2015年 09月 04日
ナイトクローラー
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★ネタバレ注意★
ダン・ギルロイ監督のアメリカ映画です。
ジェイク・ギレンホール主演。
最初っから最後までギリギリの緊張感とスピード感が持続する超鳥肌映画。なのに全国で10館しかやってない。解せぬ。
ロサンゼルスの夜の底を蠢くルイス・ブルーム(ジェイク・ギレンホール)は、定職にも就けず、盗品を売りさばいてのその日暮らしながら、ネットで仕入れた情報で膨れあがった頭は、病的な自尊心と根拠のない万能感にあふれていた。そんなブルームがよくいるネット廃人と一線を画すのは、かれがあるスペシャリティについて天性の才能を持っていたことだった。それは"stringer"と呼ばれるフリーランスのニュースカメラマン。傍受した警察無線をもとに、事件や事故の現場にいち早く駆けつけ、扇情的な映像を撮影してテレビ局に高く売りつける仕事。偶然そんな仕事があることを知ったブルームは、即座に適性があることを確信し、その道でのし上がっていくのだが。
というわけで、この物語はある種のサクセスストーリーです。
自分に適性のある仕事と巡り合えた主人公が、その仕事で成功するために人一倍頑張って、頑張りに見合った結果を出していく話。と言えば美談に聞こえるけれど、その成功者としてのジェイク・ギレンホールがものっそキモイと大絶賛されているのです。
キモイが賛辞になるのは役者という職業ならではだよね。思うに、役者を志すほどの人はみな容姿に自信がある人たちばっかなので、イケメンであって当たり前、イケメンと褒められたところで何の勲章にもならないのでしょう。であれば、ジェイク、キモかったよ、ほんとぉにキモかったよ、夢に出てきそうなくらいキモかったよ。あなたの病んだギョロ目が脳裏に焼き付いて離れないのよ。
映画冒頭、金属製のフェンスを盗もうとして警備員に見咎められると、慌てるどころか冷静に警備員の腕時計を値踏みし、躊躇うことなく殴り倒して時計を盗む。盗品のフェンスを売りつけにいった先では、今度は自分を雇えと言葉滑らかに売り込みを始める。当然、盗品を持ち込んでくるような男を雇う経営者などいるわけもなく、あっさり敗退するも、特に悪びれるところもないブルーム。冒頭の数分間で、この男の異常性が余すところなく浮き彫りにされていきます。
たぶんかれは知能は高い。いかにもそれらしい高説を理路整然と述べ立てることができるし、相手の言説の矛盾をついたり、動揺を誘ったりすることも巧み。かれの言っていることは、一見「正論」に聞こえるけれど、社会が共有している大事な前提条件がすっぽりと抜け落ちていて、人としての本質から大きく逸脱している。要するに倫理観が欠如しているのだけど、本人にその自覚はない。自分の考えが正しいことは、日々ネットの情報で確認補強されていくし、自分がおかしいと気づかせてくれる客観的な存在が身近にいない。その必要(時計を盗むために殴り倒すといった)がない限り、基本的に礼儀正しいし、人当たりもいいし、ドラッグやアルコールに溺れることもないし、無意味な浪費に走ることもない。闇に埋もれていれば誰もその存在に気づかない。だけどその実態は倫理観を持たないモンスターだ。
フリーのニュース屋として幾つものスクープを放ち、それなりの成功を果たしたブルームは、ぬかりなく自己投資して、「会社」の規模を拡大し、複数の従業員を雇うまでになる。ラストシーンは、そんな新たな従業員たちに対するブルームの訓示で終わる。
曰く、おれは自分でやらないことをきみたちに強制することは決してない、と。
ウブな新人の耳には、公平で寛大な訓示に聞こえる。若者たちの目は「クリエイティブ」な仕事ができる希望に輝いている。
だけどそれはつまり、自分のやることは当然きみたちにもやってもらう、ということを意味している。ブルームのやることというのは、よりよい「画」を売りつけるために、ドアが開いていれば断りもなく個人宅に侵入するということであり、事故現場で見つけた遺体の位置を勝手に移動させるということであり、派手な逮捕劇の場面に「居合わせる」ために敢えて殺人犯について知り得た情報を握りつぶすことであり、よりショッキングなシーンを演出するためなら助手の命を喜んで犠牲にするということだ。
新しい従業員たちは、まだそれを知らない。
ブルームには、事件を嗅ぎ分ける嗅覚と、並外れた勤勉さと、研ぎ澄まされた反射神経と、厭らしいほどの映像センスがある。まるでそのフィールドに最適化した野生動物のような男だ。
かれが手を染め、次第にエスカレートしていく手段の悪辣さは、ただただいい画を撮りたい一心のアーティスティックな欲求なんかじゃ決してない。死体を描く画家が、より真に迫った死体を描きたいがために実際にモデルを殺してしまう、といった病的さとはカテゴリーが異なる。かれの動機はあくまで自分のエゴの充足。自分の撮った画が人々の興味を集め、高視聴率をはじき出し、もてはやされればそれでいい。
問題なのはかれのそのエゴがとてつもなく肥大しているということ。それはネットという閉鎖空間で、誰にも邪魔されることなく餌を与えられ育まれてきた結果。かれはよい画のために自分を犠牲にするつもりなど毛頭ない。自分を犠牲になんかしたら、この肥大したエゴをどうやって満たすことができようか。かれにはギリギリの引き際が常に見えている。だからこの物語は、暴走した男の転落譚にはならない。あくまでサクセスストーリーとして終わるのだ。
ブルームの行動は、それはもう色々と恐ろしい。中でもやはり、助手を見殺しにする、というより、わざと罠に引き込んで殺すエピソードのえぐさは群をぬいている。
一晩30ドルの低賃金で半端仕事をこなしていた助手のリック(リズ・アーメッド)は、次第に内情を知るにつれ欲を出してくる。家畜のように無条件に使役されていればいいものを、あろうことか稼ぎの半分を要求し、意見がましいことまで言ってくる始末。こうなるともはや、ブルームの巨大なエゴの充足という目的の前に、実務で役に立つというささやかなメリットなど吹き飛んでしまう。リックはブルームにとって邪魔な存在になる。
ここで怖いのは、だからと言ってブルームが直情的にリックの胸倉を掴んで血で真っ赤に染まるまでダッシュボードに打ち付けるようなことはしない、ということだ。その場はあくまで物わかりのいいふりを装い、二兎をも三兎をも得られる絶好のチャンスを待つ。そのあたりもまた、ブルームをこのフィールドに最適化した野生動物のような男と思う所以。
そして、実はそれ以上におぞましいのが、ブルームの映像を買い取ってくれたテレビ局のディレクター、ニーナ(レネ・ルッソ)に対するセクシャルハラスメント。殺人に比べればたかがセクハラ如き、と思うなかれ。この皮膚感覚のおぞましさは侮れない。
ニーナはもはや若くない女性で、ディレクターとしても下降線。LAで最も低視聴率のニュース局で、二年で首を切られる契約で働いている。一発大逆転のスクープをものにしたい焦りは慢性化しており、よりグラフィックに、センセーショナルに、露骨に、暴力的に、という方向しか見えなくなってしまっている。法的問題さえなければ倫理的問題になんかいくらでも目をつぶることができる。そこをブルームに付け込まれた。
ニーナはブルームに脅される。視聴率がとれる俺の映像がほしければ、おれとセックスしろ、と。このテのセクシャルハラスメントは、若い女が年上の男からされる場合でももちろんおぞましいに決まっているけど、ニーナとブルームのように、女の方がはるかに年上、というケースのやりきれなさはそんな比じゃない。
最初のうちニーナは、よもやブルームが自分に性的欲望を抱いているとは思いもよらないものだから、心底びっくりする。何言ってるのよ、わたしは倍も年上なのよ!
この時ニーナが口にした"twice your age"、あるいは同義の"your mother's age"などという拒否の言葉は、特に日本のように若さだけがもてはやされる社会では伝家の宝刀になり得る。これさえ口にすれば安全圏に逃げられるのだ。だけどブルームは逃がさなかった。
幾つになっても女は男の欲望の対象として見られると嬉しいはず、なんていうのは(ある種の)男の愚かな妄想に過ぎず、盛りを過ぎた肉体が欲望の対象になって嬉しいのは、あくまでそこに愛情がある場合に限る。わたしも年をとったけど、あなたも年をとったわよね、と互いに思いやり慈しむ感情こそが全てで、それがない欲望はフェチズムに他ならない。そんなものが嬉しいはずがない。
実際ブルームは、ニーナに性行為を強要することに成功すると、変態的な行為をも要求してきたらしい。映画では、ブルームの口から「おれがやりたいことを拒否するな」と言わせるにとどまり、何を強要したのかまでは描かれなかったことが幸いだけど(レネ・ルッソは監督の奥さんだからね。監督としてもそこまで描くのは忍びなかったのかな)、仄めかされるだけだからこそ、より一層おぞましさが際立ちもする演出だった。
とにかく、何度でも繰り返し言いますが、ジェイク・ギレンホール、キモかったよ、ほんとぉにキモかったよ、夢に出てきそうなくらいキモかったよ。病んだギョロ目が脳裏に焼き付いて離れないくらいキモかったよ。
・ナイトクローラー@ぴあ映画生活
ダン・ギルロイ監督のアメリカ映画です。
ジェイク・ギレンホール主演。
最初っから最後までギリギリの緊張感とスピード感が持続する超鳥肌映画。なのに全国で10館しかやってない。解せぬ。
ロサンゼルスの夜の底を蠢くルイス・ブルーム(ジェイク・ギレンホール)は、定職にも就けず、盗品を売りさばいてのその日暮らしながら、ネットで仕入れた情報で膨れあがった頭は、病的な自尊心と根拠のない万能感にあふれていた。そんなブルームがよくいるネット廃人と一線を画すのは、かれがあるスペシャリティについて天性の才能を持っていたことだった。それは"stringer"と呼ばれるフリーランスのニュースカメラマン。傍受した警察無線をもとに、事件や事故の現場にいち早く駆けつけ、扇情的な映像を撮影してテレビ局に高く売りつける仕事。偶然そんな仕事があることを知ったブルームは、即座に適性があることを確信し、その道でのし上がっていくのだが。
というわけで、この物語はある種のサクセスストーリーです。
自分に適性のある仕事と巡り合えた主人公が、その仕事で成功するために人一倍頑張って、頑張りに見合った結果を出していく話。と言えば美談に聞こえるけれど、その成功者としてのジェイク・ギレンホールがものっそキモイと大絶賛されているのです。
キモイが賛辞になるのは役者という職業ならではだよね。思うに、役者を志すほどの人はみな容姿に自信がある人たちばっかなので、イケメンであって当たり前、イケメンと褒められたところで何の勲章にもならないのでしょう。であれば、ジェイク、キモかったよ、ほんとぉにキモかったよ、夢に出てきそうなくらいキモかったよ。あなたの病んだギョロ目が脳裏に焼き付いて離れないのよ。
映画冒頭、金属製のフェンスを盗もうとして警備員に見咎められると、慌てるどころか冷静に警備員の腕時計を値踏みし、躊躇うことなく殴り倒して時計を盗む。盗品のフェンスを売りつけにいった先では、今度は自分を雇えと言葉滑らかに売り込みを始める。当然、盗品を持ち込んでくるような男を雇う経営者などいるわけもなく、あっさり敗退するも、特に悪びれるところもないブルーム。冒頭の数分間で、この男の異常性が余すところなく浮き彫りにされていきます。
たぶんかれは知能は高い。いかにもそれらしい高説を理路整然と述べ立てることができるし、相手の言説の矛盾をついたり、動揺を誘ったりすることも巧み。かれの言っていることは、一見「正論」に聞こえるけれど、社会が共有している大事な前提条件がすっぽりと抜け落ちていて、人としての本質から大きく逸脱している。要するに倫理観が欠如しているのだけど、本人にその自覚はない。自分の考えが正しいことは、日々ネットの情報で確認補強されていくし、自分がおかしいと気づかせてくれる客観的な存在が身近にいない。その必要(時計を盗むために殴り倒すといった)がない限り、基本的に礼儀正しいし、人当たりもいいし、ドラッグやアルコールに溺れることもないし、無意味な浪費に走ることもない。闇に埋もれていれば誰もその存在に気づかない。だけどその実態は倫理観を持たないモンスターだ。
フリーのニュース屋として幾つものスクープを放ち、それなりの成功を果たしたブルームは、ぬかりなく自己投資して、「会社」の規模を拡大し、複数の従業員を雇うまでになる。ラストシーンは、そんな新たな従業員たちに対するブルームの訓示で終わる。
曰く、おれは自分でやらないことをきみたちに強制することは決してない、と。
ウブな新人の耳には、公平で寛大な訓示に聞こえる。若者たちの目は「クリエイティブ」な仕事ができる希望に輝いている。
だけどそれはつまり、自分のやることは当然きみたちにもやってもらう、ということを意味している。ブルームのやることというのは、よりよい「画」を売りつけるために、ドアが開いていれば断りもなく個人宅に侵入するということであり、事故現場で見つけた遺体の位置を勝手に移動させるということであり、派手な逮捕劇の場面に「居合わせる」ために敢えて殺人犯について知り得た情報を握りつぶすことであり、よりショッキングなシーンを演出するためなら助手の命を喜んで犠牲にするということだ。
新しい従業員たちは、まだそれを知らない。
ブルームには、事件を嗅ぎ分ける嗅覚と、並外れた勤勉さと、研ぎ澄まされた反射神経と、厭らしいほどの映像センスがある。まるでそのフィールドに最適化した野生動物のような男だ。
かれが手を染め、次第にエスカレートしていく手段の悪辣さは、ただただいい画を撮りたい一心のアーティスティックな欲求なんかじゃ決してない。死体を描く画家が、より真に迫った死体を描きたいがために実際にモデルを殺してしまう、といった病的さとはカテゴリーが異なる。かれの動機はあくまで自分のエゴの充足。自分の撮った画が人々の興味を集め、高視聴率をはじき出し、もてはやされればそれでいい。
問題なのはかれのそのエゴがとてつもなく肥大しているということ。それはネットという閉鎖空間で、誰にも邪魔されることなく餌を与えられ育まれてきた結果。かれはよい画のために自分を犠牲にするつもりなど毛頭ない。自分を犠牲になんかしたら、この肥大したエゴをどうやって満たすことができようか。かれにはギリギリの引き際が常に見えている。だからこの物語は、暴走した男の転落譚にはならない。あくまでサクセスストーリーとして終わるのだ。
ブルームの行動は、それはもう色々と恐ろしい。中でもやはり、助手を見殺しにする、というより、わざと罠に引き込んで殺すエピソードのえぐさは群をぬいている。
一晩30ドルの低賃金で半端仕事をこなしていた助手のリック(リズ・アーメッド)は、次第に内情を知るにつれ欲を出してくる。家畜のように無条件に使役されていればいいものを、あろうことか稼ぎの半分を要求し、意見がましいことまで言ってくる始末。こうなるともはや、ブルームの巨大なエゴの充足という目的の前に、実務で役に立つというささやかなメリットなど吹き飛んでしまう。リックはブルームにとって邪魔な存在になる。
ここで怖いのは、だからと言ってブルームが直情的にリックの胸倉を掴んで血で真っ赤に染まるまでダッシュボードに打ち付けるようなことはしない、ということだ。その場はあくまで物わかりのいいふりを装い、二兎をも三兎をも得られる絶好のチャンスを待つ。そのあたりもまた、ブルームをこのフィールドに最適化した野生動物のような男と思う所以。
そして、実はそれ以上におぞましいのが、ブルームの映像を買い取ってくれたテレビ局のディレクター、ニーナ(レネ・ルッソ)に対するセクシャルハラスメント。殺人に比べればたかがセクハラ如き、と思うなかれ。この皮膚感覚のおぞましさは侮れない。
ニーナはもはや若くない女性で、ディレクターとしても下降線。LAで最も低視聴率のニュース局で、二年で首を切られる契約で働いている。一発大逆転のスクープをものにしたい焦りは慢性化しており、よりグラフィックに、センセーショナルに、露骨に、暴力的に、という方向しか見えなくなってしまっている。法的問題さえなければ倫理的問題になんかいくらでも目をつぶることができる。そこをブルームに付け込まれた。
ニーナはブルームに脅される。視聴率がとれる俺の映像がほしければ、おれとセックスしろ、と。このテのセクシャルハラスメントは、若い女が年上の男からされる場合でももちろんおぞましいに決まっているけど、ニーナとブルームのように、女の方がはるかに年上、というケースのやりきれなさはそんな比じゃない。
最初のうちニーナは、よもやブルームが自分に性的欲望を抱いているとは思いもよらないものだから、心底びっくりする。何言ってるのよ、わたしは倍も年上なのよ!
この時ニーナが口にした"twice your age"、あるいは同義の"your mother's age"などという拒否の言葉は、特に日本のように若さだけがもてはやされる社会では伝家の宝刀になり得る。これさえ口にすれば安全圏に逃げられるのだ。だけどブルームは逃がさなかった。
幾つになっても女は男の欲望の対象として見られると嬉しいはず、なんていうのは(ある種の)男の愚かな妄想に過ぎず、盛りを過ぎた肉体が欲望の対象になって嬉しいのは、あくまでそこに愛情がある場合に限る。わたしも年をとったけど、あなたも年をとったわよね、と互いに思いやり慈しむ感情こそが全てで、それがない欲望はフェチズムに他ならない。そんなものが嬉しいはずがない。
実際ブルームは、ニーナに性行為を強要することに成功すると、変態的な行為をも要求してきたらしい。映画では、ブルームの口から「おれがやりたいことを拒否するな」と言わせるにとどまり、何を強要したのかまでは描かれなかったことが幸いだけど(レネ・ルッソは監督の奥さんだからね。監督としてもそこまで描くのは忍びなかったのかな)、仄めかされるだけだからこそ、より一層おぞましさが際立ちもする演出だった。
とにかく、何度でも繰り返し言いますが、ジェイク・ギレンホール、キモかったよ、ほんとぉにキモかったよ、夢に出てきそうなくらいキモかったよ。病んだギョロ目が脳裏に焼き付いて離れないくらいキモかったよ。
・ナイトクローラー@ぴあ映画生活
by shirakian
| 2015-09-04 17:38
| 映画な行