2010年 10月 02日
ヤギと男と男と壁と
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★ネタバレ注意★
微妙についていけないタイトルだったので、またしても劇場窓口で口ごもってしまいました。
「ええと、ヤギ……ヤギ……ヤギ?」
ヤギを三連呼した上に、最後の一回は疑問文になってしまいました。そんなこと訊かれても。「ヤギを見つめる男たち」ではいけなかった理由を300字以内で説明してほしいと思います。じっちゃん、おれ、もう、いやだ、近頃センスのない邦題ばっかりだ(>_<)。
米軍における超能力部隊の実態を描いたノンフェクション、『実録・アメリカ超能力部隊』が原作のこの映画、だから、大筋は実話なんだそうです。
ベトナムでトラウマを負った帰還兵ビル・ジャンゴ(ジェフ・ブリッジス)は、自身を癒す試みの中でニューエイジ思想に傾倒していく。その過程で確立した超能力部隊“新地球軍”構想は、当時のソ連による超能力研究への恐怖と猜疑を温床として、一つのプロジェクトとして国防総省に取り上げられることになり、それなりの予算がついてしまった。しかしその実態は、超人を兵器として用いるアニメヒーロー的超能力戦とはほど遠く、“ラブ&ピース”の精神で戦争を終わらせるもくろみだったのである。
……というのが、大筋、実話なんだそうです。ソ連による超能力研究、というコンセプトはわりと有名ですから、あの盲目的な競争が繰り広げられた冷戦の時代には、まあ、そんなこともあったかもしれないね、とあまり驚きもなく、あきれるでもなく、淡々と観てしまったのですが、やっぱここは驚いて呆れて観るのがあらまほしい鑑賞態度だったんでしょうか。
そしてこの映画の主眼は、そもそもは“ラブ&ピース”の精神を目指した超能力部隊だったのに、結局その力を悪用する者が現れて、暴力目的で使われてしまう、というアイロニーであろうかと思います。実は、まじめにニューエイジ思想を踏襲し、まじめに反戦を考え、まじめに社会に警鐘を鳴らさんとし、まじめに絶望をかみしめている、まじめな映画なのであった。
だけど、ネタがネタだから、四角四面な演出は避けよう、ユーモアの味付けをして、大いに笑って笑ったあとで余韻が残る映画にしよう、という試みはわからんでもないのですが、如何せん、笑いの演出にはセンスが必要です。ましてや、本来深刻な事態を、笑いのオブラートに包み、面白おかしく提示しつつも、そのさきに突き抜けたところに、主張すべきことをほのめかすには、かなりのセンスが必要なんだと思います。シニカルな笑いは扱いが難しいのです。この映画は、その点で、成功しているとは思えないです。根本的にまじめすぎるひとが、無理して笑いをとろうとして、スッテンコロコロすべりまくっているような痛々しさがあります。や、笑えなかったわたしの方にこそ、笑いのセンスがないというだけの話かもしれませんが。
部隊をジェダイと名づけ、舵取りを誤ったさきをダークサイドと称するのは一向に構わないし、わかりやすいし、もしかして実際にもそうだったのかもしれないけど、その話に半信半疑で首をひねっている役どころにユアン・マクレガーを起用する、というセンスあたりも、なんだかなぁ、と思ってしまいます。笑う前に寒いと思うのだけど。
厳格な軍隊で、いかめしい軍人さんたちが、頭にお花の咲いてるジェフ・ブジッジスの指導のもと、あははうふふの訓練にいそしむ映像なんかは、素材そのものがそもそも滑稽なんだから、手堅く笑いの演出をしさえすれば、素直におかしいシーンができあがるはずなのに、それすらもあんまりおかしくないのは、致命的にテンポが悪いためで、グラント・ヘスロヴという監督さんは、あんまりお笑い的反射神経には恵まれていないのかもなぁ、やっぱ、まじめなひとなんだろうなぁ、と思わせてしまうのです。撮りたいテーマはまじめなものなんだから、まじめな演出で撮ったらいいのではあるまいか。余計なお世話ですか、すみません(汗)。
それにしてもブリッジス、アカデミーウィナーの名優にこんなこと言うのは失礼かもしれませんけど、ほんと似合いますね、頭にお花が咲いてる役(笑)。肩の力ぬけてるなぁ。楽しそうだなぁ(笑)。
似合うと言えば、マクレガーの振り回されっぷりも、堂に入ってました。このひとは、ほんと、ジェダイマスターの役より、こういう役の方が似合っちゃうので困りますね(笑)。
でも、わたし的ヒットはやはりなんと言ってもスティーヴン・ラングでした。超能力の魅力に取り付かれちゃって、お目々をキラキラさせて研究の推進に取り組んでいる姿は、あのコワモテ&『アバター』でのヒールイメージとの相乗効果で、「そこにいるだけでおかしい」効果をかもしだしていて、この(単調で若干眠たい)映画に大いに貢献していたと思います。
というわけで、演出はともかく、役者の魅力&演技力でそれなりにもたせた映画でしたが、だったらもっと! と思ってしまうわけです。どうせ役者の演技で盛り上げるなら、もっともっとテンションあげて、極端にデフォルメした、むしろすっかり行っちゃってる感じの、汗かき芝居、唾とばし芝居、マジメとフマジメの境界が、観客のみならず演者自身にすら曖昧になってしまうほどの、アドレナリン噴出演出をしてくれたらよかった、と思うです。やればできたはずだよ、このメンツだもの。特に特に、ケヴィン・スペイシーのパートは不完全燃焼感が強いです。
微妙についていけないタイトルだったので、またしても劇場窓口で口ごもってしまいました。
「ええと、ヤギ……ヤギ……ヤギ?」
ヤギを三連呼した上に、最後の一回は疑問文になってしまいました。そんなこと訊かれても。「ヤギを見つめる男たち」ではいけなかった理由を300字以内で説明してほしいと思います。じっちゃん、おれ、もう、いやだ、近頃センスのない邦題ばっかりだ(>_<)。
米軍における超能力部隊の実態を描いたノンフェクション、『実録・アメリカ超能力部隊』が原作のこの映画、だから、大筋は実話なんだそうです。
ベトナムでトラウマを負った帰還兵ビル・ジャンゴ(ジェフ・ブリッジス)は、自身を癒す試みの中でニューエイジ思想に傾倒していく。その過程で確立した超能力部隊“新地球軍”構想は、当時のソ連による超能力研究への恐怖と猜疑を温床として、一つのプロジェクトとして国防総省に取り上げられることになり、それなりの予算がついてしまった。しかしその実態は、超人を兵器として用いるアニメヒーロー的超能力戦とはほど遠く、“ラブ&ピース”の精神で戦争を終わらせるもくろみだったのである。
……というのが、大筋、実話なんだそうです。ソ連による超能力研究、というコンセプトはわりと有名ですから、あの盲目的な競争が繰り広げられた冷戦の時代には、まあ、そんなこともあったかもしれないね、とあまり驚きもなく、あきれるでもなく、淡々と観てしまったのですが、やっぱここは驚いて呆れて観るのがあらまほしい鑑賞態度だったんでしょうか。
そしてこの映画の主眼は、そもそもは“ラブ&ピース”の精神を目指した超能力部隊だったのに、結局その力を悪用する者が現れて、暴力目的で使われてしまう、というアイロニーであろうかと思います。実は、まじめにニューエイジ思想を踏襲し、まじめに反戦を考え、まじめに社会に警鐘を鳴らさんとし、まじめに絶望をかみしめている、まじめな映画なのであった。
だけど、ネタがネタだから、四角四面な演出は避けよう、ユーモアの味付けをして、大いに笑って笑ったあとで余韻が残る映画にしよう、という試みはわからんでもないのですが、如何せん、笑いの演出にはセンスが必要です。ましてや、本来深刻な事態を、笑いのオブラートに包み、面白おかしく提示しつつも、そのさきに突き抜けたところに、主張すべきことをほのめかすには、かなりのセンスが必要なんだと思います。シニカルな笑いは扱いが難しいのです。この映画は、その点で、成功しているとは思えないです。根本的にまじめすぎるひとが、無理して笑いをとろうとして、スッテンコロコロすべりまくっているような痛々しさがあります。や、笑えなかったわたしの方にこそ、笑いのセンスがないというだけの話かもしれませんが。
部隊をジェダイと名づけ、舵取りを誤ったさきをダークサイドと称するのは一向に構わないし、わかりやすいし、もしかして実際にもそうだったのかもしれないけど、その話に半信半疑で首をひねっている役どころにユアン・マクレガーを起用する、というセンスあたりも、なんだかなぁ、と思ってしまいます。笑う前に寒いと思うのだけど。
厳格な軍隊で、いかめしい軍人さんたちが、頭にお花の咲いてるジェフ・ブジッジスの指導のもと、あははうふふの訓練にいそしむ映像なんかは、素材そのものがそもそも滑稽なんだから、手堅く笑いの演出をしさえすれば、素直におかしいシーンができあがるはずなのに、それすらもあんまりおかしくないのは、致命的にテンポが悪いためで、グラント・ヘスロヴという監督さんは、あんまりお笑い的反射神経には恵まれていないのかもなぁ、やっぱ、まじめなひとなんだろうなぁ、と思わせてしまうのです。撮りたいテーマはまじめなものなんだから、まじめな演出で撮ったらいいのではあるまいか。余計なお世話ですか、すみません(汗)。
それにしてもブリッジス、アカデミーウィナーの名優にこんなこと言うのは失礼かもしれませんけど、ほんと似合いますね、頭にお花が咲いてる役(笑)。肩の力ぬけてるなぁ。楽しそうだなぁ(笑)。
似合うと言えば、マクレガーの振り回されっぷりも、堂に入ってました。このひとは、ほんと、ジェダイマスターの役より、こういう役の方が似合っちゃうので困りますね(笑)。
でも、わたし的ヒットはやはりなんと言ってもスティーヴン・ラングでした。超能力の魅力に取り付かれちゃって、お目々をキラキラさせて研究の推進に取り組んでいる姿は、あのコワモテ&『アバター』でのヒールイメージとの相乗効果で、「そこにいるだけでおかしい」効果をかもしだしていて、この(単調で若干眠たい)映画に大いに貢献していたと思います。
というわけで、演出はともかく、役者の魅力&演技力でそれなりにもたせた映画でしたが、だったらもっと! と思ってしまうわけです。どうせ役者の演技で盛り上げるなら、もっともっとテンションあげて、極端にデフォルメした、むしろすっかり行っちゃってる感じの、汗かき芝居、唾とばし芝居、マジメとフマジメの境界が、観客のみならず演者自身にすら曖昧になってしまうほどの、アドレナリン噴出演出をしてくれたらよかった、と思うです。やればできたはずだよ、このメンツだもの。特に特に、ケヴィン・スペイシーのパートは不完全燃焼感が強いです。
by shirakian
| 2010-10-02 20:09
| 映画や行