2012年 05月 11日
キリング・フィールズ 失踪地帯
|
★ネタバレ注意★
テキサスに実在する犯罪多発地域で起きた実話をもとにしたストーリーだそうで、製作にマイケル・マンの名前が見えますが、本作の監督のアミ・カナーン・マンは、マイケル・マン監督の娘さんなんだそうです。コッポラ家に続け!
キリング・フィールドと言えば、ポル・ポト政権下のカンボジアで大量虐殺が行われた処刑場の俗称ですが、この映画のオリジナルタイトルは “TEXAS KILLING FIELDS”。内容的にも舞台がテキサスであることがキモです。邦題、素直に「テキサス・キリング・フィールズ」としておけば微妙な副題もいらないし、例の有名映画との重複も避けられたのに、素直になるのは沽券にかかわるのかな。ニッポンの配給が考えることはナゾだね。
ニッポンの配給はともかく、サム・ワーシントン、ジェフリー・ディーン・モーガン、クロエ・グレース・モレッツという顔合わせに、ワクワクしながら劇場に赴いたのですが、ちょっと残念な印象の映画でした。
マイク(サム・ワーシントン)とブライアン(ジェフリー・ディーン・モーガン)は、テキサス州テキサスシティの刑事さん。マイクはちゃきちゃきの地元生え抜きですが、相棒のブライアンはNYからの転属組。ふたりが市中で発生した少女殺人事件の捜査にあたっていたところ、その事件とは別に、テキサスシティに隣接する湿地帯で、新たな他殺体が見つかった。その湿地帯は、今までにも多数の死体が発見されており、「キリング・フィールズ」と呼ばれていた。
特に文芸的な趣きがあったり哲学的な深みがあったりするわけではない、オーソドックスな犯罪捜査ものです。その割には脚本が整理されていなさすぎる。なにをどのタイミングでどのように説明するのか、という基本が全くなってない感じで、観ていてイライラしました。これなら、テレビシリーズの1エピソードの方がよっぽど要領よくまとまっているし、「見せ方」を心得ていると思う。
まず、テキサンのマイクとニューヨーカーのブライアン、というバディの対比の面白さが肝心なはずなのに、そのことが全く生かせていないのがもどかしいです。地元の保安官が、ブライアンからの要請はわざと無視するのに、親の代からよく知っているマイクにはいい顔を見せる、のでマイクがブライアンのためにキレる、というような場面があるにはあるのだけれど、ブライアン自身、ニューヨーカー的属性が明確になる以前に、何らかの自己理由によってテキサン以上にワイルドな振る舞いをしがちな心理状態にあるので、やっぱり結局対比が生きない。
どうやらブライアンはその自己理由のために、湿地帯での事件に異常な執着を見せており、そのため、本来マイクと共に担当していた少女殺人事件の捜査が疎かになるほどだというのに、ブライアンの執着についてのきちんとした説明がまるでない。
しかも、ただでさえ湿地帯の事件の方に気をとられているブライアンに対して、その湿地帯の事件の担当者であり、マイクの元妻であるパム(ジェシカ・チャステイン)は、なぜか執拗に協力を要請してくる。彼女がなぜ管轄を無視してまで(キリング・フィールズは、テキサスシティを管轄とするマイクやブライアンにとっては管轄外の地域であるらしい)、自分自身のバディではなくブライアンに頼ろうとするのか、そこんとこの説明もない。ブライアンとの間に男女の感情があるというわけでもないし(ブライアンは愛妻家)、マイクとヨリをもどしたくて、その足がかりを得るためにブライアンに絡んでいる、というようなことでもないらしいのです。なんかパムはブライアンのポゼッションを知っていて利用しているような印象も受ける。
平行して起こっているふたつの事件をバランスよく捌く手腕がない上に、ブライアンの行動原理をきちんと描写しないので、物語の流れがモタモタします。だから結局どちらの事件も、納得いくすっきりした解決にならない。更に悪いことに、どちらの事件も、最初からいかにも怪しかった容疑者が何のひねりもなく結局やっぱり犯人でした、という流れになってる。社会の荒廃とか、人間の心の闇とか、貧困とか差別とかテキサスという地域の特殊性とか、描きたかったことは「犯人捜し」以外にあったのかもしれないけれど、だとしたら、エンタメ性を度外視しても評価されるような「社会派」の映画にはなり得ていない、と言うしかないです。
そんな中で、「テキサスという地域の特殊性」を体現していたのがクロエ・グレース・モレッツが演じたアンというキャラクターです。
アンは、母親(シェリル・リー)からネグレクトされている子供で、母親が自宅に男をくわえこんでいる間は、家に帰ることができない。路上で時間を潰すうちに非行に走り、ブライアンに補導された過去があり、アンはブライアンに懐いており、ブライアンもアンを気にかけている、という関係性ができあがっています。ふたりの交流がきちんと描けているので、後にアン自身が被害者になったときの、ブライアンの必死の捜索にも説得力があります。
とにかく、寄る辺なく街をさすらうか細いクロエ・グレース・モレッツがものっそいいです。特に、ちょっとこの世ならぬ雰囲気すら漂わせ、暮れなずむ路上に立ちすくんでいた登場シーンなんか極めて秀逸。本来素直で明るい子であるはずなのに、あちこちでこずきまわされて気持ちが荒んでいく様が悲しい以上に、こんなか弱い存在が放り出されてしまった荒らぶるテキサスシティという場との対比が圧倒的。だだっ広く乾いた街。貧困と搾取と暴力がはびこり、だれもが簡単に「自衛のための」銃を持てる街。だけど、だれもが持てる自衛のための銃から、子どもたちを守るのはだれなんだろう。
サム・ワーシントンもジェフリー・ディーン・モーガンも、刑事役、とっても似合ってました。ふたりともまた刑事ものやってほしい。できたらまたバディ組んでくれるといいな。特にワーシントンは、ターミネーターでもアバターでもギリシャの半神でもない普通の男が見られて楽しかったです。
・キリング・フィールズ 失踪地帯@ぴあ映画生活
テキサスに実在する犯罪多発地域で起きた実話をもとにしたストーリーだそうで、製作にマイケル・マンの名前が見えますが、本作の監督のアミ・カナーン・マンは、マイケル・マン監督の娘さんなんだそうです。コッポラ家に続け!
キリング・フィールドと言えば、ポル・ポト政権下のカンボジアで大量虐殺が行われた処刑場の俗称ですが、この映画のオリジナルタイトルは “TEXAS KILLING FIELDS”。内容的にも舞台がテキサスであることがキモです。邦題、素直に「テキサス・キリング・フィールズ」としておけば微妙な副題もいらないし、例の有名映画との重複も避けられたのに、素直になるのは沽券にかかわるのかな。ニッポンの配給が考えることはナゾだね。
ニッポンの配給はともかく、サム・ワーシントン、ジェフリー・ディーン・モーガン、クロエ・グレース・モレッツという顔合わせに、ワクワクしながら劇場に赴いたのですが、ちょっと残念な印象の映画でした。
マイク(サム・ワーシントン)とブライアン(ジェフリー・ディーン・モーガン)は、テキサス州テキサスシティの刑事さん。マイクはちゃきちゃきの地元生え抜きですが、相棒のブライアンはNYからの転属組。ふたりが市中で発生した少女殺人事件の捜査にあたっていたところ、その事件とは別に、テキサスシティに隣接する湿地帯で、新たな他殺体が見つかった。その湿地帯は、今までにも多数の死体が発見されており、「キリング・フィールズ」と呼ばれていた。
特に文芸的な趣きがあったり哲学的な深みがあったりするわけではない、オーソドックスな犯罪捜査ものです。その割には脚本が整理されていなさすぎる。なにをどのタイミングでどのように説明するのか、という基本が全くなってない感じで、観ていてイライラしました。これなら、テレビシリーズの1エピソードの方がよっぽど要領よくまとまっているし、「見せ方」を心得ていると思う。
まず、テキサンのマイクとニューヨーカーのブライアン、というバディの対比の面白さが肝心なはずなのに、そのことが全く生かせていないのがもどかしいです。地元の保安官が、ブライアンからの要請はわざと無視するのに、親の代からよく知っているマイクにはいい顔を見せる、のでマイクがブライアンのためにキレる、というような場面があるにはあるのだけれど、ブライアン自身、ニューヨーカー的属性が明確になる以前に、何らかの自己理由によってテキサン以上にワイルドな振る舞いをしがちな心理状態にあるので、やっぱり結局対比が生きない。
どうやらブライアンはその自己理由のために、湿地帯での事件に異常な執着を見せており、そのため、本来マイクと共に担当していた少女殺人事件の捜査が疎かになるほどだというのに、ブライアンの執着についてのきちんとした説明がまるでない。
しかも、ただでさえ湿地帯の事件の方に気をとられているブライアンに対して、その湿地帯の事件の担当者であり、マイクの元妻であるパム(ジェシカ・チャステイン)は、なぜか執拗に協力を要請してくる。彼女がなぜ管轄を無視してまで(キリング・フィールズは、テキサスシティを管轄とするマイクやブライアンにとっては管轄外の地域であるらしい)、自分自身のバディではなくブライアンに頼ろうとするのか、そこんとこの説明もない。ブライアンとの間に男女の感情があるというわけでもないし(ブライアンは愛妻家)、マイクとヨリをもどしたくて、その足がかりを得るためにブライアンに絡んでいる、というようなことでもないらしいのです。なんかパムはブライアンのポゼッションを知っていて利用しているような印象も受ける。
平行して起こっているふたつの事件をバランスよく捌く手腕がない上に、ブライアンの行動原理をきちんと描写しないので、物語の流れがモタモタします。だから結局どちらの事件も、納得いくすっきりした解決にならない。更に悪いことに、どちらの事件も、最初からいかにも怪しかった容疑者が何のひねりもなく結局やっぱり犯人でした、という流れになってる。社会の荒廃とか、人間の心の闇とか、貧困とか差別とかテキサスという地域の特殊性とか、描きたかったことは「犯人捜し」以外にあったのかもしれないけれど、だとしたら、エンタメ性を度外視しても評価されるような「社会派」の映画にはなり得ていない、と言うしかないです。
そんな中で、「テキサスという地域の特殊性」を体現していたのがクロエ・グレース・モレッツが演じたアンというキャラクターです。
アンは、母親(シェリル・リー)からネグレクトされている子供で、母親が自宅に男をくわえこんでいる間は、家に帰ることができない。路上で時間を潰すうちに非行に走り、ブライアンに補導された過去があり、アンはブライアンに懐いており、ブライアンもアンを気にかけている、という関係性ができあがっています。ふたりの交流がきちんと描けているので、後にアン自身が被害者になったときの、ブライアンの必死の捜索にも説得力があります。
とにかく、寄る辺なく街をさすらうか細いクロエ・グレース・モレッツがものっそいいです。特に、ちょっとこの世ならぬ雰囲気すら漂わせ、暮れなずむ路上に立ちすくんでいた登場シーンなんか極めて秀逸。本来素直で明るい子であるはずなのに、あちこちでこずきまわされて気持ちが荒んでいく様が悲しい以上に、こんなか弱い存在が放り出されてしまった荒らぶるテキサスシティという場との対比が圧倒的。だだっ広く乾いた街。貧困と搾取と暴力がはびこり、だれもが簡単に「自衛のための」銃を持てる街。だけど、だれもが持てる自衛のための銃から、子どもたちを守るのはだれなんだろう。
サム・ワーシントンもジェフリー・ディーン・モーガンも、刑事役、とっても似合ってました。ふたりともまた刑事ものやってほしい。できたらまたバディ組んでくれるといいな。特にワーシントンは、ターミネーターでもアバターでもギリシャの半神でもない普通の男が見られて楽しかったです。
・キリング・フィールズ 失踪地帯@ぴあ映画生活
by shirakian
| 2012-05-11 22:15
| 映画か行