2010年 10月 28日
デッドコースター
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★ネタバレ注意★
2003年、デヴィッド・エリス監督。
A・J・クック出演作です。
まもなく観られるクリマイ・シーズン4のDVDが心の支えの秋寒の候ですが、気持ちはちょっと複雑です。もちろんJJことクックの勇姿は、シーズン4のみならず、5でもまだまだたっぷりと拝めることはわかっているのに、それでもやっぱり6以降は彼女がいない、という情報を知っているのといないのとでは、なんだか大きな違いがあります。
ひとは死んでもフィルムは残る。いまはなき大物スターの若かりし頃の姿だって、いつでも好きなときに観ることはできるけれど、いままさに旬の若者を見るのと、すでにこの世にいないとわかっているひとのかつて瑞々しかった姿を見るのとでは、自ずと気持ちの持ちようがちがってしまいます。往年のスターならまだしも、たとえばヒース・レジャーとかね、ああ、このひとは、このときはこんなに輝いていたのに、いまはもう、この世にいないんだな、とか。
や、もちろん、クックは別に死んだわけじゃなし、これからも色んなお仕事でチャーミングな姿を見せてくれるとは思うのですが。でもやっぱり、ミス・ユー・JJ(>_<)。
気を取り直して、この映画ですが。
単発作品のような関連性のないタイトルですが、この作品は“ファイナル・デスティネーション”シリーズの2作目であります。シリーズのオリジナルタイトルは、それぞれ、(1)Final Destination、(2)Final Destination 2、(3)Final Destination 3、(4)The Final Destination(このシリーズも、これで打ち止めという意気込みが表れたタイトルなのかな)、と、大変すっきりとわかりやすい仕様になっているのですが、配給会社が勝手な思惑で適当にタイトルをいじってしまったので、邦題は酷いことになっております。
第1作 『ファイナル・デスティネーション』(2000)、第2作 『デッドコースター』(2003、本作)、第3作 『ファイナル・デッドコースター』(2006)、第4作 『ファイナル・デッドサーキット 3D』(2009)。微妙にいらっとしますね(笑)。
このタイトルでは、シリーズであるということがわからない上に、なによりマヌケなことに、コースターとは何の関係もない第二作に“デッドコースター”なんて、どこから持って来たんですか、というタイトルをつけた後で、三作目がまさにジェットコースターの話であることがわかってしまったので、三作目のタイトルがまた、異様に苦しくもみっともないことになっております。“ファイナル”は“デスティネーション”と結びつくからこそ意味があるのに。
この邦題ではシリーズであることがわからない、というのがなぜまずいかと言うと、三作目と四作目は未見なのでわかりませんが、少なくとも一作目と二作目は、単に同様のフォーマットで作った類似作、というだけでなく、時間的にもキャラクター的にもプロット的にもきっちりと連続性のある純粋な「続編」だからです。
物語開始の一年前、航空機が爆発し、直前に異常を察知して機を降りた数人を除く全員が死亡するという大事故が起こっていた。しかも、助かったはずの数人も、その後奇怪な死因で次々と命を落としていたのである(ファイナル・デスティネーション)。
それから一年後、友だちを乗せて車を運転していたキンバリー(A・J・クック)は、目前のハイウェイで玉突き事故が発生し、自分達を含め、大勢が死亡するビジョンを見る。現実がビジョン通りに進行している事に気づいたキンバリーは、からくも事故を逃れるが、キンバリーの機転によって事故を逃れた9人の身にも、不吉な死の影がしのびよってくるのだった。
というわけで、前回事故の唯一の生き残りであるクレア・リバース(アリ・ラーター)が、危機回避のアドバイザーとして仲間に加わる設定はもとより、今回事故を逃れることができたのがなぜこの9人だったのか、という理由づけもまた一年前の航空機事故に置いている今作は、完全に前作の続編であります。続編と銘打ちながら全くの別物、ということだって珍しくないB級ホラーシリーズにおいて、この作品はむしろ大変良心的な作りと言えます。雰囲気も思想も設定も、きちんと前作を踏襲しているし、前後の矛盾も感じさせません。
死神が取りこぼしを回収するかのように、事故の生き残りがひとりひとり不審な死をとげていく、というのは、考えてみればヘンな話です。ホラーの中でもトンデモ系かもしれない。だけど、このシリーズ(っていうか、一作目と二作目)、設定は設定として、とてもよくできているんですよねぇ。不謹慎なんだけど、これから死ぬとわかっているキャラクターが、一体どういう工夫をこらした演出によって死に到るのか、という興味がものっそ持続してしまう。まさか、ひとが死ぬ様をアトラクション感覚で楽しんで観てしまうことになるなんて……。だってほんとに、創意工夫が凝らされているんだもん(汗)。
この映画でも、たとえば最初の犠牲者が死ぬシークエンスなんか、転倒か? レンジの爆発か? ディスポーザーで粉砕か? 火災か? 転落か? と次々にハラハラさせた挙句、結局は思いもかけないアクシデントで一巻の終わり。思わず笑ってしまうのよ、や、ほんと、不謹慎は承知の上で(汗)。
まあ、その分、キャラクターたちの心理描写については、こんな異常な情況下にありながら、いやいや、そんなワケないだろ、と思わずにはいられないんですが、逆に、だって人間がこんな異常な情況に陥る機会なんかそうそうあるわけじゃないんだから、実際にそうなったときに、人間がどう感じてどう振舞うかなんて、あーたにわかるわけ? と訊かれたら、そだねぇ、わからないよねぇ、と答えるしかないです。
なにはともあれ、A・J・クックですが、このようにダーク目のヘアカラーもキュートであります。
死に直面した恐ろしい情況におかれながらも、自分のせいで助かってしまった人々が、再び死神の手に掴まることのないよう、怯むことなく闘おうとする、正義感・責任感の強いタフで聡明な女の子です。母親を自分の身代わりで死なせてしまったという自責の念を抱えており、その事故が原因で過保護気味の父親にも優しい、とってもいい子であります。
また、観ていて精神的に楽なのが、彼女の機転でハイウェイ事故を逃れた「生き残り組」の中にいた保安官のトーマス・バーク(マイケル・ランデス)が、なかなかしっかりした頼りがいのある男で(しかもハンサムで(笑))、しっかりクックを支えてくれることです。強い女性がひとりで闘う話もいいけど、クックが決してひとりじゃないと思うと、やっぱり安心しちゃいます。
クックとランデスは最後まで生き残ります(ふたりが死なないというも、やっぱりいいよね(笑))。前作の生き残り、アリ・ラーターが今作も登場したので、このふたりも次作に登場するのかな、と思ったのですが、どうやらそれはなかったらしいです。考えてみれば、シリーズ三作目のときにはすでに、クリマイの放映が始まってたんですよね。クックはFBIの仕事が忙しくて、遊園地に遊びに行くどころじゃなかった模様。
2003年、デヴィッド・エリス監督。
A・J・クック出演作です。
まもなく観られるクリマイ・シーズン4のDVDが心の支えの秋寒の候ですが、気持ちはちょっと複雑です。もちろんJJことクックの勇姿は、シーズン4のみならず、5でもまだまだたっぷりと拝めることはわかっているのに、それでもやっぱり6以降は彼女がいない、という情報を知っているのといないのとでは、なんだか大きな違いがあります。
ひとは死んでもフィルムは残る。いまはなき大物スターの若かりし頃の姿だって、いつでも好きなときに観ることはできるけれど、いままさに旬の若者を見るのと、すでにこの世にいないとわかっているひとのかつて瑞々しかった姿を見るのとでは、自ずと気持ちの持ちようがちがってしまいます。往年のスターならまだしも、たとえばヒース・レジャーとかね、ああ、このひとは、このときはこんなに輝いていたのに、いまはもう、この世にいないんだな、とか。
や、もちろん、クックは別に死んだわけじゃなし、これからも色んなお仕事でチャーミングな姿を見せてくれるとは思うのですが。でもやっぱり、ミス・ユー・JJ(>_<)。
気を取り直して、この映画ですが。
単発作品のような関連性のないタイトルですが、この作品は“ファイナル・デスティネーション”シリーズの2作目であります。シリーズのオリジナルタイトルは、それぞれ、(1)Final Destination、(2)Final Destination 2、(3)Final Destination 3、(4)The Final Destination(このシリーズも、これで打ち止めという意気込みが表れたタイトルなのかな)、と、大変すっきりとわかりやすい仕様になっているのですが、配給会社が勝手な思惑で適当にタイトルをいじってしまったので、邦題は酷いことになっております。
第1作 『ファイナル・デスティネーション』(2000)、第2作 『デッドコースター』(2003、本作)、第3作 『ファイナル・デッドコースター』(2006)、第4作 『ファイナル・デッドサーキット 3D』(2009)。微妙にいらっとしますね(笑)。
このタイトルでは、シリーズであるということがわからない上に、なによりマヌケなことに、コースターとは何の関係もない第二作に“デッドコースター”なんて、どこから持って来たんですか、というタイトルをつけた後で、三作目がまさにジェットコースターの話であることがわかってしまったので、三作目のタイトルがまた、異様に苦しくもみっともないことになっております。“ファイナル”は“デスティネーション”と結びつくからこそ意味があるのに。
この邦題ではシリーズであることがわからない、というのがなぜまずいかと言うと、三作目と四作目は未見なのでわかりませんが、少なくとも一作目と二作目は、単に同様のフォーマットで作った類似作、というだけでなく、時間的にもキャラクター的にもプロット的にもきっちりと連続性のある純粋な「続編」だからです。
物語開始の一年前、航空機が爆発し、直前に異常を察知して機を降りた数人を除く全員が死亡するという大事故が起こっていた。しかも、助かったはずの数人も、その後奇怪な死因で次々と命を落としていたのである(ファイナル・デスティネーション)。
それから一年後、友だちを乗せて車を運転していたキンバリー(A・J・クック)は、目前のハイウェイで玉突き事故が発生し、自分達を含め、大勢が死亡するビジョンを見る。現実がビジョン通りに進行している事に気づいたキンバリーは、からくも事故を逃れるが、キンバリーの機転によって事故を逃れた9人の身にも、不吉な死の影がしのびよってくるのだった。
というわけで、前回事故の唯一の生き残りであるクレア・リバース(アリ・ラーター)が、危機回避のアドバイザーとして仲間に加わる設定はもとより、今回事故を逃れることができたのがなぜこの9人だったのか、という理由づけもまた一年前の航空機事故に置いている今作は、完全に前作の続編であります。続編と銘打ちながら全くの別物、ということだって珍しくないB級ホラーシリーズにおいて、この作品はむしろ大変良心的な作りと言えます。雰囲気も思想も設定も、きちんと前作を踏襲しているし、前後の矛盾も感じさせません。
死神が取りこぼしを回収するかのように、事故の生き残りがひとりひとり不審な死をとげていく、というのは、考えてみればヘンな話です。ホラーの中でもトンデモ系かもしれない。だけど、このシリーズ(っていうか、一作目と二作目)、設定は設定として、とてもよくできているんですよねぇ。不謹慎なんだけど、これから死ぬとわかっているキャラクターが、一体どういう工夫をこらした演出によって死に到るのか、という興味がものっそ持続してしまう。まさか、ひとが死ぬ様をアトラクション感覚で楽しんで観てしまうことになるなんて……。だってほんとに、創意工夫が凝らされているんだもん(汗)。
この映画でも、たとえば最初の犠牲者が死ぬシークエンスなんか、転倒か? レンジの爆発か? ディスポーザーで粉砕か? 火災か? 転落か? と次々にハラハラさせた挙句、結局は思いもかけないアクシデントで一巻の終わり。思わず笑ってしまうのよ、や、ほんと、不謹慎は承知の上で(汗)。
まあ、その分、キャラクターたちの心理描写については、こんな異常な情況下にありながら、いやいや、そんなワケないだろ、と思わずにはいられないんですが、逆に、だって人間がこんな異常な情況に陥る機会なんかそうそうあるわけじゃないんだから、実際にそうなったときに、人間がどう感じてどう振舞うかなんて、あーたにわかるわけ? と訊かれたら、そだねぇ、わからないよねぇ、と答えるしかないです。
なにはともあれ、A・J・クックですが、このようにダーク目のヘアカラーもキュートであります。
死に直面した恐ろしい情況におかれながらも、自分のせいで助かってしまった人々が、再び死神の手に掴まることのないよう、怯むことなく闘おうとする、正義感・責任感の強いタフで聡明な女の子です。母親を自分の身代わりで死なせてしまったという自責の念を抱えており、その事故が原因で過保護気味の父親にも優しい、とってもいい子であります。
また、観ていて精神的に楽なのが、彼女の機転でハイウェイ事故を逃れた「生き残り組」の中にいた保安官のトーマス・バーク(マイケル・ランデス)が、なかなかしっかりした頼りがいのある男で(しかもハンサムで(笑))、しっかりクックを支えてくれることです。強い女性がひとりで闘う話もいいけど、クックが決してひとりじゃないと思うと、やっぱり安心しちゃいます。
クックとランデスは最後まで生き残ります(ふたりが死なないというも、やっぱりいいよね(笑))。前作の生き残り、アリ・ラーターが今作も登場したので、このふたりも次作に登場するのかな、と思ったのですが、どうやらそれはなかったらしいです。考えてみれば、シリーズ三作目のときにはすでに、クリマイの放映が始まってたんですよね。クックはFBIの仕事が忙しくて、遊園地に遊びに行くどころじゃなかった模様。
by shirakian
| 2010-10-28 20:43
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