2011年 07月 06日
ギャラクシー・クエスト
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★ネタバレ注意★
1999年、ディーン・パリソット監督作品。
アラン・リックマン出演作です。
“ギャラクシー・クエスト”は、放映終了から18年も経つのに、いまだに熱狂的なファンを持つカルトSF番組。繰り返し再放送されるせいで、新しい若いファンも増え、毎年ファン集会が開かれていた。……というのは明らかに『スター・トレック』のパロディですけど、これもまた、愛にあふれたパロディです。パリソット監督って、よく知らないけど、トレッキアンなのかな。だったら楽しいけど、どうかな。
ファンの熱狂とは裏腹に、出演俳優たちは、番組終了後、役者としてのろくな仕事もなく、イベントで食いつなぐ冴えない日々。主役のタガート艦長役のマイケル・ネズミス(ティム・アレン)は、いまだに衰えない人気が「ネズミス個人の人気」であると思いこんでいるふりをして、目一杯つっぱってはいるのだけれど、実はファンが求めているものはあくまで「タガート艦長」であるにすぎない、ということが内心ではわかっている。それはとても虚しいこと。酒をかっくらうネズミスの前に、「自分たちの星を侵略者から守ってほしい」と奇妙な四人組が現れる。
どうせ新しい趣向のファンイベントだろうといい加減にあしらっていたネズミスだったが、営業の仕事を断れる立場ではなく、言われるままに四人組に同行したところ、かれらの話がまごうことなき真実であることを知る。
かれらサーミアン星人にはフィクションという概念がなく、ネズミスらの番組を歴史ドキュメンタリーと勘違いして、タガート艦長とそのクルーこそ真の英雄であり、未曾有の危機から自分たちを救い出してくれる救世主だと思いこんでいたのだ。そんなずれたところのあるサーミアン星人だったけれど、その科学力ははるかに地球人を上回り、SF的空想の産物でしかなかったはずのギャラクシー・クエストの宇宙船は、細部まで見事に再現されていた。かくてネズミスは、クルーを演じた役者仲間に声をかけ、共にサーミアン星人の宇宙船に乗り組むのだが。
というお話であります。
この映画、好き。おばか映画のおばかっぷりが楽しい、っていうのもあるけど、それ以上に、とっても優しい映画だから。なぜと言うに、逼塞感に苦しんでいたひとが自信を取り戻せたり、まじめに頑張ってきたひとが報われたりする話だから。
一番目につくのはやはり、「過去の栄光にしがみつくしかない売れない役者たち」の哀感です。
や、それを言うなら、そもそもアメリカのショービズ界では、TVショーのレギュラーを獲得するというだけで大変なことだし、その番組がヒットする確率なんてほんとに低いわけだし、ましてやその番組がファンに愛されて放映回数を重ねるなんて稀と言っていい事例なわけだし、さらにその上、番組終了後も忘れられることなくファンにずっと愛されるなんて、ほんとにこの上ない奇跡のようなもので、そういう体験ができたとしたら、役者として役者冥利につきたっていいはずなんだけど、実際なかなかそうはいかない、人間だもの。
いまの自分。役者としての自分の真価。そういうものをこそ評価してほしいと思ってしまえば、いつも熱狂的に迎えてくれるファンの姿も虚しい。
特に、ドクター・ラザラス役のアレクサンダー・デイン(アラン・リックマン)は、英国人のシェークスピア役者である自分に誇りをもっている。5回のカーテンコールをもらった過去の栄光が忘れられない。来る日も来る日もヘンテコなトカゲメイクをさせられて、滑稽な「決め台詞」を吐かせられるのがたまらない。
マディソン中尉役のグウェン・デマルコ(シガニー・ウィーバー)は、レギュラー出演者の中ではファンサービスと割り切って、ファンを大事にしている方ではあるけれど、それにしたって、若い頃演じた「中身のない」キャラクターをいつまでも引きずるのは辛いものがある。
ラレド役のトミー・ウェバー(ダリル・ミッチェル)に至っては、番組が放映されてたときは、声変わりもまだの子ども時代。いまだにラレド役でしか認識されてないなんて、役者としての将来はなんだか終わっちゃった感じ。技術主任チェン役のフレッド・クワン(トニー・シャルーブ)は、そんな現実を淡々と受け止めているかに見えるけど、その倦怠感は押して知るべし。
中でただひとり、チョイ役死に役でちょこちょこ出演させてはもらったけれど、役名すらもらえたことのなかったガイ・フリーグマン(サム・ロックウェル)だけは、ほかのレギュラーメンバーの仕事がまぶしく見える。自分もあそこに同列に並びたいという憧れがある。それもこれも、完全燃焼していないから。届かなかった夢は、輝きを失わない。
そんなかれらが、ですよ、実際に危急存亡の局面にある善良な異星人たちのために、芝居なんかじゃなく、ほんとうに命をかけて知力を尽くして闘うことになるのですから、その体験がいかにかれらに自信と自尊心と生きる気概を取り戻させることができたことか。ああ、おれだって、やればできる、ほんとうに必要とされることができるんだ、って思えることは、どれほどの胸の高揚をもたらしたことか。表面だけサラッと眺めれば、手垢のついたガジェットやプロットを並べた馬鹿馬鹿しいにもほどがある話にしか見えないかもしれないけれど(この映画に関しては、その手の批判がとても多いです。なんか、嫌いなひとは大嫌いな映画みたい(汗))、そのくだらないイベントを通して、実際にはなにが描き出されているのか。
そうした目線で見つめれば、役者たちとサーミアン星人の「陳腐な」心の交流も、随分と暖かいものに思えてくるはず。見事「艦長」として戦いを戦いぬいた「タガート艦長」が、やりとげた充足感を胸に、自分にはリーダーシップがとれないと思いこんでいたサーミアン星人のマセザーに、きみこそ真のリーダーだ、と宇宙船の指揮権を引き渡す瞬間。自信喪失からすっかりひねくれていたアレクサンダー・デインが、かれが演じた「ドクター・ラザラス」を師と仰ぎ、父とすら思っていましたと告げるサーミアン星人のクエレックを見送る瞬間。そして、フレッド・クワンがかわいいサーミアン星人のラリアリとちゃっかり結ばれちゃう展開(笑)。こういうのがみんな、胸に暖かいのです。
ちなみに、ラリアリはクワンと共に地球に来て、めでたく映画化されることになった『ギャラクシー・クエスト』に出演しちゃったりするのだけど、役名がジェーン・ドウ(笑)。女性版身元不明死体のことを言う名前だけど、『ダーマ&グレッグ』のジェーンの苗字もドウなんだよね(笑)。
このサーミアン星人というひとたちは、生来ほんとに善良きわまりない人々なんです。なにしろ嘘という概念がないくらいですから、他人を出し抜いて悪さをしようなんて、考えつきもしない。そういうまじめ一方な人々が、一心に「英雄」と信じた人々に、決死の思いですがってみたら、ほんとにかれらが英雄的な活躍をしてくれて助けてくれたのですから、これまた心が暖かくなるのです。だって、ギャラクシー・クエストの役者たちが、ほんとにどうしようもないクズばっかり、という可能性だってあったわけでしょ? でも、そうではなかった。かれらは宇宙船のクルーなんかじゃなかったけれど、でも、自分にできる精一杯のことをして頑張ってくれたんだから。サーミアン星人の人々のためにも、まことにめでたい展開だったなぁ、と思うのです。まあ、途中で拷問されたり、仲間が死んだり、究めつけは故郷が破壊されたりと、ハードすぎる展開はありましたけれども(あそこまでしなくてもよかったような)。
そして最後に忘れちゃいけない、番組を支えたファンたちの存在です。
作りもののSFドラマに夢中になってる若者たちって、世間の風当たりはあんまり優しくないと思うんですが(というより、はっきりダメ人間レッテルを貼られちゃう場合の方が多いかも?)、なにが悪いの、と思いますね。特にこの番組のファンたちは(ということはつまり、スター・トレックのファンたちは、ということでもあるわけですが)、好きな番組に対する自分たちの興味を体系化して、一種の「学問(?)」みたいなところまで高めてる。オタク同士の繋がりではあっても、ちゃんと仲間を作り、ネットワークを構成し、意見を交換したりもしている。
ファンのひとり、ブランドン(ジャスティン・ロング)は、自分が世間からどう見られているか、っていう自覚はあるし、実際、作り話に熱中するなんて子どもっぽいよね、とは思っているんだけど、それでもやっぱり、夢中にならずにはいられない。科学的設定について考えれば考えるほど、これは実現可能なんじゃないかと思えてきたり。こういう子には、好きにやらせておけばいいと思うんだ。もしかしたらかれは、MITに進学してNASAのエンジニアになって、ほんとに外宇宙へと飛び立っていくかもしれないし、あるいは自らがクリエイターになって、第二のギャラクシー・クエストを生み出してくれるかもしれないし。
で、こういう「オタク」の少年がですよ、惹かれてやまない番組のヒーローから、ほんとに無線通信を受け取ってしまったら? 「ぼくだってもちろん、ほんとじゃないことぐらいわかっているんです」と弁明しかける声にかぶせるようにして、「実はほんとうなんだよ!」ってヒーローが言ってくれたとしたら? ブランドンはすぐに、「そうだと思った!」って有頂天です。そこでウダウダ疑ったりはしないんです。なにしろ夢が叶った瞬間。その瞬間の躍るような心臓の鼓動が聞こえてきそうなシーンです。
えーと、で、この少年を演じたジャスティン・ロングですけど、10年経っても全然変わってないので大笑いです(笑)。ほんの子どもなのに、一発で、あ、ジャスティン、ってわかっちゃうものね。
あと、どうしても言っとかなくちゃ、と思うのが、シガニー・ウィーバーって、結構ナイスバディ(笑)。や、長身だし骨格はしっかりしているし、体格がいいのは知っていたけど、なんか痩せぎすのイメージがないですか、ウィーバーって? だけどこれが意外とグラマーなのよ(笑)。ほかの映画でももっと強調したらいいのにね。
そしてやっぱり、リックマン、サイコー(笑)。
1999年、ディーン・パリソット監督作品。
アラン・リックマン出演作です。
“ギャラクシー・クエスト”は、放映終了から18年も経つのに、いまだに熱狂的なファンを持つカルトSF番組。繰り返し再放送されるせいで、新しい若いファンも増え、毎年ファン集会が開かれていた。……というのは明らかに『スター・トレック』のパロディですけど、これもまた、愛にあふれたパロディです。パリソット監督って、よく知らないけど、トレッキアンなのかな。だったら楽しいけど、どうかな。
ファンの熱狂とは裏腹に、出演俳優たちは、番組終了後、役者としてのろくな仕事もなく、イベントで食いつなぐ冴えない日々。主役のタガート艦長役のマイケル・ネズミス(ティム・アレン)は、いまだに衰えない人気が「ネズミス個人の人気」であると思いこんでいるふりをして、目一杯つっぱってはいるのだけれど、実はファンが求めているものはあくまで「タガート艦長」であるにすぎない、ということが内心ではわかっている。それはとても虚しいこと。酒をかっくらうネズミスの前に、「自分たちの星を侵略者から守ってほしい」と奇妙な四人組が現れる。
どうせ新しい趣向のファンイベントだろうといい加減にあしらっていたネズミスだったが、営業の仕事を断れる立場ではなく、言われるままに四人組に同行したところ、かれらの話がまごうことなき真実であることを知る。
かれらサーミアン星人にはフィクションという概念がなく、ネズミスらの番組を歴史ドキュメンタリーと勘違いして、タガート艦長とそのクルーこそ真の英雄であり、未曾有の危機から自分たちを救い出してくれる救世主だと思いこんでいたのだ。そんなずれたところのあるサーミアン星人だったけれど、その科学力ははるかに地球人を上回り、SF的空想の産物でしかなかったはずのギャラクシー・クエストの宇宙船は、細部まで見事に再現されていた。かくてネズミスは、クルーを演じた役者仲間に声をかけ、共にサーミアン星人の宇宙船に乗り組むのだが。
というお話であります。
この映画、好き。おばか映画のおばかっぷりが楽しい、っていうのもあるけど、それ以上に、とっても優しい映画だから。なぜと言うに、逼塞感に苦しんでいたひとが自信を取り戻せたり、まじめに頑張ってきたひとが報われたりする話だから。
一番目につくのはやはり、「過去の栄光にしがみつくしかない売れない役者たち」の哀感です。
や、それを言うなら、そもそもアメリカのショービズ界では、TVショーのレギュラーを獲得するというだけで大変なことだし、その番組がヒットする確率なんてほんとに低いわけだし、ましてやその番組がファンに愛されて放映回数を重ねるなんて稀と言っていい事例なわけだし、さらにその上、番組終了後も忘れられることなくファンにずっと愛されるなんて、ほんとにこの上ない奇跡のようなもので、そういう体験ができたとしたら、役者として役者冥利につきたっていいはずなんだけど、実際なかなかそうはいかない、人間だもの。
いまの自分。役者としての自分の真価。そういうものをこそ評価してほしいと思ってしまえば、いつも熱狂的に迎えてくれるファンの姿も虚しい。
特に、ドクター・ラザラス役のアレクサンダー・デイン(アラン・リックマン)は、英国人のシェークスピア役者である自分に誇りをもっている。5回のカーテンコールをもらった過去の栄光が忘れられない。来る日も来る日もヘンテコなトカゲメイクをさせられて、滑稽な「決め台詞」を吐かせられるのがたまらない。
マディソン中尉役のグウェン・デマルコ(シガニー・ウィーバー)は、レギュラー出演者の中ではファンサービスと割り切って、ファンを大事にしている方ではあるけれど、それにしたって、若い頃演じた「中身のない」キャラクターをいつまでも引きずるのは辛いものがある。
ラレド役のトミー・ウェバー(ダリル・ミッチェル)に至っては、番組が放映されてたときは、声変わりもまだの子ども時代。いまだにラレド役でしか認識されてないなんて、役者としての将来はなんだか終わっちゃった感じ。技術主任チェン役のフレッド・クワン(トニー・シャルーブ)は、そんな現実を淡々と受け止めているかに見えるけど、その倦怠感は押して知るべし。
中でただひとり、チョイ役死に役でちょこちょこ出演させてはもらったけれど、役名すらもらえたことのなかったガイ・フリーグマン(サム・ロックウェル)だけは、ほかのレギュラーメンバーの仕事がまぶしく見える。自分もあそこに同列に並びたいという憧れがある。それもこれも、完全燃焼していないから。届かなかった夢は、輝きを失わない。
そんなかれらが、ですよ、実際に危急存亡の局面にある善良な異星人たちのために、芝居なんかじゃなく、ほんとうに命をかけて知力を尽くして闘うことになるのですから、その体験がいかにかれらに自信と自尊心と生きる気概を取り戻させることができたことか。ああ、おれだって、やればできる、ほんとうに必要とされることができるんだ、って思えることは、どれほどの胸の高揚をもたらしたことか。表面だけサラッと眺めれば、手垢のついたガジェットやプロットを並べた馬鹿馬鹿しいにもほどがある話にしか見えないかもしれないけれど(この映画に関しては、その手の批判がとても多いです。なんか、嫌いなひとは大嫌いな映画みたい(汗))、そのくだらないイベントを通して、実際にはなにが描き出されているのか。
そうした目線で見つめれば、役者たちとサーミアン星人の「陳腐な」心の交流も、随分と暖かいものに思えてくるはず。見事「艦長」として戦いを戦いぬいた「タガート艦長」が、やりとげた充足感を胸に、自分にはリーダーシップがとれないと思いこんでいたサーミアン星人のマセザーに、きみこそ真のリーダーだ、と宇宙船の指揮権を引き渡す瞬間。自信喪失からすっかりひねくれていたアレクサンダー・デインが、かれが演じた「ドクター・ラザラス」を師と仰ぎ、父とすら思っていましたと告げるサーミアン星人のクエレックを見送る瞬間。そして、フレッド・クワンがかわいいサーミアン星人のラリアリとちゃっかり結ばれちゃう展開(笑)。こういうのがみんな、胸に暖かいのです。
ちなみに、ラリアリはクワンと共に地球に来て、めでたく映画化されることになった『ギャラクシー・クエスト』に出演しちゃったりするのだけど、役名がジェーン・ドウ(笑)。女性版身元不明死体のことを言う名前だけど、『ダーマ&グレッグ』のジェーンの苗字もドウなんだよね(笑)。
このサーミアン星人というひとたちは、生来ほんとに善良きわまりない人々なんです。なにしろ嘘という概念がないくらいですから、他人を出し抜いて悪さをしようなんて、考えつきもしない。そういうまじめ一方な人々が、一心に「英雄」と信じた人々に、決死の思いですがってみたら、ほんとにかれらが英雄的な活躍をしてくれて助けてくれたのですから、これまた心が暖かくなるのです。だって、ギャラクシー・クエストの役者たちが、ほんとにどうしようもないクズばっかり、という可能性だってあったわけでしょ? でも、そうではなかった。かれらは宇宙船のクルーなんかじゃなかったけれど、でも、自分にできる精一杯のことをして頑張ってくれたんだから。サーミアン星人の人々のためにも、まことにめでたい展開だったなぁ、と思うのです。まあ、途中で拷問されたり、仲間が死んだり、究めつけは故郷が破壊されたりと、ハードすぎる展開はありましたけれども(あそこまでしなくてもよかったような)。
そして最後に忘れちゃいけない、番組を支えたファンたちの存在です。
作りもののSFドラマに夢中になってる若者たちって、世間の風当たりはあんまり優しくないと思うんですが(というより、はっきりダメ人間レッテルを貼られちゃう場合の方が多いかも?)、なにが悪いの、と思いますね。特にこの番組のファンたちは(ということはつまり、スター・トレックのファンたちは、ということでもあるわけですが)、好きな番組に対する自分たちの興味を体系化して、一種の「学問(?)」みたいなところまで高めてる。オタク同士の繋がりではあっても、ちゃんと仲間を作り、ネットワークを構成し、意見を交換したりもしている。
ファンのひとり、ブランドン(ジャスティン・ロング)は、自分が世間からどう見られているか、っていう自覚はあるし、実際、作り話に熱中するなんて子どもっぽいよね、とは思っているんだけど、それでもやっぱり、夢中にならずにはいられない。科学的設定について考えれば考えるほど、これは実現可能なんじゃないかと思えてきたり。こういう子には、好きにやらせておけばいいと思うんだ。もしかしたらかれは、MITに進学してNASAのエンジニアになって、ほんとに外宇宙へと飛び立っていくかもしれないし、あるいは自らがクリエイターになって、第二のギャラクシー・クエストを生み出してくれるかもしれないし。
で、こういう「オタク」の少年がですよ、惹かれてやまない番組のヒーローから、ほんとに無線通信を受け取ってしまったら? 「ぼくだってもちろん、ほんとじゃないことぐらいわかっているんです」と弁明しかける声にかぶせるようにして、「実はほんとうなんだよ!」ってヒーローが言ってくれたとしたら? ブランドンはすぐに、「そうだと思った!」って有頂天です。そこでウダウダ疑ったりはしないんです。なにしろ夢が叶った瞬間。その瞬間の躍るような心臓の鼓動が聞こえてきそうなシーンです。
えーと、で、この少年を演じたジャスティン・ロングですけど、10年経っても全然変わってないので大笑いです(笑)。ほんの子どもなのに、一発で、あ、ジャスティン、ってわかっちゃうものね。
あと、どうしても言っとかなくちゃ、と思うのが、シガニー・ウィーバーって、結構ナイスバディ(笑)。や、長身だし骨格はしっかりしているし、体格がいいのは知っていたけど、なんか痩せぎすのイメージがないですか、ウィーバーって? だけどこれが意外とグラマーなのよ(笑)。ほかの映画でももっと強調したらいいのにね。
そしてやっぱり、リックマン、サイコー(笑)。
by shirakian
| 2011-07-06 19:03
| 映画か行