2011年 04月 07日
再会の食卓
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★ネタバレ注意★
ベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀脚本賞)を受賞した中国の映画です。ワン・チュアンアン監督。
思想信条の対立から、同じ中国人の間で過酷な殺しあいが展開された国共内戦は、1949年に共産党による中華人民共和国が成立した一方、国民党を率いる蒋介石が台湾に退却したことを機に、一応の終結をみました。
しかし、それ以来台湾では、対大陸対共産党への潜在的交戦状態が続き、1987年に解除されるまで、40年もの間戒厳令がしかれてきました。
蒋介石と共に台湾に逃れた国民党軍の兵士たちは、戒厳令が続く間、大陸に戻ることは叶いませんでした。もちろん、共産党が支配する大陸から台湾を訪問することなど、夢にもありえません。家族と生き別れになった多くの兵士と、その家族たちは、40年の間、再会を果たすことはできなかったのです。そしてようやく戒厳令が解除され、元国民党軍兵士らに、大陸への帰郷許可がおりました。この映画はそうした時代背景のもとに描かれています。
元国民党軍兵士のリゥ・イェンション(劉燕生、リン・フォン)もまた、40年振りの故郷訪問を果たそうとする者のひとりでした。かれは、できることなら上海で暮らす生き別れになった妻のユィアー(玉娥、リサ・ルー)を台湾に連れ帰りたいと思っていたのです。しかしユィアーはすでにルー・シャンミン(陸善民、シュー・ツァイゲン)と再婚していました。シャンミンは、戦後の混乱期にひとりで路頭に迷っていたユィアーを保護し、イェンションの子どもを身ごもっていた彼女と一緒になってくれた好人物であり、しかも、元共産党軍の兵士でもありました。
イェンションの来訪に、ユィアーの家族たちは揺れました。イェンションの血をひく長男は、自分を棄てた父親への反発から頑なに口を閉ざし、シャンミンとの間に生まれた娘たちは、父親の立場を思ってイェンションに対し、あからさまな拒絶を示します。
しかし面白いのが当のユィアーとシャンミンの態度です。たぶん、このふたりの反応は、西欧的価値観や、日本的感覚からのみ見ると、およそ理解できない不可解なものに映るのではないかと思います。
まずユィアーですが、たった1年しか一緒に暮らしたことのない、40年間会うこともなかったイェンションに、夫を棄て子どもたちを棄て生まれ故郷の上海を棄てて共に台湾に行こうと誘われると、あっさり首肯するのです。
そんな彼女の態度を見ると、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの短編、『男たちの知らない女』を思い出してしまいます。
男女4人を乗せた小型機が、ユカタン半島のマングローブの砂洲に不時着する。女ふたりは母娘、男ふたりはパイロットと語り部の中年男。なんとか脱出を試みようとする4人の前に、エイリアンが現れる。ふたりの女は、男ふたりの制止を振りきり、何の躊躇もなくエイリアンと旅立っていく、というお話。(多くの)女たちには密やかな共感を、(全ての)男たちには、女たちが心の底で何を感じ、何を待ちわび、何を計画しているのか、男たちはほんとうのところ、何ひとつわかっていないのだ、というそこ知れぬ恐怖を与えた問題作です。女にとって男とはエイリアンよりも遠い存在である、という命題は、発表当時、激しいフェミニズムの論争を巻き起こしました。
という小説を想起させるくらい、ユィアーの思考回路というか行動規範というか、それはなんとなく不気味で怖い。しかし、同時にまた、それを受けた夫のシャンミンの行動もまた、同じくすんなりとは理解も納得もできにくいものです。シャンミンは、長年連れ添った妻を連れて行きたいと言い出したストレンジャーに対し、満面の笑顔で、どうぞどうぞと快諾するのです。
この反応を、シャンミンの善良性や、ユィアーへの愛情という問題で考えると、いくらなんでもわけがわからない。これはやはり(中国人特有の)メンツの問題なのだと思う。
元共産党軍兵士であるシャンミンは、元国民党軍兵士であるイェンションに対し、あくまで自分の方が「よい」ことを示さなければならない強迫観念じみたものがあったと思う。あの戦争に於いては自分たちの思想の方がよかった、自分たちの戦略の方がよかった、自分たちの武器の方がよかった、だから自分たちは勝利したのだし、勝利した自分たちは「よりよい」ものである。自分たち(あるいは自分)の「よさ」を示すためには、度量の大きさを示さなければなりません。妻を連れていきたいと言うのなら、心中お察しいたしますと言うしかないのです。また、80年代の時点では、まだまだ経済上では台湾に立ち後れていた上海の人間としては、台湾よりも上海のほうが「よい」という主張も込めなければなりませんでした。全てはメンツの問題だったのです。
そうして見れば、シャンミンを演じるシュー・ツァイゲンの演技は(そして、同世代のメインキャラクターであるリサ・ルーとリン・フォンの演技も)、時代劇のそれを思わせるものです。仕種や発言や感情表現に、ある種の様式がある。
物語としては、結局、ユィアーに対する本音を押さえかねたシャンミンが過度の飲酒の結果、脳梗塞の発作を起こし、半身不随になったことをきっかけに、ユィアーはイェンションをあきらめ、上海に留まるという(穏当な)選択になるのですが、その過程で、いままでぬらぬらとしたウナギを掴もうとするがごとく捉えどころがなく感じられた三人の生身の人間の(中でも特にシャンミンの)、「感情」が伝わってくる展開になります。
ここにいたってようやく、この映画は「愛」を語り出すのです。
あなたには「感謝」しているけれど、イェンションのことは「愛して」いる、とユィアーに告げられたシャンミンの心は、体面などかなぐりすてた本音の部分でしくしくと痛むのです。40年連れ添った自分が一度も耳にしたことのない妻が歌う歌を、たった一年生活を共にしていただけのイェンションが知っていてかつ好きだった、と言うのを聞くに及んで、シャンミンはまことの自分の感情に向き会うことになるのです。だから、台湾に帰国するイェンションを送るための三人の最後の晩餐は、いままでいくつも映し出されてきた食事風景とは趣のちがうものになる。そして、この三人の最後の晩餐が描かれてしまった上は、その後に家族総出で行われようとした送別の宴が、雨で流れてしまうという演出になるのも必然なのです。
なるほど評価される脚本の映画だ、と納得するわけですが、ひとつだけどうしても気になることがありました。
それは、時代考証に対するものすごい甘さです。
こういう映画はやっぱり、時代をきちんと表現することが大事だと思うのだけど、そしてこの映画は、まちがいなく80年代を舞台に描かれているものだと思うのだけど(そうではなく、現代が舞台なのだとすると、全くニュアンスのちがう物語になってしまう。40年間待ち焦がれた再会を、ようやく果たすべく故郷の街に飛んで帰った男、というのが成り立たなくなります。帰れるようになってからも尚20年も放置していたとあっては)、80年代の上海を描くという努力が全くなされていないばかりか、なぜかなぜか、リニアモーターカーの存在が強調されているんだ(汗)。
上海のリニアモーターカーが世界初の商業磁気浮上式鉄道として開通したのは、2002年のことです。あるものを映さない努力をするならまだしも、存在を強調する(登場人物がそれに乗っているシーンまでわざわざ挿入されている)のはどういことだろう。タイアップ契約でもあったんだろうか(汗)。
単に、時代考証上、80年代を正確に再現することが重要だったはずなのに、というのみに留まらず、80年代の、まだ経済的には台湾に及ばなかった上海と、現在の、台湾をはるかに凌駕してしまった上海とでは、両者の感情的優劣がまるでちがってくると思うので、非常に大事なポイントだと思うのですが。
そう言えば、元国民党軍兵士を歓迎するために、地区共産党支部主催によるバスツアーが行われるシーンがあるのだけど、この演出が凄い。ここでは一応80年代上海にこだわったのかしら、映ってはいけないものを映さないために、バスガイドの解説と乗客のリアクションのみで、上海の街を描くシーンが構成されているのであります。いまどきどこのバラエティ・コントかと思ってしまいます。
結局、この映画で一番面白かったのは、言語のミックスであろうかと思います。全編ほぼ上海語で撮られているのですね。一体、観客のターゲットはどういうことになっているのだろうと気になってしまうのだけど、はじめから海外狙いだったのかな。
で、そのほとんどが上海語の映画の中でただひとり、故郷を離れて40年のイェンションだけが、上海語を忘れ果ててしまっているという設定。忘れ果てたとは言っても、それは喋ることができなくなっているだけで、聞き取りの方は今でもまだできるので、人々の会話は、片や上海語で喋り、片や北京語で喋るも、両者それで通じあえてしまっているという、なんとも不思議な感じで成り立っているのであります(身内同士の日常会話では上海語を喋る上海のひとたちは、もちろん母国語の標準語である北京語は普通に理解できる。現に、劇中でも公共の場で聞こえてくる言葉は北京語です)。この独特のコミュニケーション形態が、すごく面白く感じられたのでした。
ベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀脚本賞)を受賞した中国の映画です。ワン・チュアンアン監督。
思想信条の対立から、同じ中国人の間で過酷な殺しあいが展開された国共内戦は、1949年に共産党による中華人民共和国が成立した一方、国民党を率いる蒋介石が台湾に退却したことを機に、一応の終結をみました。
しかし、それ以来台湾では、対大陸対共産党への潜在的交戦状態が続き、1987年に解除されるまで、40年もの間戒厳令がしかれてきました。
蒋介石と共に台湾に逃れた国民党軍の兵士たちは、戒厳令が続く間、大陸に戻ることは叶いませんでした。もちろん、共産党が支配する大陸から台湾を訪問することなど、夢にもありえません。家族と生き別れになった多くの兵士と、その家族たちは、40年の間、再会を果たすことはできなかったのです。そしてようやく戒厳令が解除され、元国民党軍兵士らに、大陸への帰郷許可がおりました。この映画はそうした時代背景のもとに描かれています。
元国民党軍兵士のリゥ・イェンション(劉燕生、リン・フォン)もまた、40年振りの故郷訪問を果たそうとする者のひとりでした。かれは、できることなら上海で暮らす生き別れになった妻のユィアー(玉娥、リサ・ルー)を台湾に連れ帰りたいと思っていたのです。しかしユィアーはすでにルー・シャンミン(陸善民、シュー・ツァイゲン)と再婚していました。シャンミンは、戦後の混乱期にひとりで路頭に迷っていたユィアーを保護し、イェンションの子どもを身ごもっていた彼女と一緒になってくれた好人物であり、しかも、元共産党軍の兵士でもありました。
イェンションの来訪に、ユィアーの家族たちは揺れました。イェンションの血をひく長男は、自分を棄てた父親への反発から頑なに口を閉ざし、シャンミンとの間に生まれた娘たちは、父親の立場を思ってイェンションに対し、あからさまな拒絶を示します。
しかし面白いのが当のユィアーとシャンミンの態度です。たぶん、このふたりの反応は、西欧的価値観や、日本的感覚からのみ見ると、およそ理解できない不可解なものに映るのではないかと思います。
まずユィアーですが、たった1年しか一緒に暮らしたことのない、40年間会うこともなかったイェンションに、夫を棄て子どもたちを棄て生まれ故郷の上海を棄てて共に台湾に行こうと誘われると、あっさり首肯するのです。
そんな彼女の態度を見ると、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの短編、『男たちの知らない女』を思い出してしまいます。
男女4人を乗せた小型機が、ユカタン半島のマングローブの砂洲に不時着する。女ふたりは母娘、男ふたりはパイロットと語り部の中年男。なんとか脱出を試みようとする4人の前に、エイリアンが現れる。ふたりの女は、男ふたりの制止を振りきり、何の躊躇もなくエイリアンと旅立っていく、というお話。(多くの)女たちには密やかな共感を、(全ての)男たちには、女たちが心の底で何を感じ、何を待ちわび、何を計画しているのか、男たちはほんとうのところ、何ひとつわかっていないのだ、というそこ知れぬ恐怖を与えた問題作です。女にとって男とはエイリアンよりも遠い存在である、という命題は、発表当時、激しいフェミニズムの論争を巻き起こしました。
という小説を想起させるくらい、ユィアーの思考回路というか行動規範というか、それはなんとなく不気味で怖い。しかし、同時にまた、それを受けた夫のシャンミンの行動もまた、同じくすんなりとは理解も納得もできにくいものです。シャンミンは、長年連れ添った妻を連れて行きたいと言い出したストレンジャーに対し、満面の笑顔で、どうぞどうぞと快諾するのです。
この反応を、シャンミンの善良性や、ユィアーへの愛情という問題で考えると、いくらなんでもわけがわからない。これはやはり(中国人特有の)メンツの問題なのだと思う。
元共産党軍兵士であるシャンミンは、元国民党軍兵士であるイェンションに対し、あくまで自分の方が「よい」ことを示さなければならない強迫観念じみたものがあったと思う。あの戦争に於いては自分たちの思想の方がよかった、自分たちの戦略の方がよかった、自分たちの武器の方がよかった、だから自分たちは勝利したのだし、勝利した自分たちは「よりよい」ものである。自分たち(あるいは自分)の「よさ」を示すためには、度量の大きさを示さなければなりません。妻を連れていきたいと言うのなら、心中お察しいたしますと言うしかないのです。また、80年代の時点では、まだまだ経済上では台湾に立ち後れていた上海の人間としては、台湾よりも上海のほうが「よい」という主張も込めなければなりませんでした。全てはメンツの問題だったのです。
そうして見れば、シャンミンを演じるシュー・ツァイゲンの演技は(そして、同世代のメインキャラクターであるリサ・ルーとリン・フォンの演技も)、時代劇のそれを思わせるものです。仕種や発言や感情表現に、ある種の様式がある。
物語としては、結局、ユィアーに対する本音を押さえかねたシャンミンが過度の飲酒の結果、脳梗塞の発作を起こし、半身不随になったことをきっかけに、ユィアーはイェンションをあきらめ、上海に留まるという(穏当な)選択になるのですが、その過程で、いままでぬらぬらとしたウナギを掴もうとするがごとく捉えどころがなく感じられた三人の生身の人間の(中でも特にシャンミンの)、「感情」が伝わってくる展開になります。
ここにいたってようやく、この映画は「愛」を語り出すのです。
あなたには「感謝」しているけれど、イェンションのことは「愛して」いる、とユィアーに告げられたシャンミンの心は、体面などかなぐりすてた本音の部分でしくしくと痛むのです。40年連れ添った自分が一度も耳にしたことのない妻が歌う歌を、たった一年生活を共にしていただけのイェンションが知っていてかつ好きだった、と言うのを聞くに及んで、シャンミンはまことの自分の感情に向き会うことになるのです。だから、台湾に帰国するイェンションを送るための三人の最後の晩餐は、いままでいくつも映し出されてきた食事風景とは趣のちがうものになる。そして、この三人の最後の晩餐が描かれてしまった上は、その後に家族総出で行われようとした送別の宴が、雨で流れてしまうという演出になるのも必然なのです。
なるほど評価される脚本の映画だ、と納得するわけですが、ひとつだけどうしても気になることがありました。
それは、時代考証に対するものすごい甘さです。
こういう映画はやっぱり、時代をきちんと表現することが大事だと思うのだけど、そしてこの映画は、まちがいなく80年代を舞台に描かれているものだと思うのだけど(そうではなく、現代が舞台なのだとすると、全くニュアンスのちがう物語になってしまう。40年間待ち焦がれた再会を、ようやく果たすべく故郷の街に飛んで帰った男、というのが成り立たなくなります。帰れるようになってからも尚20年も放置していたとあっては)、80年代の上海を描くという努力が全くなされていないばかりか、なぜかなぜか、リニアモーターカーの存在が強調されているんだ(汗)。
上海のリニアモーターカーが世界初の商業磁気浮上式鉄道として開通したのは、2002年のことです。あるものを映さない努力をするならまだしも、存在を強調する(登場人物がそれに乗っているシーンまでわざわざ挿入されている)のはどういことだろう。タイアップ契約でもあったんだろうか(汗)。
単に、時代考証上、80年代を正確に再現することが重要だったはずなのに、というのみに留まらず、80年代の、まだ経済的には台湾に及ばなかった上海と、現在の、台湾をはるかに凌駕してしまった上海とでは、両者の感情的優劣がまるでちがってくると思うので、非常に大事なポイントだと思うのですが。
そう言えば、元国民党軍兵士を歓迎するために、地区共産党支部主催によるバスツアーが行われるシーンがあるのだけど、この演出が凄い。ここでは一応80年代上海にこだわったのかしら、映ってはいけないものを映さないために、バスガイドの解説と乗客のリアクションのみで、上海の街を描くシーンが構成されているのであります。いまどきどこのバラエティ・コントかと思ってしまいます。
結局、この映画で一番面白かったのは、言語のミックスであろうかと思います。全編ほぼ上海語で撮られているのですね。一体、観客のターゲットはどういうことになっているのだろうと気になってしまうのだけど、はじめから海外狙いだったのかな。
で、そのほとんどが上海語の映画の中でただひとり、故郷を離れて40年のイェンションだけが、上海語を忘れ果ててしまっているという設定。忘れ果てたとは言っても、それは喋ることができなくなっているだけで、聞き取りの方は今でもまだできるので、人々の会話は、片や上海語で喋り、片や北京語で喋るも、両者それで通じあえてしまっているという、なんとも不思議な感じで成り立っているのであります(身内同士の日常会話では上海語を喋る上海のひとたちは、もちろん母国語の標準語である北京語は普通に理解できる。現に、劇中でも公共の場で聞こえてくる言葉は北京語です)。この独特のコミュニケーション形態が、すごく面白く感じられたのでした。
by shirakian
| 2011-04-07 21:38
| 映画さ行