2011年 01月 30日
キック・アス
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★ネタバレ注意★
巷で話題のヒット・ガール、じゃない、キック・アス、観て来ましたYO!
と声を大にして報告したくなるほどの、話題作ですよね。一昔前の『スピード』のブームを思い出す。周りがあんまりわーわー騒ぐので、え、それ、観てなきゃいけないモンなの? と関口宏さんが困惑してたのを観た。(だからナニ?)。
なにしろ、ヒット・ガールことクロエ・グレース・モリッツの印象があまりにも鮮烈なので、この映画はむしろ、タイトルからしてヒット・ガールでいいんではないかと思いたくなるところではありますが、いやいや、とりあえずキック・アスこと普通の高校生、デイヴ・リゼウスキ(アーロン・ジョンソン)のお話なんでありますから、一旦落ち着いてデイヴにフォーカスしてみようじゃありませんか。
ニューヨークの高校に通うデイヴは、勉強もスポーツも得意じゃない、なんの取り柄もない男の子。ファッションセンスももちろんなくて、ダサイ眼鏡とぼさぼさのカーリー頭、唯一の特技は、「女の子の目には透明人間になれること」(笑)。
こんなんじゃイヤだ、ぼくだって華々しい高校生活を送りたい、女の子にだってもてたい、と、短絡的残念思考の行き着くさきが、自家製ヒーロー。ネット通販で手に入れたコスチュームをまとい、“キック・アス”を名乗り、この世の悪を成敗するために、街に繰り出したはいいけれど、もちろん、武術の訓練ひとつしたことのない、運動の苦手なオタク高校生には、巨悪はもとより、街のチンピラだって、どうにもできない。挙句、返り討ちにあってボコボコにされてしまう。
ところが、これが怪我の功名? あまりに酷くやられちゃったために、全身の骨に金属の補強を入れられ、痛みに対しても鈍感になってしまったデイヴは、懲りるどころか、益々張り切ってワルモノ退治にいそしむことに。やがてその活躍がインターネットで話題となり、キック・アスは一躍人気者に! デイヴの願望は意外にも満たされてしまったのだけど……。
という、デイヴのライン、わたしはとても愛しいものに思えます。女の子にもてたいという動機は、アメフトやったりバンドやったりするのと変わらない。そこがヒーローってとこが、ちょっとオツムの残念さを感じさせて残念なんだけど、それにしたって、「だれかが現に暴力の被害にあっているのに、黙って見過ごしていられるの?」という素朴な正義感に裏打ちされた行為なだけに、見守る観客は暖かい気持ちで応援してしまうのです。
手段は微妙だったけど、今まで一枚の幕に隔てられているかのように、手応えの感じられなかった高校生活にアクセスする道を見つけたかれが、充実したリアルと引き換えに、ヒーロー活動からはあっさり手をひく決意をするところも、妥当な帰着と思うのです。そしてまた、実際に手をひく前に、最後に一度だけ、本気でヒーローとして戦う花道が設けられているのも楽しい演出だと思うし、その戦いから逃げなかったデイヴは、マジでいいオトコだと思う。
第一、演じてるのがアーロン・ジョンソンですもん、どんなにダサイ眼鏡や髪型で誤魔化そうとも、スラリとカッコイイハンサムボーイですよ、うっかりアップになんかなっちゃったら、この子がもてないわけないぢゃん、って誰でも思うよ、きみはとってもステキだよ、さあ、自信をもって、リアルな社会でリアルな競争に伍していこう! って背中を押してあげたくなるよ。
デイヴには、オタク仲間ではあるけど、ちゃんと仲良しの友だちがいることも好もしいし、母親を亡くしてはしまっていても、父親に対して素直な態度で接しているところも好もしいし、かわいい彼女が出来たことも喜ばしいよ。これはデイヴの青春譜として、とても楽しい一編ですよ。
ところがそこに、ヒット・ガールの存在が。
ヒット・ガールことミンディは、アタマのいかれた父親ビッグ・ダディことデーモン(ニコラス・ケイジ)に、幼少時より殺人訓練を施された少女。登場シーンでも、防弾チョッキを身にまとい、実際に銃弾を受けてそのインパクトを体感する訓練をさせれている、つまり、父親に銃で撃たれている、というシーンなわけですよ、いきなり。
デーモンには、無実の罪を着せられて、妻を殺された、とか、かれなりの理由があったのかもしれないけど、そんなことどうでもいい。幼い子どもに殺しの手ほどきをするなんてこいつはサイコだ。しかも演じているのがニコラス・ケイジだ。いかにもサイコだ。
ヒット・ガールのアクションシーンが、単純に絵としてめちゃめちゃかっこよくて、小さな少女が大きな男たちをバッタバッタと殺していくさまに爽快感がある、というのが眼目なのでしょうけれども、そして、クロエちゃんは、ほんとにすっごくかっこよくてかわいくて、新たな戦闘ヒロインの誕生だ! と胸が熱くなるところではあるんだけれども、彼女の背景がこれだけはっきりと描かれてしまっていると、そんな無責任に、美少女戦士! とか浮かれてもいられないです。やっぱ、虐待です(>_<)。
お誕生日のプレゼントにバタフライナイフをほしがる女の子? いいけど。全ての少女がお人形が好きなわけじゃなし。でも、ミンディには、そもそもお人形と遊んだ経験がないのよ。やっぱ、不憫だ。父親の都合で、同世代の社会から全く隔絶されて、歪んだ価値観を押し付けられて育てられるだなんて、親のエゴの一番おぞましい部分が戯画化されておるじゃないですか。
この映画のミンディは、『ザ・ロード』のコディ・スミット=マクフィーとほぼ同世代で、同じく男手ひとつで育てられた子どもであるわけだけど、コディくんの方が、徹底的に庇護され、銃すら使えない子どもだったことと、対照的ですね。あの情況なら、むしろコディくんには戦闘訓練が必要だったのでは? と思うので、父親が交代してればよかった。
イカレ・ダディのリベンジターゲットは、マフィアのドン、フランク・ダミコことマーク・ストロングなんですけど、冷酷な悪人を生き生きと演じるストロングの、スーツ姿の様になること。ここ近年のスーツ男子選手権で、上位争いまちがいなしなのは、このマーク・ストロングと、コリン・“シングルマン”・ファースですね。
や、えっと、そんなことはともかく、マフィアが冷酷で暴力的なのは当然なので、ちっとも問題じゃないんですけど、その暴力が、幼いクロエ・モリッツに対して容赦なく向けられると、やっぱり嫌ぁな気持ちになります。長身のストロングが、小さなクロエちゃんを力いっぱいぶん殴るシーンなんて、その後の返り討ちにされるカタルシスを思っても、やはり観るに耐えないと思うのです。
庵子さん、庵子さん、これって、そういう映画じゃないから、虐待とかそういうこと言うべき映画じゃないから、って言われても仕方ないわけで、この物語はそもそも、今まで脈々と語り継がれてきたアメリカン・ヒーローもの(あるいは、自警団といった存在)の系譜の上に成り立っているわけであり、かつ、それに対する愛情をこめた風刺が満載な、しかもコメディ作品であるわけなんだから、それを理解した上で、そうした作品を観るにふさわしい鑑賞態度ってもんがあるでしょうよ、ということはわかるのだけど、それでもやっぱり、ヒーローになろうとしたデイヴの青春譜に、あそこまで凄惨な殺人をからめてはほしくなかったし、幼い女の子のミンディの手が、血に染まるとこなんか観たくなかった。
かっこいい美少女戦士の活躍を存分に楽しむためには、クロエちゃんはいっそ、クロエ星からやってきた愛の戦士クロエ星人、とかいう設定だった方がまだマシだったっす。
巷で話題のヒット・ガール、じゃない、キック・アス、観て来ましたYO!
と声を大にして報告したくなるほどの、話題作ですよね。一昔前の『スピード』のブームを思い出す。周りがあんまりわーわー騒ぐので、え、それ、観てなきゃいけないモンなの? と関口宏さんが困惑してたのを観た。(だからナニ?)。
なにしろ、ヒット・ガールことクロエ・グレース・モリッツの印象があまりにも鮮烈なので、この映画はむしろ、タイトルからしてヒット・ガールでいいんではないかと思いたくなるところではありますが、いやいや、とりあえずキック・アスこと普通の高校生、デイヴ・リゼウスキ(アーロン・ジョンソン)のお話なんでありますから、一旦落ち着いてデイヴにフォーカスしてみようじゃありませんか。
ニューヨークの高校に通うデイヴは、勉強もスポーツも得意じゃない、なんの取り柄もない男の子。ファッションセンスももちろんなくて、ダサイ眼鏡とぼさぼさのカーリー頭、唯一の特技は、「女の子の目には透明人間になれること」(笑)。
こんなんじゃイヤだ、ぼくだって華々しい高校生活を送りたい、女の子にだってもてたい、と、短絡的残念思考の行き着くさきが、自家製ヒーロー。ネット通販で手に入れたコスチュームをまとい、“キック・アス”を名乗り、この世の悪を成敗するために、街に繰り出したはいいけれど、もちろん、武術の訓練ひとつしたことのない、運動の苦手なオタク高校生には、巨悪はもとより、街のチンピラだって、どうにもできない。挙句、返り討ちにあってボコボコにされてしまう。
ところが、これが怪我の功名? あまりに酷くやられちゃったために、全身の骨に金属の補強を入れられ、痛みに対しても鈍感になってしまったデイヴは、懲りるどころか、益々張り切ってワルモノ退治にいそしむことに。やがてその活躍がインターネットで話題となり、キック・アスは一躍人気者に! デイヴの願望は意外にも満たされてしまったのだけど……。
という、デイヴのライン、わたしはとても愛しいものに思えます。女の子にもてたいという動機は、アメフトやったりバンドやったりするのと変わらない。そこがヒーローってとこが、ちょっとオツムの残念さを感じさせて残念なんだけど、それにしたって、「だれかが現に暴力の被害にあっているのに、黙って見過ごしていられるの?」という素朴な正義感に裏打ちされた行為なだけに、見守る観客は暖かい気持ちで応援してしまうのです。
手段は微妙だったけど、今まで一枚の幕に隔てられているかのように、手応えの感じられなかった高校生活にアクセスする道を見つけたかれが、充実したリアルと引き換えに、ヒーロー活動からはあっさり手をひく決意をするところも、妥当な帰着と思うのです。そしてまた、実際に手をひく前に、最後に一度だけ、本気でヒーローとして戦う花道が設けられているのも楽しい演出だと思うし、その戦いから逃げなかったデイヴは、マジでいいオトコだと思う。
第一、演じてるのがアーロン・ジョンソンですもん、どんなにダサイ眼鏡や髪型で誤魔化そうとも、スラリとカッコイイハンサムボーイですよ、うっかりアップになんかなっちゃったら、この子がもてないわけないぢゃん、って誰でも思うよ、きみはとってもステキだよ、さあ、自信をもって、リアルな社会でリアルな競争に伍していこう! って背中を押してあげたくなるよ。
デイヴには、オタク仲間ではあるけど、ちゃんと仲良しの友だちがいることも好もしいし、母親を亡くしてはしまっていても、父親に対して素直な態度で接しているところも好もしいし、かわいい彼女が出来たことも喜ばしいよ。これはデイヴの青春譜として、とても楽しい一編ですよ。
ところがそこに、ヒット・ガールの存在が。
ヒット・ガールことミンディは、アタマのいかれた父親ビッグ・ダディことデーモン(ニコラス・ケイジ)に、幼少時より殺人訓練を施された少女。登場シーンでも、防弾チョッキを身にまとい、実際に銃弾を受けてそのインパクトを体感する訓練をさせれている、つまり、父親に銃で撃たれている、というシーンなわけですよ、いきなり。
デーモンには、無実の罪を着せられて、妻を殺された、とか、かれなりの理由があったのかもしれないけど、そんなことどうでもいい。幼い子どもに殺しの手ほどきをするなんてこいつはサイコだ。しかも演じているのがニコラス・ケイジだ。いかにもサイコだ。
ヒット・ガールのアクションシーンが、単純に絵としてめちゃめちゃかっこよくて、小さな少女が大きな男たちをバッタバッタと殺していくさまに爽快感がある、というのが眼目なのでしょうけれども、そして、クロエちゃんは、ほんとにすっごくかっこよくてかわいくて、新たな戦闘ヒロインの誕生だ! と胸が熱くなるところではあるんだけれども、彼女の背景がこれだけはっきりと描かれてしまっていると、そんな無責任に、美少女戦士! とか浮かれてもいられないです。やっぱ、虐待です(>_<)。
お誕生日のプレゼントにバタフライナイフをほしがる女の子? いいけど。全ての少女がお人形が好きなわけじゃなし。でも、ミンディには、そもそもお人形と遊んだ経験がないのよ。やっぱ、不憫だ。父親の都合で、同世代の社会から全く隔絶されて、歪んだ価値観を押し付けられて育てられるだなんて、親のエゴの一番おぞましい部分が戯画化されておるじゃないですか。
この映画のミンディは、『ザ・ロード』のコディ・スミット=マクフィーとほぼ同世代で、同じく男手ひとつで育てられた子どもであるわけだけど、コディくんの方が、徹底的に庇護され、銃すら使えない子どもだったことと、対照的ですね。あの情況なら、むしろコディくんには戦闘訓練が必要だったのでは? と思うので、父親が交代してればよかった。
イカレ・ダディのリベンジターゲットは、マフィアのドン、フランク・ダミコことマーク・ストロングなんですけど、冷酷な悪人を生き生きと演じるストロングの、スーツ姿の様になること。ここ近年のスーツ男子選手権で、上位争いまちがいなしなのは、このマーク・ストロングと、コリン・“シングルマン”・ファースですね。
や、えっと、そんなことはともかく、マフィアが冷酷で暴力的なのは当然なので、ちっとも問題じゃないんですけど、その暴力が、幼いクロエ・モリッツに対して容赦なく向けられると、やっぱり嫌ぁな気持ちになります。長身のストロングが、小さなクロエちゃんを力いっぱいぶん殴るシーンなんて、その後の返り討ちにされるカタルシスを思っても、やはり観るに耐えないと思うのです。
庵子さん、庵子さん、これって、そういう映画じゃないから、虐待とかそういうこと言うべき映画じゃないから、って言われても仕方ないわけで、この物語はそもそも、今まで脈々と語り継がれてきたアメリカン・ヒーローもの(あるいは、自警団といった存在)の系譜の上に成り立っているわけであり、かつ、それに対する愛情をこめた風刺が満載な、しかもコメディ作品であるわけなんだから、それを理解した上で、そうした作品を観るにふさわしい鑑賞態度ってもんがあるでしょうよ、ということはわかるのだけど、それでもやっぱり、ヒーローになろうとしたデイヴの青春譜に、あそこまで凄惨な殺人をからめてはほしくなかったし、幼い女の子のミンディの手が、血に染まるとこなんか観たくなかった。
かっこいい美少女戦士の活躍を存分に楽しむためには、クロエちゃんはいっそ、クロエ星からやってきた愛の戦士クロエ星人、とかいう設定だった方がまだマシだったっす。
by shirakian
| 2011-01-30 13:56
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