2014年 10月 02日
ジャージー・ボーイズ
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★ネタバレ注意★
クリント・イーストウッド監督最新作。
『シェリー』や『君の瞳に恋してる』など、数々のヒット曲を世に送り出し、60年代から70年代にかけて活躍したヴォーカル・グループ、フォー・シーズンズの半生を描いたブロードウェイ・ミュージカルを、台詞もストーリーも曲順も、ほぼ舞台と同じ構成で映画化した作品。主人公のフランキー・ヴァリを演じたのも、舞台のオリジナル・キャストであるジョン・ロイド・ヤングです。
ニュージャージーの最貧地区ベルヴィル。この土地では、イタリア系移民とマフィアとの結びつきは切っても切れない。地元の顔役ジップ・デカルロ(クリストファー・ウォーケン)の下で使い走りをしていたチンピラバンドマンのトミー・デヴィート(ヴィンセント・ピアッツァ)は、ニック・マッシ(マイケル・ロメンダ)と組んで活動していた自身のバンドに、弟分としてかわいがっていた美しいファルセットの歌声を持つ少年、フランキー(ジョン・ロイド・ヤング)を参加させる。最初はパッとしなかったトミーのバンドだが、知人の紹介でソングライティングの才能があるボブ・ゴーディオ(エリック・バーゲン)を迎え入れたことにより飛躍のチャンスを得る。ヴォーカルのフランキー、ギターのトミー、ベースのニック、キーボードと作曲を担当するボブの4人体制となったバンドは、その名を「フォー・シーズンズ」と改め、『シェリー』を皮切りに次々とヒットを連発していくのだが。
という物語は、ある意味クリシェなんであります。
社会の底辺で育った才能のある若者が、音楽を武器にのし上がっていくが、生き馬の目を抜く業界の洗礼を受け、金でつまずき、ドラッグやアルコールで傷つき、やがて仲間割れしてしまうという、そういうフォーマット。
だけどそういう「ありきたりな」物語を、イーストウッド監督はしっかりと手堅い手法で描いています。ヘタにオリジナル・ミュージカルに対抗してやろうなんて無駄な色気を出さず、淡々と素直に、だけど丹念に撮っていく姿は、巨匠の風格を感じさせると同時に、その感性の若々しさに舌を巻く思いがします。若々しいのよ、ほんとに。青春の苦さも甘さも風化した過去の味じゃない。怒りも悲しみも喜びも、今そこにある感情として生々しく瑞々しい。
この映画はミュージカルとは言いますが、登場人物が己の心情を歌で語るというようなことはせず、グランドフィナーレの『あのすばらしき夜』以外は、音楽のシーンはフォー・シーズンズのステージパフォーマンスに限定されています。過剰な演出がない。それなのに単調な印象にならず、長尺であるにも関わらずだれることなく観客を惹きつけるのは、まさにその「過剰でない」ということに起因しているのだと思う。これ見よがしに見せ場に拘ったり、暴力的に感情を煽って来たりしないのに、それでも観客を乗せきってしまう監督の手腕はまさに円熟の余裕。
そんな枯淡な味わいながら(枯淡は言い過ぎ)、クライマックスの『君の瞳に恋してる』には鳥肌がたちました。静かに歌い始めるフランキー、しかしワンフレーズを歌い終えた瞬間、華々しくカーテンが開き、ビッグバンドが軽やかに有名なリフを奏で、フランキーの歌声がI love you babyと迸る。
この名曲がお披露目されるシーン、実際の出来事とは時系列が変えてあって、演出上の脚色なのだそうですが、少なくとも映画の中では、フランキーが誰よりも愛していた娘の死の直後に歌われたものとして提示されるのです。なにせイタリア系だし、フランキーにとって家族は全て、何よりも大切なもの、だけど色々としがらみがあって、家にばかりかまけてはいられなかった。いつだって娘のそばにいてやりたかったのに、ままならぬ現実に流されて、娘から目を離してしまった。父親と同じ歌手を夢見ていた、母親によく似た美しい娘は、父親の目の届かぬところで、ドラッグに溺れ、オーバードーズで若い命を落としてしまった。悲嘆に暮れるフランキーに、そっとボブが差し出したのがこの曲だった。少しでも君が元気を出すよすがになれば。まだ完璧じゃないんだ。うまくいかない部分がある。君に手伝って直してほしい。
後になって思えば、このボブっていう人、恐ろしいほど人心掌握術が巧みなんですよね。ヘタするとマニュピレイティブ・シルバータングとか言われそうな。ビジネスの交渉でも負けないし。フランキーにしても、あれ、おかしいな、おれっていっつもボブの話に乗せられててるよな、っていう自覚はある。このときだって、敢えて「足りないから補ってほしい、教えてほしい、手伝ってほしい」というアプローチをされたのが効いたという一面がある。そこからフランキーは曲に興味を持ち、立ち直るきっかけを得ることができた。
それはともかく、だからこの歌でフランキーが「I love you baby」と歌いかけている相手は、恋人じゃなく、セックスの相手じゃなく、愛しい娘だったのですね。なんかもうね、今後この歌を聴くと、平常心ではいられませんよね。泣きますね。確実に泣きますね。フワフワとナンパなラブソングとは到底思えない。ただでさえ、わたしにとってこの曲って、『ディア・ハンター』の曲なので、そもそもがフワフワとナンパなラブソングなんかじゃありえなかったんだけど。
『ディア・ハンター』と言えば、この映画でも存在感を見せつけたクリストファー・ウォーケンの代表作。わたしが初めてこの曲を耳にしたのも、『ディア・ハンター』の中で、クリストファー・ウォーケンがロバート・デ・ニーロらと共に歌うシーンだったのです。ベトナムに出征する前の幸せだった青春時代最後の瞬間に、大好きな仲間たちと声をあわせて思う存分歌った歌。歌った瞬間が輝いていただけに、後の悲劇をより深く際立たせてしまった歌。その印象はたぶん、フランキー・ヴァリの歌う流行歌謡としてこの曲に触れた人とは違う感触のものであると思う。最初に刷り込まれた印象っていうのはなかなか消しがたいものがあって、その状況によって、作り手の思惑とは異なる感情が刻まれることがある。早い話が『雨に唄えば』とかね。わたしはあの曲、『時計じかけのオレンジ』で聴いたのが最初だったから、どうにもこうにも禍々しい印象の歌に聞こえるのよ。
それはさておき、この映画では、リーダーのトミーがひとりで汚れ役を担っていた印象があります。グループが崩壊する原因となったのは、かれのワンマンっぷりであり、全てに対するだらしなさであり、あまりの教養のなさであり、音楽に対するリスペクトや貢献や努力のなさであり、そして直接的な引き金となったのは、かれが無責任にこしらえた莫大な借金のせいだった。
だけど、それって、ほんとはどうなの? って思いますよね。子供じゃない、大人のグループが崩壊するについては、ひとりだけが悪かったとは考えにくい。早い話、トミーはフランキーを引き立てるために、相対的にダメなヤツという役割を振られていたような印象があります。フランキーが若干美化されているな、という感触です。
たとえば異性関係についても、トミーが女にだらしがない上に横暴な男である、という描写はあったけれど、それならフランキーだって、妻以外の女性と不倫関係にあったわけなんだから、そこだけ「悲しい別れに終わった美しい交際」みたいに言われるとちょっと釈然としない気もするし。チンピラだった時分、フランキーを保護し支えてきた一面も無視できないし、ボブの童貞卒業に手を貸してやったエピソードなんかは微笑ましい。トミーと同室に宿泊するのが耐えきれなくなってぶちきれてしまったニックだって結局、トミーのことが好きだったからこそ、ぶちきれるその瞬間までは、一緒の部屋に泊まり続けていたんじゃないかなと思うし。
一番フェアじゃないなと思うのが、音楽に対する貢献という部分で、実はトミーの名前はフォー・シーズンズの楽曲の多くにクレジットされているのではないの? バンドリーダーであり、メンバーを集め、音楽の方向性を決めていたのは、トミーだったんじゃないかな。それを言わないどころか、フランキーの口から、「あんたは音楽に関して何の努力もしてこなかった」と言わせるなんて、やっぱりフェアじゃないように思ってしまうのだけど。……尤も、トミーの音楽的貢献から目を背けるような演出をしていたかにみせかけて、実際わたしがそう思ったように、誰もが、でも実はトミーだって、って思うようにもっていく、というワンツイスト効かせた運びだったのかもしれないけれども。
あと、これは、IFの感慨ですけど、もしフランキーがトミーの借金を肩代りするという決断をしていなかったら、状況はどうなっていたんだろうな、と思うのです。順調に成功して、使いきれないほどの大金が順調に入ってくる、その金の使い道については、特にこれといった必要もプランもない、といった場合、人間はモチベーションを保っていけるものかな。もっと上を目指したり、勤勉であったり、努力したり、できるものかな。いや、それ以上に、日々楽しいと思うことができるものかな。トミーの借金を肩代りするために、場末のバーのステージだって、立てるステージには全部たって歌いまくったというフランキーの姿には胸がつまるし、第一、そんな風に働かなければいけなくなったがために、妻の薬物依存と向き合う時間をもてず、娘をきちんと教導できる場所にいてやることができなかった、という最大の悲劇はあるのだけれど、反面、そのがむしゃらさは、かれを倦怠や閉塞感からは遠ざけてくれていたんじゃないかな、とも思うのです。
トミーの借金を肩代りするという決意は、トミーに対する友情というよりは、イタリア男の意地とプライドだったと思うのだけど、反面、その意地とプライドはフランキーを支える力ともなったんじゃないかな。
フォー・シーズンズの4人を演じたジョン・ロイド・ヤング、エリック・バーゲン、マイケル・ロメンダ、ヴィンセント・ピアッツァはそれぞれとてもチャーミングで役柄にぴったりで好演だったと思います。きっと遠からぬ将来、それぞれがそれぞれのステージでブレイクしていってくれるんだろうな、と楽しみに思います。特にやっぱりジョン・ロイド・ヤングには驚くよね。フランキー・ヴァリという希代な歌声を持つボーカリストを演じられる希代な歌声を持つ若い役者さんが実際にいたなんて、なんかもう奇跡に近いという感慨。キャスティング・ディレクターは神がかり。
キャスティングと言えば、ちょい役でイーストウッドの娘が出てましたね。もっと言えば、イーストウッド本人も、プロデューサーのボブ・クリュー(マイク・ドイル)の部屋にあったテレビでたまたまやってたのが『ローハイド』で、そこに一瞬映ったり。ヒッチコックか(笑)。
・ジャージー・ボーイズ@ぴあ映画生活
クリント・イーストウッド監督最新作。
『シェリー』や『君の瞳に恋してる』など、数々のヒット曲を世に送り出し、60年代から70年代にかけて活躍したヴォーカル・グループ、フォー・シーズンズの半生を描いたブロードウェイ・ミュージカルを、台詞もストーリーも曲順も、ほぼ舞台と同じ構成で映画化した作品。主人公のフランキー・ヴァリを演じたのも、舞台のオリジナル・キャストであるジョン・ロイド・ヤングです。
ニュージャージーの最貧地区ベルヴィル。この土地では、イタリア系移民とマフィアとの結びつきは切っても切れない。地元の顔役ジップ・デカルロ(クリストファー・ウォーケン)の下で使い走りをしていたチンピラバンドマンのトミー・デヴィート(ヴィンセント・ピアッツァ)は、ニック・マッシ(マイケル・ロメンダ)と組んで活動していた自身のバンドに、弟分としてかわいがっていた美しいファルセットの歌声を持つ少年、フランキー(ジョン・ロイド・ヤング)を参加させる。最初はパッとしなかったトミーのバンドだが、知人の紹介でソングライティングの才能があるボブ・ゴーディオ(エリック・バーゲン)を迎え入れたことにより飛躍のチャンスを得る。ヴォーカルのフランキー、ギターのトミー、ベースのニック、キーボードと作曲を担当するボブの4人体制となったバンドは、その名を「フォー・シーズンズ」と改め、『シェリー』を皮切りに次々とヒットを連発していくのだが。
という物語は、ある意味クリシェなんであります。
社会の底辺で育った才能のある若者が、音楽を武器にのし上がっていくが、生き馬の目を抜く業界の洗礼を受け、金でつまずき、ドラッグやアルコールで傷つき、やがて仲間割れしてしまうという、そういうフォーマット。
だけどそういう「ありきたりな」物語を、イーストウッド監督はしっかりと手堅い手法で描いています。ヘタにオリジナル・ミュージカルに対抗してやろうなんて無駄な色気を出さず、淡々と素直に、だけど丹念に撮っていく姿は、巨匠の風格を感じさせると同時に、その感性の若々しさに舌を巻く思いがします。若々しいのよ、ほんとに。青春の苦さも甘さも風化した過去の味じゃない。怒りも悲しみも喜びも、今そこにある感情として生々しく瑞々しい。
この映画はミュージカルとは言いますが、登場人物が己の心情を歌で語るというようなことはせず、グランドフィナーレの『あのすばらしき夜』以外は、音楽のシーンはフォー・シーズンズのステージパフォーマンスに限定されています。過剰な演出がない。それなのに単調な印象にならず、長尺であるにも関わらずだれることなく観客を惹きつけるのは、まさにその「過剰でない」ということに起因しているのだと思う。これ見よがしに見せ場に拘ったり、暴力的に感情を煽って来たりしないのに、それでも観客を乗せきってしまう監督の手腕はまさに円熟の余裕。
そんな枯淡な味わいながら(枯淡は言い過ぎ)、クライマックスの『君の瞳に恋してる』には鳥肌がたちました。静かに歌い始めるフランキー、しかしワンフレーズを歌い終えた瞬間、華々しくカーテンが開き、ビッグバンドが軽やかに有名なリフを奏で、フランキーの歌声がI love you babyと迸る。
この名曲がお披露目されるシーン、実際の出来事とは時系列が変えてあって、演出上の脚色なのだそうですが、少なくとも映画の中では、フランキーが誰よりも愛していた娘の死の直後に歌われたものとして提示されるのです。なにせイタリア系だし、フランキーにとって家族は全て、何よりも大切なもの、だけど色々としがらみがあって、家にばかりかまけてはいられなかった。いつだって娘のそばにいてやりたかったのに、ままならぬ現実に流されて、娘から目を離してしまった。父親と同じ歌手を夢見ていた、母親によく似た美しい娘は、父親の目の届かぬところで、ドラッグに溺れ、オーバードーズで若い命を落としてしまった。悲嘆に暮れるフランキーに、そっとボブが差し出したのがこの曲だった。少しでも君が元気を出すよすがになれば。まだ完璧じゃないんだ。うまくいかない部分がある。君に手伝って直してほしい。
後になって思えば、このボブっていう人、恐ろしいほど人心掌握術が巧みなんですよね。ヘタするとマニュピレイティブ・シルバータングとか言われそうな。ビジネスの交渉でも負けないし。フランキーにしても、あれ、おかしいな、おれっていっつもボブの話に乗せられててるよな、っていう自覚はある。このときだって、敢えて「足りないから補ってほしい、教えてほしい、手伝ってほしい」というアプローチをされたのが効いたという一面がある。そこからフランキーは曲に興味を持ち、立ち直るきっかけを得ることができた。
それはともかく、だからこの歌でフランキーが「I love you baby」と歌いかけている相手は、恋人じゃなく、セックスの相手じゃなく、愛しい娘だったのですね。なんかもうね、今後この歌を聴くと、平常心ではいられませんよね。泣きますね。確実に泣きますね。フワフワとナンパなラブソングとは到底思えない。ただでさえ、わたしにとってこの曲って、『ディア・ハンター』の曲なので、そもそもがフワフワとナンパなラブソングなんかじゃありえなかったんだけど。
『ディア・ハンター』と言えば、この映画でも存在感を見せつけたクリストファー・ウォーケンの代表作。わたしが初めてこの曲を耳にしたのも、『ディア・ハンター』の中で、クリストファー・ウォーケンがロバート・デ・ニーロらと共に歌うシーンだったのです。ベトナムに出征する前の幸せだった青春時代最後の瞬間に、大好きな仲間たちと声をあわせて思う存分歌った歌。歌った瞬間が輝いていただけに、後の悲劇をより深く際立たせてしまった歌。その印象はたぶん、フランキー・ヴァリの歌う流行歌謡としてこの曲に触れた人とは違う感触のものであると思う。最初に刷り込まれた印象っていうのはなかなか消しがたいものがあって、その状況によって、作り手の思惑とは異なる感情が刻まれることがある。早い話が『雨に唄えば』とかね。わたしはあの曲、『時計じかけのオレンジ』で聴いたのが最初だったから、どうにもこうにも禍々しい印象の歌に聞こえるのよ。
それはさておき、この映画では、リーダーのトミーがひとりで汚れ役を担っていた印象があります。グループが崩壊する原因となったのは、かれのワンマンっぷりであり、全てに対するだらしなさであり、あまりの教養のなさであり、音楽に対するリスペクトや貢献や努力のなさであり、そして直接的な引き金となったのは、かれが無責任にこしらえた莫大な借金のせいだった。
だけど、それって、ほんとはどうなの? って思いますよね。子供じゃない、大人のグループが崩壊するについては、ひとりだけが悪かったとは考えにくい。早い話、トミーはフランキーを引き立てるために、相対的にダメなヤツという役割を振られていたような印象があります。フランキーが若干美化されているな、という感触です。
たとえば異性関係についても、トミーが女にだらしがない上に横暴な男である、という描写はあったけれど、それならフランキーだって、妻以外の女性と不倫関係にあったわけなんだから、そこだけ「悲しい別れに終わった美しい交際」みたいに言われるとちょっと釈然としない気もするし。チンピラだった時分、フランキーを保護し支えてきた一面も無視できないし、ボブの童貞卒業に手を貸してやったエピソードなんかは微笑ましい。トミーと同室に宿泊するのが耐えきれなくなってぶちきれてしまったニックだって結局、トミーのことが好きだったからこそ、ぶちきれるその瞬間までは、一緒の部屋に泊まり続けていたんじゃないかなと思うし。
一番フェアじゃないなと思うのが、音楽に対する貢献という部分で、実はトミーの名前はフォー・シーズンズの楽曲の多くにクレジットされているのではないの? バンドリーダーであり、メンバーを集め、音楽の方向性を決めていたのは、トミーだったんじゃないかな。それを言わないどころか、フランキーの口から、「あんたは音楽に関して何の努力もしてこなかった」と言わせるなんて、やっぱりフェアじゃないように思ってしまうのだけど。……尤も、トミーの音楽的貢献から目を背けるような演出をしていたかにみせかけて、実際わたしがそう思ったように、誰もが、でも実はトミーだって、って思うようにもっていく、というワンツイスト効かせた運びだったのかもしれないけれども。
あと、これは、IFの感慨ですけど、もしフランキーがトミーの借金を肩代りするという決断をしていなかったら、状況はどうなっていたんだろうな、と思うのです。順調に成功して、使いきれないほどの大金が順調に入ってくる、その金の使い道については、特にこれといった必要もプランもない、といった場合、人間はモチベーションを保っていけるものかな。もっと上を目指したり、勤勉であったり、努力したり、できるものかな。いや、それ以上に、日々楽しいと思うことができるものかな。トミーの借金を肩代りするために、場末のバーのステージだって、立てるステージには全部たって歌いまくったというフランキーの姿には胸がつまるし、第一、そんな風に働かなければいけなくなったがために、妻の薬物依存と向き合う時間をもてず、娘をきちんと教導できる場所にいてやることができなかった、という最大の悲劇はあるのだけれど、反面、そのがむしゃらさは、かれを倦怠や閉塞感からは遠ざけてくれていたんじゃないかな、とも思うのです。
トミーの借金を肩代りするという決意は、トミーに対する友情というよりは、イタリア男の意地とプライドだったと思うのだけど、反面、その意地とプライドはフランキーを支える力ともなったんじゃないかな。
フォー・シーズンズの4人を演じたジョン・ロイド・ヤング、エリック・バーゲン、マイケル・ロメンダ、ヴィンセント・ピアッツァはそれぞれとてもチャーミングで役柄にぴったりで好演だったと思います。きっと遠からぬ将来、それぞれがそれぞれのステージでブレイクしていってくれるんだろうな、と楽しみに思います。特にやっぱりジョン・ロイド・ヤングには驚くよね。フランキー・ヴァリという希代な歌声を持つボーカリストを演じられる希代な歌声を持つ若い役者さんが実際にいたなんて、なんかもう奇跡に近いという感慨。キャスティング・ディレクターは神がかり。
キャスティングと言えば、ちょい役でイーストウッドの娘が出てましたね。もっと言えば、イーストウッド本人も、プロデューサーのボブ・クリュー(マイク・ドイル)の部屋にあったテレビでたまたまやってたのが『ローハイド』で、そこに一瞬映ったり。ヒッチコックか(笑)。
・ジャージー・ボーイズ@ぴあ映画生活
by shirakian
| 2014-10-02 19:00
| 映画さ行