2012年 10月 21日
ボーン・レガシー
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★ネタバレ注意★
■ボーン・スプレマシー
■ボーン・アルティメイタム
ボーン・シリーズ、待望の新作。
監督と脚本のトニー・ギルロイは、ボーン・シリーズ三作すべての脚本を手掛けたひとですので、物語の整合性についてはバッチリです。あの設定はどうなったんだとか、あのキャラクターはどこに消えたんだとか、あの謎の解明はどうしたんだとか、そういうモヤモヤを感じさせないスッキリ仕様。
ストーリーの流れはこんな感じ。
前作アルティメイタムのラストで、ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)と気脈を通じたCIAのパメラ・ランディ(ジョーン・アレン)がトレッドストーン計画を告発したため、同じくCIAのノア・ヴォーゼン(デヴィッド・ストラザーン)らは懸命に火消しに努めるが、国防省はトレッドストーン計画をすっぱぬいたゴシップ誌の記者を暗殺してしまう。
CIAのハーシュ博士(アルバート・フィニー)主導によるトレッドストーン計画と時を同じくして、国防省のNRAG(国家調査研究所)では、ヒルコット博士(ニール・ブルックス・カニンガム)によるアウトカム、及びラークスという二つの計画が進行中だったが、ハーシュとヒルコットの交友関係がyoutubeにアップされてしまい、その繋がりでアウトカム計画までもが公になってしまうことを恐れたNRAGのリック・バイヤー(エドワード・ノートン)は、計画自体を破棄せざるを得なくなってしまう。
最強の暗殺者養成を目的とするトレッドストーン計画とは異なり、情報収集のためのスパイ育成を主目的とするアウトカム計画は、遺伝子操作によって被検者の体力と知力をレベルアップするもので、ある種のウィルスを媒介とした薬物を投入された被検者は、驚異的な体力・聴覚・思考力などを得ることができるが、反面、定期的に一定量の薬を投与しなければ、激しい禁断症状に陥ってしまう。NRAGはこのアウトカム計画の被検者である6人に、新薬と偽って毒物を支給し、全員の存在を抹消しようとする。
被験者No.5だったアーロン・クロス(ジェレミー・レナー)は、アラスカのCIA特殊訓練所で単独サバイバル訓練を行っており、毒殺はまぬがれる。しかし、アラスカの山中で国防省の無人航空機によるミサイル攻撃というあからさまな襲撃をうけたクロスは、自分が切り棄てられたことを知り、とりあえず自力で追加の薬を入手するため、アウトカム被検者の身体機能チェックを行っていた医学者、マルタ・シェアリング博士(レイチェル・ワイズ)に助けを求める。
だけどもちろん、徹底的に情報を隠蔽しようとするNRAGの魔の手はシェアリング博士にも伸びており、かくてクロスとシェアリングの逃避行が始まる、という定番の展開。
ストーリーに整合性があるのは確かなんだけど、いろんな部分でなんだかモヤモヤしてしまうお話でもあります。
一番まずいのは、とにかく一にも二にも、アクションシーンが面白くない、ということに尽きるかも。や、別に悪かないんだけど、特にこれといって突出した演出やアイディアがなくて、全然楽しくないの。えー、これでボーン・シリーズ? って感じ。
敗因は主に四つぐらい。
まず第一に、ギルロイ監督自身、アクション自体にはあまり興味がないっぽい。『フィクサー』とか『デュプリシティ』とかの最近の監督作の傾向を見れば、なるほど納得、アクションというより政治的かけひきとか陰謀とか、むしろそっちの方を描きたいひとなんだろうね。アクションに関しては、淡々と予定を消化しているがごとき印象で、要するに外連味がない。
そしてふたつめは、マット・デイモンとジェレミー・レナーのキャラクターの違い。
ジェレミー・レナー、全然悪くないどころか本当に強そうだし、特にアラスカの訓練シーンなんてリアリティがあってとってもよかったんだけど、かれにはデイモンが持っている「知的」なイメージがないのね。この男、とんでもなく切れそう、っていう予感が抱けない。そして演出の上でも、デイモンのジェイソン・ボーンが見せてくれた頭脳プレイ的アクションが、レナーのアーロン・クロスの逃亡劇では見られない。全ての動きが教科書通り、定石通りで、要するに外連味がない。
特に、どんなに凄い訓練を積んでも所詮結局はただのひと、であったジェイソン・ボーンとは異なり、アーロン・クロスは遺伝子操作によって作られた一種の超人という設定なんだから、もっとスーパー・ヒーロー的描写がなければ。アラスカのシーンで、観客の耳にはまだ聞こえない飛行機のエンジン音を逸早く聞きとって対応した、っていう描写があったけど、超人描写ってそのくらいしかなかったんじゃないかしら。勿体無いよね。せっかく面白く作れたはずの設定を生かさないなんて。
とは言っても、その分、アーロンにはジェイソンにはあまり感じられなかった「哀愁」を感じました。ジェイソン・ボーンほどの知性を感じさせないだけに、否応なしに国家権力に利用されてしまった弱い一個人の悲哀が漂っていました。雨に濡れた子犬系の魅力というか。
三つめは、今回の敵役は、せっかくのノートン先生だというのに、かれのキャラクターを生かしきれていない印象。エドワード・ノートンって、すっごく頭がいいっていうイメージないですか? こいつだけは敵にまわしちゃダメだ! みたいな。プリズンブレイクのマホーンみたいな。確かにノートン演じるバイヤーは、頭脳プレイでアーロン・クロスを追い詰めてはくれるのだけど、どうもこう、悪魔のようなキレモノ、というほどの印象はなく、全体的に後手後手にまわってる印象。どちらかと言うと、地道な警察捜査みたい。決定的にスピード感に欠けるというか、要するに外連味がない。
そして最後は、実行部隊のラスボスを演じた裸足のヤクザことルイス・オザワ・チャンチェンがショボイ。
チャンチェンは、アーロン・クロスのアウトカム計画と平行して組み立てられていたラークス計画の工作員№3。ラークス計画が何かという具体的な説明はなかったと思うのだけど、これは結局トレッドストーン計画に似た暗殺者養成のプログラムだったのかな。感情を持たない暗殺者、というのがウリです。
今までのボーン・シリーズで体育会系敵役を演じたクライブ・オーウェン、カール・アーバン、エドガー・ラミレスは、いずれも敵役としての華があったし、第一いかにも手強いというイメージに不足はなかったのに、チャンチェンってば、これが、ちっとも強くないのよ。地道に脚を使ったりバイクを使ったり執拗に追いかけては来るのだけれど、どうにも「逃げ切れなさ」を感じさせないというか、観客の肝を冷やす描写がない。要するに外連味がない。
最後なんか、アーロン・クロスにやられるんじゃなくて、ヒロインのケリ食らって吹っ飛ぶ始末。なんの冗談かと思ったわよ。
本筋にはあまり関係のないことですが、ここでやっぱり思うのが、果たして感情を持たない人間に暗殺者が務まるのか? ということです。だって、手強いターゲットに迫り、我が身を危険に晒してまで相手を殺すっていうのは、相当大変な仕事なわけでしょ? 人間がそんな大変な仕事をするのに、モチベーションなしでやれるものなのかしら? モチベーションっていうのはつまり、名誉欲であったり金銭欲であったり達成感であったり、何よりも強烈なプライドであったり、ある種の心の熱を必要とするもので、そういうものってどうしたって「感情」としてカウントされるべきものなのでは? 感情を持たない相手に、どうやったら動機づけができるんだろう? 機会手段動機は三大不可欠要素でしょ。
さきほど、監督はアクションを撮ることにはあまり興味がなかったっぽいと書きましたが、その分、レイチェル・ワイズの感情描写がすごかったと思います。
レイチェル・ワイズ演じるマルタ・シェアリング博士が、自分が巻きこまれた陰謀に気づいたときのリアクションっていうのが、まさに迫真という言葉にふさわしいリアルで熱のあるすばらしい演技だったのね。それはもう、「ああいうシチュエーションでのああいうキャラクターの予定される反応」という粋を超えた、苛立たしいまでの感情の爆発。
確かにシェアリング博士は何も知らされずに計画に加担させられた被害者ではあったのだけど、反面やっぱり、医師としての倫理に抵触してきたことに関しては、知らなかったじゃすまされない部分もあり、怒りや恐怖だけじゃなく、保身や自己正当化といった心の動きもある。その一方で「自分の仕事」に関するプライドや意地もある。もともとレイチェル・ワイズは演技力には定評のあるスキルのある女優さんではあるけれど、『フィクサー』でティルダ・スウィントンにアカデミー賞助演女優賞を齎した監督だけあって、女優の真価を引き出すことがうまいひとなのかな。
最後に疑問に思ったこと。
アーロン・クロスは逃走劇のさなか、シェアリング博士に新種のウィルスを注入してもらい、今まで縛りつけられていた薬から解放されます。迫る追っ手を意識したアーロンは、まさに命の綱だったピルケースを隠れていた部屋に放置し、「NO MORE」というメッセージを残す。つまりこれって、自分にはもう薬なんか必要なくなった、「NO MORE PILLS」ということで、アーロン・クロスの勝利宣言です。勝利宣言だからこそ、生きてくるメッセージなんだと思う。
字幕の訳は「追うな」。
御大、相変わらず仕事が雑だわ。
・ボーン・レガシー@ぴあ映画生活
■ボーン・スプレマシー
■ボーン・アルティメイタム
ボーン・シリーズ、待望の新作。
監督と脚本のトニー・ギルロイは、ボーン・シリーズ三作すべての脚本を手掛けたひとですので、物語の整合性についてはバッチリです。あの設定はどうなったんだとか、あのキャラクターはどこに消えたんだとか、あの謎の解明はどうしたんだとか、そういうモヤモヤを感じさせないスッキリ仕様。
ストーリーの流れはこんな感じ。
前作アルティメイタムのラストで、ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)と気脈を通じたCIAのパメラ・ランディ(ジョーン・アレン)がトレッドストーン計画を告発したため、同じくCIAのノア・ヴォーゼン(デヴィッド・ストラザーン)らは懸命に火消しに努めるが、国防省はトレッドストーン計画をすっぱぬいたゴシップ誌の記者を暗殺してしまう。
CIAのハーシュ博士(アルバート・フィニー)主導によるトレッドストーン計画と時を同じくして、国防省のNRAG(国家調査研究所)では、ヒルコット博士(ニール・ブルックス・カニンガム)によるアウトカム、及びラークスという二つの計画が進行中だったが、ハーシュとヒルコットの交友関係がyoutubeにアップされてしまい、その繋がりでアウトカム計画までもが公になってしまうことを恐れたNRAGのリック・バイヤー(エドワード・ノートン)は、計画自体を破棄せざるを得なくなってしまう。
最強の暗殺者養成を目的とするトレッドストーン計画とは異なり、情報収集のためのスパイ育成を主目的とするアウトカム計画は、遺伝子操作によって被検者の体力と知力をレベルアップするもので、ある種のウィルスを媒介とした薬物を投入された被検者は、驚異的な体力・聴覚・思考力などを得ることができるが、反面、定期的に一定量の薬を投与しなければ、激しい禁断症状に陥ってしまう。NRAGはこのアウトカム計画の被検者である6人に、新薬と偽って毒物を支給し、全員の存在を抹消しようとする。
被験者No.5だったアーロン・クロス(ジェレミー・レナー)は、アラスカのCIA特殊訓練所で単独サバイバル訓練を行っており、毒殺はまぬがれる。しかし、アラスカの山中で国防省の無人航空機によるミサイル攻撃というあからさまな襲撃をうけたクロスは、自分が切り棄てられたことを知り、とりあえず自力で追加の薬を入手するため、アウトカム被検者の身体機能チェックを行っていた医学者、マルタ・シェアリング博士(レイチェル・ワイズ)に助けを求める。
だけどもちろん、徹底的に情報を隠蔽しようとするNRAGの魔の手はシェアリング博士にも伸びており、かくてクロスとシェアリングの逃避行が始まる、という定番の展開。
ストーリーに整合性があるのは確かなんだけど、いろんな部分でなんだかモヤモヤしてしまうお話でもあります。
一番まずいのは、とにかく一にも二にも、アクションシーンが面白くない、ということに尽きるかも。や、別に悪かないんだけど、特にこれといって突出した演出やアイディアがなくて、全然楽しくないの。えー、これでボーン・シリーズ? って感じ。
敗因は主に四つぐらい。
まず第一に、ギルロイ監督自身、アクション自体にはあまり興味がないっぽい。『フィクサー』とか『デュプリシティ』とかの最近の監督作の傾向を見れば、なるほど納得、アクションというより政治的かけひきとか陰謀とか、むしろそっちの方を描きたいひとなんだろうね。アクションに関しては、淡々と予定を消化しているがごとき印象で、要するに外連味がない。
そしてふたつめは、マット・デイモンとジェレミー・レナーのキャラクターの違い。
ジェレミー・レナー、全然悪くないどころか本当に強そうだし、特にアラスカの訓練シーンなんてリアリティがあってとってもよかったんだけど、かれにはデイモンが持っている「知的」なイメージがないのね。この男、とんでもなく切れそう、っていう予感が抱けない。そして演出の上でも、デイモンのジェイソン・ボーンが見せてくれた頭脳プレイ的アクションが、レナーのアーロン・クロスの逃亡劇では見られない。全ての動きが教科書通り、定石通りで、要するに外連味がない。
特に、どんなに凄い訓練を積んでも所詮結局はただのひと、であったジェイソン・ボーンとは異なり、アーロン・クロスは遺伝子操作によって作られた一種の超人という設定なんだから、もっとスーパー・ヒーロー的描写がなければ。アラスカのシーンで、観客の耳にはまだ聞こえない飛行機のエンジン音を逸早く聞きとって対応した、っていう描写があったけど、超人描写ってそのくらいしかなかったんじゃないかしら。勿体無いよね。せっかく面白く作れたはずの設定を生かさないなんて。
とは言っても、その分、アーロンにはジェイソンにはあまり感じられなかった「哀愁」を感じました。ジェイソン・ボーンほどの知性を感じさせないだけに、否応なしに国家権力に利用されてしまった弱い一個人の悲哀が漂っていました。雨に濡れた子犬系の魅力というか。
三つめは、今回の敵役は、せっかくのノートン先生だというのに、かれのキャラクターを生かしきれていない印象。エドワード・ノートンって、すっごく頭がいいっていうイメージないですか? こいつだけは敵にまわしちゃダメだ! みたいな。プリズンブレイクのマホーンみたいな。確かにノートン演じるバイヤーは、頭脳プレイでアーロン・クロスを追い詰めてはくれるのだけど、どうもこう、悪魔のようなキレモノ、というほどの印象はなく、全体的に後手後手にまわってる印象。どちらかと言うと、地道な警察捜査みたい。決定的にスピード感に欠けるというか、要するに外連味がない。
そして最後は、実行部隊のラスボスを演じた裸足のヤクザことルイス・オザワ・チャンチェンがショボイ。
チャンチェンは、アーロン・クロスのアウトカム計画と平行して組み立てられていたラークス計画の工作員№3。ラークス計画が何かという具体的な説明はなかったと思うのだけど、これは結局トレッドストーン計画に似た暗殺者養成のプログラムだったのかな。感情を持たない暗殺者、というのがウリです。
今までのボーン・シリーズで体育会系敵役を演じたクライブ・オーウェン、カール・アーバン、エドガー・ラミレスは、いずれも敵役としての華があったし、第一いかにも手強いというイメージに不足はなかったのに、チャンチェンってば、これが、ちっとも強くないのよ。地道に脚を使ったりバイクを使ったり執拗に追いかけては来るのだけれど、どうにも「逃げ切れなさ」を感じさせないというか、観客の肝を冷やす描写がない。要するに外連味がない。
最後なんか、アーロン・クロスにやられるんじゃなくて、ヒロインのケリ食らって吹っ飛ぶ始末。なんの冗談かと思ったわよ。
本筋にはあまり関係のないことですが、ここでやっぱり思うのが、果たして感情を持たない人間に暗殺者が務まるのか? ということです。だって、手強いターゲットに迫り、我が身を危険に晒してまで相手を殺すっていうのは、相当大変な仕事なわけでしょ? 人間がそんな大変な仕事をするのに、モチベーションなしでやれるものなのかしら? モチベーションっていうのはつまり、名誉欲であったり金銭欲であったり達成感であったり、何よりも強烈なプライドであったり、ある種の心の熱を必要とするもので、そういうものってどうしたって「感情」としてカウントされるべきものなのでは? 感情を持たない相手に、どうやったら動機づけができるんだろう? 機会手段動機は三大不可欠要素でしょ。
さきほど、監督はアクションを撮ることにはあまり興味がなかったっぽいと書きましたが、その分、レイチェル・ワイズの感情描写がすごかったと思います。
レイチェル・ワイズ演じるマルタ・シェアリング博士が、自分が巻きこまれた陰謀に気づいたときのリアクションっていうのが、まさに迫真という言葉にふさわしいリアルで熱のあるすばらしい演技だったのね。それはもう、「ああいうシチュエーションでのああいうキャラクターの予定される反応」という粋を超えた、苛立たしいまでの感情の爆発。
確かにシェアリング博士は何も知らされずに計画に加担させられた被害者ではあったのだけど、反面やっぱり、医師としての倫理に抵触してきたことに関しては、知らなかったじゃすまされない部分もあり、怒りや恐怖だけじゃなく、保身や自己正当化といった心の動きもある。その一方で「自分の仕事」に関するプライドや意地もある。もともとレイチェル・ワイズは演技力には定評のあるスキルのある女優さんではあるけれど、『フィクサー』でティルダ・スウィントンにアカデミー賞助演女優賞を齎した監督だけあって、女優の真価を引き出すことがうまいひとなのかな。
最後に疑問に思ったこと。
アーロン・クロスは逃走劇のさなか、シェアリング博士に新種のウィルスを注入してもらい、今まで縛りつけられていた薬から解放されます。迫る追っ手を意識したアーロンは、まさに命の綱だったピルケースを隠れていた部屋に放置し、「NO MORE」というメッセージを残す。つまりこれって、自分にはもう薬なんか必要なくなった、「NO MORE PILLS」ということで、アーロン・クロスの勝利宣言です。勝利宣言だからこそ、生きてくるメッセージなんだと思う。
字幕の訳は「追うな」。
御大、相変わらず仕事が雑だわ。
・ボーン・レガシー@ぴあ映画生活
by shirakian
| 2012-10-21 19:35
| 映画は行