2011年 11月 05日
【海外ドラマ】スーパーナチュラル/シーズン5 |
★ネタバレ注意★

このブログのスパナチュエントリーは超変則的です。
シーズン1と2がなくて、シーズン3の各話レビューが5話で挫折していて、シーズン4もなくて、このエントリーがシーズン5です。きゃ☆
それもひとえに、わたしの雑な性格が原因ですけど、敢えて一言言わせていただければ、たぶんこういうことです。シーズン1と2を観たときは、まだこのブログを始めていなかったか、あるいはブログにドラマの記事をアップするという発想がなかったか、どっちかです(どっちだよ)。シーズン3で挫折しているのは、各話レビューというのが大変すぎることに途中で気づいたからです。最後まで欠かさずやっていらっしゃる方には、ほんとに頭が下がります。これって、ほんと、大変だよ。膨大な時間がかかるよ。
そしてシーズン4がないのは、神様の天使軍団VS悪魔の最終戦争、という展開についていけなくなってしまったからです。人間VS悪魔の全面戦争だ! とかいう話ならまだ、幽霊とかウィンディゴとかヴァンパイアとかフックマンとか、そーゆー類のちょっと強力なやつ、ぐらいの認識で対応できたのだけど、神様からんでくると、ごめん、もうダメ。
だけどやっぱり、そうは言っても、このドラマの醍醐味はキャラクターにあるわけで、ディーン・ウィンチェスターというキャラクターには抗えない魅力があるんです。見守ってあげたいと思ってしまう。たとえストーリーにはついていけなくても、ディーンのために観てしまったのが、このシーズン5だったのであります。とっくにシーズン6がリリースされてる今頃になって。
なぜここで、敢えて「ディーン」と言い、「ウィンチェスター兄弟」と言わないのかと言えば、シーズン4のサムにはむかついてたんです、アタシ。悪魔なんかにたぶらかされて、あんないいお兄さんを裏切るなんて、ありえない! と怒髪天衝き状態。……番組の戦略にまんまと乗せられてまんがな(笑)。そうした見地から言えば、シーズン5は、兄弟の和解が中心テーマのひとつであったため、よしよし、だったら許す、と思って観ることができたのでした(オマエ、何様、視聴者様よ)。
ええと、一応の流れは、ディーンが第一の封印を解き(ディーンのせいぢゃないっ!)、サムが最後の封印を解いてしまったために(サムが全面的に悪い!)、魔王ルシファーが復活した。そうして明らかにされた「新たな事実」(こればっか)は、天使(元天使であるルシファーも含めて)が人間界で活動するためには「器」に入らなければならないが、そのためには器となる人間の承認が必要であり、ルシファーの器として想定されていたのがほかならぬサムであり、一方のディーンは、唯一ルシファーに対抗できるであろう大天使ミカエルの器として運命付けられた存在なのであった、ということ。
ふたりがこのような運命を担っているのはなにも偶然ではなく、カインとアベルの昔から、ウィンチェスター家に脈々と流れる血を通して、予め定められていたことであったと言う。しかしもちろん、ウィンチェスター兄弟が唯々諾々と天使の思惑になど従うわけもなく、ふたりはどちらも承認の「イエス」を口にすることを拒み、かくて事態は着々とハルマゲドンに向けて動き出したのだった。
とにかく、事の背後に「超越者」がいるわけですから、ストーリーなんか、やりたい放題。
死んだはずのひとが簡単に生き帰り、アレはできるけどコレはムリといった事例に法則性は存在せず(恣意次第)、従って条件が同じでも都合によって結果は異なり、最善を尽くして得た最善の結果だったはずのものがあっさり否定され、決着がついていたはずのことが容赦なく蒸し返され、決められていたはずのルールも後づけ理由でどんどん変えられてしまう。おいおい、そんな話、聞いてねーよ、の連続連続連連続です。さすがにここまでくると、意外な展開とは言わない。意外もなにも、なんでもありなら、なんでもあるよね。ディーンの苦悩を思うと、腹がたって腹がたって(怒)。
今回特に、なにが辛いかって、ついに「絶望」が基調トーンになってしまっていたことです。
ディーンは例によって、天使の言うことなんか聞かなくたって、自分たちでなにか方策が考えられると、強がってみせるのだけど、その実、そんなことが可能だなんて、ディーン自身が信じちゃいない。だってあなた、ルシファーですよ、魔王ですよ、天使ですら扱いかねているわけですよ、そんな敵に人間が敵うわけがないじゃありませんか。だけどそれでも戦わざるをえない、自分の手で、自分の頭で、自分の信じるやり方で。なぜなら、いままでもそうしてきたから。だれに頼まれたわけでもないのに、「人々」のために自らの命すら危険に晒すのが、ウィンチェスター家の「家業」であったから。それがディーンの定められた仕事であったから。
それだけで十分辛いのに、さらに、シーズン4からの確執があります。ディーンには、もはやサムを信じることができなくなってしまった。ディーンにとって、これ以上辛いことはないと思う。もとより自信もない。確信もない。さらにその上、最高のパートナーを信じることができなくなってしまった。
このシーズンでは、最終戦争を始める為にルシファーが呼び出した「黙示録の四騎士」というキャラクターが新に登場します。ルシファーの復活と同時に世に放たれ、それぞれが「争い」と「飢饉」と「疫病」と「死」を司っている。
この四騎士のうち「飢饉」は、人々に強烈な飢餓感を抱かせ、その対象に囚われるあまり、事故や自殺で死んでいく人間の魂を喰らうという魔物です。かれの力によって、サムは抑えていたはずの「悪魔の血」に対する飢餓感に脅かされ、天使のカスティエルですら、かつて人間だったころ(っていうか、カスティエルの器である人間のジミーが)好きだったハンバーガーへの飢餓感に取り付かれてしまう。
しかし「飢饉」の手管は、なぜかディーンには通用しなかった。なぜならディーンには、「飢え」の対象が存在しなかったからです。「飢え」は「欲」から生じる。全ての欲望を抱けなくなってしまった心には、飢餓感の生じる余地がない。ディーンは絶望のあまり、何の欲望も抱けなくなってしまっていたのです。そんなディーンを、「飢饉」は、「心が死んでいる」と指弾します。
心が死んでいるって(>_<)! 視聴者全員コヨーテ泣き(>_<)!
全話を通して一番印象的だったのは、ミカエルの器になることを肯じないディーンに業を煮やしたザカリアが、ディーンを5年後の未来に飛ばしてしまう、というエピソードでした。要するに、おまえがイエスと言わなかったおかげで、未来がどういうことになってしまったか、自分の目で確かめて来い! という脅しなんですけども、(少なくともその時点でザカリアが提示した)5年後の未来は確かに、圧倒的なルシファーの勢力の下に屈した終末世界と化していたのです。
サムがルシファーを受け入れてしまった。サムの身体をまとったルシファーが破壊の限りを尽くす世界で、ミカエルを拒んでしまったディーンには、できることはなにもなかった。それが5年後の世界。ディーンが我を張り続けた結果の未来。
ここでなにより舌を巻くのは、ジェンセン・アクレスが、5年先の未来に飛ばされた「現在」のディーンと、何もかもすでに手遅れになってしまった5年後のディーンを、同じシチュエーションの中で演じ分けている、ということです。これは、凄いよ。凄いものを観た、と思いました。
「現在」のディーンは、サムを信用できなくなり袂を分かってしまったとか、そもそも戦いの勝利を信じることができないとか、絶望の淵にいたわけだけど、それでも尚、淵の底に沈んでたわけじゃなかったということが、5年後のディーンと出会ってわかってしまう。わずか5年の差。その5年の体験の違い。見てきた闇の濃さの違い。絶望の深さの違い。それをね、ジェンセン・アクレスが当然ながら一人二役で演じ分けているのです。もう、明らかに、目が違う。目が心の窓であるのなら、心のありようが全く変わってしまっている。全身鳥肌が立ってしまいます。
未来のディーンがまるで虫けらのように「サム」に殺されるとき、なんだかあまりにどうしようもなくて、ディーンがホロリと涙をこぼすのだけど、この涙がねー、もう、なんというか(>_<)。
一体どこまでディーンを苛めれば気がすむのか、この番組は、と怒り心頭ですよ。
ウィンチェスター兄弟以外のキャラでは、クロスロードデーモンのボス、クラウリーが面白かったです。小太りの中年男という外見をしているくせに、交渉相手に、契約の儀式で欠かせない口づけを強要し、相手が嫌がるのを見て面白がっている、というお茶目な面がある悪魔。
悪魔を見下しているルシファーは自分にとって敵であり、敵の敵は味方なのだからと、ウィンチェスター兄弟に協力を申し出て、一時は共闘したりもするのだけど、どうせ悪魔のことだから、いずれは裏切るんでしょうけれど、それでもこの飄々とした雰囲気は捨て難い、と思いました。ちょっとトリック・スターを思わせるのね。
で、そのトリックスターだけど、(またしても)「新たな事実」が発覚! かれはいたずら好きのデミゴッドなんかじゃなく、実は天使のひとり、ガブリエルが世を忍ぶ仮の姿だったのでした。ガブリエルは、兄弟たちの骨肉の争いを見ていられず、天上界を逃げ出していたのです。……なんか、ガッカリの展開だな。トリックスター、気に入ってたのに。ガブリエルは天使として退場しましたが、なにしろ背後に控えているひとが気まぐれですから、いつまた復活しないとも限らないかも。
えーと、そうだ、カスティエルについてもやっぱり言及しておかなければ、ですが。
実を言うと、わたしにとってシーズン4の魅力が薄かった原因のひとつがこの天使でした(ごめん)。演じるミーシャ・コリンズが悪いわけじゃなくて、あくまでカスティエルというキャラクターに魅力がなかったんだと思う。その証拠に、同じキャラクターでも、カスティエルに身体を乗っ取られていない人間としてのジミーを演じているときのコリンズはチャーミングだと思いましたもの。
ウィンチェスター兄弟に次ぐ人気を誇っているらしいキャラクターのことを魅力がないと思うなんて随分非常識だとは思いますが、わたしにとって、あらまほしき天使像というのは、どっちかと言えば、ザカリアの方が近かったです。シーズン4でザカリアが登場するのは、中盤以降だと思うのだけど、カスティエルという存在に困惑しきって持て余していたところ、ザカリアが出てくるのを見て、ああそう、これこれ、こういうのを待っていたのよ、と心の底から思った記憶が生々しいです。
でも、このシーズンでは、天使のくせに妙に人間臭い所作を見せるようになったかれは、なんていうか「血が通ってきた」というか、キャラとして面白くなってきました。天使としてはどうなんだ、というのはあるかもしれないけど。少なくとも、なんでかれに人気があるのかは、わかるような気がしてきましたよ!
それにしても、これだけ色んなひとの「死」がキャンセルされたり、蘇ったり、別の場所に行けば会えてしまったりする現状を思えば、パパ・ウィンチェスターことジェフリー・ディーン・モーガンも再登場させればいいのに、と思うんだけど。モーガン氏、売れっ子になってしまったので再び出て貰うのはむずかしくなっちゃったりするのかな。

このブログのスパナチュエントリーは超変則的です。
シーズン1と2がなくて、シーズン3の各話レビューが5話で挫折していて、シーズン4もなくて、このエントリーがシーズン5です。きゃ☆
それもひとえに、わたしの雑な性格が原因ですけど、敢えて一言言わせていただければ、たぶんこういうことです。シーズン1と2を観たときは、まだこのブログを始めていなかったか、あるいはブログにドラマの記事をアップするという発想がなかったか、どっちかです(どっちだよ)。シーズン3で挫折しているのは、各話レビューというのが大変すぎることに途中で気づいたからです。最後まで欠かさずやっていらっしゃる方には、ほんとに頭が下がります。これって、ほんと、大変だよ。膨大な時間がかかるよ。
そしてシーズン4がないのは、神様の天使軍団VS悪魔の最終戦争、という展開についていけなくなってしまったからです。人間VS悪魔の全面戦争だ! とかいう話ならまだ、幽霊とかウィンディゴとかヴァンパイアとかフックマンとか、そーゆー類のちょっと強力なやつ、ぐらいの認識で対応できたのだけど、神様からんでくると、ごめん、もうダメ。
だけどやっぱり、そうは言っても、このドラマの醍醐味はキャラクターにあるわけで、ディーン・ウィンチェスターというキャラクターには抗えない魅力があるんです。見守ってあげたいと思ってしまう。たとえストーリーにはついていけなくても、ディーンのために観てしまったのが、このシーズン5だったのであります。とっくにシーズン6がリリースされてる今頃になって。
なぜここで、敢えて「ディーン」と言い、「ウィンチェスター兄弟」と言わないのかと言えば、シーズン4のサムにはむかついてたんです、アタシ。悪魔なんかにたぶらかされて、あんないいお兄さんを裏切るなんて、ありえない! と怒髪天衝き状態。……番組の戦略にまんまと乗せられてまんがな(笑)。そうした見地から言えば、シーズン5は、兄弟の和解が中心テーマのひとつであったため、よしよし、だったら許す、と思って観ることができたのでした(オマエ、何様、視聴者様よ)。
ええと、一応の流れは、ディーンが第一の封印を解き(ディーンのせいぢゃないっ!)、サムが最後の封印を解いてしまったために(サムが全面的に悪い!)、魔王ルシファーが復活した。そうして明らかにされた「新たな事実」(こればっか)は、天使(元天使であるルシファーも含めて)が人間界で活動するためには「器」に入らなければならないが、そのためには器となる人間の承認が必要であり、ルシファーの器として想定されていたのがほかならぬサムであり、一方のディーンは、唯一ルシファーに対抗できるであろう大天使ミカエルの器として運命付けられた存在なのであった、ということ。
ふたりがこのような運命を担っているのはなにも偶然ではなく、カインとアベルの昔から、ウィンチェスター家に脈々と流れる血を通して、予め定められていたことであったと言う。しかしもちろん、ウィンチェスター兄弟が唯々諾々と天使の思惑になど従うわけもなく、ふたりはどちらも承認の「イエス」を口にすることを拒み、かくて事態は着々とハルマゲドンに向けて動き出したのだった。
とにかく、事の背後に「超越者」がいるわけですから、ストーリーなんか、やりたい放題。
死んだはずのひとが簡単に生き帰り、アレはできるけどコレはムリといった事例に法則性は存在せず(恣意次第)、従って条件が同じでも都合によって結果は異なり、最善を尽くして得た最善の結果だったはずのものがあっさり否定され、決着がついていたはずのことが容赦なく蒸し返され、決められていたはずのルールも後づけ理由でどんどん変えられてしまう。おいおい、そんな話、聞いてねーよ、の連続連続連連続です。さすがにここまでくると、意外な展開とは言わない。意外もなにも、なんでもありなら、なんでもあるよね。ディーンの苦悩を思うと、腹がたって腹がたって(怒)。
今回特に、なにが辛いかって、ついに「絶望」が基調トーンになってしまっていたことです。
ディーンは例によって、天使の言うことなんか聞かなくたって、自分たちでなにか方策が考えられると、強がってみせるのだけど、その実、そんなことが可能だなんて、ディーン自身が信じちゃいない。だってあなた、ルシファーですよ、魔王ですよ、天使ですら扱いかねているわけですよ、そんな敵に人間が敵うわけがないじゃありませんか。だけどそれでも戦わざるをえない、自分の手で、自分の頭で、自分の信じるやり方で。なぜなら、いままでもそうしてきたから。だれに頼まれたわけでもないのに、「人々」のために自らの命すら危険に晒すのが、ウィンチェスター家の「家業」であったから。それがディーンの定められた仕事であったから。
それだけで十分辛いのに、さらに、シーズン4からの確執があります。ディーンには、もはやサムを信じることができなくなってしまった。ディーンにとって、これ以上辛いことはないと思う。もとより自信もない。確信もない。さらにその上、最高のパートナーを信じることができなくなってしまった。
このシーズンでは、最終戦争を始める為にルシファーが呼び出した「黙示録の四騎士」というキャラクターが新に登場します。ルシファーの復活と同時に世に放たれ、それぞれが「争い」と「飢饉」と「疫病」と「死」を司っている。
この四騎士のうち「飢饉」は、人々に強烈な飢餓感を抱かせ、その対象に囚われるあまり、事故や自殺で死んでいく人間の魂を喰らうという魔物です。かれの力によって、サムは抑えていたはずの「悪魔の血」に対する飢餓感に脅かされ、天使のカスティエルですら、かつて人間だったころ(っていうか、カスティエルの器である人間のジミーが)好きだったハンバーガーへの飢餓感に取り付かれてしまう。
しかし「飢饉」の手管は、なぜかディーンには通用しなかった。なぜならディーンには、「飢え」の対象が存在しなかったからです。「飢え」は「欲」から生じる。全ての欲望を抱けなくなってしまった心には、飢餓感の生じる余地がない。ディーンは絶望のあまり、何の欲望も抱けなくなってしまっていたのです。そんなディーンを、「飢饉」は、「心が死んでいる」と指弾します。
心が死んでいるって(>_<)! 視聴者全員コヨーテ泣き(>_<)!
全話を通して一番印象的だったのは、ミカエルの器になることを肯じないディーンに業を煮やしたザカリアが、ディーンを5年後の未来に飛ばしてしまう、というエピソードでした。要するに、おまえがイエスと言わなかったおかげで、未来がどういうことになってしまったか、自分の目で確かめて来い! という脅しなんですけども、(少なくともその時点でザカリアが提示した)5年後の未来は確かに、圧倒的なルシファーの勢力の下に屈した終末世界と化していたのです。
サムがルシファーを受け入れてしまった。サムの身体をまとったルシファーが破壊の限りを尽くす世界で、ミカエルを拒んでしまったディーンには、できることはなにもなかった。それが5年後の世界。ディーンが我を張り続けた結果の未来。
ここでなにより舌を巻くのは、ジェンセン・アクレスが、5年先の未来に飛ばされた「現在」のディーンと、何もかもすでに手遅れになってしまった5年後のディーンを、同じシチュエーションの中で演じ分けている、ということです。これは、凄いよ。凄いものを観た、と思いました。
「現在」のディーンは、サムを信用できなくなり袂を分かってしまったとか、そもそも戦いの勝利を信じることができないとか、絶望の淵にいたわけだけど、それでも尚、淵の底に沈んでたわけじゃなかったということが、5年後のディーンと出会ってわかってしまう。わずか5年の差。その5年の体験の違い。見てきた闇の濃さの違い。絶望の深さの違い。それをね、ジェンセン・アクレスが当然ながら一人二役で演じ分けているのです。もう、明らかに、目が違う。目が心の窓であるのなら、心のありようが全く変わってしまっている。全身鳥肌が立ってしまいます。
未来のディーンがまるで虫けらのように「サム」に殺されるとき、なんだかあまりにどうしようもなくて、ディーンがホロリと涙をこぼすのだけど、この涙がねー、もう、なんというか(>_<)。
一体どこまでディーンを苛めれば気がすむのか、この番組は、と怒り心頭ですよ。
ウィンチェスター兄弟以外のキャラでは、クロスロードデーモンのボス、クラウリーが面白かったです。小太りの中年男という外見をしているくせに、交渉相手に、契約の儀式で欠かせない口づけを強要し、相手が嫌がるのを見て面白がっている、というお茶目な面がある悪魔。
悪魔を見下しているルシファーは自分にとって敵であり、敵の敵は味方なのだからと、ウィンチェスター兄弟に協力を申し出て、一時は共闘したりもするのだけど、どうせ悪魔のことだから、いずれは裏切るんでしょうけれど、それでもこの飄々とした雰囲気は捨て難い、と思いました。ちょっとトリック・スターを思わせるのね。
で、そのトリックスターだけど、(またしても)「新たな事実」が発覚! かれはいたずら好きのデミゴッドなんかじゃなく、実は天使のひとり、ガブリエルが世を忍ぶ仮の姿だったのでした。ガブリエルは、兄弟たちの骨肉の争いを見ていられず、天上界を逃げ出していたのです。……なんか、ガッカリの展開だな。トリックスター、気に入ってたのに。ガブリエルは天使として退場しましたが、なにしろ背後に控えているひとが気まぐれですから、いつまた復活しないとも限らないかも。
えーと、そうだ、カスティエルについてもやっぱり言及しておかなければ、ですが。
実を言うと、わたしにとってシーズン4の魅力が薄かった原因のひとつがこの天使でした(ごめん)。演じるミーシャ・コリンズが悪いわけじゃなくて、あくまでカスティエルというキャラクターに魅力がなかったんだと思う。その証拠に、同じキャラクターでも、カスティエルに身体を乗っ取られていない人間としてのジミーを演じているときのコリンズはチャーミングだと思いましたもの。
ウィンチェスター兄弟に次ぐ人気を誇っているらしいキャラクターのことを魅力がないと思うなんて随分非常識だとは思いますが、わたしにとって、あらまほしき天使像というのは、どっちかと言えば、ザカリアの方が近かったです。シーズン4でザカリアが登場するのは、中盤以降だと思うのだけど、カスティエルという存在に困惑しきって持て余していたところ、ザカリアが出てくるのを見て、ああそう、これこれ、こういうのを待っていたのよ、と心の底から思った記憶が生々しいです。
でも、このシーズンでは、天使のくせに妙に人間臭い所作を見せるようになったかれは、なんていうか「血が通ってきた」というか、キャラとして面白くなってきました。天使としてはどうなんだ、というのはあるかもしれないけど。少なくとも、なんでかれに人気があるのかは、わかるような気がしてきましたよ!
それにしても、これだけ色んなひとの「死」がキャンセルされたり、蘇ったり、別の場所に行けば会えてしまったりする現状を思えば、パパ・ウィンチェスターことジェフリー・ディーン・モーガンも再登場させればいいのに、と思うんだけど。モーガン氏、売れっ子になってしまったので再び出て貰うのはむずかしくなっちゃったりするのかな。
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