2011年 10月 30日
ステキな金縛り
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★ネタバレ注意★
三谷幸喜監督の映画が大好きなので、誕生日の子どものように頬っぺたピカピカにして劇場に赴きました(あ、テカッてただけか。寒くなってきましたねぇ)。
妻殺害容疑をかけられた男のアリバイを、裁判で落ち武者の幽霊に証明させることが果たしてできるのか、という法廷ドラマ(笑)です。
製パン業を営む矢部五郎(KAN)は、妻(鈴子:竹内結子)殺害の容疑で起訴されたが、かれにはアリバイがあった。事件当夜、事業の失敗を苦に自殺しようと訪れた寂れた山奥の宿で、金縛りにあっていたのである。
担当弁護士の宝生エミ(深津絵里)が調査に赴くと、依頼人の金縛りの原因が落ち武者の幽霊・更科六兵衛(西田敏行)であったことが判明する。つまり、六兵衛なら依頼人のアリバイを証明できるのだ。エミの説得に応じて六兵衛が法廷に立つことになり、かくて、幽霊が証言に立つという前代未聞の裁判が始まった。
という発想がまず、最高ですよね(笑)。落ち武者の幽霊が裁判で証言って(笑)。
そしてやっぱり、三谷幸喜監督の映画ですから、出演陣が超豪華です。
メインのキャラクターはもちろんですが、佐藤浩市とか深田恭子とか篠原涼子とか唐沢寿明といった主役級の役者さんたちが、カメオレベルで大勢出てくるので、観ていてワクワクが止まらないです。しかもただ出てくるだけでなく、それぞれのキャラクターがそれぞれにおかしい。ワンシーンしか出てこないのにちゃんとおかしい。なんたるサービス精神!
そして、メインのキャラクター。
なんといっても、ヒロインを演じた深津絵里と、キー・キャラクターの落ち武者を演じた西田敏行の絶妙のコンビネーションがたまりませんです。深津絵里って、こんなにコメディ演技ができるひとだったんだねぇ。それにとってもかわいいねぇ。
西田敏行が演じたテレビっこでファミレスのメニューに興味津々の落ち武者、っていうキャラクターがもう、ツボだったんですけど(西田敏行って、りりしい武将の雰囲気も出せるけど、なんとも愛嬌のあるぬいぐるみみたいな表情もできる)、わたしの今回イチオシは阿部寛! この方に一番笑わせていただきました☆
阿部寛が演じる速水悠は、宝生エミが働いている弁護士事務所のボスで、ドジばっかりしているエミに、それでもめげずにチャンスを与え続けてくれる、なかなかの好人物。自分では六兵衛の姿を見ることができないにもかかわらず、エミの熱意を受けて立ち、六兵衛が法廷で証言できるように奔走してくれる度量の広さも見せてくれます。そして第一あの容姿。スラリと長身細身の元モデルの貫禄で完璧に着こなしたスーツ姿も美しく、黒縁メガネも怜悧で聡明で凛々しく、なにより立て板に水のさわやかな弁舌と、キビキビとした仕種。いかにも「切れ者」の印象なのに、出ている間中ずーっとなんか食っとる(笑)。
いかにも用ありげに机の引き出しから取り出すのがタバスコだったり、仕事の話しながら当然のようにピザにかけて食ってたり、甘いものが大好きで、トローチみたいな穴あきのラムネ菓子なんか常備しているのが、後の裁判で大いに役立つのはご愛嬌だし、ゴディバのチョコには目がないし(ゴディバはこの映画とタイアップして宣伝してましたよね)。
で、一番笑っちゃったのが、六兵衛を証言台に立たせるにあたって、なにせ幽霊なので、日没までは姿を現わすことができないのに、証言の予定時間は日没の二時間も前。なんとか時間稼ぎをしなければ! という局面で、よし、おれに任せろ! と凛々しいボス。ここはやっぱり、あの見事な弁舌の力で検事を黙らせてくれるんだろうな、とワクワク見守っておりますと、このオトコ、法廷で、タップダンスを踊りだすのよ(笑)。や、もちろん、ボスが最近タップに凝ってる、という伏線はちゃんと張ってはあったのだけど、まさか、こうくるとは(笑)。ひーひー笑ってしまいました。
そして、対する検事の小佐野徹を演じた中井貴一も負けてないです☆
この世に存在するもので科学で証明できないものはない、科学で証明できないならばそれは存在しないも同然である、というコチコチのプラグマティスト、でありながら、実はかれには「存在しない」はずの幽霊が見えてしまっている、というのがミソ。かれの立場としては絶対に幽霊が見えているだなんて認めることができないわけで、そんな検事にどうやって六兵衛の存在を認めさせるのか? というのがまた、大きな笑いどころとなっています。中井貴一って、マジメな顔をしてるとすごく冷たい印象を与える風貌なので、コメディ演技とのギャップがめちゃめちゃおかしいです。
小林隆が演じた神様みたいに果てしなく慈悲深い裁判長のキャラも面白かったし、あの世の官憲・段田譲治を演じた小日向文世もかっこよく笑わせてくれました。
ことほどさように楽しい映画だったんですけれども、なんかどうも、手放しで大絶賛はしにくい印象が……。これは、この映画のゴージャスな仕立てと表裏一体をなすものかもしれないけれど、なんかどうも、全体に装飾過多の感じがするのね。
わたし的に一番ガッカリだったのは、落ち武者が証人として立つ裁判、という枠組みの中で最後まで押していってくれなかったことではないかと思います。まるで息切れしちゃったみたいに、六兵衛が途中降板しちゃう展開って、なんだったんだろう? 六兵衛の証言で勝訴! という展開にしていた方がカタルシスは断然大きかったと思うのだけど(そのためには、単にアリバイ証言だけでは無理なので、六兵衛の証言によって事件自体が解決するような、もっとちがった仕掛けが必要になっていたとは思うけれども、それは別にむずかしいことではないような)。
装飾過多と感じさせる大きな要因は、被害者と加害者の入れ替わりという、取ってつけたように途中から割り込んでくるトリックがしっくり馴染んで居ない、ということもあるけれど、なによりも被害者の幽霊が現れて一件落着、というのでは、あまりに安易すぎる。それをしないで如何に真犯人を炙りだせるか、っていうのが法廷物の醍醐味なはずなのに、一番ラクなところに流れちゃってる。そんなの陳腐だし、つまんないでしょうに。
やっぱりこれは、裁判物である、というところにこそ意味があるのだから、六兵衛に関しても、全て裁判の流れの中で処理してほしかったなぁ、と思います。せっかく、証人としての信憑性を問うために、六兵衛の人間性について掘り下げる、という展開があるのだから、かれが抱えている濡れ衣を着せられて斬首された無念、といった感情も、裁判の中で明かされていた方がスマートだったと思うのだけど。
六兵衛を送還しに来た段田譲治が、六兵衛に「映画一本分だけ」時間の余裕をくれる、というアイディアも、一度だけならオシャレでも、二度やられると屋上屋だなぁ、という感じがします。時間の猶予は一度だけ、しかもその一度限りの猶予の中でやるべきことは、やはり裁判を終結させることだったのではないのかなぁ。
段田譲治が二度現れる、という流れを作るために、あちらの世界との連絡役として、こちらの世界に死人が出る、という展開も好きじゃなかったです。このひとの死が、あくまで笑いの中で処理されているのが、どうにもこうにも無神経に感じられていやぁな感じ。エミってば、あんなに世話になったひとの死に対して、その態度はないんじゃないの? なんの感情もないの? と唖然としてしまう。
屋上屋と言えば、ラストでエミの父親が現れるシーンも、もしかしたら感動的なシーンだったのかもしれませんが、わたしにはなんだか余計なシーンにしか思えませんでした。だって、エミにとって父親がどんなに大切な存在かってことや、娘を見守っていながら何もできない死んでしまった父親の思いとかは、すでにちゃんと描かれてるわけで、なにもわざわざ、それをシーンにして見せる必要はなかったと思う。
そんなものより描くべきは、エミと恋人の工藤万亀夫(木下隆行)との和解のシーンだったのではあるまいか? 万亀夫という恋人は、エミのために朝ご飯を作ってくれたりする温厚で優しい人物で、六兵衛についても、その姿を見ることができないにもかかわらず、エミがそう言っているのだからと、見えない六兵衛に丁重で親切な態度を忘れないでいてくれるのです。こんな恋人に対してエミは、事件に没頭するあまり、優しさや思いやりを失ってしまう。さすがの万亀夫も、このまま一緒にいると嫌いになってしまいそうだから、とエミのもとを去ってしまう。
それは、ほんとに、そうだよね。万亀夫に対してなんの気遣いもせず、ひどい言葉をぶつけ、尚且つ素直に謝ることすらしないエミの姿は、観客からしても魅力がない。嫌いになってしまいそうよ。だからこそ、無事に事件が終わって、気持ちの余裕ができたら、まっさきに万亀夫のところに行って、ありがとうごめんね許してくれる? と言ってほしかった。
だって、ほんとに大事なのは、もう死んでしまったひとじゃなく、いま生きてそばにいてくれるひととの関係なんだから。
三谷幸喜監督の映画が大好きなので、誕生日の子どものように頬っぺたピカピカにして劇場に赴きました(あ、テカッてただけか。寒くなってきましたねぇ)。
妻殺害容疑をかけられた男のアリバイを、裁判で落ち武者の幽霊に証明させることが果たしてできるのか、という法廷ドラマ(笑)です。
製パン業を営む矢部五郎(KAN)は、妻(鈴子:竹内結子)殺害の容疑で起訴されたが、かれにはアリバイがあった。事件当夜、事業の失敗を苦に自殺しようと訪れた寂れた山奥の宿で、金縛りにあっていたのである。
担当弁護士の宝生エミ(深津絵里)が調査に赴くと、依頼人の金縛りの原因が落ち武者の幽霊・更科六兵衛(西田敏行)であったことが判明する。つまり、六兵衛なら依頼人のアリバイを証明できるのだ。エミの説得に応じて六兵衛が法廷に立つことになり、かくて、幽霊が証言に立つという前代未聞の裁判が始まった。
という発想がまず、最高ですよね(笑)。落ち武者の幽霊が裁判で証言って(笑)。
そしてやっぱり、三谷幸喜監督の映画ですから、出演陣が超豪華です。
メインのキャラクターはもちろんですが、佐藤浩市とか深田恭子とか篠原涼子とか唐沢寿明といった主役級の役者さんたちが、カメオレベルで大勢出てくるので、観ていてワクワクが止まらないです。しかもただ出てくるだけでなく、それぞれのキャラクターがそれぞれにおかしい。ワンシーンしか出てこないのにちゃんとおかしい。なんたるサービス精神!
そして、メインのキャラクター。
なんといっても、ヒロインを演じた深津絵里と、キー・キャラクターの落ち武者を演じた西田敏行の絶妙のコンビネーションがたまりませんです。深津絵里って、こんなにコメディ演技ができるひとだったんだねぇ。それにとってもかわいいねぇ。
西田敏行が演じたテレビっこでファミレスのメニューに興味津々の落ち武者、っていうキャラクターがもう、ツボだったんですけど(西田敏行って、りりしい武将の雰囲気も出せるけど、なんとも愛嬌のあるぬいぐるみみたいな表情もできる)、わたしの今回イチオシは阿部寛! この方に一番笑わせていただきました☆
阿部寛が演じる速水悠は、宝生エミが働いている弁護士事務所のボスで、ドジばっかりしているエミに、それでもめげずにチャンスを与え続けてくれる、なかなかの好人物。自分では六兵衛の姿を見ることができないにもかかわらず、エミの熱意を受けて立ち、六兵衛が法廷で証言できるように奔走してくれる度量の広さも見せてくれます。そして第一あの容姿。スラリと長身細身の元モデルの貫禄で完璧に着こなしたスーツ姿も美しく、黒縁メガネも怜悧で聡明で凛々しく、なにより立て板に水のさわやかな弁舌と、キビキビとした仕種。いかにも「切れ者」の印象なのに、出ている間中ずーっとなんか食っとる(笑)。
いかにも用ありげに机の引き出しから取り出すのがタバスコだったり、仕事の話しながら当然のようにピザにかけて食ってたり、甘いものが大好きで、トローチみたいな穴あきのラムネ菓子なんか常備しているのが、後の裁判で大いに役立つのはご愛嬌だし、ゴディバのチョコには目がないし(ゴディバはこの映画とタイアップして宣伝してましたよね)。
で、一番笑っちゃったのが、六兵衛を証言台に立たせるにあたって、なにせ幽霊なので、日没までは姿を現わすことができないのに、証言の予定時間は日没の二時間も前。なんとか時間稼ぎをしなければ! という局面で、よし、おれに任せろ! と凛々しいボス。ここはやっぱり、あの見事な弁舌の力で検事を黙らせてくれるんだろうな、とワクワク見守っておりますと、このオトコ、法廷で、タップダンスを踊りだすのよ(笑)。や、もちろん、ボスが最近タップに凝ってる、という伏線はちゃんと張ってはあったのだけど、まさか、こうくるとは(笑)。ひーひー笑ってしまいました。
そして、対する検事の小佐野徹を演じた中井貴一も負けてないです☆
この世に存在するもので科学で証明できないものはない、科学で証明できないならばそれは存在しないも同然である、というコチコチのプラグマティスト、でありながら、実はかれには「存在しない」はずの幽霊が見えてしまっている、というのがミソ。かれの立場としては絶対に幽霊が見えているだなんて認めることができないわけで、そんな検事にどうやって六兵衛の存在を認めさせるのか? というのがまた、大きな笑いどころとなっています。中井貴一って、マジメな顔をしてるとすごく冷たい印象を与える風貌なので、コメディ演技とのギャップがめちゃめちゃおかしいです。
小林隆が演じた神様みたいに果てしなく慈悲深い裁判長のキャラも面白かったし、あの世の官憲・段田譲治を演じた小日向文世もかっこよく笑わせてくれました。
ことほどさように楽しい映画だったんですけれども、なんかどうも、手放しで大絶賛はしにくい印象が……。これは、この映画のゴージャスな仕立てと表裏一体をなすものかもしれないけれど、なんかどうも、全体に装飾過多の感じがするのね。
わたし的に一番ガッカリだったのは、落ち武者が証人として立つ裁判、という枠組みの中で最後まで押していってくれなかったことではないかと思います。まるで息切れしちゃったみたいに、六兵衛が途中降板しちゃう展開って、なんだったんだろう? 六兵衛の証言で勝訴! という展開にしていた方がカタルシスは断然大きかったと思うのだけど(そのためには、単にアリバイ証言だけでは無理なので、六兵衛の証言によって事件自体が解決するような、もっとちがった仕掛けが必要になっていたとは思うけれども、それは別にむずかしいことではないような)。
装飾過多と感じさせる大きな要因は、被害者と加害者の入れ替わりという、取ってつけたように途中から割り込んでくるトリックがしっくり馴染んで居ない、ということもあるけれど、なによりも被害者の幽霊が現れて一件落着、というのでは、あまりに安易すぎる。それをしないで如何に真犯人を炙りだせるか、っていうのが法廷物の醍醐味なはずなのに、一番ラクなところに流れちゃってる。そんなの陳腐だし、つまんないでしょうに。
やっぱりこれは、裁判物である、というところにこそ意味があるのだから、六兵衛に関しても、全て裁判の流れの中で処理してほしかったなぁ、と思います。せっかく、証人としての信憑性を問うために、六兵衛の人間性について掘り下げる、という展開があるのだから、かれが抱えている濡れ衣を着せられて斬首された無念、といった感情も、裁判の中で明かされていた方がスマートだったと思うのだけど。
六兵衛を送還しに来た段田譲治が、六兵衛に「映画一本分だけ」時間の余裕をくれる、というアイディアも、一度だけならオシャレでも、二度やられると屋上屋だなぁ、という感じがします。時間の猶予は一度だけ、しかもその一度限りの猶予の中でやるべきことは、やはり裁判を終結させることだったのではないのかなぁ。
段田譲治が二度現れる、という流れを作るために、あちらの世界との連絡役として、こちらの世界に死人が出る、という展開も好きじゃなかったです。このひとの死が、あくまで笑いの中で処理されているのが、どうにもこうにも無神経に感じられていやぁな感じ。エミってば、あんなに世話になったひとの死に対して、その態度はないんじゃないの? なんの感情もないの? と唖然としてしまう。
屋上屋と言えば、ラストでエミの父親が現れるシーンも、もしかしたら感動的なシーンだったのかもしれませんが、わたしにはなんだか余計なシーンにしか思えませんでした。だって、エミにとって父親がどんなに大切な存在かってことや、娘を見守っていながら何もできない死んでしまった父親の思いとかは、すでにちゃんと描かれてるわけで、なにもわざわざ、それをシーンにして見せる必要はなかったと思う。
そんなものより描くべきは、エミと恋人の工藤万亀夫(木下隆行)との和解のシーンだったのではあるまいか? 万亀夫という恋人は、エミのために朝ご飯を作ってくれたりする温厚で優しい人物で、六兵衛についても、その姿を見ることができないにもかかわらず、エミがそう言っているのだからと、見えない六兵衛に丁重で親切な態度を忘れないでいてくれるのです。こんな恋人に対してエミは、事件に没頭するあまり、優しさや思いやりを失ってしまう。さすがの万亀夫も、このまま一緒にいると嫌いになってしまいそうだから、とエミのもとを去ってしまう。
それは、ほんとに、そうだよね。万亀夫に対してなんの気遣いもせず、ひどい言葉をぶつけ、尚且つ素直に謝ることすらしないエミの姿は、観客からしても魅力がない。嫌いになってしまいそうよ。だからこそ、無事に事件が終わって、気持ちの余裕ができたら、まっさきに万亀夫のところに行って、ありがとうごめんね許してくれる? と言ってほしかった。
だって、ほんとに大事なのは、もう死んでしまったひとじゃなく、いま生きてそばにいてくれるひととの関係なんだから。
by shirakian
| 2011-10-30 19:40
| 邦画