2011年 08月 21日
ダイナソー
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★ネタバレ注意★
『ガフールの伝説』のソーレンの飛行シーンを観ていた際、なんとも言えない既視感に囚われました。この感覚はどっかで観たなぁ、と思いをめぐらすうちに、この『ダイナソー』が脳内検索でヒットしました。そうだそうだ、この映画の冒頭の翼竜の飛行シーンだ!
というわけでちょこっと調べてみましたところ、『ダイナソー』を監督したエリック・レイトンは『ガフール』ではアニメーション監督を務めていた模様です。なるほど、あの飛翔感覚は、この監督のものだったんだねぇ。
『ダイナソー』は、2000年のディズニーアニメです。
当時の最新テクノロジーを駆使したCG映像で、スーパーリアルに恐竜を描き出したアニメとして、鳴り物入りで公開されたような記憶があるです。これに先立つ1993年に公開された『ジュラシック・パーク』の恐竜の描写も、当時としては画期的だったんですけど、この『ダイナソー』ではその描写をはるかに凌ぐリアルにして迫力たっぷりの息をのむ出来栄え、と映像に関しては、大変な高評価だったんじゃないかな。
これを製作したのは、ディズニー傘下のTSLという部門。ディズニーのFAN(Feature Animation Northside)と言えば、当時ディズニーのデジタル映像の部門の梁山泊だった施設ですが、TSL(The Secret Lab)はこの施設に属し、実写とデジタル・エフェクツの合成を得意としていました。残念ながら、TSLは予算削減のため2001年に廃止されてしまいました。なんかそう言えば、ディズニーのアニメーターの大量解雇とかが話題になった時期だったのかなぁ、と思いますけど、どうなのかな。
今を去る事6500万年前の白亜紀。イグアノドンのアラダー(D・B・スウィーニー)は、卵のとき、小型の肉食竜に持ち去られるが、万に一つの幸運から、無傷のままキツネザルたちが暮らす島にたどりつき、心優しいキツネザルのプリオ(アルフレ・ウッダード)やヤー(オシー・デイヴィス)に家族として育てられる。
小さなキツネザルたちの社会で、アラダーはすくすくと巨大に成長し、幸福に暮らしていたが、ある日突然、多様な恐竜たちが暮らす緑豊かな大地に隕石が落下する。やっとのことで危地を脱したアラダーたち「一家」は、独裁者的なイグアノドンのリーダー、クローン(サミュエル・E・ライト)が率いる群に合流し、クローンの妹のニーラ(ジュリアナ・マルグリーズ)、クローンの右腕のブルートン(ピーター・シラグサ)、年老いたブラキオサウルスのベイリーン(ジョーン・プロウライト)、同じく年老いたケラトプスのイーマ(デラ・リーズ)らと共に、焼け爛れた大地を棄て、楽園を目指す。
というシンプルなお話。
正直言って、アラダーが群に合流し、移動が始まってからの中盤以降のストーリーは、話にあちこち無理がある上に、ドラマも陳腐で、主人公のステレオタイプな優等生っぷりが鼻につき、あまり見所がないのですが、アラダーが成長するまでの前半の描写が素晴らしいのです。
平和なイグアノドンの営巣地から盗み出された卵のアラダーが、ありえないような幸運に守られて、肉食竜の手を逃れ、川を流され、翼竜に掴まれて空を飛ぶ。その飛翔のシーンはさきにも述べたように、『ガフール』のフクロウの飛ぶシーンを彷彿とさせる名シーンです。美しいハワイの景色と合成されたリアルな翼竜がダイナミックに空を駆けるシーンはまさに圧巻。そしてそれから、成長したアラダーとキツネザルの若者たちとの微笑ましい交流がディズニーらしいかわいらしい筆致で描かれていきます。なんか、もうこれで十分かも(笑)。
隕石落下以降の物語は、クローンというタフなリーダーが率いる楽園を目指した行進になるのですが、ここでどうにも釈然としないのが、まがりなりにもひとつの群を率いているリーダーのクローンを悪役(血も涙もない独裁者)として描いている点です。だってこの烏合の衆の群の場合、クローンがいなかったらそもそも生き延びられなかったのでは? こんな緊急時ですもの、強引なぐらいのリーダーがいないとにっちもさっちもいかなかったでしょ? だというのに、後からやってきたアラダーは、クローンが幼い子どもや老人に厳しすぎると批判的。
確かに、よぼよぼのおばあちゃんコンビであるベイリーンとイーマは、ディズニーアニメらしい憎めないキャラクターなので、アラダーが感情移入しちゃう気持ちもわかるのですが、でもしかし、恐竜達が目指しているのは、営巣地です。そこでつがいになり、子どもをもうけるための、豊かな水場のある土地です。そこに辿りつけるかどうかは、自然淘汰に直結する問題で、事実、この行進の最中でも、弱い者は脱落していくし、それ以前に、この群に加わることすらできなかった個体はいくらでもいたでしょう。ましてや老いた個体においてをや。……などという非情の掟について考えてしまいます。
ドラマについて考えれば、かなりもにょもにょする部分はあるのですが、とは言え、恐竜たちの描写はとにかく魅力的です。なんといっても、主人公が地味~なイグアノドンであるとうチョイスがナイスです(笑)。脅威を演出する肉食恐竜も、小型ながらいかにも強暴そうなディノニコサウルスだったり、重戦車のようなカルノタウルスだったり☆ ブラキオサウルスのベイリーンの重量感は恐竜好きにはまさに至福ですし、彼女が閉じ込められた洞窟の岩を突き崩すシーンは胸に迫るものがあります(わたくし、恐竜と言えば雷脚類派なので(笑)、雷竜の魅力には、ほんとマジ、抗えないです)。
そうした興奮と感動を盛り上げるジェームズ・ニュートン・ハワードの仰仰しいぐらいに壮大な音楽もぴったりはまってると思います。
そして、公開当時、「コンピューターグラフィックスはここまで来た!」と驚きをもって迎えられたCGは今観ても凄いですが、でもやっぱり、この映画と『ガフール』を比べると、その技術の進歩は一目瞭然であるあたりが、感慨無量です。特に「毛」の表現。当時ですら、キツネザルのフワフワの毛並みを再現したCGは驚嘆の目で見られていたのですが(しかも、一匹のみならず同一場面に群で登場したりするし)、それですら、『ガフール』のフクロウの羽毛のふわふわっぷりとは比ぶべくもない。明日、世界はどうなるだろう。なんだかほんとに楽しみですね。クリエイターのみなさんを、心の底から尊敬いたしますです。
『ガフールの伝説』のソーレンの飛行シーンを観ていた際、なんとも言えない既視感に囚われました。この感覚はどっかで観たなぁ、と思いをめぐらすうちに、この『ダイナソー』が脳内検索でヒットしました。そうだそうだ、この映画の冒頭の翼竜の飛行シーンだ!
というわけでちょこっと調べてみましたところ、『ダイナソー』を監督したエリック・レイトンは『ガフール』ではアニメーション監督を務めていた模様です。なるほど、あの飛翔感覚は、この監督のものだったんだねぇ。
『ダイナソー』は、2000年のディズニーアニメです。
当時の最新テクノロジーを駆使したCG映像で、スーパーリアルに恐竜を描き出したアニメとして、鳴り物入りで公開されたような記憶があるです。これに先立つ1993年に公開された『ジュラシック・パーク』の恐竜の描写も、当時としては画期的だったんですけど、この『ダイナソー』ではその描写をはるかに凌ぐリアルにして迫力たっぷりの息をのむ出来栄え、と映像に関しては、大変な高評価だったんじゃないかな。
これを製作したのは、ディズニー傘下のTSLという部門。ディズニーのFAN(Feature Animation Northside)と言えば、当時ディズニーのデジタル映像の部門の梁山泊だった施設ですが、TSL(The Secret Lab)はこの施設に属し、実写とデジタル・エフェクツの合成を得意としていました。残念ながら、TSLは予算削減のため2001年に廃止されてしまいました。なんかそう言えば、ディズニーのアニメーターの大量解雇とかが話題になった時期だったのかなぁ、と思いますけど、どうなのかな。
今を去る事6500万年前の白亜紀。イグアノドンのアラダー(D・B・スウィーニー)は、卵のとき、小型の肉食竜に持ち去られるが、万に一つの幸運から、無傷のままキツネザルたちが暮らす島にたどりつき、心優しいキツネザルのプリオ(アルフレ・ウッダード)やヤー(オシー・デイヴィス)に家族として育てられる。
小さなキツネザルたちの社会で、アラダーはすくすくと巨大に成長し、幸福に暮らしていたが、ある日突然、多様な恐竜たちが暮らす緑豊かな大地に隕石が落下する。やっとのことで危地を脱したアラダーたち「一家」は、独裁者的なイグアノドンのリーダー、クローン(サミュエル・E・ライト)が率いる群に合流し、クローンの妹のニーラ(ジュリアナ・マルグリーズ)、クローンの右腕のブルートン(ピーター・シラグサ)、年老いたブラキオサウルスのベイリーン(ジョーン・プロウライト)、同じく年老いたケラトプスのイーマ(デラ・リーズ)らと共に、焼け爛れた大地を棄て、楽園を目指す。
というシンプルなお話。
正直言って、アラダーが群に合流し、移動が始まってからの中盤以降のストーリーは、話にあちこち無理がある上に、ドラマも陳腐で、主人公のステレオタイプな優等生っぷりが鼻につき、あまり見所がないのですが、アラダーが成長するまでの前半の描写が素晴らしいのです。
平和なイグアノドンの営巣地から盗み出された卵のアラダーが、ありえないような幸運に守られて、肉食竜の手を逃れ、川を流され、翼竜に掴まれて空を飛ぶ。その飛翔のシーンはさきにも述べたように、『ガフール』のフクロウの飛ぶシーンを彷彿とさせる名シーンです。美しいハワイの景色と合成されたリアルな翼竜がダイナミックに空を駆けるシーンはまさに圧巻。そしてそれから、成長したアラダーとキツネザルの若者たちとの微笑ましい交流がディズニーらしいかわいらしい筆致で描かれていきます。なんか、もうこれで十分かも(笑)。
隕石落下以降の物語は、クローンというタフなリーダーが率いる楽園を目指した行進になるのですが、ここでどうにも釈然としないのが、まがりなりにもひとつの群を率いているリーダーのクローンを悪役(血も涙もない独裁者)として描いている点です。だってこの烏合の衆の群の場合、クローンがいなかったらそもそも生き延びられなかったのでは? こんな緊急時ですもの、強引なぐらいのリーダーがいないとにっちもさっちもいかなかったでしょ? だというのに、後からやってきたアラダーは、クローンが幼い子どもや老人に厳しすぎると批判的。
確かに、よぼよぼのおばあちゃんコンビであるベイリーンとイーマは、ディズニーアニメらしい憎めないキャラクターなので、アラダーが感情移入しちゃう気持ちもわかるのですが、でもしかし、恐竜達が目指しているのは、営巣地です。そこでつがいになり、子どもをもうけるための、豊かな水場のある土地です。そこに辿りつけるかどうかは、自然淘汰に直結する問題で、事実、この行進の最中でも、弱い者は脱落していくし、それ以前に、この群に加わることすらできなかった個体はいくらでもいたでしょう。ましてや老いた個体においてをや。……などという非情の掟について考えてしまいます。
ドラマについて考えれば、かなりもにょもにょする部分はあるのですが、とは言え、恐竜たちの描写はとにかく魅力的です。なんといっても、主人公が地味~なイグアノドンであるとうチョイスがナイスです(笑)。脅威を演出する肉食恐竜も、小型ながらいかにも強暴そうなディノニコサウルスだったり、重戦車のようなカルノタウルスだったり☆ ブラキオサウルスのベイリーンの重量感は恐竜好きにはまさに至福ですし、彼女が閉じ込められた洞窟の岩を突き崩すシーンは胸に迫るものがあります(わたくし、恐竜と言えば雷脚類派なので(笑)、雷竜の魅力には、ほんとマジ、抗えないです)。
そうした興奮と感動を盛り上げるジェームズ・ニュートン・ハワードの仰仰しいぐらいに壮大な音楽もぴったりはまってると思います。
そして、公開当時、「コンピューターグラフィックスはここまで来た!」と驚きをもって迎えられたCGは今観ても凄いですが、でもやっぱり、この映画と『ガフール』を比べると、その技術の進歩は一目瞭然であるあたりが、感慨無量です。特に「毛」の表現。当時ですら、キツネザルのフワフワの毛並みを再現したCGは驚嘆の目で見られていたのですが(しかも、一匹のみならず同一場面に群で登場したりするし)、それですら、『ガフール』のフクロウの羽毛のふわふわっぷりとは比ぶべくもない。明日、世界はどうなるだろう。なんだかほんとに楽しみですね。クリエイターのみなさんを、心の底から尊敬いたしますです。
by shirakian
| 2011-08-21 18:19
| 映画た行