2011年 07月 21日
アイ・アム・ナンバー4
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★ネタバレ注意★
スタッフ、キャスト、原作等々、一切まったくなぁ~んにも知らなかったのですが、予告編で観た主人公の青年があまりにもイケメンだったので、ついフラフラと観に行ってしまいました。テヘ(テヘぢゃねーっつーの)。
結果としてこれは、典型的なヤングアダルトSFというか、まんまラノベではあったんですが、わたしは結構好きでした。だってあなた、イケメン、美女、わんこ。この三点セットが揃っているというのに、ほかに一体なにが必要とおっしゃるの?
特に重要なのがイケメン要素です。
予告編の数秒のカットで白木庵の心臓を鷲づかみにして劇場まで引きずってくれちゃったアレックス・ペティファーは、わたしにとっては初めましての俳優さんでしたが、ほんとに正当派のイケメンなんですよ。ほとんどジェンセン・アクレスとタメはれるかもしれません(←美貌のグローバル・スタンダード)。そして、そのパパ(とりあえず)役にティモシー・オリファント。そして、“もうひとりのナンバー”を演じるワイルド美女にテリーサ・パーマー。さらにそうして、わんこ。かわいいぞ、わんこ。賢いぞ、わんこ。強いぞ、わんこ。ケナゲだぞ、わんこ。
ナンバー4ことジョン・スミス(アレックス・ペティファー)は地球人じゃありません。ロリエン星からやって来たロリエン星人です。かれらの惑星は、かつてモガドール星人によって破壊されてしまい、かろうじて生き残った9人の若者だけが、その守護者と共に、地球に逃れてきていたのです。9人の若者には、それぞれ特殊能力があり、モガドールは、この特別な子どもたちを殺さない限り、地球を滅ぼすことができないらしいです。子どもたちの暗殺は着々と実行され、ナンバー1から3までが、その守護者もろとも無残にも殺されてしまいました。というわけで、ジョン・スミスらは常に、モガドールにつけねらわれ、命の危険に晒されていたのです。
しかし、ジョンにはいまいち、自らの立場に対する自覚が乏しく、逃亡さきのオハイオ州パラダイスで、普通に高校に通うんだと駄々をこねた末、同級生のサラ(ダイアナ・アグロン)に恋しちゃったりして、全く緊迫感がないのです。
もともとが、ピタカス・ロアの若者向けの人気SFシリーズ“ロリエン・レガシーズ”という小説(未読)の第1作が原作であるそうで、ヤングアダルトSFだと思ったのもむべなるかなです。
冒頭で描かれるナンバー3暗殺のシーンは、スピード感といい、情況設定といい、かなりの迫力。面白い絵が撮れてます。守護者と、ナンバー本人の、それぞれの緊迫感がいいし、ナンバー3が能力を発揮する描写も面白い。ナンバー3の守護者は、ナンバー4の守護者ヘンリー(ティモシー・オリファント)と違って、3に自分の立場をしっかりと叩きこんでいた模様ですが、しかし保護者の薫陶虚しく、ふたりはもろともに密林の露と消えてしまいました。や、露というか、塵ですね。ロリエン星人は(そしてモガドール星人も)、死ぬとヴァンパイアのようにパァッと塵になって風に散ってしまうのです。
ところがナンバー4のシークエンスに入った途端、お話は一転して学園青春ドラマに。ナンバー3の身に起こった顛末を見るにつけ、到底そんなこと言っていられる場合じゃないと思うのに、普通に学校に通うジョン・スミスは、普通に学園生活をエンジョイしているのみならず、守護者であるヘンリーの干渉を疎ましがる始末。それもそのはず、ジョンは自分の能力について一切なにも知らず、それが発動するシーンで初めてびっくりして慌てふためいてしまうのです。なぜ前もって説明しておかなかったんだ、ヘンリー?
だって、ナンバーっ子たちの存在って、どういう理屈になっているのかわかりませんが、とてつもなく大きいんですよ。かれらがいる限り、惑星ひとつ、滅ぼされずに済むのであれば、そこはもう個人の人権とか言ってる余地はないです。できることなら、金庫かなにかに閉じ込めてでも安全を確保するべきところ。
でも、このお話で描きたかったのは、どうやら地球滅亡の危機というよりも、この青春譜の方であるらしいので、そういう作りになっているのも仕方がないのかもしれません。しかもこれは、ジョンとサラのラブストーリーにかこつけて、学園ヒエラルキーに対する怨嗟の描写に情熱が注ぎこまれています。要するに、ヒエラルキーの頂点に君臨するスポーツマンと、かれらに苛められるナード(オタク)たちの対立の構図。そして最後に笑うのはオタク。
この学園のボス猿マーク(ジェイク・アベル)は、アメフト部のクオーターバックで、とりあえず物事は何でも自分の思い通りになるというスタンスで学園生活をエンジョイ中。自分をふったサラへの執着から、彼女に近づく男たちには容赦しません。おかげでサラはまともに友だちも作れない日々。
天文オタクのサム(カラン・マッコーリフ)もまた、マークにとっては格好の苛めの対象なんだけど、実は行方不明になっているサムの父親は、ロリエン星人とは浅からぬ因縁があるらしい。それはさておき、マークから苛めぬかれているサムは、「あいつは、今が人生の頂点なんだ」と棄て台詞を吐きます。なるほど、いくら高校時代が華やかでも、地元から出て行かず、大学へも進学しなかった学園の元スターは、地元の田舎でくすぶって、ブルーカラーの仕事にありつければ御の字、昨今の不況下においては、失業して飲んだくれるのがせいぜい、といった情況は珍しくありません。この映画の中で一番印象的な台詞がコレだったなぁ。
でも、そうは言っても、マークを演じるジェイク・アベルは、それほどワルには見えないです。この役者さんは、たとえば『パーシー・ジャクソン』では、ゼウスの稲妻を盗んだ真犯人の役なんかを演じていましたが、わたしの中では『スーパー・ナチュラル』でジョン・ウィンチェスターのご落胤の役を演じていたのが印象深いです。ディーンとサムの腹違いの弟の役だね。さすが美貌のグローバル・スタンダード、ジェンセン・アクレスの弟を演じただけあって、アベルもちょっと繊細な感じの容姿で、ガサツな印象がないです(もっとも、ジェンセンの弟役をやらせるなら、断然アレックス・ペティファーの方が似ていると思うけど、だれもそんなこと訊いてないし)。
アメリカの高校生って、身体だけは威圧感を感じるくらいでかくてたくましかったりするじゃありませんか? ましてやアメフトやってたりするわけだし。だったら『クリスティーン』の“いぢめっこ”ぐらいの、嫌気がさすほどのワル、という配役だってありえたと思うのですが、ジェイク・アベルという(中途半端な)配役だったというのは、やっぱ、最後にかれが改心する伏線なのかな。
とにかくそんなわけで、ひとりの女の子をめぐって少年ふたりが対立したりオタクの少年が苛められたりといった、日常的な物語が展開しているうちにも、モガドールの魔手はじりじりと迫り、ついにはヘンリーが殺されてしまいます。この期に及んでようやく事の重大さに気づくジョン。遅いっつーねん。
ヘンリーは表向きジョンの父親ということになっているのですが、演じるティモシー・オリファントが若々しいので、父親というより、せいぜい年の離れた兄か友人にしか見えません。もっとがっつり「保護者!」に見えた方がいいんじゃないかなとも思ったんだけど、1968年生まれのティモシー・オリファントに対し、アレックス・ペティファーは1990年生まれである由なので、中のひとの実年齢から考えれば、親子であっても不自然ではない年齢差(ショーン・ビーンのパパの役をジョン・ノブルが演じることからすれば、もう)。とすると、やっぱ、オリファント、見た目が若いなぁ。今までにない白髪仕様ではあるんだけど、あんな大きな息子がいるようには見えません。
ともかく、ヘンリーはジョンの実父とは浅からぬ仲だったらしく、実父の遺志をついでジョンを守り通そうとしているのですが、その割には、ジョンに対して実父のことをあまり語っている風でもないし、ジョンの能力についてちゃんと説明している風もないし、能力をコントロールする術についてレクチャーしている風もないし、第一、箱の中身はなんやねん。
ヘンリーの死をもって、遅まきながらジョンがまわりの情況に目を開くのと時を同じくして、同じく守護者に死なれたジェーン・ドゥ(またジェーン出た)ことナンバー6(テリーサ・パーマー)が登場し、戦列に加わるに及んで、物語は一気にアクション方面に活性化して華やいでいきます。
だって、なんたって、テリーサ・パーマーがいいんだ。かっこいいんだ☆
ナンバーっ子たちは、それぞれがいくつかの(それぞれに異なる?)能力を持っているらしいのだけど、ナンバー6の能力は、テレポーテーション(?)とファイアープルーフ。シュルンシュルンと目まぐるしく移動しては敵の不意をつく華麗なるアクションは巷間(X-Menの)アザレル能力とかも言われているようですが、わたくしとしては是非ともあそこで「加速装置!(カチッ!)」って言ってあげたいです。や、別に言ってもらわなくてもいいとは思うけど。で、オットコマエのナンバー6は、この瞬間移動能力を駆使して敵と戦う一方、シテキな耐火設計でもってナンバー4のことを身を挺して守ってくれたりもします☆ 強いぞ、テリーサ、顔が時々怖いけど、それがなによ、戦うヒロインよ!
だけどそれ以上に、わんこがいいです。
わんこはね、ナンバー4を守るために、はるばるロリエン星からやってきたボディーガードなんですけどね、最初は綺麗な緑色のトカゲに擬態しているです。そして、ナンバー4たちが海辺を去ると同時に、ありふれたビーグル犬に擬態するです。小さいトカゲ、中ぐらいのわんこ、と擬態が進化していきますので、敵のモンスターと戦う際には、必ずや大きいキングコングに変身だ! とものすごく期待に胸を膨らませて見ていたんですが、モンスターと戦う際の形態は、キングコングではなかったです。大きくはなったけどね。ぶ顔選手権に出られそうだったな(汗)。
ぶ顔はともかく、でも、ケナゲに戦ったわんこがですよ、傷つき力つきて倒れたというのに、全く心配もフォローもしようとしないナンバー4って、なんなんでしょうね。ここはちょっと教育的指導ですね。動物愛護の気持ち、感謝する気持ち、仲間を思いやる気持ち。このさきもヒーローとしてやってくなら基本中の基本ですよ。ジョン・スミスくんはわかりましたか?
このお話は、本来9人いて、現時点で6人が生存しているナンバーっ子たちの戦いを描くものですから、ナンバー4と6しか出てこなかったこの映画は、完全にプロローグでしかなく、ストーリー的には今後の展開に注目! という感じなんですが、続編、どうでしょうね、作られるのかな。作ってくれなきゃ困るよ、こんなところでやめないでよ、って思っちゃうんですけど。
でも、続編を作るにあたっては、色々つっこみ所がある中でも、特に以下のふたつの設定が枷になるのではないかと心配です。
ひとつは、ロリエン星人は、ひとたびだれかを愛したら、一生そのひとだけを愛し続ける、という設定なんですが、や、それはいいんだけど、ジュブナイルだし、美しい話ではあるんだけど、作劇上は、邪魔になるよね。ナンバー4に関しては、もはやサラ以外の新しい女性キャラとの新たな展開は望めなくなってしまいましたものね。
このサラという女性が、キャラクター的にもビジュアル的にもかなり退屈でつまらないキャラクターだったので、キーパーソンでもないのに今後もストーリーに絡んでくるのだとしたら結構ウザイと思うし(とは言え、映画のラストの雰囲気を見る限りでは、サラのラインはもうこれで終り、という感じはしたのですが)、そうでなければ、今後ずーっと、トキメキのない話になってしまうというのも、まあ、アクションものに色恋はいらぬ、という骨太な方針であるなら結構な話ではありますが、ちょっと寂しいかもしれません。だって、ナンバー6との間に、うふんな雰囲気が生じたりすることもないってことでしょ?
そしてもうひとつは、これが実はよくわからないのだけど、ナンバーっ子たちは必ずナンバー順に死ぬ、という設定になっているらしいことです。この設定って一体なんなんだろう? どういう意味があるのかしら? こういう設定があることを知ってしまうと、ナンバー4が無事なうちは、5も6も7も8も9も決して死なない、ということがわかってしまうわけで、そういった意味での緊迫感は皆無ということになりますが。
まあ、そんなことを心配するより前に、そもそも続編が作られるのかどうかを心配すべきかもしれないですが。
この映画を観てすごーく熱烈に思ったのですが、これを映画化するのならば、本邦のナンバーっ子的金字塔、サイボーグ009をこそ実写映画化してほしいよね、ということです。内容的には009の方がずーっと密度が高いよ。大人な内容だよ。9人全員国籍が違う、とかいう設定も楽しいし。世界中のスターを集めることができるよ。その際には、ドイツ人の004はトーマス・クレッチマンで! と言いたいところですが、ティル・シュバイガーの方が雰囲気的には似合っているかな。最近キテいるマイケル・ファスベンダーでもオッケーだな。うわぁ、楽しい☆
スタッフ、キャスト、原作等々、一切まったくなぁ~んにも知らなかったのですが、予告編で観た主人公の青年があまりにもイケメンだったので、ついフラフラと観に行ってしまいました。テヘ(テヘぢゃねーっつーの)。
結果としてこれは、典型的なヤングアダルトSFというか、まんまラノベではあったんですが、わたしは結構好きでした。だってあなた、イケメン、美女、わんこ。この三点セットが揃っているというのに、ほかに一体なにが必要とおっしゃるの?
特に重要なのがイケメン要素です。
予告編の数秒のカットで白木庵の心臓を鷲づかみにして劇場まで引きずってくれちゃったアレックス・ペティファーは、わたしにとっては初めましての俳優さんでしたが、ほんとに正当派のイケメンなんですよ。ほとんどジェンセン・アクレスとタメはれるかもしれません(←美貌のグローバル・スタンダード)。そして、そのパパ(とりあえず)役にティモシー・オリファント。そして、“もうひとりのナンバー”を演じるワイルド美女にテリーサ・パーマー。さらにそうして、わんこ。かわいいぞ、わんこ。賢いぞ、わんこ。強いぞ、わんこ。ケナゲだぞ、わんこ。
ナンバー4ことジョン・スミス(アレックス・ペティファー)は地球人じゃありません。ロリエン星からやって来たロリエン星人です。かれらの惑星は、かつてモガドール星人によって破壊されてしまい、かろうじて生き残った9人の若者だけが、その守護者と共に、地球に逃れてきていたのです。9人の若者には、それぞれ特殊能力があり、モガドールは、この特別な子どもたちを殺さない限り、地球を滅ぼすことができないらしいです。子どもたちの暗殺は着々と実行され、ナンバー1から3までが、その守護者もろとも無残にも殺されてしまいました。というわけで、ジョン・スミスらは常に、モガドールにつけねらわれ、命の危険に晒されていたのです。
しかし、ジョンにはいまいち、自らの立場に対する自覚が乏しく、逃亡さきのオハイオ州パラダイスで、普通に高校に通うんだと駄々をこねた末、同級生のサラ(ダイアナ・アグロン)に恋しちゃったりして、全く緊迫感がないのです。
もともとが、ピタカス・ロアの若者向けの人気SFシリーズ“ロリエン・レガシーズ”という小説(未読)の第1作が原作であるそうで、ヤングアダルトSFだと思ったのもむべなるかなです。
冒頭で描かれるナンバー3暗殺のシーンは、スピード感といい、情況設定といい、かなりの迫力。面白い絵が撮れてます。守護者と、ナンバー本人の、それぞれの緊迫感がいいし、ナンバー3が能力を発揮する描写も面白い。ナンバー3の守護者は、ナンバー4の守護者ヘンリー(ティモシー・オリファント)と違って、3に自分の立場をしっかりと叩きこんでいた模様ですが、しかし保護者の薫陶虚しく、ふたりはもろともに密林の露と消えてしまいました。や、露というか、塵ですね。ロリエン星人は(そしてモガドール星人も)、死ぬとヴァンパイアのようにパァッと塵になって風に散ってしまうのです。
ところがナンバー4のシークエンスに入った途端、お話は一転して学園青春ドラマに。ナンバー3の身に起こった顛末を見るにつけ、到底そんなこと言っていられる場合じゃないと思うのに、普通に学校に通うジョン・スミスは、普通に学園生活をエンジョイしているのみならず、守護者であるヘンリーの干渉を疎ましがる始末。それもそのはず、ジョンは自分の能力について一切なにも知らず、それが発動するシーンで初めてびっくりして慌てふためいてしまうのです。なぜ前もって説明しておかなかったんだ、ヘンリー?
だって、ナンバーっ子たちの存在って、どういう理屈になっているのかわかりませんが、とてつもなく大きいんですよ。かれらがいる限り、惑星ひとつ、滅ぼされずに済むのであれば、そこはもう個人の人権とか言ってる余地はないです。できることなら、金庫かなにかに閉じ込めてでも安全を確保するべきところ。
でも、このお話で描きたかったのは、どうやら地球滅亡の危機というよりも、この青春譜の方であるらしいので、そういう作りになっているのも仕方がないのかもしれません。しかもこれは、ジョンとサラのラブストーリーにかこつけて、学園ヒエラルキーに対する怨嗟の描写に情熱が注ぎこまれています。要するに、ヒエラルキーの頂点に君臨するスポーツマンと、かれらに苛められるナード(オタク)たちの対立の構図。そして最後に笑うのはオタク。
この学園のボス猿マーク(ジェイク・アベル)は、アメフト部のクオーターバックで、とりあえず物事は何でも自分の思い通りになるというスタンスで学園生活をエンジョイ中。自分をふったサラへの執着から、彼女に近づく男たちには容赦しません。おかげでサラはまともに友だちも作れない日々。
天文オタクのサム(カラン・マッコーリフ)もまた、マークにとっては格好の苛めの対象なんだけど、実は行方不明になっているサムの父親は、ロリエン星人とは浅からぬ因縁があるらしい。それはさておき、マークから苛めぬかれているサムは、「あいつは、今が人生の頂点なんだ」と棄て台詞を吐きます。なるほど、いくら高校時代が華やかでも、地元から出て行かず、大学へも進学しなかった学園の元スターは、地元の田舎でくすぶって、ブルーカラーの仕事にありつければ御の字、昨今の不況下においては、失業して飲んだくれるのがせいぜい、といった情況は珍しくありません。この映画の中で一番印象的な台詞がコレだったなぁ。
でも、そうは言っても、マークを演じるジェイク・アベルは、それほどワルには見えないです。この役者さんは、たとえば『パーシー・ジャクソン』では、ゼウスの稲妻を盗んだ真犯人の役なんかを演じていましたが、わたしの中では『スーパー・ナチュラル』でジョン・ウィンチェスターのご落胤の役を演じていたのが印象深いです。ディーンとサムの腹違いの弟の役だね。さすが美貌のグローバル・スタンダード、ジェンセン・アクレスの弟を演じただけあって、アベルもちょっと繊細な感じの容姿で、ガサツな印象がないです(もっとも、ジェンセンの弟役をやらせるなら、断然アレックス・ペティファーの方が似ていると思うけど、だれもそんなこと訊いてないし)。
アメリカの高校生って、身体だけは威圧感を感じるくらいでかくてたくましかったりするじゃありませんか? ましてやアメフトやってたりするわけだし。だったら『クリスティーン』の“いぢめっこ”ぐらいの、嫌気がさすほどのワル、という配役だってありえたと思うのですが、ジェイク・アベルという(中途半端な)配役だったというのは、やっぱ、最後にかれが改心する伏線なのかな。
とにかくそんなわけで、ひとりの女の子をめぐって少年ふたりが対立したりオタクの少年が苛められたりといった、日常的な物語が展開しているうちにも、モガドールの魔手はじりじりと迫り、ついにはヘンリーが殺されてしまいます。この期に及んでようやく事の重大さに気づくジョン。遅いっつーねん。
ヘンリーは表向きジョンの父親ということになっているのですが、演じるティモシー・オリファントが若々しいので、父親というより、せいぜい年の離れた兄か友人にしか見えません。もっとがっつり「保護者!」に見えた方がいいんじゃないかなとも思ったんだけど、1968年生まれのティモシー・オリファントに対し、アレックス・ペティファーは1990年生まれである由なので、中のひとの実年齢から考えれば、親子であっても不自然ではない年齢差(ショーン・ビーンのパパの役をジョン・ノブルが演じることからすれば、もう)。とすると、やっぱ、オリファント、見た目が若いなぁ。今までにない白髪仕様ではあるんだけど、あんな大きな息子がいるようには見えません。
ともかく、ヘンリーはジョンの実父とは浅からぬ仲だったらしく、実父の遺志をついでジョンを守り通そうとしているのですが、その割には、ジョンに対して実父のことをあまり語っている風でもないし、ジョンの能力についてちゃんと説明している風もないし、能力をコントロールする術についてレクチャーしている風もないし、第一、箱の中身はなんやねん。
ヘンリーの死をもって、遅まきながらジョンがまわりの情況に目を開くのと時を同じくして、同じく守護者に死なれたジェーン・ドゥ(またジェーン出た)ことナンバー6(テリーサ・パーマー)が登場し、戦列に加わるに及んで、物語は一気にアクション方面に活性化して華やいでいきます。
だって、なんたって、テリーサ・パーマーがいいんだ。かっこいいんだ☆
ナンバーっ子たちは、それぞれがいくつかの(それぞれに異なる?)能力を持っているらしいのだけど、ナンバー6の能力は、テレポーテーション(?)とファイアープルーフ。シュルンシュルンと目まぐるしく移動しては敵の不意をつく華麗なるアクションは巷間(X-Menの)アザレル能力とかも言われているようですが、わたくしとしては是非ともあそこで「加速装置!(カチッ!)」って言ってあげたいです。や、別に言ってもらわなくてもいいとは思うけど。で、オットコマエのナンバー6は、この瞬間移動能力を駆使して敵と戦う一方、シテキな耐火設計でもってナンバー4のことを身を挺して守ってくれたりもします☆ 強いぞ、テリーサ、顔が時々怖いけど、それがなによ、戦うヒロインよ!
だけどそれ以上に、わんこがいいです。
わんこはね、ナンバー4を守るために、はるばるロリエン星からやってきたボディーガードなんですけどね、最初は綺麗な緑色のトカゲに擬態しているです。そして、ナンバー4たちが海辺を去ると同時に、ありふれたビーグル犬に擬態するです。小さいトカゲ、中ぐらいのわんこ、と擬態が進化していきますので、敵のモンスターと戦う際には、必ずや大きいキングコングに変身だ! とものすごく期待に胸を膨らませて見ていたんですが、モンスターと戦う際の形態は、キングコングではなかったです。大きくはなったけどね。ぶ顔選手権に出られそうだったな(汗)。
ぶ顔はともかく、でも、ケナゲに戦ったわんこがですよ、傷つき力つきて倒れたというのに、全く心配もフォローもしようとしないナンバー4って、なんなんでしょうね。ここはちょっと教育的指導ですね。動物愛護の気持ち、感謝する気持ち、仲間を思いやる気持ち。このさきもヒーローとしてやってくなら基本中の基本ですよ。ジョン・スミスくんはわかりましたか?
このお話は、本来9人いて、現時点で6人が生存しているナンバーっ子たちの戦いを描くものですから、ナンバー4と6しか出てこなかったこの映画は、完全にプロローグでしかなく、ストーリー的には今後の展開に注目! という感じなんですが、続編、どうでしょうね、作られるのかな。作ってくれなきゃ困るよ、こんなところでやめないでよ、って思っちゃうんですけど。
でも、続編を作るにあたっては、色々つっこみ所がある中でも、特に以下のふたつの設定が枷になるのではないかと心配です。
ひとつは、ロリエン星人は、ひとたびだれかを愛したら、一生そのひとだけを愛し続ける、という設定なんですが、や、それはいいんだけど、ジュブナイルだし、美しい話ではあるんだけど、作劇上は、邪魔になるよね。ナンバー4に関しては、もはやサラ以外の新しい女性キャラとの新たな展開は望めなくなってしまいましたものね。
このサラという女性が、キャラクター的にもビジュアル的にもかなり退屈でつまらないキャラクターだったので、キーパーソンでもないのに今後もストーリーに絡んでくるのだとしたら結構ウザイと思うし(とは言え、映画のラストの雰囲気を見る限りでは、サラのラインはもうこれで終り、という感じはしたのですが)、そうでなければ、今後ずーっと、トキメキのない話になってしまうというのも、まあ、アクションものに色恋はいらぬ、という骨太な方針であるなら結構な話ではありますが、ちょっと寂しいかもしれません。だって、ナンバー6との間に、うふんな雰囲気が生じたりすることもないってことでしょ?
そしてもうひとつは、これが実はよくわからないのだけど、ナンバーっ子たちは必ずナンバー順に死ぬ、という設定になっているらしいことです。この設定って一体なんなんだろう? どういう意味があるのかしら? こういう設定があることを知ってしまうと、ナンバー4が無事なうちは、5も6も7も8も9も決して死なない、ということがわかってしまうわけで、そういった意味での緊迫感は皆無ということになりますが。
まあ、そんなことを心配するより前に、そもそも続編が作られるのかどうかを心配すべきかもしれないですが。
この映画を観てすごーく熱烈に思ったのですが、これを映画化するのならば、本邦のナンバーっ子的金字塔、サイボーグ009をこそ実写映画化してほしいよね、ということです。内容的には009の方がずーっと密度が高いよ。大人な内容だよ。9人全員国籍が違う、とかいう設定も楽しいし。世界中のスターを集めることができるよ。その際には、ドイツ人の004はトーマス・クレッチマンで! と言いたいところですが、ティル・シュバイガーの方が雰囲気的には似合っているかな。最近キテいるマイケル・ファスベンダーでもオッケーだな。うわぁ、楽しい☆
by shirakian
| 2011-07-21 19:03
| 映画あ行