描写しつつ、実はそれらはひと時の徒花、虚構の祝祭であって、いつかは醒めなければならない儚い夢、いずれは出て行かねばならない仮の宿として描いていました。
だけど今作のダンサーたちは、そんな夢から醒めた後、それでも続く確かな人生の固い地盤の上に立ち、さてこれから新しい一歩を踏み出そうとしているのです。あちら側での営みを終え、しかしまだこちら側で本格的に傷ついてはいない。それはまたタイムポケットのような架空の時間ではあるのだけれど、ここでかれらの視線はまっすぐに前を向いていて、そのさきには確実に光がある(ように思える)。
マイクの家具商売は、別に頓挫したわけじゃない。ただちょっと軌道に乗っていないだけ。キャッシュフローだってしっかり掴める賢いマイクだもの、いつかそのうち、もしかして、もしかするかもしれない。
ティト(アダム・ロドリゲス)はフローズンヨーグルト屋という新しい目標を見つけた。まだ海のものとも山のものともつかないけれど、どうやらティトにはおいしいヨーグルトを作る才能があるらしい。本気で頑張れば、もしかして、もしかするかもしれない。
ターザンはアーティストだ。アーティストなんて自己申告の世界。踊れなくなってもアートはできる。本気で続けていけば、もしかして、もしかするかもしれない。
ケン(マット・ボマー)は役者になる道を諦めてはいない。なにしろあの美貌とあの美声だもの、ハリウッドで芽が出ないとしたら、そっちの方がどうかしている。いい役にさえ巡りあえたら、もしかして、もしかするかもしれない。
リッチー(ジョー・マンガニエロ)は、リッチーは……、まだやりたいことが掴めてないけど、うん、まあ、なんだ、リッチーはとことんいいヤツだ。ハンサムでチャーミングでたくましくて素直だ。こんないい人間を、神様がお見捨てになるわけがない。ひょんなきっかけで"何か"に巡り合えたとしたら、もしかして、もしかするかもしれない。
みんなまだ、先のことなんかわからない。だけど誰も絶望したり、いじけたり、恨んだり、ドラッグやアルコールに逃げこんだりしていない。まだ途中だ。それはそうだ。この映画はロードムービーだ。旅の半ばの一日だ。旅はこのさきも続く。ただそれでいい。
そんな風に思えるのも、今作は前作とは違い、マイク以外のキャラクターにもしっかり光を当てて丹念に描写しているからです。特にケンとリッチーの描写が増え、しっかりとした人格が付与されていた点が大きいのです。だってなにしろふたりともとんでもなく魅力的だものね。
あるいは、「おれ、フローズンヨーグルトの商売、うまくやっていけるかなぁ?」というティトに対して、「あとで帳簿とか一緒に見てみようか?」と"実業家"のマイクが応じるシーンの優しさ。そしてまたあるいは、「長いつきあいなのに、おれ、あんたのこと何にも知らなかったなぁ」と呆れるマイクに対して、「あの時電話をかけたのは、おまえをからかおうとしたからじゃないぜ? 本気でおまえの声が聴きたくってさ」とターザンが告げるシーンの胸をしめつけるような感じ。
そんな風にキャラクターたちに容易に感情移入できるドラマ作りと同時に、ショーとしての輝きもやはり特筆したいところ。なんていうか、かれらのショーの徹底的な優しさは凄い。観客に対する問答無用の全面的な肯定。こんなの世界のどこにもない。かれらのパフォーマンスは、単に欲の対象として消費されるわけじゃない。観客がクイーンなら、パフォーマーだってキングだ。決して執事や下僕じゃない。両者の関係は絶対的に対等で、相手の幸せを念じる思いだけがそこにある。
ショーの性質上、ダンスは全て性的なメタファーになるのだけど、というかぶっちゃけ、全てはセックスそのものなんだけど、この世界観はセックスの定義を変えかねない勢いがある。相手を楽しませるためのセックス、相手を気持ちよくするためのセックス、相手に喜ばれるためのセックス、楽しいセックス、嬉しいセックス、幸せなセックス、要するにただひたすらこぼれんばかりの愛のあるセックス。そこにあるのはセクハラや暴力やレイプとは真逆の世界です。これは凄い。こういう価値観が全ての人類に浸透すれば、人類はどれだけ幸せになれるだろう。それはひとつの革命だ。逆に言えば、それを革命とすら思わねばならない現状は切ない。
ただ、ね、ただ、ひとつだけ、言わせてもらえば。
そのメッセージは確かに重要なメッセージではあるのだけれど、そこにばかり特化してしまったがために、ショーとしての完成度は、正直言って、前作よりかなり見劣りがしてしまったのでした。うーん、これはなんとも残念だ。
特にラストのコンテストのステージがねぇ。それまでにも魅力的なダンスのシーンが次々と出てはきたけれど、それらは全て細切れで、最後のクライマックスを待ちなされ、という前座感覚でストーリーが進行していったので、ラストステージ、どんだけ凄いことに! という期待がものすごく膨らんでしまっていただけに、あれではやっぱりがっかりカモシカ。
途中ずっと、リハーサルする時間がない、というのがキーになってたので、嫌な予感はしてたんだけど、結局5人のダンサーたちが全員で合わせて踊る、っていうのが一個もなかったのね。海辺のキャンプか、ローマ(ジェイダ・ピンケット=スミス)の店のシーンか、ナンシー(アンディ・マクダウェル)の邸宅のシーンか、どっかひとつでいいからリハーサルのために時間を割いててくれたらなぁ、というのが非常に無念ですね。
マイクの"ミラーダンス"なんてパフォーマンスは、完成度も難易度も高いものだったと思うんだけど、事前の合わせの時間がなかったせいで、パートナーとなったのはローマの店から来たキャラクター描写のない助っ人くん、そのため、パフォーマンスの間中、相方の顔は一切映らない。ふたりのダンサーが心をあわせてひとつのパフォーマンスをしている、という醍醐味も味わえない。
もういっそ、ラインダンスでいいから5人で一緒にステージに立ってほしかったよ。そういう意味ではダラスってやっぱ偉大なプロデューサーだったんだなぁ。
好きだったシーンは、お金持ちのナンシーから借りたイカしたオープンカーに5人で乗り込んで走るシーン。後部座席にはターザンとケンとティトの三人が座ってたんだけど、ケンとティトのふたりってば母鳥に守られてる小鳥みたいに、真ん中に座ったターザンの腕の中にすっぽりと納まってるのよ。や、これは、ターザンが腕をおろしちゃうと両隣のふたりがはみ出しちゃうくらい座席が小さかったせいだってことはわかるんだけど、それにしたって絵柄が微笑ましくて、幸福で。
もうひとつはリッチーがコンビニで踊るシーン。
ダラスのお仕着せのダンスは踊りたくないけど、新しいダンスを披露する自信が持てないリッチー、そんなリッチーに仲間たちは、You can do it! とばかりはやしたて、あのコンビニで店番の女の子を笑わせることができたら、そしたら新しいダンスを踊ること、という賭けを持ち出す。というわけでコンビニでひとり、セクシーダンスを披露するリッチー。ああ、しかし、女の子は笑ってくれるのか? ここで滑ったら目もあてられん! と観客が手に汗握ったその瞬間、お葬式みたいにむっつりしていた店番の女の子がにっこり笑ってくれたその時の幸福感ときたら、もう。
まあ、現実には、ひとりで店番してるときにあんなのが来たら、迷わず通報するがな。(おい)。
・マジック・マイクXXL@ぴあ映画生活
by shirakian
| 2015-10-31 19:13
| 映画ま行