2015年 07月 12日
悪党に粛清を
|
★ネタバレ注意★
デンマークのクリスチャン・レヴリング監督作品。
デンマーク人の監督が、デンマークの至宝と称されるマッツ・ミケルセンを主演に、南アフリカで撮った映画なんだけど、これがなんともオーソドックスな西部劇。
西部劇と言えばこんなのとか、こんなのとか、ちょっと変化球をかましてくるのが昨今の主流なのかと思いきや、この映画は、悪役はあくまで憎たらしく、ガンマンはあくまでかっこよく、闘いはあくまで容赦なく、女たちにとっての世界はあくまで過酷で、西部劇と言われて容易に連想するような、そんな乾ききった男の世界。やられたらやりかえせ、蛮行には復讐あるのみ、という単純明快な映画なんであります。
監督のクリスチャン・レヴリングは、ラース・フォン・トリアーらと共に「ドグマ95」を立ち上げ、この活動により、2008年のヨーロッパ映画賞で世界的貢献賞を受賞したお方。
ドグマ95の映画って200本以上製作されているらしいのだけど、日本ではあんまり公開されていないっぽい。だけど、この映画運動を特徴づける「純潔の誓い」と呼ばれる大変興味深いルールについては、日本でも大きく紹介されたのではなかったかな。10個あるんですけれどもね、これがちょっと面白いので、この映画には全然関係ありませんけど、ささっと書いておきたく思います。
(1)撮影はすべてロケーション撮影によること。スタジオのセット撮影を禁じる。
(2)映像と関係のないところで作られた音(効果音など)をのせてはならない。
(3)カメラは必ず手持ちによること。
(4)映画はカラーであること。照明効果は禁止。
(5)光学合成やフィルターを禁止する。
(6)表面的なアクションは許されない(殺人、武器の使用などは起きてはならない)。
(7)時間的、地理的な乖離は許されない(つまり今、ここで起こっていることしか描いてはいけない。回想シーンなどの禁止である)。
(8)ジャンル映画を禁止する。
(9)最終的なフォーマットは35mmフィルムであること。
(10)監督の名前はスタッフロールなどにクレジットしてはいけない。
この映画はこの縛りを受けたものではもちろんありませんから、効果音どころかBGMだってビシバシ流れてくるし(しかもそれは西部劇気分を大いに盛り上げてくれる大変ご機嫌な音楽なわけだけど)、殺人はご法度どころか子どもすら含めた老若男女が容赦なく殺されていく話ではあるんだけれど、たとえば主人公の本国での戦場体験や妻子との触れ合い、エヴァ・グリーンが演じた女性の凄惨な過去、などといったものが一切描かれない「現在進行形の時間」にフォーカスした姿勢は、このポリシーによるものかもしれません。
さてそれで、どんなストーリーのお話かと言いますと。
1870年代のアメリカ。デンマーク移民のジョン(マッツ・ミケルセン)は、7年にわたる艱難辛苦の末に、めでたく妻子を迎え入れられることになった。駅で再会を果たし、駅馬車で農場へと向かおうとしたところ、運悪く乗り合わせたならず者により、妻子を殺されてしまう。ならず者を射殺し、復讐を遂げたジョンだったが、このならず者が、あたり一体を牛耳る悪党、デラルー大佐(ジェフリー・ディーン・モーガン)の弟だったことから、更なる凄惨な復讐劇が展開されていく。
ジョンは兄のピーター(ミカエル・パーシュブラント)と一緒にアメリカにやって来たんだけど、祖国では兵士だったのね。ドイツ相手の過酷な戦場体験がある。だけどこの新天地では、ソルジャーとしての側面は封印して、感じのよい隣人として共同体の中に溶け込んで生活していた。
映画冒頭の、海を渡ってはるばる母国からやってきてくれた妻子を迎えるにあたって、きれいにひげを剃ったジョンが、しきりと髪を気にしていた様子は微笑ましいったらありゃしないのであります。そして、再会した直後、自分の奥さん相手にはにかんじゃってハグすらできずにいる姿がまた初々しかったのです、が、その直後にとんでもない悲劇が起こるわけです。神様なんていないと思う。
ストーリ展開においては、犬や子どもや未熟な若者は難を逃れる、といった甘さはかけらもないのだけど、性的描写に関してはかなり節度のあるものだったなぁと後から改めて思いました。女性キャラはジョンの妻のマリー(ナナ・オーランド・ファブリシャス)と、そのマリーを強姦の上殺害したちんぴら・ポール(マイケル・レイモンド=ジェームズ)の妻であるマデリン(エヴァ・グリーン)のふたりしか出てこないのだけど、ふたりとも強姦されてしまう。だけど、どちらのレイプシーンも、映像としてスクリーン上に描写されることはありません。
特にマデリンが義兄であるデラルーに強姦されるシーンでは、マデリンが口のきけない女性であることをうまく使ったサプライズ演出がなされていて、普通にレイプシーンを見せつけられる以上に痛ましく、加害者に対する憎悪を掻き立てるシーンになっていました。
このさ、デラルーってやつがさ、もう、ほんっとに憎ったらしくて。
単に粗暴で冷酷で威張りくさった悪党と言うのみならず、石油利権に絡んだ土地取引を利用して住民から金を搾り取る強欲漢。ジェフリー・ディーン・モーガンがこのふてぶてしい最低野郎をいかにもふてぶてしく演じていてほんとぉに適役。っていうか、適役って言われて嬉しいかな。嬉しいよね? 役者冥利につきるよね?
で、ジェフモガがこんななので(略すな)、それと対峙するデンマークの至宝がほんとに至宝。心の底からマッツ・ミケルセンを応援したい気持ちになること請け合い。ミケルセンファンの方にはとっても嬉しい映画だと思うの。
だけどそれ以上に、実はミカエル・パーシュブラントがはまり役だった。なにしろもう、かっこよくてねぇ(しんみり)。『未来を生きる君たちへ』の温厚なお医者さんとはガラリと雰囲気を変えてきて、超セクシーなのです。ハラリと顔にかかる長めの前髪越しに覗く青い瞳の吸引力。ああ、君の瞳は1万ボルト。(古い)。
一方、全然はまり役じゃなかったのがデラルーの右腕であるコルシカ人を演じたエリック・カントナです。わたくし、カントナと言えば『エリックを探して』のかれしか知らないんですけれど、どっからどう見ても悪い人には見えない(笑)。いつフランス語でと胸をつく箴言を口にするのかと前のめりで待ち構えてしまいました。たぶん、このキャスティングはわざとだね。あまりにも殺伐とした話に添える一服の清涼剤、あたかも荒野に咲いた一輪の花のよう。(やめれ)。
まあ、マジメな話、一輪の花だったのはもちろんエヴァ・グリーンですけれどもね。彼女が演じたマデリンは、昔ネイティブアメリカンに舌を切られてしまったために口がきけない、という設定なので台詞は一言もないのだけれど、とにかくあまりにも雄弁な瞳。意思を持った力強い目で余すところなく語る。腕力のない女の身である以上、男の暴力に晒されてしまえば肉体的には無力だけれど、それでも自らの力で生き抜いていく底力を持った女。かっこよくて美しい。
ところで、こういう話で、ふんわりしたスカートの幼女とか出てきたら、ほんとに途方に暮れてしまう。どう考えても無事に大人になれるような気がしないです。開拓時代の西部での子育てって、よっぽどの覚悟が必要だっただろうなぁ。
・悪党に粛清を@ぴあ映画生活
デンマークのクリスチャン・レヴリング監督作品。
デンマーク人の監督が、デンマークの至宝と称されるマッツ・ミケルセンを主演に、南アフリカで撮った映画なんだけど、これがなんともオーソドックスな西部劇。
西部劇と言えばこんなのとか、こんなのとか、ちょっと変化球をかましてくるのが昨今の主流なのかと思いきや、この映画は、悪役はあくまで憎たらしく、ガンマンはあくまでかっこよく、闘いはあくまで容赦なく、女たちにとっての世界はあくまで過酷で、西部劇と言われて容易に連想するような、そんな乾ききった男の世界。やられたらやりかえせ、蛮行には復讐あるのみ、という単純明快な映画なんであります。
監督のクリスチャン・レヴリングは、ラース・フォン・トリアーらと共に「ドグマ95」を立ち上げ、この活動により、2008年のヨーロッパ映画賞で世界的貢献賞を受賞したお方。
ドグマ95の映画って200本以上製作されているらしいのだけど、日本ではあんまり公開されていないっぽい。だけど、この映画運動を特徴づける「純潔の誓い」と呼ばれる大変興味深いルールについては、日本でも大きく紹介されたのではなかったかな。10個あるんですけれどもね、これがちょっと面白いので、この映画には全然関係ありませんけど、ささっと書いておきたく思います。
(1)撮影はすべてロケーション撮影によること。スタジオのセット撮影を禁じる。
(2)映像と関係のないところで作られた音(効果音など)をのせてはならない。
(3)カメラは必ず手持ちによること。
(4)映画はカラーであること。照明効果は禁止。
(5)光学合成やフィルターを禁止する。
(6)表面的なアクションは許されない(殺人、武器の使用などは起きてはならない)。
(7)時間的、地理的な乖離は許されない(つまり今、ここで起こっていることしか描いてはいけない。回想シーンなどの禁止である)。
(8)ジャンル映画を禁止する。
(9)最終的なフォーマットは35mmフィルムであること。
(10)監督の名前はスタッフロールなどにクレジットしてはいけない。
この映画はこの縛りを受けたものではもちろんありませんから、効果音どころかBGMだってビシバシ流れてくるし(しかもそれは西部劇気分を大いに盛り上げてくれる大変ご機嫌な音楽なわけだけど)、殺人はご法度どころか子どもすら含めた老若男女が容赦なく殺されていく話ではあるんだけれど、たとえば主人公の本国での戦場体験や妻子との触れ合い、エヴァ・グリーンが演じた女性の凄惨な過去、などといったものが一切描かれない「現在進行形の時間」にフォーカスした姿勢は、このポリシーによるものかもしれません。
さてそれで、どんなストーリーのお話かと言いますと。
1870年代のアメリカ。デンマーク移民のジョン(マッツ・ミケルセン)は、7年にわたる艱難辛苦の末に、めでたく妻子を迎え入れられることになった。駅で再会を果たし、駅馬車で農場へと向かおうとしたところ、運悪く乗り合わせたならず者により、妻子を殺されてしまう。ならず者を射殺し、復讐を遂げたジョンだったが、このならず者が、あたり一体を牛耳る悪党、デラルー大佐(ジェフリー・ディーン・モーガン)の弟だったことから、更なる凄惨な復讐劇が展開されていく。
ジョンは兄のピーター(ミカエル・パーシュブラント)と一緒にアメリカにやって来たんだけど、祖国では兵士だったのね。ドイツ相手の過酷な戦場体験がある。だけどこの新天地では、ソルジャーとしての側面は封印して、感じのよい隣人として共同体の中に溶け込んで生活していた。
映画冒頭の、海を渡ってはるばる母国からやってきてくれた妻子を迎えるにあたって、きれいにひげを剃ったジョンが、しきりと髪を気にしていた様子は微笑ましいったらありゃしないのであります。そして、再会した直後、自分の奥さん相手にはにかんじゃってハグすらできずにいる姿がまた初々しかったのです、が、その直後にとんでもない悲劇が起こるわけです。神様なんていないと思う。
ストーリ展開においては、犬や子どもや未熟な若者は難を逃れる、といった甘さはかけらもないのだけど、性的描写に関してはかなり節度のあるものだったなぁと後から改めて思いました。女性キャラはジョンの妻のマリー(ナナ・オーランド・ファブリシャス)と、そのマリーを強姦の上殺害したちんぴら・ポール(マイケル・レイモンド=ジェームズ)の妻であるマデリン(エヴァ・グリーン)のふたりしか出てこないのだけど、ふたりとも強姦されてしまう。だけど、どちらのレイプシーンも、映像としてスクリーン上に描写されることはありません。
特にマデリンが義兄であるデラルーに強姦されるシーンでは、マデリンが口のきけない女性であることをうまく使ったサプライズ演出がなされていて、普通にレイプシーンを見せつけられる以上に痛ましく、加害者に対する憎悪を掻き立てるシーンになっていました。
このさ、デラルーってやつがさ、もう、ほんっとに憎ったらしくて。
単に粗暴で冷酷で威張りくさった悪党と言うのみならず、石油利権に絡んだ土地取引を利用して住民から金を搾り取る強欲漢。ジェフリー・ディーン・モーガンがこのふてぶてしい最低野郎をいかにもふてぶてしく演じていてほんとぉに適役。っていうか、適役って言われて嬉しいかな。嬉しいよね? 役者冥利につきるよね?
で、ジェフモガがこんななので(略すな)、それと対峙するデンマークの至宝がほんとに至宝。心の底からマッツ・ミケルセンを応援したい気持ちになること請け合い。ミケルセンファンの方にはとっても嬉しい映画だと思うの。
だけどそれ以上に、実はミカエル・パーシュブラントがはまり役だった。なにしろもう、かっこよくてねぇ(しんみり)。『未来を生きる君たちへ』の温厚なお医者さんとはガラリと雰囲気を変えてきて、超セクシーなのです。ハラリと顔にかかる長めの前髪越しに覗く青い瞳の吸引力。ああ、君の瞳は1万ボルト。(古い)。
一方、全然はまり役じゃなかったのがデラルーの右腕であるコルシカ人を演じたエリック・カントナです。わたくし、カントナと言えば『エリックを探して』のかれしか知らないんですけれど、どっからどう見ても悪い人には見えない(笑)。いつフランス語でと胸をつく箴言を口にするのかと前のめりで待ち構えてしまいました。たぶん、このキャスティングはわざとだね。あまりにも殺伐とした話に添える一服の清涼剤、あたかも荒野に咲いた一輪の花のよう。(やめれ)。
まあ、マジメな話、一輪の花だったのはもちろんエヴァ・グリーンですけれどもね。彼女が演じたマデリンは、昔ネイティブアメリカンに舌を切られてしまったために口がきけない、という設定なので台詞は一言もないのだけれど、とにかくあまりにも雄弁な瞳。意思を持った力強い目で余すところなく語る。腕力のない女の身である以上、男の暴力に晒されてしまえば肉体的には無力だけれど、それでも自らの力で生き抜いていく底力を持った女。かっこよくて美しい。
ところで、こういう話で、ふんわりしたスカートの幼女とか出てきたら、ほんとに途方に暮れてしまう。どう考えても無事に大人になれるような気がしないです。開拓時代の西部での子育てって、よっぽどの覚悟が必要だっただろうなぁ。
・悪党に粛清を@ぴあ映画生活
by shirakian
| 2015-07-12 15:38
| 映画あ行