2010年 06月 07日
イノセント・ボイス 12歳の戦場
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2004年のメキシコの映画です。ルイス・マンドーキ監督作品。
1980年から12年に及んだ内戦下のエルサルバドルで少年時代を過ごし、14歳でアメリカに亡命したオスカー・トレスの自伝的脚本がもとになっています。
ものすごい傑作なので、是非一度は観るべし、という映画評を読んで、ずっと気になっていたのですが、ようやくレンタルしました。確かに、ものすごい傑作なので、是非一度は観るべき、と思いました。
全編、ドキュメンタリーのような臨場感で描かれており、スーパーヒーローも派手なアクションも極端な「感動シーン」も存在しない、『グリーン・ゾーン』のような映画とは対極にあるような作りの映画であり、メキシコ映画であり、スペイン語の映画であり……とっつきにくい印象がありますが、ルイス・マンドーキ監督は、いくつもの作品をハリウッドで監督してきたベテランですから、映画としてのホスピタリティはとても高いのです。構成の妙、画面作りの手堅さ、緊張の中に緩和や笑いを盛り込む手腕、どれも安心して見ていられる堂々たる劇映画であって、決してプロバガンダが先走る、観ることに忍耐を強いられるようなお勉強フィルムではありません。
この映画で描かれた80年代というのは、ロナルド・レーガンの時代です。強いアメリカを標榜した大統領は、中米紛争に強圧策を持って臨み、政府軍に大きく肩入れしました。この結果、エルサルバドルでも、政府と革命勢力との連立政権構想は立ち行かず、内戦は激化していきます。政府軍とゲリラ勢力による民間人を巻き込んだ市街戦、虐殺、暴行が横行する中、米政府は政府軍への積極的援助をやめず、結果、同国人が互いに殺しあうという事態が12年にも亘って続き、結局その終結には、国際連合の仲介による和平の実現を待たねばなりませんでした。
こんな時代、こんな国、こんな政情の、(遠くて疎遠な未知の国である)エルサルバドルで、少年チャバ(カルロス・パディジャ)は12歳の誕生日を迎えようとしていました。
12歳という年齢が殊更意味を持つのは、当時この国では、12歳の男の子たちは、ゲリラの戦力になる前に先手を打って、政府軍により無理矢理徴兵されていたからです。
12歳と言えば、小学校の6年生、まだまだまだまだ子どもであります。遊びたいし、ふざけたいし、お母さんに甘えたいし、かわいい女の子は気になるし、学ばなきゃいけないことだって一杯一杯ある。そんなほんの子どもが、学校の教室から、文字通り無理矢理、連行されていくのです。そして連行されて行ったさきで教え込まれるのは、人の殺し方です。ほんの数ヶ月で、あどけなかった少年は、全く別人に変貌してしまう。
最も戦慄すべきところは、どんな未来でも持ちえたはずの子どもたちが、「小さな兵士」に仕立てられていくその構図でありましょうが、そうでなくても、まだ12歳には届かない男の子たちにも女たちにも女の子たちにも、戦争は襲い掛かってくる。なにしろ内戦です。非戦闘員は攻撃しない、なんて戦争のルールは通用しない。住んでいるその町が即戦場です。自宅で寝ていても銃弾が叩き込まれてくる。通学路に死体が転がる。友だちが死ぬ。
でも、そんな日々の中でも、子どもたちの生活には、万国共通した情緒がある。チャバ少年もまた、命の危険に去らされ、緊張に神経をすり減らされながらも、たくましく様々な楽しみを見出していき、そうした「少年時代」の営みを、マンドーキ監督は確かな手触りでもって映像化しています。
あるいはまた、自分の家が蜂の巣になり、校庭に兵士が攻め込んでくる描写そのものも、当事者の恐ろしさ、おぞましさといったものとは別の次元の、映像的緊張感がもたらす喜びがあるのです。それが最も顕著に感じられるのは、政府軍が強制徴兵に来るという情報をキャッチした子どもたちが、兵士らの目をごまかすために、家々の屋根の上に身をふせてやり過ごすシーンでしょう。これは考えてみれば、物凄く恐ろしい緊迫したシーンであるにもかかわらず、累々と続く家並みの上に寝そべる何人もの子どもたち、という絵柄は、絵としてとても面白く、美しく、おかしみすら感じられるのです。
このDVDには、特典としてルイス・マンドーキ監督と、原作者のオスカー・トレスのインタビューが収録されているのですが、どちらもとても面白いエピソードが聞けるいいインタビューでした。
まずマンドーキ監督ですが、役者としては完全に素人の子どもであるカルロス・パディジャに演技をつけるために、大変面白い試みをした、というエピソードを紹介してくれています。
カルロス演じるチャバが、ゲリラ軍に身を投じたところを政府軍の兵士に見つかり、拉致され、処刑される寸前に、ゲリラ軍の総攻撃が始まって、かろうじて一命をとりとめる、というシーンがありました。そのクロスファイアーの中で、チャバは、死んだゲリラ兵士の銃をとり、政府軍の兵士を撃とうとするのです。しかし、狙いをつけた政府軍兵士が、蒸れて暑かったのか、一瞬ヘルメットをとる。そこに現れた顔は、自分とあまり変わらないような、ほんの少年兵の横顔だったのでした。チャバは、そこで、自分がひとを殺そうとしていたことに改めて気づき、ぞっとして銃を置いて逃げるのです。
このシーン、チャバの表情がすごい。本気でショックを受けた顔。まさに雷に打たれたかのような。演技素人の子どもに、どうしてこんな表情を作ることができたのか? そこに監督の戦略がありました。
監督はカルロスに内緒で、かれの実のお兄さんを撮影現場に招き、この兵士の役をやらせた、というのです。何も知らないで撮影に臨んだカルロスは、相手を撃とうとしたそのタイミングで、自分が狙った相手が自分の実の兄であることを知る。そりゃあ、リアルなショックの表情にもなろうというもの。いつでもどこでも応用できる手法ではありませんが、あの緊迫したシーンの、あのすばらしい表情を得ることができたのだから、これは監督の大金星と言えましょう。
そして一方、原作者のオスカー・トレスですが、かれがアメリカに亡命した後、無事に家族との再会を果たした、ということは映画のテロップでも紹介されるのですが、かれ自身も、教養のある綺麗な英語を喋るひとで、ああ、ちゃんといい教育を受けることができたんだなぁ、と感無量になってしまうのですが、かれにとっての映画のファーストショットが、自宅が銃撃戦に巻き込まれる夜のシーンだったそうです。
戦場を離れて以来、初めて銃声を聞いたとき、トレスはほかにどうすることもできず、ただ涙がどっとこみあげてきたそうです。そしてそんな中で、当時の様子が、次々と鮮明に思い出され、その場で脚本を書き換えていったそうです。寝台のマットレスを引き剥がし、壁際に押し当てて障壁にしたり、骨組みだけになったベッドの下にもぐりこんで隠れたり……。ひとつひとつの実体験が、撮影現場に身を置くことで、一気にどっと蘇ってきた。それをひとつひとつ誠実に拾い上げていった。そのためにこそ、あの類稀なる臨場感とリアリティが生じたのだなぁ、とこれまた感無量になってしまうのです。
最後に、少年の母親を演じたレオノア・バレラがもう、ほんとにほんとに美しくて、まさに美しすぎるお母さん、なのであります。ノーメイクで、汚れた服を着て、いつも不安げに眉をひそめていて、この美しさ。もしかして、近年目にした女優さんの中で最も美しかったのは、この母親を演じたバレラだったかもしれません。彼女の、子どもを守ろうと必死で戦う姿もまた、大変胸をうつものでありました。
by shirakian
| 2010-06-07 21:17
| 映画あ行