2011年 07月 08日
ハングオーバー!!史上最悪の二日酔い、国境を越える
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★ネタバレ注意★
大ヒットした爆笑二日酔いコメディのパート2です。
トッド・フィリップス監督はじめ、キャストもまるっとパート1の顔ぶれを揃えています。
■ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い
前作で観客の心に暖かい共感を呼び起こしたヘザー・グレアムとの結婚をあっさり解消した歯科医のステュ(エド・ヘルムズ)は、タイ出身のローレン(ジェイミー・チャン)と結婚式を挙げるために、前作の二日酔い仲間、フィル(ブラッドリー・クーパー)、アラン(ザック・ガリフィナーキス)、ダグ(ジャスティン・バーサ)らと共に、タイへ赴く。
というわけで、このタイで、前作ラスベガスで起こったのと「全く同じこと」が繰り返される、というのがこの映画です。まるで前作のリメイクのような続編。
「全く同じこと」を繰り返すにあたっては、大きなメリットがふたつあります。
(1)キャラクターに対して観客がすでに親近感を持っていること。
(2)繰り返しによる増幅効果が得られること。
(1)ですけども、これはもう、テレビのシットコムが、毎週毎週同じことの繰り返しなのにそれでも確実におかしい、というのと同じで、お馴染みのキャラクターがお馴染みのドタバタを繰り広げてくれるところからくる予定調和のおかしみです。
ダグのぽわんとした優しさも、アランの相変わらずの空気読めない暴走ぶりも、ステュのなにもしてないのになぜか不幸を招き寄せてしまう体質も、そうと期待してたらまさにその通り、というのがおかしいのだけど、なによりやっぱり、フィルを演じるブラッドリー・クーパーがたまらんです。
ブラッドリー・クーパーって、言うまでもなく大変なイケメンでありますけれども、顔立ちが整っているだけじゃなく、身体つきがまたとっても綺麗。モデルさんみたいに手足が長くてあくまでしなやか。姿勢がよくて身ごなしがシャープでエレガント。だものですから、立っても座っても走っても飛んでも、とにかくカッコイイのですね。無駄に(笑)。
この「無駄な」かっこよさが、ものっそおかしい。もうやたらとクスクス笑えてきちゃうくらいおかしい。なにしろ、へたりこんでも、ぶったおれても、ヨレヨレになっても、泣きがはいっても、ビジュアルだけは世にもかっこいいのですよ。このギャップに笑わずにいられようか。しかも、フィルって、「無駄に」リーダーシップやら問題解決能力やらがあって、「無駄に」頼もしかったりする(笑)。その能力、こんなところで使うのは、人類に対する大いなる損失だよなぁ、と思ってしまう。で、しかも、このかっこいい有能なイケメンのフィル、職業が小学校の先生だったりする(笑)。もう、たまらんです。そんな先生、いるもんかい。
映画冒頭、タイに発つ前のシーンで、ラスベガスでの乱行に懲りて、バチュラーパーティをしたくないステュが、ファミリーレストランにフィルとダグを招いて「バチュラー・ランチ」をしようとするくだりがあるのですが、そんなシーンでも、まるでCIAの作戦会議のような危険な色香を漂わせるフィルが実は赤ん坊連れ、というのがいっそシュールなぐらいおかしいです。憤然として席を立つ色男が、ポータブルのベビーベッドひっつかんで去って行くんだヨ。思わず腹筋がひくひくしてしまいますです。
そして(2)ですが、これはもう言うまでもなく、同じナンセンスが繰り返されるということは無条件におかしいのです(二度目までは)。呆れかえった口調でも、うんざりした口調でも、怯えひきつった口調でも、「Again!?」と言われるだけで、グフッと笑えてきてしまいます。
ただしこれは、あくまで二度目までしか有効でない功能だと思いますので、パート3を作るという噂には、不安を覚えずにはいられないのだけれど。
もちろん、人気作のパート2ですから、単に繰り返すだけでは、製作者自身も納得がいかないことでしょうから、より一層のパワーアップを狙ってくるわけですが、これってどうなんだろ、舞台が海外になったり、ヘリやらパワーボートやらが登場したりするのは、一見スケールアップしている感じではあるけれど、この映画の本来的な面白さというのは、全くもって単純に「酔っ払いの愚行」、ということに尽きるわけですから、仕掛けを大きくすることは、必ずしも映画の面白さには貢献しないなぁ、と思いました。この辺りも、パート3に向けて不安を感じるところであります。
そして、舞台が海外である、ということにからめて感じる不満は、海外が舞台であるにもかかわらず、コミュニケーションの齟齬からくるトラブルやおかしみが全然描かれていない、ということです。行く先々でだれもが当然のように英語を話し、当たり前のように一行の意図を理解するというのは、いまの世界ではそれが現実なのかもしれないけれど、タクシーに乗るにも買い物をするにも、タイ語なんか知らなくても全然困らない、というのは、どうなのかなと思います。唯一コミュニケーションがとれない相手として、タイの僧侶たちが出てきますけれども、これもまた、言語が違うから、という理由ではなく、かれらが無言の業を行っていたから、という理由だというのも、なんだか異文化コミュニケーションっつーものを嘗めてる感じ。アメリカの映画だなぁ、と思います。
今回、「行方不明になる役」を担うのは、花嫁のティーンエイジャーの弟テディ(メイソン・リー)ですが、これもまた、せっかく「繰り返しによる増幅効果」を狙うのだったら、ジャスティン・バーサが担うべきところだったよなぁ、と思ってしまいます。そうしていたら、なぜかいつも行方不明になってしまう男、というレッテルを貼るところからくるおかしみが味わえたのに。そうでないものだから、今回、バーサは何のために出て来てるんだか、ちょっとわかりません。役割上の分担がない。
テディに関して、ちょっとイヤだったのが、この少年が指を失ってしまう、という流れです。これには全く笑えなかったです。楽器を弾くひとの指を損なうというのは、観ていて感じのいい演出じゃない。しかも、チェロのみならず、テディは外科医を目指してメディカルスクールで勉強中なわけですから、ほかの診療科目ならともかく、外科医になるのだったら、指の欠損は大きな痛手になるはず。指を失った理由自体が、何者かによる不当な暴力の結果ではなく、全くのアクシデントというか自業自得(根性試しの失敗)だったのがせめてもですけど、それにしても、そこまでしなくてもよかったのに、と思ってしまいました。
尤も、かれが指を失う、という展開は、あまりにも厳格で過度な期待を押し付けてくる父親からの離脱の象徴でもあったのだろうな、というのは理解できますが。テディ自身、指をなくしたことを、全く嘆く様子がなかったですものね。これで、父親に言われるままにチェロを弾く必要も、外科医になる必要もなくなったわけですから。とはいえ、そんな主張がこの映画に必要だったのか、という疑問は相変わらず残ってしまうのですが。
あと、もひとつ言えば、結婚のお祝いとして、マイク・タイソンにパフォーマンスしてもらうって、そんなに嬉しいことなの(笑)? どうせ(金とコネにあかせて)エンターテイナーを招くなら、マイク・タイソンの微妙きわまる歌唱なんかじゃなくて、レディ・ガガとか呼んでくれたらよかったのに、と思わんでもなかったです。や、新郎も友人たちも大喜びだったから、本人がいいならそれでいいんでしょうけど(笑)。
大ヒットした爆笑二日酔いコメディのパート2です。
トッド・フィリップス監督はじめ、キャストもまるっとパート1の顔ぶれを揃えています。
■ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い
前作で観客の心に暖かい共感を呼び起こしたヘザー・グレアムとの結婚をあっさり解消した歯科医のステュ(エド・ヘルムズ)は、タイ出身のローレン(ジェイミー・チャン)と結婚式を挙げるために、前作の二日酔い仲間、フィル(ブラッドリー・クーパー)、アラン(ザック・ガリフィナーキス)、ダグ(ジャスティン・バーサ)らと共に、タイへ赴く。
というわけで、このタイで、前作ラスベガスで起こったのと「全く同じこと」が繰り返される、というのがこの映画です。まるで前作のリメイクのような続編。
「全く同じこと」を繰り返すにあたっては、大きなメリットがふたつあります。
(1)キャラクターに対して観客がすでに親近感を持っていること。
(2)繰り返しによる増幅効果が得られること。
(1)ですけども、これはもう、テレビのシットコムが、毎週毎週同じことの繰り返しなのにそれでも確実におかしい、というのと同じで、お馴染みのキャラクターがお馴染みのドタバタを繰り広げてくれるところからくる予定調和のおかしみです。
ダグのぽわんとした優しさも、アランの相変わらずの空気読めない暴走ぶりも、ステュのなにもしてないのになぜか不幸を招き寄せてしまう体質も、そうと期待してたらまさにその通り、というのがおかしいのだけど、なによりやっぱり、フィルを演じるブラッドリー・クーパーがたまらんです。
ブラッドリー・クーパーって、言うまでもなく大変なイケメンでありますけれども、顔立ちが整っているだけじゃなく、身体つきがまたとっても綺麗。モデルさんみたいに手足が長くてあくまでしなやか。姿勢がよくて身ごなしがシャープでエレガント。だものですから、立っても座っても走っても飛んでも、とにかくカッコイイのですね。無駄に(笑)。
この「無駄な」かっこよさが、ものっそおかしい。もうやたらとクスクス笑えてきちゃうくらいおかしい。なにしろ、へたりこんでも、ぶったおれても、ヨレヨレになっても、泣きがはいっても、ビジュアルだけは世にもかっこいいのですよ。このギャップに笑わずにいられようか。しかも、フィルって、「無駄に」リーダーシップやら問題解決能力やらがあって、「無駄に」頼もしかったりする(笑)。その能力、こんなところで使うのは、人類に対する大いなる損失だよなぁ、と思ってしまう。で、しかも、このかっこいい有能なイケメンのフィル、職業が小学校の先生だったりする(笑)。もう、たまらんです。そんな先生、いるもんかい。
映画冒頭、タイに発つ前のシーンで、ラスベガスでの乱行に懲りて、バチュラーパーティをしたくないステュが、ファミリーレストランにフィルとダグを招いて「バチュラー・ランチ」をしようとするくだりがあるのですが、そんなシーンでも、まるでCIAの作戦会議のような危険な色香を漂わせるフィルが実は赤ん坊連れ、というのがいっそシュールなぐらいおかしいです。憤然として席を立つ色男が、ポータブルのベビーベッドひっつかんで去って行くんだヨ。思わず腹筋がひくひくしてしまいますです。
そして(2)ですが、これはもう言うまでもなく、同じナンセンスが繰り返されるということは無条件におかしいのです(二度目までは)。呆れかえった口調でも、うんざりした口調でも、怯えひきつった口調でも、「Again!?」と言われるだけで、グフッと笑えてきてしまいます。
ただしこれは、あくまで二度目までしか有効でない功能だと思いますので、パート3を作るという噂には、不安を覚えずにはいられないのだけれど。
もちろん、人気作のパート2ですから、単に繰り返すだけでは、製作者自身も納得がいかないことでしょうから、より一層のパワーアップを狙ってくるわけですが、これってどうなんだろ、舞台が海外になったり、ヘリやらパワーボートやらが登場したりするのは、一見スケールアップしている感じではあるけれど、この映画の本来的な面白さというのは、全くもって単純に「酔っ払いの愚行」、ということに尽きるわけですから、仕掛けを大きくすることは、必ずしも映画の面白さには貢献しないなぁ、と思いました。この辺りも、パート3に向けて不安を感じるところであります。
そして、舞台が海外である、ということにからめて感じる不満は、海外が舞台であるにもかかわらず、コミュニケーションの齟齬からくるトラブルやおかしみが全然描かれていない、ということです。行く先々でだれもが当然のように英語を話し、当たり前のように一行の意図を理解するというのは、いまの世界ではそれが現実なのかもしれないけれど、タクシーに乗るにも買い物をするにも、タイ語なんか知らなくても全然困らない、というのは、どうなのかなと思います。唯一コミュニケーションがとれない相手として、タイの僧侶たちが出てきますけれども、これもまた、言語が違うから、という理由ではなく、かれらが無言の業を行っていたから、という理由だというのも、なんだか異文化コミュニケーションっつーものを嘗めてる感じ。アメリカの映画だなぁ、と思います。
今回、「行方不明になる役」を担うのは、花嫁のティーンエイジャーの弟テディ(メイソン・リー)ですが、これもまた、せっかく「繰り返しによる増幅効果」を狙うのだったら、ジャスティン・バーサが担うべきところだったよなぁ、と思ってしまいます。そうしていたら、なぜかいつも行方不明になってしまう男、というレッテルを貼るところからくるおかしみが味わえたのに。そうでないものだから、今回、バーサは何のために出て来てるんだか、ちょっとわかりません。役割上の分担がない。
テディに関して、ちょっとイヤだったのが、この少年が指を失ってしまう、という流れです。これには全く笑えなかったです。楽器を弾くひとの指を損なうというのは、観ていて感じのいい演出じゃない。しかも、チェロのみならず、テディは外科医を目指してメディカルスクールで勉強中なわけですから、ほかの診療科目ならともかく、外科医になるのだったら、指の欠損は大きな痛手になるはず。指を失った理由自体が、何者かによる不当な暴力の結果ではなく、全くのアクシデントというか自業自得(根性試しの失敗)だったのがせめてもですけど、それにしても、そこまでしなくてもよかったのに、と思ってしまいました。
尤も、かれが指を失う、という展開は、あまりにも厳格で過度な期待を押し付けてくる父親からの離脱の象徴でもあったのだろうな、というのは理解できますが。テディ自身、指をなくしたことを、全く嘆く様子がなかったですものね。これで、父親に言われるままにチェロを弾く必要も、外科医になる必要もなくなったわけですから。とはいえ、そんな主張がこの映画に必要だったのか、という疑問は相変わらず残ってしまうのですが。
あと、もひとつ言えば、結婚のお祝いとして、マイク・タイソンにパフォーマンスしてもらうって、そんなに嬉しいことなの(笑)? どうせ(金とコネにあかせて)エンターテイナーを招くなら、マイク・タイソンの微妙きわまる歌唱なんかじゃなくて、レディ・ガガとか呼んでくれたらよかったのに、と思わんでもなかったです。や、新郎も友人たちも大喜びだったから、本人がいいならそれでいいんでしょうけど(笑)。
by shirakian
| 2011-07-08 21:36
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