2010年 05月 20日
グリーン・ゾーン
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ポリティカルサスペンスを期待して観たのですが、実際はがっつりミリタリーアクションでした。
もう、全編、パンパンパンパン銃撃音が鳴り続け。音声だけだと、春節を祝う北京の風景です、と言われてもわからないくらいパンパンしていました。
ポール・グリーングラス監督はミリタリーアクションを撮ろうとしてミリタリーアクションを撮ったのだから、ミリタリーアクションだったからと言って文句をつける筋合いのものでは全くなく、実際よくできたミリタリーアクションであったとは思うのだけど(ちょっとカメラ酔いしちゃったけれども)、プロットの中心にあるのが「イラクに大量破壊兵器が存在したという情報の捏造疑惑」である以上、やはりこうまで普通に痛快娯楽アクションを見せられると、うーむ、と眉間にシワがよってしまいます。
アメリカがイラクに戦争をしかける口実として使った「大量破壊兵器」なんて、最初っから存在しなかった、最初っから存在しもしない口実をもとに悲惨な戦争が敢行された、という事実は、いまや世界中のひとが知っていることですから、そこを敢ていま映画にするからには、もっとなんかこう、アメリカと中東との関係について、一歩踏み込んだ考察みたいなものが観たかったと思うのですが。
色々とひっかかりを感じた中でも、一番ひっかかったのは、マット・デイモンが演じたロイ・ミラーが現役の軍人であった、ということかもしれません。
かれは米国陸軍上級准尉にしてMET隊(大量破壊兵器捜索隊)隊長という地位にある軍人なんですけれども、上層部から流される大量破壊兵器を巡る情報に疑問を抱き、独自判断であれこれ動いてしまいます。
結果としていかにそれが「正義」を体現したものであったとしても、かれの行動は軍人としてはNGであったろうと思うのです。いい悪い、正しいまちがっている、の問題ではなく、軍隊というのはそもそも、上意に対しては絶対服従が基本の特殊な集団で、また、そうでなければ成り立たない集団だということです。
個人が判断する「正義」が、軍隊としての「国益」より優先してはいけないというのが、絶対的約束事のはず。そうでなければ、高度な殺傷力を有する高価な武器を、税金を使って個人に持たせることなんかできません。
そして、国益とは何か、を考えるのは、一兵士の役割ではありません。そのために、さまざまな役割を担う大勢の人間が働いているのだし、高度な判断ができる優秀な人材、という前提のもとに、政治家や高級将校らがいるのです。実際にかれらがほんとに優秀であったり高潔であったりするかどうかは、また別の問題ですが。
純粋な戦略的判断とは異なる政治的思惑によって、兵士が徒に危険にさらされたり、犬死させられたりすることは、当事者である兵士にとって大変な「悲劇」であることは全く否定しませんが、その当事者である兵士の告発を「正義」として描いてしまうのは何かちがうんじゃないかと思うのです。
もしほんとにデイモンが軍を告発したいのなら、とりあえず一旦軍籍からぬけて、一個人として疑惑の解明に向かうのが筋であろうし、極端な話、ラストの告発文書の送信にしても、軍のインフラを使って行ってはダメでしょう、と思ってしまうのです。デイモンが、全ての身分を棄てて、それでも身を挺して国家の陰謀を暴こうとするのなら、かれという人間も見えてくるかと思うのですが、軍人の身でありながら、「自らの信念」のために駆け回るデイモンの、行動の根拠が奈辺にあるのか、どうもいまいちわかりませんでした。
まあ、しかし、そこまではいいです。これはマット・デイモン主演のミリタリーアクションなんだから、軍人のデイモンがスーパーヒーローを演じるのは、それはそれでアリかもしれません。でも、決定的に受け入れがたかったのが、フレディと名乗ったイラク人(ハリド・アブダラ)の描き方です。
フレディというのは当然、かれの本名ではないです。アラビア語の名前じゃ、アメリカのみなさんには発音しにくいでしょうから、どうぞフレディとお呼びください、とかれ自身がそう名乗ったのです。
この映画では、この人物を一体どういう人間として描こうとしたのでしょうか?
自身従軍経験があり、戦場で片足を失いながらも、純粋に国の将来を憂い、なんとか国のためになることをしたいと、フセイン派の大物と看做される連中の会合についてデイモンに注進してきた人物であり、ラストでかれが口にする「この国のことはアメリカには決めさせない」という台詞が、この映画の「決め台詞」として使われているわけですが。
だったらなぜフレディ? たとえば憂国のサムライが、サオトメシンノジョウ(だれ?)じゃ呼びにくいでしょうからジョーと呼んでください、と言ったとしたら、それはマトモに日本を描く気のないトンデモ映画だな、って思うのでは? イラクだって同じことでは? 名前というのは大事なものです。特にその名前の持ち主に、その国民であることの矜持を語る役割を担わせるのであれば尚更に。その辺りを御座なりにされては、なんやかや言っても結局は、イラクのことをきちんと考えようとするスタンスなんか全くないんだな、としか思えません。
最後に、ハンヴィーのことを「軍用ジープ」と訳すたぐいの、雑な字幕がイヤでした(鬱)。
by shirakian
| 2010-05-20 22:59
| 映画か行