2015年 07月 30日
人生スイッチ
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★ネタバレ注意★
ダミアン・ジフロン監督作品。
本国アルゼンチンで大ヒットし、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネート。ペドロ・アルモドバルが自らプロデュースを買って出たことでも話題。
全6編のオムニバス作品。コメディですが、ハートウォーミング系ではなくかなりきつめのブラックユーモア。短編の持ち味を存分に生かした無駄のない脚本で、サクサク小気味よく楽しめる映画です。面白かったです。
出演俳優に関しては、リカルド・ダリンぐらいしかわからなかったのですが、味のある役者さんがわんさか出てきました。スペイン語圏の俳優についてあまりにも無知な現状が悲しいですが、もう、どっから手をつけていいのかわからない。世界ってキミが思ってるよりずっとずっと広いんだよ、ということで、ここはひとつ。
以下、各話の冒頭部分。
(1)おかえし
飛行機で仕事に向かうファッションモデル。たまたま隣席に座った男(ダリオ・グランディネッティ)と世間話を交わすうち、この男、モデルの元カレがコンテストに応募した作品を酷評した音楽評論家だったことがわかる。ところが、元カレの名前が出た途端、「小学校の教え子だった」と名乗る婦人を筆頭に、我も我もとみなが名乗りをあげ、全員が何らかの形で元カレと関係があった人間であることが判明する。
(2)おもてなし
客足の途絶えた雨の日、女(フリエタ・シルベルベルグ)がウェイトレスを務める郊外のレストランに現れた客は、一家を破滅に追いやった高利貸しの男だった。それを知った料理人(リタ・コルテセ)がしれっとのたまうには、料理に猫いらずをいれれば五分もしないでお陀仏だ、というのだが。
(3)エンスト
郊外の一本道を新車で走り抜ける男(レオナルド・スバラーリャ)。前方を走るポンコツ車に走行を妨害され、「トロいんだよ、田舎者!」と捨て台詞を吐いて抜き去る。ところが、程なくしてパンクしてしまい、止む無くタイヤを交換していると、件のポンコツが追い付いてきて、「きさま、さっきおれに何と言った?」と凄んできた。
(4)ヒーローになるために
ビルの爆破解体技師(リカルド・ダリン)。娘の誕生日ケーキを買おうとした帰宅途中、車が駐車違反でレッカー移動されてしまい、車を引き取りに行ったためにせっかくの誕生日パーティーに間に合わなくなってしまう。翌日、陸運局の窓口で不当を訴えるが無視され、大暴れした結果、会社はクビ、妻からは三行半、再就職のための面接に向かうと、そこでもまたレッカー移動されてしまう。
(5)愚息
豪邸に暮らす裕福な男(オスカル・マルティネス)は、ある朝、泣きかぶった息子に起こされる。飲酒運転の挙句、妊婦を轢き逃げしてしまったというのだ。当初、顧問弁護士を通して金で解決しようとした富豪だったが、欲をかいた弁護士をはじめ、関わった人間全員が要求をつりあげてきた。
(6)Happy wedding
絵に描いたかような幸せな結婚式。しかし花嫁(エリカ・リバス)は、花婿が浮気相手を招待していたことに気づいてしまう。自暴自棄になり、大荒れに荒れ、結婚式はディザースターに終わるかに見えたが、しかし断固として式をやり遂げたその時、思いもかけない事態が起こる。
という六つの物語の共通したテーマは連鎖とエスカレーション。ほんのささいなきっかけで抑圧されていた怒りが爆発した時、その勢いはもはや本人にすら止められなくなる。
誰にも止められない事態は、誰にも制御できない事態であり、制御できないものである以上、制御しようという努力は意味をなさなくなる。日々制御する義務を負わされている者が、その義務から解放された時、そこには一種の爽快感が生まれます。無責任という爽快感です。笑いはそこから生じてくる。恐らく、ここで無責任になりきれなかった人が、「人が死んでるのに笑うなんて不謹慎」といった方向から、「そんなに笑えるような映画とは思えなかった」という感想になるのだろうな、と推測。
お話として一番面白かったのは(1)です。ロシアのアネクドートか星新一のショートショートのような趣。発想の奇抜さと演劇的演出のおかしみはピカイチです。シチュエーションコメディーとして普通に笑える展開でありながら、ブラック度のエグさも6話中ダントツ。ラストにつっこむのが男の実家、というのがまた特大級にピッチブラック。
ここにいたるまでに、男が蓄えてきた怒りの総量の凄まじさ、それらが一切どこにも昇華されることなく男の中で醸成されていったのだと知る恐ろしさ、そして、これほど大仕掛けのリベンジをやり遂げてしまう男のはた迷惑な行動力、に戦慄する以前にやはり、偶然同じ飛行機に乗り合わせただけの赤の他人が、実は全員ある男で繋がっていた、とわかる瞬間のなんともいえないおかしみが最高。ペドロ・アルモドバルの『アイム・ソー・エキサイテッド!』を思わせる展開だけど、あちらよりむしろ洗練されているのが凄いと思います。それこそそれが短編の強みではあるのだけれども。
だけど、一番好きだったのは(2)かもしれない。物語が、というより、料理人を演じたリタ・コルテセ(上掲ポスターの上段左端のひと)がたまらん。終始仏頂面の太ったおばちゃんなんですけれどもね。人生の消化試合に入ったもはや若くもない女、単調で貧困な日々の暮らしにウンザリし、孤独でわびしい毎日を繰り返すだけの負け犬、であるように見えるんだけれども、その行動は意表をつく。とことん意表をつく。
単なる同僚に過ぎないウェイトレスが、過去の因縁相手が現れた、と告げただけで、「殺っちまうのかい?」という発言はなかなか出てこない。なんなんだよ一体、とウェイトレスと一緒になって引き気味に話を聞いてみれば、おばちゃん、実は前科者。「刑務所ってったって、そう悪いところじゃないんだよ? 食事は出るし、友達もできる」なんてニヤリと笑うその顔は、ゴルゴばりにハードボイルド。最後の突撃に至っては、理屈じゃ動機は説明がつかない。説明なんかはつかないけれど、しかしなぜだか物凄い爽快感が突き抜ける。理不尽というより不条理というより、やったね! というか、これでいいのだ、という感慨がこみあげてくる。おばちゃん、凄い。
思うに普段人間は、見知った人々のことを表面的に決めつけすぎる嫌いがあるわけで。つまらないただの主婦、とか、町役場の窓口にいるような男、とか、金髪キティサンダルのヤンキー、とか、とかく記号で切り取り、切り取った時点で納得してしまいがち。だけど、わかんないじゃない、つまらなそうに見えたその主婦が、実はハーバードを主席で卒業して世界を震撼とさせる論文を執筆中なのかもしれないし、役場の窓口男は全日本空手選手権で優勝した人かもしれないし、キティサンダルのヤンキーは芥川賞候補にもなった女流作家の卵かもしれないじゃない。そんなこと、見た目だけじゃわかんないじゃない。表面的な情報だけじゃわかんないじゃない。
他人を浅薄に評価することは、何より失礼だし自分にとっての可能性を潰すことだし勿体ないよね。なんだって起こり得るのが人生なんだから。
そう言えば、この映画の面白さの基準というのは、どれだけ意表をつかれたか、というのに起因している部分が大きいのだけど、その意味で言っても、シチュエーションとしての想定外は(1)がピカイチで、キャラクターとしての想定外はこのコルテセ演じる料理人がピカイチだったと思います。
逆に(4)なんかになると、とても「理にかなった」展開という印象。起承転結のそれぞれに意味があり段取りがあり予測し得る結果がある。しかも行動の動機に社会風刺が入ってきてしまうので、ストーリーとしての納得度は一番高いのだけど、ナンセンスなブラックユーモアとしてのおかしみには若干欠けてしまう印象。
わたしとしては、爆破解体屋のリカルド・ダリンが陸運局への復讐に、とんでもない大規模災害を巻き起こすくらいの展開でないと納得できない、怪我人はありませんでした、とかぬるすぎてスッキリしない、と思ってしまうのだけど、でも、そもそもこの映画自体を不謹慎だから「笑えない」と考える立場の人からしたら、一番納得がいくのがこの(4)であるはずで、ここで大参事なんかが起こってしまっては感情移入のしようがなくなって台無し、ということになるのかも。そうするとこれも、絶妙の匙加減ということになるのかな。
ダミアン・ジフロン監督は、今作の大ヒットを受けて次回作の製作がいっぱい決まっているようで、ほんと楽しみです。日本でも公開されますように。
・人生スイッチ@ぴあ映画生活
ダミアン・ジフロン監督作品。
本国アルゼンチンで大ヒットし、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネート。ペドロ・アルモドバルが自らプロデュースを買って出たことでも話題。
全6編のオムニバス作品。コメディですが、ハートウォーミング系ではなくかなりきつめのブラックユーモア。短編の持ち味を存分に生かした無駄のない脚本で、サクサク小気味よく楽しめる映画です。面白かったです。
出演俳優に関しては、リカルド・ダリンぐらいしかわからなかったのですが、味のある役者さんがわんさか出てきました。スペイン語圏の俳優についてあまりにも無知な現状が悲しいですが、もう、どっから手をつけていいのかわからない。世界ってキミが思ってるよりずっとずっと広いんだよ、ということで、ここはひとつ。
以下、各話の冒頭部分。
(1)おかえし
飛行機で仕事に向かうファッションモデル。たまたま隣席に座った男(ダリオ・グランディネッティ)と世間話を交わすうち、この男、モデルの元カレがコンテストに応募した作品を酷評した音楽評論家だったことがわかる。ところが、元カレの名前が出た途端、「小学校の教え子だった」と名乗る婦人を筆頭に、我も我もとみなが名乗りをあげ、全員が何らかの形で元カレと関係があった人間であることが判明する。
(2)おもてなし
客足の途絶えた雨の日、女(フリエタ・シルベルベルグ)がウェイトレスを務める郊外のレストランに現れた客は、一家を破滅に追いやった高利貸しの男だった。それを知った料理人(リタ・コルテセ)がしれっとのたまうには、料理に猫いらずをいれれば五分もしないでお陀仏だ、というのだが。
(3)エンスト
郊外の一本道を新車で走り抜ける男(レオナルド・スバラーリャ)。前方を走るポンコツ車に走行を妨害され、「トロいんだよ、田舎者!」と捨て台詞を吐いて抜き去る。ところが、程なくしてパンクしてしまい、止む無くタイヤを交換していると、件のポンコツが追い付いてきて、「きさま、さっきおれに何と言った?」と凄んできた。
(4)ヒーローになるために
ビルの爆破解体技師(リカルド・ダリン)。娘の誕生日ケーキを買おうとした帰宅途中、車が駐車違反でレッカー移動されてしまい、車を引き取りに行ったためにせっかくの誕生日パーティーに間に合わなくなってしまう。翌日、陸運局の窓口で不当を訴えるが無視され、大暴れした結果、会社はクビ、妻からは三行半、再就職のための面接に向かうと、そこでもまたレッカー移動されてしまう。
(5)愚息
豪邸に暮らす裕福な男(オスカル・マルティネス)は、ある朝、泣きかぶった息子に起こされる。飲酒運転の挙句、妊婦を轢き逃げしてしまったというのだ。当初、顧問弁護士を通して金で解決しようとした富豪だったが、欲をかいた弁護士をはじめ、関わった人間全員が要求をつりあげてきた。
(6)Happy wedding
絵に描いたかような幸せな結婚式。しかし花嫁(エリカ・リバス)は、花婿が浮気相手を招待していたことに気づいてしまう。自暴自棄になり、大荒れに荒れ、結婚式はディザースターに終わるかに見えたが、しかし断固として式をやり遂げたその時、思いもかけない事態が起こる。
という六つの物語の共通したテーマは連鎖とエスカレーション。ほんのささいなきっかけで抑圧されていた怒りが爆発した時、その勢いはもはや本人にすら止められなくなる。
誰にも止められない事態は、誰にも制御できない事態であり、制御できないものである以上、制御しようという努力は意味をなさなくなる。日々制御する義務を負わされている者が、その義務から解放された時、そこには一種の爽快感が生まれます。無責任という爽快感です。笑いはそこから生じてくる。恐らく、ここで無責任になりきれなかった人が、「人が死んでるのに笑うなんて不謹慎」といった方向から、「そんなに笑えるような映画とは思えなかった」という感想になるのだろうな、と推測。
お話として一番面白かったのは(1)です。ロシアのアネクドートか星新一のショートショートのような趣。発想の奇抜さと演劇的演出のおかしみはピカイチです。シチュエーションコメディーとして普通に笑える展開でありながら、ブラック度のエグさも6話中ダントツ。ラストにつっこむのが男の実家、というのがまた特大級にピッチブラック。
ここにいたるまでに、男が蓄えてきた怒りの総量の凄まじさ、それらが一切どこにも昇華されることなく男の中で醸成されていったのだと知る恐ろしさ、そして、これほど大仕掛けのリベンジをやり遂げてしまう男のはた迷惑な行動力、に戦慄する以前にやはり、偶然同じ飛行機に乗り合わせただけの赤の他人が、実は全員ある男で繋がっていた、とわかる瞬間のなんともいえないおかしみが最高。ペドロ・アルモドバルの『アイム・ソー・エキサイテッド!』を思わせる展開だけど、あちらよりむしろ洗練されているのが凄いと思います。それこそそれが短編の強みではあるのだけれども。
だけど、一番好きだったのは(2)かもしれない。物語が、というより、料理人を演じたリタ・コルテセ(上掲ポスターの上段左端のひと)がたまらん。終始仏頂面の太ったおばちゃんなんですけれどもね。人生の消化試合に入ったもはや若くもない女、単調で貧困な日々の暮らしにウンザリし、孤独でわびしい毎日を繰り返すだけの負け犬、であるように見えるんだけれども、その行動は意表をつく。とことん意表をつく。
単なる同僚に過ぎないウェイトレスが、過去の因縁相手が現れた、と告げただけで、「殺っちまうのかい?」という発言はなかなか出てこない。なんなんだよ一体、とウェイトレスと一緒になって引き気味に話を聞いてみれば、おばちゃん、実は前科者。「刑務所ってったって、そう悪いところじゃないんだよ? 食事は出るし、友達もできる」なんてニヤリと笑うその顔は、ゴルゴばりにハードボイルド。最後の突撃に至っては、理屈じゃ動機は説明がつかない。説明なんかはつかないけれど、しかしなぜだか物凄い爽快感が突き抜ける。理不尽というより不条理というより、やったね! というか、これでいいのだ、という感慨がこみあげてくる。おばちゃん、凄い。
思うに普段人間は、見知った人々のことを表面的に決めつけすぎる嫌いがあるわけで。つまらないただの主婦、とか、町役場の窓口にいるような男、とか、金髪キティサンダルのヤンキー、とか、とかく記号で切り取り、切り取った時点で納得してしまいがち。だけど、わかんないじゃない、つまらなそうに見えたその主婦が、実はハーバードを主席で卒業して世界を震撼とさせる論文を執筆中なのかもしれないし、役場の窓口男は全日本空手選手権で優勝した人かもしれないし、キティサンダルのヤンキーは芥川賞候補にもなった女流作家の卵かもしれないじゃない。そんなこと、見た目だけじゃわかんないじゃない。表面的な情報だけじゃわかんないじゃない。
他人を浅薄に評価することは、何より失礼だし自分にとっての可能性を潰すことだし勿体ないよね。なんだって起こり得るのが人生なんだから。
そう言えば、この映画の面白さの基準というのは、どれだけ意表をつかれたか、というのに起因している部分が大きいのだけど、その意味で言っても、シチュエーションとしての想定外は(1)がピカイチで、キャラクターとしての想定外はこのコルテセ演じる料理人がピカイチだったと思います。
逆に(4)なんかになると、とても「理にかなった」展開という印象。起承転結のそれぞれに意味があり段取りがあり予測し得る結果がある。しかも行動の動機に社会風刺が入ってきてしまうので、ストーリーとしての納得度は一番高いのだけど、ナンセンスなブラックユーモアとしてのおかしみには若干欠けてしまう印象。
わたしとしては、爆破解体屋のリカルド・ダリンが陸運局への復讐に、とんでもない大規模災害を巻き起こすくらいの展開でないと納得できない、怪我人はありませんでした、とかぬるすぎてスッキリしない、と思ってしまうのだけど、でも、そもそもこの映画自体を不謹慎だから「笑えない」と考える立場の人からしたら、一番納得がいくのがこの(4)であるはずで、ここで大参事なんかが起こってしまっては感情移入のしようがなくなって台無し、ということになるのかも。そうするとこれも、絶妙の匙加減ということになるのかな。
ダミアン・ジフロン監督は、今作の大ヒットを受けて次回作の製作がいっぱい決まっているようで、ほんと楽しみです。日本でも公開されますように。
・人生スイッチ@ぴあ映画生活
by shirakian
| 2015-07-30 18:23
| 映画さ行