2011年 04月 30日
エンジェル ウォーズ
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★ネタバレ注意★
ザック・スナイダー監督の最新作です。
なんかどうも、本国ではあんまり興行成績がふるわなかった模様。ザッキーの映画は、撮るのにすっごくお金がかかりそうだから、興行的にコケてしまうと、次が撮れるか心配ですね。
実はこの映画、わたしのIMAX初体験となりました。
いつものシネコンがIMAXを導入して、IMAXいいよーいいよーすごくいいよー、とすんごい宣伝してるので、それじゃ一度は体験しておくかな、と思ってたんですが、ザッキー監督のミラクルアメージングスーパーアクションならうってつけかも、と思って。
さすが画質も音響もクリアですね。いつもと同じ価格でどちらを選ぶかと訊かれたら、それは言うまでもなくこちらですが、いつもと倍の価格でとなると(料金は2000円。この日は通常なら1000円の会員割引デー)、ちょっと考えちゃいます。
観たコンテンツがこの映画だったせいかもしれませんが、あまりに細部までビンビンにクリアなので、CGの粗がちょこっと目に付いてしまったりしたし、デジタルクリアサウンドというのは、あまりにクリア過ぎるというか、音がひとつひとつ粒だって耳に突き刺さる感じで、わたしにはちょっとツラかったです。本来音といふものは、なんかもっとこう、空気と渾然一体となって鼓膜に染みとおってくるようなもんではないのかえ? ホッチだったら耳押さえてうずくまっちゃうよ(現在クリマイ・シーズン4鑑賞開始中。わかるひとにしかわからない話でごめんなさい(汗))。
しかしそれにしても、とんでもなく暗い内容の映画でした。
ベイビードール(エミリー・ブラウニング)の母親が、娘ふたりに財産の全てを残すと遺言して亡くなった。継父(ジェラルド・プランケット)は、遺産を横取りしようと、ベイビードールの妹(フレデリック・ド・ラコート)を殺し、からくも逃げ延びたベイビードールに妹殺しの罪を着せ、精神病院に送り込んでしまう。
この病院の看護師ブルー・ジョーンズ(オスカー・アイザック)は、継父から賄賂を受け取り、ベイビードールに通常の治療ではなく、「楽園」行き、すなわちロボトミー手術を行うことを約束する。
この病院には本来、ロボトミーを行う医師は常勤しておらず、「劇場」と呼ばれる空間における患者相互間の交流と、ベラ・ゴルスキー博士(カーラ・グギーノ)による、患者自身が己のトラウマ体験を演劇によって再現することにより克服していく心理療法とが治療の柱となっており、患者の少女たちには、日常的に性的暴行が行われていた。従って、この病院は劇中、少女たちがショーを披露し、春をひさぐ、娼館という形で描かれる。
物語は、ロボトミー手術が行われるまでの五日間、自身もまた性的虐待の被害者となりつつ、それでも必死に逃れようとあがくベイビードールの苦悶の心象風景が、あたかもゲーム画面のように繰り広げられていく流れが中心となります。それがすなわち、セーラー服とツインテールの美少女が、日本刀と拳銃片手にバッタバッタと敵をなぎ倒す痛快セクシーアクション、ということになるわけですが、うーみゅ、いくらIMAXの映像が凄くたって、そんなむごくて陰惨な話を観て楽しめと言われても(汗)。……まあ、そこは、割り切って楽しんだひとが勝ちですが。
以下、ネタバレしてるかと思いますので、ご注意ください。
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この物語で特徴的なのは、二組の姉妹と、ベイビードールの妄想世界の中で、少女たちに助言を与えるワイズマン(スコット・グレン)の存在です。
描くべき事柄に対して描き得るスペックが限られる映画にあっては、「無駄な」重複は極力行わないものです。にもかかわらず、なぜ姉妹が一組ではなく二組であったのかを考えると、ウロボロスの蛇のような絵柄が浮かび上がってきます。
姉妹の一組はスイートピー(アビー・コーニッシュ)とロケット(ジェナ・マローン)。姉妹が揃って同じ時期に同じ精神病院に収容されている不自然さが、まず観客の注意を喚起します。
姉のスイートピーは、社会不適応などではなく両親ともうまくやっていたにもかかわらず、不適応気味の妹につきあって入院してきたという説明。妹のために自分を犠牲にした姉、という図式が描けます。
一方妹のロケットは、姉に逃走のチャンスを与えるために命を落します。ここでは、姉のために自分を犠牲した妹、というシンメトリーな図式が描けます。
そしてもう一組の姉妹は、言うまでもなくベイビードールとその妹です。
ベイビードールは、自分の命は助かったのに、継父の魔手から妹を救えなかった姉です。すなわち、妹を犠牲にしてしまった姉、という図式が描けます。
一方妹の方は、自分が殺されてしまったがために、姉を犯罪者にしてしまった妹です。すなわち、姉を犠牲にしてしまった妹、というシンメトリーな図式が描けます。
二組の姉妹の関係はクッキリとしたネガポジ関係にあり、そしてその関係は、ラストで今度はベイビードールが我が身を犠牲にしてスイートピーを逃がす、という図式に収束していくのです。
あたかも物語の結び目のように。……蝶々結びの蝶々をほどくと蝶々はなくなる。では、なくなったのはだれだったのか? スイートピーなのかベイビードールなのか? 物語のほんとうの主人公は一体だれだったのか?
そこでヒントになるのが、スイートピーが最後に乗り込んだバスを運転していたのがワイズマンだったということです。ワイズマンがベイビードールに属する妄想の一部なら、スイートピーの「現実」の中にかれが現れるはずはない。であれば、ベイビードールとスイートピーは、少なくとも同一人物である可能性があるということです。
バスによる帰還は、あまたの戦場を戦いぬいた挙句、ロボトミー手術を施されて廃人になってしまったベイビードールの、妄想の帰結でした。しかし彼女にはバスに乗って帰るべき家はない。だからあのバスに乗るのは、ベイビードールではなくスイートピーでなければならなかった。
こうして見ると、スコット・グレンのワイズマンは、ベイビードールの実父だったのかな、と思います。ベイビードールの母親は、年の離れた夫と結婚し、死別してしまったのじゃないかな。父親が健在で母親も生きていて、まだ幸せだった時代の記憶の片鱗が、逃げ延びようとするベイビードールに助言を与え続けたのかもしれない。でも、かれはすでに死んでしまっているひとだったので、結局は「自助努力」を説くしかなかった(自ら手を差し伸べて少女を救い出すことはできなかった)。
やっぱり悲しすぎる物語だわ(>_<)。
ええと、最後にジョン・ハムですが、かれはベイビードールにロボトミー手術を施す医師です。ワルモノではなくて、お仕事なので適切にして必要と割り切ってやっているだけの普通のお医者さんなんですが、手術をしてしまってから、ベイビードールの瞳の中に手術への渇望を見て、違和感を覚え、戸惑いを示します。大変残念ですね。施術の前に疑問に思ってくれればよかったのにね。ハム氏のお医者さん、カッコよかったのにね。
ザック・スナイダー監督の最新作です。
なんかどうも、本国ではあんまり興行成績がふるわなかった模様。ザッキーの映画は、撮るのにすっごくお金がかかりそうだから、興行的にコケてしまうと、次が撮れるか心配ですね。
実はこの映画、わたしのIMAX初体験となりました。
いつものシネコンがIMAXを導入して、IMAXいいよーいいよーすごくいいよー、とすんごい宣伝してるので、それじゃ一度は体験しておくかな、と思ってたんですが、ザッキー監督のミラクルアメージングスーパーアクションならうってつけかも、と思って。
さすが画質も音響もクリアですね。いつもと同じ価格でどちらを選ぶかと訊かれたら、それは言うまでもなくこちらですが、いつもと倍の価格でとなると(料金は2000円。この日は通常なら1000円の会員割引デー)、ちょっと考えちゃいます。
観たコンテンツがこの映画だったせいかもしれませんが、あまりに細部までビンビンにクリアなので、CGの粗がちょこっと目に付いてしまったりしたし、デジタルクリアサウンドというのは、あまりにクリア過ぎるというか、音がひとつひとつ粒だって耳に突き刺さる感じで、わたしにはちょっとツラかったです。本来音といふものは、なんかもっとこう、空気と渾然一体となって鼓膜に染みとおってくるようなもんではないのかえ? ホッチだったら耳押さえてうずくまっちゃうよ(現在クリマイ・シーズン4鑑賞開始中。わかるひとにしかわからない話でごめんなさい(汗))。
しかしそれにしても、とんでもなく暗い内容の映画でした。
ベイビードール(エミリー・ブラウニング)の母親が、娘ふたりに財産の全てを残すと遺言して亡くなった。継父(ジェラルド・プランケット)は、遺産を横取りしようと、ベイビードールの妹(フレデリック・ド・ラコート)を殺し、からくも逃げ延びたベイビードールに妹殺しの罪を着せ、精神病院に送り込んでしまう。
この病院の看護師ブルー・ジョーンズ(オスカー・アイザック)は、継父から賄賂を受け取り、ベイビードールに通常の治療ではなく、「楽園」行き、すなわちロボトミー手術を行うことを約束する。
この病院には本来、ロボトミーを行う医師は常勤しておらず、「劇場」と呼ばれる空間における患者相互間の交流と、ベラ・ゴルスキー博士(カーラ・グギーノ)による、患者自身が己のトラウマ体験を演劇によって再現することにより克服していく心理療法とが治療の柱となっており、患者の少女たちには、日常的に性的暴行が行われていた。従って、この病院は劇中、少女たちがショーを披露し、春をひさぐ、娼館という形で描かれる。
物語は、ロボトミー手術が行われるまでの五日間、自身もまた性的虐待の被害者となりつつ、それでも必死に逃れようとあがくベイビードールの苦悶の心象風景が、あたかもゲーム画面のように繰り広げられていく流れが中心となります。それがすなわち、セーラー服とツインテールの美少女が、日本刀と拳銃片手にバッタバッタと敵をなぎ倒す痛快セクシーアクション、ということになるわけですが、うーみゅ、いくらIMAXの映像が凄くたって、そんなむごくて陰惨な話を観て楽しめと言われても(汗)。……まあ、そこは、割り切って楽しんだひとが勝ちですが。
以下、ネタバレしてるかと思いますので、ご注意ください。
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この物語で特徴的なのは、二組の姉妹と、ベイビードールの妄想世界の中で、少女たちに助言を与えるワイズマン(スコット・グレン)の存在です。
描くべき事柄に対して描き得るスペックが限られる映画にあっては、「無駄な」重複は極力行わないものです。にもかかわらず、なぜ姉妹が一組ではなく二組であったのかを考えると、ウロボロスの蛇のような絵柄が浮かび上がってきます。
姉妹の一組はスイートピー(アビー・コーニッシュ)とロケット(ジェナ・マローン)。姉妹が揃って同じ時期に同じ精神病院に収容されている不自然さが、まず観客の注意を喚起します。
姉のスイートピーは、社会不適応などではなく両親ともうまくやっていたにもかかわらず、不適応気味の妹につきあって入院してきたという説明。妹のために自分を犠牲にした姉、という図式が描けます。
一方妹のロケットは、姉に逃走のチャンスを与えるために命を落します。ここでは、姉のために自分を犠牲した妹、というシンメトリーな図式が描けます。
そしてもう一組の姉妹は、言うまでもなくベイビードールとその妹です。
ベイビードールは、自分の命は助かったのに、継父の魔手から妹を救えなかった姉です。すなわち、妹を犠牲にしてしまった姉、という図式が描けます。
一方妹の方は、自分が殺されてしまったがために、姉を犯罪者にしてしまった妹です。すなわち、姉を犠牲にしてしまった妹、というシンメトリーな図式が描けます。
二組の姉妹の関係はクッキリとしたネガポジ関係にあり、そしてその関係は、ラストで今度はベイビードールが我が身を犠牲にしてスイートピーを逃がす、という図式に収束していくのです。
あたかも物語の結び目のように。……蝶々結びの蝶々をほどくと蝶々はなくなる。では、なくなったのはだれだったのか? スイートピーなのかベイビードールなのか? 物語のほんとうの主人公は一体だれだったのか?
そこでヒントになるのが、スイートピーが最後に乗り込んだバスを運転していたのがワイズマンだったということです。ワイズマンがベイビードールに属する妄想の一部なら、スイートピーの「現実」の中にかれが現れるはずはない。であれば、ベイビードールとスイートピーは、少なくとも同一人物である可能性があるということです。
バスによる帰還は、あまたの戦場を戦いぬいた挙句、ロボトミー手術を施されて廃人になってしまったベイビードールの、妄想の帰結でした。しかし彼女にはバスに乗って帰るべき家はない。だからあのバスに乗るのは、ベイビードールではなくスイートピーでなければならなかった。
こうして見ると、スコット・グレンのワイズマンは、ベイビードールの実父だったのかな、と思います。ベイビードールの母親は、年の離れた夫と結婚し、死別してしまったのじゃないかな。父親が健在で母親も生きていて、まだ幸せだった時代の記憶の片鱗が、逃げ延びようとするベイビードールに助言を与え続けたのかもしれない。でも、かれはすでに死んでしまっているひとだったので、結局は「自助努力」を説くしかなかった(自ら手を差し伸べて少女を救い出すことはできなかった)。
やっぱり悲しすぎる物語だわ(>_<)。
ええと、最後にジョン・ハムですが、かれはベイビードールにロボトミー手術を施す医師です。ワルモノではなくて、お仕事なので適切にして必要と割り切ってやっているだけの普通のお医者さんなんですが、手術をしてしまってから、ベイビードールの瞳の中に手術への渇望を見て、違和感を覚え、戸惑いを示します。大変残念ですね。施術の前に疑問に思ってくれればよかったのにね。ハム氏のお医者さん、カッコよかったのにね。
by shirakian
| 2011-04-30 19:09
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