2012年 01月 05日
エイリアン3
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★ネタバレ注意★
エイリアン・マラソン第三弾。
1992年、デヴィッド・フィンチャー監督。
二作目までは続編ですが、三作続くとシリーズです。シリーズの最大使命はできるだけ長く継続させること。説明なしでもすでに商品イメージが定着しているという優位性は大きく、柳の下に二匹でも三匹でも百匹でも、ドジョウはいればいるほどいい。めざせ寅さん商売繁盛笹もってこい! ところがこの三作目は、実はシリーズを終わらせることを目的として作られた作品です。オリジナルから13年、長々と続いたリプリーとエイリアンの対決に決着をつけるべく、シガニー・ウィーバー自身がプロデューサーも務めています。
というわけで、本来、エイリアン・ファイナルとなる予定だった本作、パーフェクトな一作目、一作目を凌駕したかにすら見える二作目に続くファイナルとあれば、それはもう期待するなという方がムリ。全世界が固唾をのんでその公開を待ち望んでいました(かどうかは知りません)。
だけどねー、なんかねー、がっかりなのよねー。
うーん、まず、この作品は大変不幸な生い立ちをしてしまったらしいです。脚本が二転三転。何度も何度も書き換えられて最初のアイディアなんて跡形もなくなってしまうぐらい変形してしまった上に、それにあわせて監督もまた次々と首が挿げ替えられた(か、あるいは、自分から呆れて降板しちゃったか)。要するに、「会社の事情」で作品自体がめちゃめちゃにされてしまった。ほんとに「会社」って悪いことしかしませんねぇ。
そしてもちろん、そのことと無縁ではないけれど、二作目が一作目をきちんと踏襲した作品であっただけに、三作目もまた二作目の軌跡を正しく踏む展開だろうと期待していたわけです(少なくともわたしは)。つまり、次はもう、全面戦争しかない、と思っていたのです。エイリアン、ついに地球に現る! という流れ。1があれで2がああきたら、3はもうそれしかないじゃありませんか。
ところが実際は、物語の舞台はまたもや遥か地球を離れた辺境の星です。こじんまりとした舞台の、こじんまりした戦い。しかも今作ではエイリアンは再び単独です。一体から大軍へという流れならわかりますが、広げた話を矮小化されても(汗)。
リプリー、ヒックス、ニュート、ビショップを乗せて、アチェロンから脱出したスラコ号内で火災が発生した。船のコンピュータの判断で、4人を載せた救命艇は自動脱出したが、惑星フィオリーナ161の地表に激突、リプリー以外の乗員は死亡してしまう。この星は「会社」の息のかかった監獄星であり、男ばかり25人の凶悪犯が収容されていた。
火災の原因というのはもちろんエイリアンの強酸の体液で(電気系統のどっかが溶けてショートしたらしい)、要するにスラコ号にもちゃっかり便乗していたエイリアンがそのまま救命艇で監獄星に到達してしまった、という流れ。そしてあろうことか、エイリアンは監獄星で大事に飼われていた一匹しかいない犬に寄生して、犬の遺伝子を取り込んで、四足で走る犬型エイリアンに進化したのであった! ……エイリアンが宿主の遺伝子を取り込むとかいう話、シーズンも三作目になって初めて耳にしたわけですが。
ここでなんとなくイラッとくるのは、せっかくアチェロンから脱出できたメンバーのうち、3人までもをあっさり殺してしまうデリカシーのない遣り口です。リプリーと心が通い始めていたヒックスはもとより、リプリーが命をかけて守りぬいたニュートまで殺すとは! それに第一ビショップなんてロボットなんだから、再起不能になるまで叩き壊すことないじゃない! なんかとってもイヤ~な感じ~。この3人を生かしたストーリー展開なんて、プロならゴマンと考え付けるはずなのに。
観客の神経を逆撫でしてまで前作のメンツを潰しておきながら、新しく出てきたキャラクターは、圧倒的に描写不足。リプリーと同衾までした医師のクレメンズ(チャールズ・ダンス)にしてから、ようやく自らの過去を明かしたかと思った途端にエイリアンに喰われてしまうし、囚人のひとりには、名優ピート・ポスルスウェイトだっているというのに、かれが演じたデヴィッドは、ポスルスウェイト史上最も存在感のないキャラクターだったりするし。
クレメンズと所長との確執とか、宗教かぶれした元凶悪犯のディロン(チャールズ・S・ダットン)とか、掘り下げれば面白くなりそうなキャラや人間関係はあったのに、それを生かすことなくエイリアン相手のバトルのみで終了。それならそれで、2でキャメロンがやってのけたような迫力の戦闘描写があるかと言えば、そういうこともなく、第一、情況説明が絶望的にヘタクソで、建物の構造はどういうことになっているのか、エイリアンはどこをどのように動いているのか、人間たちはどうやってそれを食いとめようとしているのか、現在地はどこで目的地はどこか、距離はどうなってるのか、時間的制約はどうか、障害物は何か、難易度はどのくらいか、などなど、大事なことはなにひとつわからない。
必要最低限度の説明がまずできていないというのに、そのくせスタイリッシュを狙ったのかなにか、「エイリアン視点」のカメラアングルなんか持ち込むものだから、画面が無駄に観づらくなっちゃう。ストーリーはつまんないわ、キャラクターに見所はないわ、映像は観難いわとあれば、もはや観客の忍耐の限界に挑戦されているような気持ち(汗)。
唯一面白く感じたのは、ヴィショップをデザインした科学者のビショップ(ランス・ヘンリクセン)の登場です。ストーリー上は何もあそこにロボット科学者が現れる必然性は全くまったくまぁーったくなかったにもかかわらず、それでも、ビショップの顔をしてリプリーの前に現れ、エイリアンを「会社」に寄越せと迫る「人間のビショップ」という図式は、1でロボットへの嫌悪を植え付け、2で見事にそれを覆したさきに、更にロボットをモンスターに仕立て上げているのは人間である、という駄目押しになっていて、このことは、エイリアンに仮託して恐怖の対象を描きつつ、一番恐ろしいのは実は人間、というシリーズに一貫したテーマへの補強にもなっている。
それにしても、自分そっくりにロボットをデザインするビショップさんって、なんてナルシストなのかしら。
ラスト、エイリアンを体内に抱きしめて溶鉱炉にダイブするリプリーのイメージは大変荘厳ですばらしいのですが、それもやはり、この後もリプリーは生き返ることを知った上で観ると、ちょっと空々しい感じがしてしまって残念でした。3の罪じゃないけど。
エイリアン・マラソン第三弾。
1992年、デヴィッド・フィンチャー監督。
二作目までは続編ですが、三作続くとシリーズです。シリーズの最大使命はできるだけ長く継続させること。説明なしでもすでに商品イメージが定着しているという優位性は大きく、柳の下に二匹でも三匹でも百匹でも、ドジョウはいればいるほどいい。めざせ寅さん商売繁盛笹もってこい! ところがこの三作目は、実はシリーズを終わらせることを目的として作られた作品です。オリジナルから13年、長々と続いたリプリーとエイリアンの対決に決着をつけるべく、シガニー・ウィーバー自身がプロデューサーも務めています。
というわけで、本来、エイリアン・ファイナルとなる予定だった本作、パーフェクトな一作目、一作目を凌駕したかにすら見える二作目に続くファイナルとあれば、それはもう期待するなという方がムリ。全世界が固唾をのんでその公開を待ち望んでいました(かどうかは知りません)。
だけどねー、なんかねー、がっかりなのよねー。
うーん、まず、この作品は大変不幸な生い立ちをしてしまったらしいです。脚本が二転三転。何度も何度も書き換えられて最初のアイディアなんて跡形もなくなってしまうぐらい変形してしまった上に、それにあわせて監督もまた次々と首が挿げ替えられた(か、あるいは、自分から呆れて降板しちゃったか)。要するに、「会社の事情」で作品自体がめちゃめちゃにされてしまった。ほんとに「会社」って悪いことしかしませんねぇ。
そしてもちろん、そのことと無縁ではないけれど、二作目が一作目をきちんと踏襲した作品であっただけに、三作目もまた二作目の軌跡を正しく踏む展開だろうと期待していたわけです(少なくともわたしは)。つまり、次はもう、全面戦争しかない、と思っていたのです。エイリアン、ついに地球に現る! という流れ。1があれで2がああきたら、3はもうそれしかないじゃありませんか。
ところが実際は、物語の舞台はまたもや遥か地球を離れた辺境の星です。こじんまりとした舞台の、こじんまりした戦い。しかも今作ではエイリアンは再び単独です。一体から大軍へという流れならわかりますが、広げた話を矮小化されても(汗)。
リプリー、ヒックス、ニュート、ビショップを乗せて、アチェロンから脱出したスラコ号内で火災が発生した。船のコンピュータの判断で、4人を載せた救命艇は自動脱出したが、惑星フィオリーナ161の地表に激突、リプリー以外の乗員は死亡してしまう。この星は「会社」の息のかかった監獄星であり、男ばかり25人の凶悪犯が収容されていた。
火災の原因というのはもちろんエイリアンの強酸の体液で(電気系統のどっかが溶けてショートしたらしい)、要するにスラコ号にもちゃっかり便乗していたエイリアンがそのまま救命艇で監獄星に到達してしまった、という流れ。そしてあろうことか、エイリアンは監獄星で大事に飼われていた一匹しかいない犬に寄生して、犬の遺伝子を取り込んで、四足で走る犬型エイリアンに進化したのであった! ……エイリアンが宿主の遺伝子を取り込むとかいう話、シーズンも三作目になって初めて耳にしたわけですが。
ここでなんとなくイラッとくるのは、せっかくアチェロンから脱出できたメンバーのうち、3人までもをあっさり殺してしまうデリカシーのない遣り口です。リプリーと心が通い始めていたヒックスはもとより、リプリーが命をかけて守りぬいたニュートまで殺すとは! それに第一ビショップなんてロボットなんだから、再起不能になるまで叩き壊すことないじゃない! なんかとってもイヤ~な感じ~。この3人を生かしたストーリー展開なんて、プロならゴマンと考え付けるはずなのに。
観客の神経を逆撫でしてまで前作のメンツを潰しておきながら、新しく出てきたキャラクターは、圧倒的に描写不足。リプリーと同衾までした医師のクレメンズ(チャールズ・ダンス)にしてから、ようやく自らの過去を明かしたかと思った途端にエイリアンに喰われてしまうし、囚人のひとりには、名優ピート・ポスルスウェイトだっているというのに、かれが演じたデヴィッドは、ポスルスウェイト史上最も存在感のないキャラクターだったりするし。
クレメンズと所長との確執とか、宗教かぶれした元凶悪犯のディロン(チャールズ・S・ダットン)とか、掘り下げれば面白くなりそうなキャラや人間関係はあったのに、それを生かすことなくエイリアン相手のバトルのみで終了。それならそれで、2でキャメロンがやってのけたような迫力の戦闘描写があるかと言えば、そういうこともなく、第一、情況説明が絶望的にヘタクソで、建物の構造はどういうことになっているのか、エイリアンはどこをどのように動いているのか、人間たちはどうやってそれを食いとめようとしているのか、現在地はどこで目的地はどこか、距離はどうなってるのか、時間的制約はどうか、障害物は何か、難易度はどのくらいか、などなど、大事なことはなにひとつわからない。
必要最低限度の説明がまずできていないというのに、そのくせスタイリッシュを狙ったのかなにか、「エイリアン視点」のカメラアングルなんか持ち込むものだから、画面が無駄に観づらくなっちゃう。ストーリーはつまんないわ、キャラクターに見所はないわ、映像は観難いわとあれば、もはや観客の忍耐の限界に挑戦されているような気持ち(汗)。
唯一面白く感じたのは、ヴィショップをデザインした科学者のビショップ(ランス・ヘンリクセン)の登場です。ストーリー上は何もあそこにロボット科学者が現れる必然性は全くまったくまぁーったくなかったにもかかわらず、それでも、ビショップの顔をしてリプリーの前に現れ、エイリアンを「会社」に寄越せと迫る「人間のビショップ」という図式は、1でロボットへの嫌悪を植え付け、2で見事にそれを覆したさきに、更にロボットをモンスターに仕立て上げているのは人間である、という駄目押しになっていて、このことは、エイリアンに仮託して恐怖の対象を描きつつ、一番恐ろしいのは実は人間、というシリーズに一貫したテーマへの補強にもなっている。
それにしても、自分そっくりにロボットをデザインするビショップさんって、なんてナルシストなのかしら。
ラスト、エイリアンを体内に抱きしめて溶鉱炉にダイブするリプリーのイメージは大変荘厳ですばらしいのですが、それもやはり、この後もリプリーは生き返ることを知った上で観ると、ちょっと空々しい感じがしてしまって残念でした。3の罪じゃないけど。
by shirakian
| 2012-01-05 19:42
| 映画あ行