2015年 08月 19日
【海外ドラマ】PERSON of INTEREST 犯罪予知ユニット/シーズン3
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★ネタバレ注意★
■PERSON of INTEREST 犯罪予知ユニット/シーズン1
■PERSON of INTEREST 犯罪予知ユニット/シーズン2
とてつもない戦いが始まろうとしているという胃の痛くなるような前シーズンラストから一転、シーズン3は意外なほどコミカルな雰囲気で始まります。ファスコとショウ、リースとショウ、フィンチとショウ、笑いを担当しているのは主にショウなんだけど、それはなんともチャーミングな空気感で、むしろこのままずっとコメディ路線でいってくれても一向に構わなくてよ、と思ったのですが、そうは問屋が卸さなかった。
今シーズン最大の出来事がカーターの退場であるということは初めからわかってはいたけれど、最初っから思いきり不穏な空気が立ち込めていました。起こるとわかっている悲劇に対し手をこまねいて待つことしかできない切なさ。幸いなのは、それが決してフィンチの活動に巻き込まれた結果ではなく、あくまでHRがらみのものであったということで、ということは彼女自身の戦いであり、納得の上引き受けた結果であったであろうということです。
こうなるに至っては彼女自身にも非がなかったわけじゃない。なにしろたった一人で全てを抱え込んでしまったのだから。更に悪いことに、それは単にスタンドプレイであったのみならず、無謀なブラインドワークでもあった。もしも最初から、イライアスを保護していることも含めてフィンチやファスコと情報を共有していたら、もっと緻密な作戦を練る余裕があり、こういう結果には至らなかったのではないかと、悔やまれてならないのです。
しかしそれは起こってしまった。犯人は当然予測してしかるべき人物だったし、それが起こった時、物理的に一番そばにいたのはリースでした。起こったことに対して誰かを譴責しなければならないのだとしたら、その責めを負うべきはリース自身に他ならなかったはずなのに、かれの怒りはあろうことかフィンチに向かってしまった。
あんたはおれに何も言っちゃあくれなかった。あんたのマシン同様に。あんたは全部わかっていたくせに、それをシェアする気なんかなかったんだ。
あんたらコンピュータガイってやつは、自分じゃコントロールできないものを拵えて、いざそれが暴走したら、責任なんか取りゃしない。それでほんとに世界を少しでもよくしてるつもりなのか? 暴力を止められたと本気で思っているのか?
シモンズと対峙した時、あくまで司直の手に委ねることを選択したファスコ。クインと対峙した時、結局引き金をひいてしまったリース。耳元でフィンチに、あんなに優しい悲しい声で説得されたにもかかわらず。
後になって思えば、あれらは全てリースの甘えだったのだとわかる。フィンチと二人きりで二人三脚で闘ってきた二年に及ぶ歳月が、かれを増長させてしまった。その結果リースは、最も手痛い形でしっぺ返しをくらうことになった。
ショウの参入により、廃図書館がフィンチとリースの聖域ではなくなり、ファスコがセーフハウスに当たり前に出入りするようになり、フィンチ、リース、ファスコ、ショウという一つの「チーム」ができあがった。そしてその四人は、それぞれの形で傷つき、その傷を乗り越えてきた人々であることが語られていきます。
特にフィンチです。
フェリーの事件からまだ日も浅いある時、カウンセラーの前に座るフィンチ。何について語りたいかと問われて答える。
悲しみについてです。わたしは悲しみについて語りたいのです。それがどのように作用するのかを知りたい。それには何か目的があるのか。前向きなよい意味での目的です。つまり、わたしは自分がしてしまったことについて、もっとよい選択があったのではないかと思ってしまうのです。もっと違ったやり方、もっとよいやり方があったのではないかと。
フィンチの必死の訴えに対し、カウンセラーは職業的な一般論で答える。
サバイバーズギルト。生き残った者の罪悪感ですね。友の死を自分のせいだと感じる一方で、実はもっと辛い現実から目を逸らしているのです。あなたは神ではない、ということです。あなたには人の生き死にをコントロールすることはできない。あなたはそのことで無力感を感じていますが、取りも直さずそれは、ご友人の死はあなたのせいではないということです。あなたがお感じの罪悪感は、いずれなくなりますよ。
フィンチは自分の言わんとしたことが相手に伝わらなかったことを悟る。そこで静かに問い重ねます。
それでは一つお聞かせください。その生き残った者の罪悪感というものは、もし、起こったことの全てが、掛け値なしの本当の意味であなたのせいだとしても、いずれはなくなるものなのですか?
フィンチの自責の念は、リースなんぞに当てこすられなくても、とっくに臨界点を超えている。一点の曇りもない完全に善良な動機で始めたことでも、その結果何が起こってしまったか。フィンチは全てを自分の肩で受け止めている。誰に転嫁するつもりもない。だけど日々繰り返し自問せずにはいられない。果たしてこの悲しみに前向きなよい意味での目的があるのかと。
ディリンジャーの存在が語ること。リースと組むようになる前に、フィンチの実働部隊として働いた凄腕の工作員。フィンチにはフィールドに出られる人材がどうしても必要だった。リースはフィンチにとって最初のスーツの男ではなかった。ましてやそれはディリンジャーでもない。フィンチにとっての最初のスーツの男は、恐らくネイサン・イングラムだったのだ。
このエピで瞠目すべきは、ディリンジャーが保護する対象者にとっての脅威が、その対象者を国家に対する脅威として狙うCIA暗殺者のリースであったことであり、結果的にディリンジャーを殺したのが、ノーザンライツの工作員であったショウだったということ。それらはみな、フィンチの目の前で起きた。物語の整合性を微塵も損なうことなく、こんな離れ業をやってのけるカミソリのような脚本には、全く惚れ惚れするしかないけれど、それより前にやはり胸に迫ってくるのは、まだ車椅子が必要なコンディションの時から、フィンチが「無用」なナンバーの救済に当たっていたということ。
身体の傷が全く癒えていないその時期、心の傷はいかほどばかりであっただろう。「自分のせいで」ネイサンを失って、それでも引きこもってしまうのではなく、立ち上がって立ち向かって闘うことを選んだ。なのに再び自分が巻き込だディリンジャーをも「自分のせいで」死なせてしまった。フィンチは自らシャベルをとって、冷たい土にパートナーを埋めた。フィンチのその「悲しみ」は、考えるだに恐ろしい。それなのに立ち止まらず前に進み続けた。
傷ついた肉体の儚さと、とてつもない精神の強さ。
以前、フィンチのアイデンティティーを奪い、成り代わってみせると言った男に対し、フィンチは冷たい目をして吐き捨てた。You have no idea. 君ごときにわかるわたしではないよ。
この上なく複雑で、毅然として揺るぎない信念の人は、自分が生み出したマシンを、それがその本来の目的に従って動く「マシン」である限り、断固として信頼し続けた。なぜならフィンチはそのようにマシンを作ったのだから。人々の命を助けるために。しかしそのマシンが、最大多数の最大幸福のための止むを得ぬ犠牲として、米国下院議員のマコートに対する殺害指令を出してきた。もともと国家に対する脅威を排除することが仕事だったリースもショウも、それが合理的な指令である以上、従うに吝かではなかった。だけどフィンチはそうはいかない。
我々がこの仕事を初めて以来、様々なことが変化したし、我々もまた変わってしまった。でもこの任務は、我々の目的は、いつだって揺らぎないものだった。人命を救うということなんだ。もしそれが何らかの理由で変わってしまって、今我々がいる場所が、マシンが我々に人を殺せと要求する場所であるのなら、そんな場所には、わたしは行けない。わたしはここで降りなければならない。
That's a place I can't go. 血を吐くような声でそう告げたフィンチが、しかし、マコートを殺さなかったことによってゴーサインが出されたサマリタンにより、グレースが脅威に曝されてしまった時、あまりにも痛ましい台詞を口にする。
それからあと一つ、わたしはできるだけ暴力は避けてほしいと思っているが、だが、かれらがいかなる形であれグレースを傷つけたなら、皆殺しにしてくれ。
Kill them all.フィンチの口から、よりによってフィンチの口から、こんな言葉が語られてしまった。
この台詞に先立ち、フィンチがジョン・グリアによる人質交換の申し出に応じると告げた時、何の疚しいところもないショウは、まっすぐにフィンチの目を見つめて、行くな、三人で闘おう、と言うことができた。だけどリースにはそれが言えなかった。あんたがそれを望むなら、仰せのままに。リースにはそう言うしかなかった。
カーターを失った辛さのあまり職場放棄をしてしまったリースは、一度フィンチを裏切っている。マシンの不確定性が信用できなかったリースだけれど、それは取りも直さずフィンチその人に対する不信の表明でもあった。その結果、リースはフィンチを危険に曝した。
人生を再びやり直させてくれたことを心の底から感謝している、そう口にした言葉が嘘でないのなら、リースがフィンチを見捨てることなどありえなかったはずなのに。フィンチ自身がどんなにそれを望まなくても、リースのすべきことはフィンチを守ることに他ならなかったはずで、一度死んだ人生を生きるリースの存在目的は、もはやそれ以外になかったはずなのに。
フィンチが耐えてのけた「悲しみ」に負けて、持ち場を放棄したリースの身に返された最も手痛いしっぺ返し。それはフィンチを失うこと。黙ってかれを行かせてしまうこと。さきのシーズンでは、ルートからかかってきた「電話に出る」だけでも鬼の形相で警戒しフィンチを守ろうとした番犬が、みすみすフィンチを敵の手に渡してしまった。行くなと言う権利を持てなかった。そしてその挙句、あんな台詞を言わせてしまった。リースの胸中を思うと、胸が潰れるどころじゃない。フィンチ、リースは、あなたほどには強くない。肉体は強靭でも、心は脆い。
そして弱い心のリースは、一旦はフィンチの決断を尊重しておきながら、それでも土壇場になって言わずにはおれなかった。こんなことしないでくれ。他に方法はある。もっと酷い時だって乗り越えてきたじゃないか、と。
リースにはまだ、フィンチの覚悟の途方もなさがわかっていない。そもそもこれを始めた時から、フィンチは全てを見通していた。全ての可能性を見越した上で、それでもそこに踏みとどまり、それでもそれを続けてきた。
マシンが稼働を始めた日から、決してそれから逃れられないことは覚悟していた。そして、わたしが気にかける人が危険に曝されることも。だからわたしは政府や当局から身を隠し続けてきた。そうして事態はここまできた。この瞬間は必然なんだよ。いつか必ず訪れるべきものだ。わたしはそれを受け入れなければならない。
必ず助けに行くからと、懇願にも祈りにも慟哭にも似たリースの言葉は、フィンチには受け入れてもらえない。言ったはずだよ、わたしを守ることはきみの仕事ではない。
だけどもちろん、それでリースが退くわけがない。
迫りくるサマリタン起動の時に向けて、複数のタスクで忙しいルートにリースは噛みつく。おれたちが気にかけるべきたったひとつのことはフィンチだけだ。the only thing.最優先事項ですらない。
しかしそのonly thingであるフィンチ自身の命は、フィンチにとっての重要課題ではない。ヴィジランスに拘束された人々の命を救うために、フィンチは自分の身を投げ出してしまう。ただそこで切ないのは、フィンチは強い人ではあるけれど、リースやショウのような訓練された工作員ではないということ。どんなに秘密主義を貫こうとも、思いが全部顔に出てしまうのだ。ヴィジランスが裁判と呼ぶ処刑のその場所で、意外なほど豊かなフィンチの表情は、刻々とその身内の思いを刻み出してしまう。不信、不安、不快、嫌悪、失望、驚愕、怒り、そしてなにより恐怖。フィンチは怯えていた。身を竦ませて怖がっていた。人々にもたらされる暴力に対して。
そんなフィンチの姿は、人質交換の橋の上で、目隠しされたグレースの"Thank you."の一言とだぶる。あの稀有な女性は、理不尽にも拉致され拘束され目的もわからぬまま目隠しされて歩かされている状況で、足をとられて転びかけた自分の腕を支えてくれた「誰だかわからない相手」に対して、咄嗟にありがとう、と言ってのけたのだ。驚くべき台詞。フィンチとグレースは、この上ない好一対、運命が出会わせたふたりだったのに。
さてそしてそれでも、サマリタンは起動してしまった。フィンチ、リース、ショウ、ルート、サマリタンの最優先ターゲットであったはずの四人(および協力した三人のエンジニア)は、ルートの(つまりはマシンの)手引きによって、何物でもないただの普通の人としての身分を付与され、普通の人々の中に紛れ込んで生活することになった。四人は街に散っていった。チームは消滅した。廃図書館は蹂躙された。もはやかれらがあの場所に戻ることはない。
これもまたとてつもない悲しみであるけれど、その悲しみは不吉な影を帯びている。もしかしたらこの物語の行き着く先は、フィンチという人物に対する全否定なのかもしれない、と。
マシンは人権保護を目的に、閉じたシステムとして構築された。閉じたシステムであること、それが最大の要諦だった。マシンがピックアップするのは特定の個人の社会保障ナンバーだけであり、その個人が黒か白かはあくまで人間が調査して判断する。それはこの上なく聡明なセーフティネットだ。だがしかし、黒か白か判断されるその時まで、当該番号の人物はグレーゾーンに身を置くことになる。そして疑われたというその事実だけで、ある人間の人生が破壊されてしまうこともあり得るのだ。ヴィジランスのコリアーの兄の例として、それが提示されてしまった。
閉じたシステムであることは、免罪符にはなり得ない。依然としてそれが世界最大の監視システムであることには変わりない。
こんな切ない物語の、このシーズンでの最大の喜びは、フィンチが良い親に愛されて幸せな少年時代を過ごし、実りの多い学生生活を送り、それなりに青春を謳歌した人であることが語られたことだったかもしれない。
■PERSON of INTEREST 犯罪予知ユニット/シーズン1
■PERSON of INTEREST 犯罪予知ユニット/シーズン2
とてつもない戦いが始まろうとしているという胃の痛くなるような前シーズンラストから一転、シーズン3は意外なほどコミカルな雰囲気で始まります。ファスコとショウ、リースとショウ、フィンチとショウ、笑いを担当しているのは主にショウなんだけど、それはなんともチャーミングな空気感で、むしろこのままずっとコメディ路線でいってくれても一向に構わなくてよ、と思ったのですが、そうは問屋が卸さなかった。
今シーズン最大の出来事がカーターの退場であるということは初めからわかってはいたけれど、最初っから思いきり不穏な空気が立ち込めていました。起こるとわかっている悲劇に対し手をこまねいて待つことしかできない切なさ。幸いなのは、それが決してフィンチの活動に巻き込まれた結果ではなく、あくまでHRがらみのものであったということで、ということは彼女自身の戦いであり、納得の上引き受けた結果であったであろうということです。
こうなるに至っては彼女自身にも非がなかったわけじゃない。なにしろたった一人で全てを抱え込んでしまったのだから。更に悪いことに、それは単にスタンドプレイであったのみならず、無謀なブラインドワークでもあった。もしも最初から、イライアスを保護していることも含めてフィンチやファスコと情報を共有していたら、もっと緻密な作戦を練る余裕があり、こういう結果には至らなかったのではないかと、悔やまれてならないのです。
しかしそれは起こってしまった。犯人は当然予測してしかるべき人物だったし、それが起こった時、物理的に一番そばにいたのはリースでした。起こったことに対して誰かを譴責しなければならないのだとしたら、その責めを負うべきはリース自身に他ならなかったはずなのに、かれの怒りはあろうことかフィンチに向かってしまった。
あんたはおれに何も言っちゃあくれなかった。あんたのマシン同様に。あんたは全部わかっていたくせに、それをシェアする気なんかなかったんだ。
あんたらコンピュータガイってやつは、自分じゃコントロールできないものを拵えて、いざそれが暴走したら、責任なんか取りゃしない。それでほんとに世界を少しでもよくしてるつもりなのか? 暴力を止められたと本気で思っているのか?
シモンズと対峙した時、あくまで司直の手に委ねることを選択したファスコ。クインと対峙した時、結局引き金をひいてしまったリース。耳元でフィンチに、あんなに優しい悲しい声で説得されたにもかかわらず。
後になって思えば、あれらは全てリースの甘えだったのだとわかる。フィンチと二人きりで二人三脚で闘ってきた二年に及ぶ歳月が、かれを増長させてしまった。その結果リースは、最も手痛い形でしっぺ返しをくらうことになった。
ショウの参入により、廃図書館がフィンチとリースの聖域ではなくなり、ファスコがセーフハウスに当たり前に出入りするようになり、フィンチ、リース、ファスコ、ショウという一つの「チーム」ができあがった。そしてその四人は、それぞれの形で傷つき、その傷を乗り越えてきた人々であることが語られていきます。
特にフィンチです。
フェリーの事件からまだ日も浅いある時、カウンセラーの前に座るフィンチ。何について語りたいかと問われて答える。
悲しみについてです。わたしは悲しみについて語りたいのです。それがどのように作用するのかを知りたい。それには何か目的があるのか。前向きなよい意味での目的です。つまり、わたしは自分がしてしまったことについて、もっとよい選択があったのではないかと思ってしまうのです。もっと違ったやり方、もっとよいやり方があったのではないかと。
フィンチの必死の訴えに対し、カウンセラーは職業的な一般論で答える。
サバイバーズギルト。生き残った者の罪悪感ですね。友の死を自分のせいだと感じる一方で、実はもっと辛い現実から目を逸らしているのです。あなたは神ではない、ということです。あなたには人の生き死にをコントロールすることはできない。あなたはそのことで無力感を感じていますが、取りも直さずそれは、ご友人の死はあなたのせいではないということです。あなたがお感じの罪悪感は、いずれなくなりますよ。
フィンチは自分の言わんとしたことが相手に伝わらなかったことを悟る。そこで静かに問い重ねます。
それでは一つお聞かせください。その生き残った者の罪悪感というものは、もし、起こったことの全てが、掛け値なしの本当の意味であなたのせいだとしても、いずれはなくなるものなのですか?
フィンチの自責の念は、リースなんぞに当てこすられなくても、とっくに臨界点を超えている。一点の曇りもない完全に善良な動機で始めたことでも、その結果何が起こってしまったか。フィンチは全てを自分の肩で受け止めている。誰に転嫁するつもりもない。だけど日々繰り返し自問せずにはいられない。果たしてこの悲しみに前向きなよい意味での目的があるのかと。
ディリンジャーの存在が語ること。リースと組むようになる前に、フィンチの実働部隊として働いた凄腕の工作員。フィンチにはフィールドに出られる人材がどうしても必要だった。リースはフィンチにとって最初のスーツの男ではなかった。ましてやそれはディリンジャーでもない。フィンチにとっての最初のスーツの男は、恐らくネイサン・イングラムだったのだ。
このエピで瞠目すべきは、ディリンジャーが保護する対象者にとっての脅威が、その対象者を国家に対する脅威として狙うCIA暗殺者のリースであったことであり、結果的にディリンジャーを殺したのが、ノーザンライツの工作員であったショウだったということ。それらはみな、フィンチの目の前で起きた。物語の整合性を微塵も損なうことなく、こんな離れ業をやってのけるカミソリのような脚本には、全く惚れ惚れするしかないけれど、それより前にやはり胸に迫ってくるのは、まだ車椅子が必要なコンディションの時から、フィンチが「無用」なナンバーの救済に当たっていたということ。
身体の傷が全く癒えていないその時期、心の傷はいかほどばかりであっただろう。「自分のせいで」ネイサンを失って、それでも引きこもってしまうのではなく、立ち上がって立ち向かって闘うことを選んだ。なのに再び自分が巻き込だディリンジャーをも「自分のせいで」死なせてしまった。フィンチは自らシャベルをとって、冷たい土にパートナーを埋めた。フィンチのその「悲しみ」は、考えるだに恐ろしい。それなのに立ち止まらず前に進み続けた。
傷ついた肉体の儚さと、とてつもない精神の強さ。
以前、フィンチのアイデンティティーを奪い、成り代わってみせると言った男に対し、フィンチは冷たい目をして吐き捨てた。You have no idea. 君ごときにわかるわたしではないよ。
この上なく複雑で、毅然として揺るぎない信念の人は、自分が生み出したマシンを、それがその本来の目的に従って動く「マシン」である限り、断固として信頼し続けた。なぜならフィンチはそのようにマシンを作ったのだから。人々の命を助けるために。しかしそのマシンが、最大多数の最大幸福のための止むを得ぬ犠牲として、米国下院議員のマコートに対する殺害指令を出してきた。もともと国家に対する脅威を排除することが仕事だったリースもショウも、それが合理的な指令である以上、従うに吝かではなかった。だけどフィンチはそうはいかない。
我々がこの仕事を初めて以来、様々なことが変化したし、我々もまた変わってしまった。でもこの任務は、我々の目的は、いつだって揺らぎないものだった。人命を救うということなんだ。もしそれが何らかの理由で変わってしまって、今我々がいる場所が、マシンが我々に人を殺せと要求する場所であるのなら、そんな場所には、わたしは行けない。わたしはここで降りなければならない。
That's a place I can't go. 血を吐くような声でそう告げたフィンチが、しかし、マコートを殺さなかったことによってゴーサインが出されたサマリタンにより、グレースが脅威に曝されてしまった時、あまりにも痛ましい台詞を口にする。
それからあと一つ、わたしはできるだけ暴力は避けてほしいと思っているが、だが、かれらがいかなる形であれグレースを傷つけたなら、皆殺しにしてくれ。
Kill them all.フィンチの口から、よりによってフィンチの口から、こんな言葉が語られてしまった。
この台詞に先立ち、フィンチがジョン・グリアによる人質交換の申し出に応じると告げた時、何の疚しいところもないショウは、まっすぐにフィンチの目を見つめて、行くな、三人で闘おう、と言うことができた。だけどリースにはそれが言えなかった。あんたがそれを望むなら、仰せのままに。リースにはそう言うしかなかった。
カーターを失った辛さのあまり職場放棄をしてしまったリースは、一度フィンチを裏切っている。マシンの不確定性が信用できなかったリースだけれど、それは取りも直さずフィンチその人に対する不信の表明でもあった。その結果、リースはフィンチを危険に曝した。
人生を再びやり直させてくれたことを心の底から感謝している、そう口にした言葉が嘘でないのなら、リースがフィンチを見捨てることなどありえなかったはずなのに。フィンチ自身がどんなにそれを望まなくても、リースのすべきことはフィンチを守ることに他ならなかったはずで、一度死んだ人生を生きるリースの存在目的は、もはやそれ以外になかったはずなのに。
フィンチが耐えてのけた「悲しみ」に負けて、持ち場を放棄したリースの身に返された最も手痛いしっぺ返し。それはフィンチを失うこと。黙ってかれを行かせてしまうこと。さきのシーズンでは、ルートからかかってきた「電話に出る」だけでも鬼の形相で警戒しフィンチを守ろうとした番犬が、みすみすフィンチを敵の手に渡してしまった。行くなと言う権利を持てなかった。そしてその挙句、あんな台詞を言わせてしまった。リースの胸中を思うと、胸が潰れるどころじゃない。フィンチ、リースは、あなたほどには強くない。肉体は強靭でも、心は脆い。
そして弱い心のリースは、一旦はフィンチの決断を尊重しておきながら、それでも土壇場になって言わずにはおれなかった。こんなことしないでくれ。他に方法はある。もっと酷い時だって乗り越えてきたじゃないか、と。
リースにはまだ、フィンチの覚悟の途方もなさがわかっていない。そもそもこれを始めた時から、フィンチは全てを見通していた。全ての可能性を見越した上で、それでもそこに踏みとどまり、それでもそれを続けてきた。
マシンが稼働を始めた日から、決してそれから逃れられないことは覚悟していた。そして、わたしが気にかける人が危険に曝されることも。だからわたしは政府や当局から身を隠し続けてきた。そうして事態はここまできた。この瞬間は必然なんだよ。いつか必ず訪れるべきものだ。わたしはそれを受け入れなければならない。
必ず助けに行くからと、懇願にも祈りにも慟哭にも似たリースの言葉は、フィンチには受け入れてもらえない。言ったはずだよ、わたしを守ることはきみの仕事ではない。
だけどもちろん、それでリースが退くわけがない。
迫りくるサマリタン起動の時に向けて、複数のタスクで忙しいルートにリースは噛みつく。おれたちが気にかけるべきたったひとつのことはフィンチだけだ。the only thing.最優先事項ですらない。
しかしそのonly thingであるフィンチ自身の命は、フィンチにとっての重要課題ではない。ヴィジランスに拘束された人々の命を救うために、フィンチは自分の身を投げ出してしまう。ただそこで切ないのは、フィンチは強い人ではあるけれど、リースやショウのような訓練された工作員ではないということ。どんなに秘密主義を貫こうとも、思いが全部顔に出てしまうのだ。ヴィジランスが裁判と呼ぶ処刑のその場所で、意外なほど豊かなフィンチの表情は、刻々とその身内の思いを刻み出してしまう。不信、不安、不快、嫌悪、失望、驚愕、怒り、そしてなにより恐怖。フィンチは怯えていた。身を竦ませて怖がっていた。人々にもたらされる暴力に対して。
そんなフィンチの姿は、人質交換の橋の上で、目隠しされたグレースの"Thank you."の一言とだぶる。あの稀有な女性は、理不尽にも拉致され拘束され目的もわからぬまま目隠しされて歩かされている状況で、足をとられて転びかけた自分の腕を支えてくれた「誰だかわからない相手」に対して、咄嗟にありがとう、と言ってのけたのだ。驚くべき台詞。フィンチとグレースは、この上ない好一対、運命が出会わせたふたりだったのに。
さてそしてそれでも、サマリタンは起動してしまった。フィンチ、リース、ショウ、ルート、サマリタンの最優先ターゲットであったはずの四人(および協力した三人のエンジニア)は、ルートの(つまりはマシンの)手引きによって、何物でもないただの普通の人としての身分を付与され、普通の人々の中に紛れ込んで生活することになった。四人は街に散っていった。チームは消滅した。廃図書館は蹂躙された。もはやかれらがあの場所に戻ることはない。
これもまたとてつもない悲しみであるけれど、その悲しみは不吉な影を帯びている。もしかしたらこの物語の行き着く先は、フィンチという人物に対する全否定なのかもしれない、と。
マシンは人権保護を目的に、閉じたシステムとして構築された。閉じたシステムであること、それが最大の要諦だった。マシンがピックアップするのは特定の個人の社会保障ナンバーだけであり、その個人が黒か白かはあくまで人間が調査して判断する。それはこの上なく聡明なセーフティネットだ。だがしかし、黒か白か判断されるその時まで、当該番号の人物はグレーゾーンに身を置くことになる。そして疑われたというその事実だけで、ある人間の人生が破壊されてしまうこともあり得るのだ。ヴィジランスのコリアーの兄の例として、それが提示されてしまった。
閉じたシステムであることは、免罪符にはなり得ない。依然としてそれが世界最大の監視システムであることには変わりない。
こんな切ない物語の、このシーズンでの最大の喜びは、フィンチが良い親に愛されて幸せな少年時代を過ごし、実りの多い学生生活を送り、それなりに青春を謳歌した人であることが語られたことだったかもしれない。
by shirakian
| 2015-08-19 22:56
| 海外ドラマ