2014年 03月 18日
ミスティック・アイズ
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★ネタバレ注意★
2011年、D・R・フッド監督によるイギリス映画。
原題は” WRECKERS(破壊者)”。一組の新婚カップルのもとに夫の弟が現れたことにより、完璧に見えていた夫婦の生活を不穏な影が覆い始める。妻、夫、弟、真の破壊者はだれだったのか? というインディ・ドラマです。
サイコサスペンス? ラブストーリー? ソーシャルフィルム?
いいえ、ジャンルはベネディクト・カンバーバッチ。最近のカンバッチ人気に乗じて、ちょっと前の作品も含めて次々とかれの出演作が公開されているようですが、これもその流れの一本。よくこれが劇場公開されたなーと感心するレベルのとっても地味な小品です。
デイヴィッド(ベネディクト・カンバーバッチ)とドーン(クレア・フォイ)は共に教職についている新婚カップル。デイヴィッドの生まれ故郷である小さな町に移り住み、古い住宅を自分たちの手で改装中。なかなか子宝を授からないことだけが唯一の悩みという絵に描いたような幸福なカップルの下に、ある日突然、疎遠になっていたデヴィッドの弟ニック(ショーン・エヴァンス)が転がり込んでくる。
ニックという青年は、ティーンの頃はかなり荒れていたこともあったらしいのだけど、成人後は更正して軍隊に入隊したらしい。ところが戦場体験でPTSDを発症してしまい、精神的にとても不安定な状態。日中は愛想のよいさわやかな好青年として振舞えるのに、夜になると眠ったまま歩きまわったり悲鳴をあげたり物を壊したり。最初のうちは愛する夫の弟なのだし、夢遊病ぐらいなら微笑ましいものだし、戦場のトラウマ体験で苦しんでいるなんてかわいそうだし、とニックの奇行を我慢しようとしていたドーンだったが、次第に苛立ちを隠せなくなってしまう。
とういうだけの話だったら、小舅が居座って大変ウザイのですが嫁の立場としては我慢するしかないのでしょうか、という新聞の家庭欄の人生相談みたいな話なんですが、ニックの来訪と奇行により、今までドーンが知らなかったデヴィッドの別の一面が炙りだされていくのです。夫には秘密がある。
まず、兄と弟の再会シーンからいきなり、静かな湖面に石が投じられたように緊張の波紋が広がっていきます。なぜなら、連絡もなくいきなり訪れた、しかも成人後はすっかり疎遠になっていたはずの弟に対し、兄は怒りもせず他人行儀にもふるまわず迷惑を露にしたりもせず、しっかりと固く抱きしめるのです。
仲のよい兄弟の微笑ましい挨拶?
しかし兄弟はその後も折りにふれて互いに抱きしめあう。そしてそれを物陰から透き見する妻。親密さの表現しにしては見るからに漂う不穏な雰囲気に、妻は本能的に不安を感じざるを得ないのですが、その妻の視点を通すことによって、より一層その「不自然さ」が際立つ演出になっています。
その一方で夫もまた、妻と弟をひっそりと透き見している。少なくとも当初妻には、夫の弟だから歓待しなければ、という以上の気持ちは全くなかったにもかかわらず、妻と弟がふたりでいるところをじっと伺う夫の視線はあまりにも意味ありげに過ぎる。一体夫は何を思ってふたりを見つめているのか。
交錯するシンメトリーな視線。
視線の持つ力。
それだけで予感される事件。
弟と時間を過ごすうちに、妻はやがて今まで知らなかった夫の一面を知るようになる。兄弟が親に虐待されていた事実。兄にはキレ易い一面があったということ。精一杯さりげなさを装って、なぜ今まで黙っていたのかと尋ねても、なんとなくはぐらかされてしまう妻。妻の心に埃のように積もっていく灰色の不安。
幼い頃虐待にさらされていた兄弟。弟を守るために自らの恐怖を押し殺して大人に立ち向かわなければならなかった兄。兄の行為に感謝しつつも、時にそれが威圧に感じられた弟。ふたりは共依存のような関係にあったのか? ふたりの関係は、あるいはもしかしたら、性的な領域にまで足を踏み出していたのではないか?
そして夫は嘘をついた。
弟はかつて、母親を階段からつきおとしたことがある、と。しかし実際は母親をつきおとしたのは兄の方だった。母親の暴力から弟を守ろうとしてつきおとしてしまったのだと、嘘がばれた後、夫は説明する。だけど、嘘の意図がわからない。保身にせよ、欲得ずくにせよ、理由のわかる嘘ならいい。否、よくはないけど理解はできる。だけど、意図のわからない嘘は怖い。妻の心に更なる不安が積もり、重苦しく堆積していく。
ひとつの嘘は、ほかにももっと嘘があるのではないかという不信に繋がる。夜、夢遊病の状態で犬小屋の戸を開けてしまった弟。もと野良犬だった犬は、まだ訓練されておらず、飼っているニワトリを襲ってはいけないことが理解できていない。自由になった犬は、さっそくニワトリを殺してしまう。かわいがっていたニワトリの無残な死体を見て、妻は浮かんだ疑惑を思わず口に出してしまう。
戸を開けたのはあなたなの?
なぜそんなことを? 夫はなんとも言えない顔で妻を見返す。
夫婦の間に生じた不信の亀裂にまぎれこんだ種が芽吹いて葉を広げだす。
そんな不信感に更に止めをさすように、夫の大きな裏切りが発覚する。
互いに子どもがほしいねと、不妊カウンセリングを受けていたはずの夫婦だったのに、実は夫は前々から自分原因の不妊だと知っていたのです。知っていながら妻には黙っていた。子どもがほしいと言っていたのも嘘だったの? 努力してもできないとわかっていたのならなぜ最初からそう言ってくれなかったの? 妻の不信は爆発してしまう。
さて、そこで、です。
物語は不思議な展開を見せる。
兄弟には、自動車修理工場を経営している幼馴染がいました。実はこの男がドーンに気があるらしく、ちょこちょこと粉かけてきていた。その一方、男の妻の方はニックと浮気していたりもするのだけれど、女が浮気性だから男が他の女に目移りするのか、男がそんな風だから女が他の男に走るのか、そこんところはニワトリと卵の関係かもしれません。
とにかく、デヴィッドの裏切り(?)に激怒したドーンは、「たまたま」家を訪ねてきたこの修理工の男と関係を持ってしまう。
まずはこの行為自体が不思議ですよね。男性不妊であることがわかっていながら妊娠したら、妻の不貞がばれないはずはないのに、それでも敢えてそんな危険を犯したのはなぜだったのか? 妊娠までは考えが及ばず、とにかく怒りに任せて夫へのあてつけだけのためにやってしまった短絡的な行為だったのか? それとも、デヴィッドとの関係なんか壊れてしまってもかまわないけど、とにかく子どもだけはほしいのよ、という妊娠までを見越しての「種付け」だったのか。
行為におよぶ決断も不気味なら、行為後、まるで何事もなかったかのように口をぬぐって日常生活を続ける姿も不気味です。そんな妻の不気味さは、ニックのせいで飼い犬に殺されてしまった可愛がっていたニワトリの死体を、食材として丁寧にさばいて調理してしまう姿とたぶる。それとこれとは別。感情やモラルや感傷とは別に、生きるという営みはある。
妻の思惑はわからないけれど、なぜか夫は妻の妊娠を受け入れてしまう。自分の子どもでないことは確定しているのに、子どもができて嬉しいと言い、生んでくれと頼み、生まれてきた子どもを慈しんで育てる。
ここでまたひとひねり、わからなくなる。
こんな情況で妻が不貞に走るなら、その相手はなぜニックではなかったんだろう? 実際にニックが相手だったら容認できた、とかそういう話ではなく、浮気をするならニックが最も最適解である、とかそういう話でもなく、あくまでドラマの流れとして、この物語でそれが行われるのなら、その相手はニックでなければならなかったんじゃないか、という疑問です。デヴィッドの受容は、相手がニックであってこそ成り立つものとしか思えない。
もちろん可能性としては、ドーンの子の父親がニックであるとデヴィッドが誤解していた、と考えることはできます。だけど、映画の描写を見る限り、そうと考えるのは無理がある。
ドーンが修理工と関係を持ったのは、夫妻ででかけた不妊クリニックの帰り、デヴィッドの車が故障してしまい、怒ったドーンがひとりで家に帰ったタイミングだったのですが、興奮状態で家でひとりきりというその時に、間男は家に現れる。そのタイミングは絶妙すぎる。車が故障したとき、デヴィッドは当の修理工に電話すると言っていたけど、その電話は修理を依頼するものだったのか? ドーンがひとりでいることをそそのかす電話ではなかったのか? ドーンの不倫は最初からデヴィッドが仕組んだものではなかったのか?
いずれにしても、兄弟の問題は最後までつきつめられることもなく、弟の存在はいつのまにか消えてしまいます。その一方で、物語上では最重要の課題であるニックの代わりに浮上してきた不義の子どもの父親がクローズアップされてエンディングを迎える。この構成はどうにも歪で落ち着きません。
なんというか、脚本の錬度が低く、編集が粗い映画、という印象を受けるのですが。
ただし、今このタイミングでベネディクト・カンバーバッチを観ておくことは意味のあることだなぁ、と深く思いましたですよ。なんていうか、旬のひとの輝きに触れる機会を逃しちゃいけないと思う。カンバーバッチはこの先40年でも50年でも輝き続ける役者さんなのかもしれないけれど、それでもやっぱり、今かれはまちがいなく旬だと思うの。
2011年、D・R・フッド監督によるイギリス映画。
原題は” WRECKERS(破壊者)”。一組の新婚カップルのもとに夫の弟が現れたことにより、完璧に見えていた夫婦の生活を不穏な影が覆い始める。妻、夫、弟、真の破壊者はだれだったのか? というインディ・ドラマです。
サイコサスペンス? ラブストーリー? ソーシャルフィルム?
いいえ、ジャンルはベネディクト・カンバーバッチ。最近のカンバッチ人気に乗じて、ちょっと前の作品も含めて次々とかれの出演作が公開されているようですが、これもその流れの一本。よくこれが劇場公開されたなーと感心するレベルのとっても地味な小品です。
デイヴィッド(ベネディクト・カンバーバッチ)とドーン(クレア・フォイ)は共に教職についている新婚カップル。デイヴィッドの生まれ故郷である小さな町に移り住み、古い住宅を自分たちの手で改装中。なかなか子宝を授からないことだけが唯一の悩みという絵に描いたような幸福なカップルの下に、ある日突然、疎遠になっていたデヴィッドの弟ニック(ショーン・エヴァンス)が転がり込んでくる。
ニックという青年は、ティーンの頃はかなり荒れていたこともあったらしいのだけど、成人後は更正して軍隊に入隊したらしい。ところが戦場体験でPTSDを発症してしまい、精神的にとても不安定な状態。日中は愛想のよいさわやかな好青年として振舞えるのに、夜になると眠ったまま歩きまわったり悲鳴をあげたり物を壊したり。最初のうちは愛する夫の弟なのだし、夢遊病ぐらいなら微笑ましいものだし、戦場のトラウマ体験で苦しんでいるなんてかわいそうだし、とニックの奇行を我慢しようとしていたドーンだったが、次第に苛立ちを隠せなくなってしまう。
とういうだけの話だったら、小舅が居座って大変ウザイのですが嫁の立場としては我慢するしかないのでしょうか、という新聞の家庭欄の人生相談みたいな話なんですが、ニックの来訪と奇行により、今までドーンが知らなかったデヴィッドの別の一面が炙りだされていくのです。夫には秘密がある。
まず、兄と弟の再会シーンからいきなり、静かな湖面に石が投じられたように緊張の波紋が広がっていきます。なぜなら、連絡もなくいきなり訪れた、しかも成人後はすっかり疎遠になっていたはずの弟に対し、兄は怒りもせず他人行儀にもふるまわず迷惑を露にしたりもせず、しっかりと固く抱きしめるのです。
仲のよい兄弟の微笑ましい挨拶?
しかし兄弟はその後も折りにふれて互いに抱きしめあう。そしてそれを物陰から透き見する妻。親密さの表現しにしては見るからに漂う不穏な雰囲気に、妻は本能的に不安を感じざるを得ないのですが、その妻の視点を通すことによって、より一層その「不自然さ」が際立つ演出になっています。
その一方で夫もまた、妻と弟をひっそりと透き見している。少なくとも当初妻には、夫の弟だから歓待しなければ、という以上の気持ちは全くなかったにもかかわらず、妻と弟がふたりでいるところをじっと伺う夫の視線はあまりにも意味ありげに過ぎる。一体夫は何を思ってふたりを見つめているのか。
交錯するシンメトリーな視線。
視線の持つ力。
それだけで予感される事件。
弟と時間を過ごすうちに、妻はやがて今まで知らなかった夫の一面を知るようになる。兄弟が親に虐待されていた事実。兄にはキレ易い一面があったということ。精一杯さりげなさを装って、なぜ今まで黙っていたのかと尋ねても、なんとなくはぐらかされてしまう妻。妻の心に埃のように積もっていく灰色の不安。
幼い頃虐待にさらされていた兄弟。弟を守るために自らの恐怖を押し殺して大人に立ち向かわなければならなかった兄。兄の行為に感謝しつつも、時にそれが威圧に感じられた弟。ふたりは共依存のような関係にあったのか? ふたりの関係は、あるいはもしかしたら、性的な領域にまで足を踏み出していたのではないか?
そして夫は嘘をついた。
弟はかつて、母親を階段からつきおとしたことがある、と。しかし実際は母親をつきおとしたのは兄の方だった。母親の暴力から弟を守ろうとしてつきおとしてしまったのだと、嘘がばれた後、夫は説明する。だけど、嘘の意図がわからない。保身にせよ、欲得ずくにせよ、理由のわかる嘘ならいい。否、よくはないけど理解はできる。だけど、意図のわからない嘘は怖い。妻の心に更なる不安が積もり、重苦しく堆積していく。
ひとつの嘘は、ほかにももっと嘘があるのではないかという不信に繋がる。夜、夢遊病の状態で犬小屋の戸を開けてしまった弟。もと野良犬だった犬は、まだ訓練されておらず、飼っているニワトリを襲ってはいけないことが理解できていない。自由になった犬は、さっそくニワトリを殺してしまう。かわいがっていたニワトリの無残な死体を見て、妻は浮かんだ疑惑を思わず口に出してしまう。
戸を開けたのはあなたなの?
なぜそんなことを? 夫はなんとも言えない顔で妻を見返す。
夫婦の間に生じた不信の亀裂にまぎれこんだ種が芽吹いて葉を広げだす。
そんな不信感に更に止めをさすように、夫の大きな裏切りが発覚する。
互いに子どもがほしいねと、不妊カウンセリングを受けていたはずの夫婦だったのに、実は夫は前々から自分原因の不妊だと知っていたのです。知っていながら妻には黙っていた。子どもがほしいと言っていたのも嘘だったの? 努力してもできないとわかっていたのならなぜ最初からそう言ってくれなかったの? 妻の不信は爆発してしまう。
さて、そこで、です。
物語は不思議な展開を見せる。
兄弟には、自動車修理工場を経営している幼馴染がいました。実はこの男がドーンに気があるらしく、ちょこちょこと粉かけてきていた。その一方、男の妻の方はニックと浮気していたりもするのだけれど、女が浮気性だから男が他の女に目移りするのか、男がそんな風だから女が他の男に走るのか、そこんところはニワトリと卵の関係かもしれません。
とにかく、デヴィッドの裏切り(?)に激怒したドーンは、「たまたま」家を訪ねてきたこの修理工の男と関係を持ってしまう。
まずはこの行為自体が不思議ですよね。男性不妊であることがわかっていながら妊娠したら、妻の不貞がばれないはずはないのに、それでも敢えてそんな危険を犯したのはなぜだったのか? 妊娠までは考えが及ばず、とにかく怒りに任せて夫へのあてつけだけのためにやってしまった短絡的な行為だったのか? それとも、デヴィッドとの関係なんか壊れてしまってもかまわないけど、とにかく子どもだけはほしいのよ、という妊娠までを見越しての「種付け」だったのか。
行為におよぶ決断も不気味なら、行為後、まるで何事もなかったかのように口をぬぐって日常生活を続ける姿も不気味です。そんな妻の不気味さは、ニックのせいで飼い犬に殺されてしまった可愛がっていたニワトリの死体を、食材として丁寧にさばいて調理してしまう姿とたぶる。それとこれとは別。感情やモラルや感傷とは別に、生きるという営みはある。
妻の思惑はわからないけれど、なぜか夫は妻の妊娠を受け入れてしまう。自分の子どもでないことは確定しているのに、子どもができて嬉しいと言い、生んでくれと頼み、生まれてきた子どもを慈しんで育てる。
ここでまたひとひねり、わからなくなる。
こんな情況で妻が不貞に走るなら、その相手はなぜニックではなかったんだろう? 実際にニックが相手だったら容認できた、とかそういう話ではなく、浮気をするならニックが最も最適解である、とかそういう話でもなく、あくまでドラマの流れとして、この物語でそれが行われるのなら、その相手はニックでなければならなかったんじゃないか、という疑問です。デヴィッドの受容は、相手がニックであってこそ成り立つものとしか思えない。
もちろん可能性としては、ドーンの子の父親がニックであるとデヴィッドが誤解していた、と考えることはできます。だけど、映画の描写を見る限り、そうと考えるのは無理がある。
ドーンが修理工と関係を持ったのは、夫妻ででかけた不妊クリニックの帰り、デヴィッドの車が故障してしまい、怒ったドーンがひとりで家に帰ったタイミングだったのですが、興奮状態で家でひとりきりというその時に、間男は家に現れる。そのタイミングは絶妙すぎる。車が故障したとき、デヴィッドは当の修理工に電話すると言っていたけど、その電話は修理を依頼するものだったのか? ドーンがひとりでいることをそそのかす電話ではなかったのか? ドーンの不倫は最初からデヴィッドが仕組んだものではなかったのか?
いずれにしても、兄弟の問題は最後までつきつめられることもなく、弟の存在はいつのまにか消えてしまいます。その一方で、物語上では最重要の課題であるニックの代わりに浮上してきた不義の子どもの父親がクローズアップされてエンディングを迎える。この構成はどうにも歪で落ち着きません。
なんというか、脚本の錬度が低く、編集が粗い映画、という印象を受けるのですが。
ただし、今このタイミングでベネディクト・カンバーバッチを観ておくことは意味のあることだなぁ、と深く思いましたですよ。なんていうか、旬のひとの輝きに触れる機会を逃しちゃいけないと思う。カンバーバッチはこの先40年でも50年でも輝き続ける役者さんなのかもしれないけれど、それでもやっぱり、今かれはまちがいなく旬だと思うの。
by shirakian
| 2014-03-18 18:36
| 映画ま行