2010年 12月 26日
バーレスク
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★ネタバレ注意★
華やかでゴージャスな歌と踊りの饗宴!
サプライズはないですが、こじんまりとした、楽しい映画です。音楽のシーンは全てステージ上のパフォーマンスに限られているので、所謂ミュージカルではないかもしれませんが、全体に占める音楽シーンのボリュームを見れば、やっぱりこれはミュージカルだよね、と思います。
アイオワの田舎町からスターを夢見てロサンジェルスへとやって来たアリ(クリスティーナ・アギレラ)は、大都会での職探しに行き詰まったある日、偶然目にしたショー・クラブ“バーレスク”のステージに心を奪われ、強引にウェイトレスとしてもぐりこみ、ステージに立つチャンスを狙う。一方、“バーレスク”の経営者テス(シェール)は、借金のカタにクラブが人手に渡ろうとしており、舞台監督のショーン(スタンリー・トゥッチ)とともに、懸命の建て直しを図っていたが……、というオーソドックスな筋立て。
そのほか、“バーレスク”の土地を手に入れようと企む大富豪のブローカー、マーカスにエリック・デイン、“バーレスク”のバーテンで、強盗に全財産を持っていかれて路頭に迷うアリに部屋を提供してくれた心優しいジャックにカム・ジガンデイ、テスの元夫にして“バーレスク”の共同経営者にピーター・ギャラガー、アリが来るまで“バーレスク”ナンバーワンの踊り子だったニッキにクリスティン・ベルといった布陣です。
冒頭、アイオワのうらぶれたカフェで開店準備をしているウェイトレスのアギレラが、店をステージに見立ててひとりで歌うシーンから始まるのですが、ここでいきなり度肝を抜かれてしまいます。とにかくものすごくパワフルな声。あの華奢で小柄な身体の一体どこから、こんな声が出せるのでしょう。声質を言うなら、むしろ野太い感じ。電動自転車みたい、と思いました。こないだ、お古の電動自転車もらったんですけどね、あれって、最初の一漕ぎからぐいーんといきなり加速するですよ。アギレラの歌って、なんかそんな感じ。
この映画はとにかく、アギレラのためのプロモーションフィルムのような造りですから、彼女のパフォーマンスシーンが、手を変え品を変え次から次へと繰り出されていくので、アギレラ・ファンのひとにはたまらない映画だと思います。コンサートに行くみたいな楽しさを味わえると思う。
と、やや冷めた視線なのは、残念ながら、凄い歌い手さんだ、と思いはしたものの、一本調子にパワーで押してくる歌いっぷりが、あまりこちらの琴線に響かなかったのと、彼女の華奢な体格が、ドラマ部分では可憐な感じなんですが、ステージだとやっぱり貧相な印象に傾いてしまうので、キャサリン・ゼダ=ジョーンズやペネロペ・クルスみたいな豊満迫力バディがもたらす、天然自然の色香による至福の豊穣感からは程遠かったなぁ、と思ってしまったせいかしら。
あと、もひとつ言えば、これはアギレラが理由ではありませんが、ステージの演出の仕方も、センスがよかったり斬新だったり度肝をぬくほどアクが強かったり、ということが全くなく、予定調和、予想の範囲内、金返せとはだれも言わないレベルではあっても、おおお、凄いステージを観た! と身体が震えるような感動はなかったな。曲はみんなよかったのだけど、どうも、演出が平板な印象。
その分、たった2曲しかなかったシェールの歌がイイです。
1曲は、“バーレスク”のテーマ曲で、ステージ用に演出されたシーンだったんですが、もう1曲なんて、スポットライトオンリーでバックダンサーも本人の踊りもない、疲れた深夜のリハーサルのシーンだったんですが、これが、この歌が、すばらしい。クラブを守ろうと奔走して、うまく行かず、ヘトヘトに疲れきったシェールの心情を吐露するような歌だったんだけど、まさにハラワタに染み入るようなパフォーマンスでした。
こんなにイイのに、なんで2曲しかなかったんだろうね、シェールの歌。シェールがパフォーマンスで鼻っ柱の強い新人を圧倒する、みたいなシーンがあってもよかったし(っていうか、むしろ絶対的に必要なシーンだったと思うのだけど)、せっかくだから、シェールとアギレラの新旧競演、みたいなシーンがあってもよかったのにね。とにかく、シェールの歌をもっと聞きたかったです。
全体的に人物描写がぬるいのも、映画に小粒感をもたらしていた要因なのかな、とも思ったり。
このテの類の映画は、とにかく一杯あるので、ひとによって思い浮かべる映画はちがうかもしれませんが、わたしは『ショーガール』(1995年、ポール・バーホーベン監督)を思い出してしまいました。
あっちは、なにしろ、バーホーベンですから、とにかくいやらしいほどアクが強い。過剰な暴力と過激なセックス、腹の底まで腐った邪悪なキャラクター。アメリカショービジネスの暗部をノリノリの露悪趣味で描いた、ラジー賞総なめの伝説の映画なんで、そんなもんと比べるなよ、と言われれば、そうですよねぇ、すみません、と思ってしまうんですが、でも、ほら、いかにも憎たらしかったカイル・マクラクランの悪役と比べて、この映画の悪役ポジションのマーカスなんて、ヒロインに食指を動かしながらも、阿漕な手段は一切使わず、どこの紳士倶楽部にご所属で? ってな感じだし、ライバルは容赦なく階段から付き転ばして大怪我をさせたあちらと比べて、こちらのニッキの妨害工作なんて、むしろアギレラにチャンスをあげたようなもんだったし、第一、シェール! 予告編の印象などから、オーナーのシェールは月影先生並みに怖いひとにちがいない、と思ってたのに、拍子抜けしちゃうぐらい甘くて優しいオカンのようなキャラだったので、アギレラとの葛藤なんてほとんど描かれることがなかったのが、かなり物足りなかったです。あれはやっぱ、もうひとふんばりして、アリに試練を与える描写がないと、アリが受け入れられた後のカタルシスに欠けてしまうと思うの。
そして、物語があまりにもヒロインにとって都合よくトントン拍子に進むので、ヒロインの人間性みたいなものがいまひとつ掴みにくく、ために、ヒロインの目指す「成功」が奈辺にあるのかがわからないので、ヒロインがあこがれのバーレスクであこがれていたシンガーとしての仕事を手にいれ、バーレスクの経営も安泰となり、一方で気のいいバーテンの恋人との関係も良好、という一見ハッピーエンドに見えるこのエンディングは、本当にハッピーエンドなんだろうか、と煮えきらないものを感じてしまいます。はたしてこの、極めて上昇志向の強いヒロインは、小さなショー・クラブの専属歌手という居場所を「ゴール」と感じているのだろうか?
たぶん、ちがうよね。
アリはいつか、バーレスクを出て行く。
たぶんそのとき描かれるドラマは、この映画で描かれたような、出会ったひとは奇跡のようにいいひとばかり、というぬるい夢物語ではなく、もっとシビアでドロドロしたものになるのでしょう。
そういう物語、観たいですか、観たくないですか?
華やかでゴージャスな歌と踊りの饗宴!
サプライズはないですが、こじんまりとした、楽しい映画です。音楽のシーンは全てステージ上のパフォーマンスに限られているので、所謂ミュージカルではないかもしれませんが、全体に占める音楽シーンのボリュームを見れば、やっぱりこれはミュージカルだよね、と思います。
アイオワの田舎町からスターを夢見てロサンジェルスへとやって来たアリ(クリスティーナ・アギレラ)は、大都会での職探しに行き詰まったある日、偶然目にしたショー・クラブ“バーレスク”のステージに心を奪われ、強引にウェイトレスとしてもぐりこみ、ステージに立つチャンスを狙う。一方、“バーレスク”の経営者テス(シェール)は、借金のカタにクラブが人手に渡ろうとしており、舞台監督のショーン(スタンリー・トゥッチ)とともに、懸命の建て直しを図っていたが……、というオーソドックスな筋立て。
そのほか、“バーレスク”の土地を手に入れようと企む大富豪のブローカー、マーカスにエリック・デイン、“バーレスク”のバーテンで、強盗に全財産を持っていかれて路頭に迷うアリに部屋を提供してくれた心優しいジャックにカム・ジガンデイ、テスの元夫にして“バーレスク”の共同経営者にピーター・ギャラガー、アリが来るまで“バーレスク”ナンバーワンの踊り子だったニッキにクリスティン・ベルといった布陣です。
冒頭、アイオワのうらぶれたカフェで開店準備をしているウェイトレスのアギレラが、店をステージに見立ててひとりで歌うシーンから始まるのですが、ここでいきなり度肝を抜かれてしまいます。とにかくものすごくパワフルな声。あの華奢で小柄な身体の一体どこから、こんな声が出せるのでしょう。声質を言うなら、むしろ野太い感じ。電動自転車みたい、と思いました。こないだ、お古の電動自転車もらったんですけどね、あれって、最初の一漕ぎからぐいーんといきなり加速するですよ。アギレラの歌って、なんかそんな感じ。
この映画はとにかく、アギレラのためのプロモーションフィルムのような造りですから、彼女のパフォーマンスシーンが、手を変え品を変え次から次へと繰り出されていくので、アギレラ・ファンのひとにはたまらない映画だと思います。コンサートに行くみたいな楽しさを味わえると思う。
と、やや冷めた視線なのは、残念ながら、凄い歌い手さんだ、と思いはしたものの、一本調子にパワーで押してくる歌いっぷりが、あまりこちらの琴線に響かなかったのと、彼女の華奢な体格が、ドラマ部分では可憐な感じなんですが、ステージだとやっぱり貧相な印象に傾いてしまうので、キャサリン・ゼダ=ジョーンズやペネロペ・クルスみたいな豊満迫力バディがもたらす、天然自然の色香による至福の豊穣感からは程遠かったなぁ、と思ってしまったせいかしら。
あと、もひとつ言えば、これはアギレラが理由ではありませんが、ステージの演出の仕方も、センスがよかったり斬新だったり度肝をぬくほどアクが強かったり、ということが全くなく、予定調和、予想の範囲内、金返せとはだれも言わないレベルではあっても、おおお、凄いステージを観た! と身体が震えるような感動はなかったな。曲はみんなよかったのだけど、どうも、演出が平板な印象。
その分、たった2曲しかなかったシェールの歌がイイです。
1曲は、“バーレスク”のテーマ曲で、ステージ用に演出されたシーンだったんですが、もう1曲なんて、スポットライトオンリーでバックダンサーも本人の踊りもない、疲れた深夜のリハーサルのシーンだったんですが、これが、この歌が、すばらしい。クラブを守ろうと奔走して、うまく行かず、ヘトヘトに疲れきったシェールの心情を吐露するような歌だったんだけど、まさにハラワタに染み入るようなパフォーマンスでした。
こんなにイイのに、なんで2曲しかなかったんだろうね、シェールの歌。シェールがパフォーマンスで鼻っ柱の強い新人を圧倒する、みたいなシーンがあってもよかったし(っていうか、むしろ絶対的に必要なシーンだったと思うのだけど)、せっかくだから、シェールとアギレラの新旧競演、みたいなシーンがあってもよかったのにね。とにかく、シェールの歌をもっと聞きたかったです。
全体的に人物描写がぬるいのも、映画に小粒感をもたらしていた要因なのかな、とも思ったり。
このテの類の映画は、とにかく一杯あるので、ひとによって思い浮かべる映画はちがうかもしれませんが、わたしは『ショーガール』(1995年、ポール・バーホーベン監督)を思い出してしまいました。
あっちは、なにしろ、バーホーベンですから、とにかくいやらしいほどアクが強い。過剰な暴力と過激なセックス、腹の底まで腐った邪悪なキャラクター。アメリカショービジネスの暗部をノリノリの露悪趣味で描いた、ラジー賞総なめの伝説の映画なんで、そんなもんと比べるなよ、と言われれば、そうですよねぇ、すみません、と思ってしまうんですが、でも、ほら、いかにも憎たらしかったカイル・マクラクランの悪役と比べて、この映画の悪役ポジションのマーカスなんて、ヒロインに食指を動かしながらも、阿漕な手段は一切使わず、どこの紳士倶楽部にご所属で? ってな感じだし、ライバルは容赦なく階段から付き転ばして大怪我をさせたあちらと比べて、こちらのニッキの妨害工作なんて、むしろアギレラにチャンスをあげたようなもんだったし、第一、シェール! 予告編の印象などから、オーナーのシェールは月影先生並みに怖いひとにちがいない、と思ってたのに、拍子抜けしちゃうぐらい甘くて優しいオカンのようなキャラだったので、アギレラとの葛藤なんてほとんど描かれることがなかったのが、かなり物足りなかったです。あれはやっぱ、もうひとふんばりして、アリに試練を与える描写がないと、アリが受け入れられた後のカタルシスに欠けてしまうと思うの。
そして、物語があまりにもヒロインにとって都合よくトントン拍子に進むので、ヒロインの人間性みたいなものがいまひとつ掴みにくく、ために、ヒロインの目指す「成功」が奈辺にあるのかがわからないので、ヒロインがあこがれのバーレスクであこがれていたシンガーとしての仕事を手にいれ、バーレスクの経営も安泰となり、一方で気のいいバーテンの恋人との関係も良好、という一見ハッピーエンドに見えるこのエンディングは、本当にハッピーエンドなんだろうか、と煮えきらないものを感じてしまいます。はたしてこの、極めて上昇志向の強いヒロインは、小さなショー・クラブの専属歌手という居場所を「ゴール」と感じているのだろうか?
たぶん、ちがうよね。
アリはいつか、バーレスクを出て行く。
たぶんそのとき描かれるドラマは、この映画で描かれたような、出会ったひとは奇跡のようにいいひとばかり、というぬるい夢物語ではなく、もっとシビアでドロドロしたものになるのでしょう。
そういう物語、観たいですか、観たくないですか?
by shirakian
| 2010-12-26 20:59
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