2010年 04月 25日
家族の四季 -愛すれど遠く離れて-
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マサラムービーを観ると元気になるです。それはまちがいないです。
でもマサラムービーは元気がないときには観られません。それもまちがいないです。
なにせ最低でも1マサラ(3時間)。体力勝負の世界であります。
なかなか家で気軽には観られない。そしてまた、どうせ観るなら音響のいい大きなスクリーンで、「観る」のではなく「体感」したいのがマサラムービーなのであります。
というわけで、地元の市立総合図書館(アジア映画に強く、上質な映像ホールあり)で行われたインドのスーパーアイドル、シャールク・カーンの特集上映を、インド映画にはまっているオトモダチと二日連続で観に行ってまいりました(読むひとが読んだら住んでる地域、丸わかりですね)。
2001年、カラン・ジョハール監督作品。
こちらのプログラムは三時間半。体調万全で臨みませんと、観終わるころには、イキロ……と自らに掛け声かけねばならなくなります。
ラーイチャンド家は、当たり前のように自家用ヘリを所持している大金持ち。しかし長男のラーフル(シャールク・カーン)は養子だった。厳格ながらも愛情たっぷりに育ててくれた父親(アミターブ・バッチャン)の期待に応えるのがかれの生きがい、かれの目標、かれの存在価値の全て……だったはずなのに、よりによって、父が結婚相手を決めてくれたそのタイミングで、下町の娘と恋に落ちてしまったのだった。案の定、身分違いの恋が赦されるわけもなく、ラーフルは勘当されてしまう。しかし10年後、兄が家を出た真相を知った弟ローハン(リティック・ローシャン)の懸命の奔走の結果、一旦壊れた家族の絆が再び紡がれるのであった。
えーと、ストーリーとしては、しゃんしゃん語れば90分あれば十分、という内容なのではありますが、そこはそれ、これはマサラ。ストーリーだけを追いかければいいというものではなく、祭りがあれば歌って踊り、パーティがあれば歌って踊り、恋に落ちれば歌って踊り、感情が高ぶれば歌って踊り、とにかくなんでも歌って踊らなければなりませんので、3時間半かかるのであります。焦りは禁物。能率だけが全てじゃないのよ。
だってなにしろ、往年のキング・オブ・ボリウッド、アミターブ・バッチャンと現役大スター、シャールク・カーン、そして、ボリウッド・ナンバーワン・ダンサー(かどうかは知らないけど)のリティク・ローシャンの夢の共演。三人のインディアン・ハンサムさんが並んでるのを観るだけで、思いっきり眼福なのであります。
アミダーブ・バッチャン、足長い~。なに、あれ、電信柱かと思った(>_<)。立ってるだけでこんなに絵になるひとって、なかなかいません。この方の力強い声は、LotRボリウッドリメイクのガンダルフが演じられますね(そんな映画はありません)。
シャールク・カーンは、とにかくとにかく、チャーミングなひとで、香り立つよな華がある、ほんもののスーパースターだなーと思います。仕種のひとつひとつがとても魅力的。
リティク・ローシャンのダンスは本格派。動きにキレがあり、決めポーズがピシャリと決まり、躍動感と剽悍さと甘さがミックスして、ほんとにすっごくカッコイイです。
穿った観かたをすれば、典型的娯楽映画として作られていても、インド人としてのアイデンティティの問題や、同じインド人の中でも価値観の変容があることや、身分制度・居住地域・出身家庭などによって必ずしもアイデンティティを共有できるわけではないことや、男性支配の文化における女性の生き方について、その世代間の違い、などなどの社会的問題を感じ取ることは可能です。
また、「家族」の物語でありながら、敢えてシャールク・カーンに血の繋がりのない養子、というキャラクターを演じさせることによって、家族とはなにか、という問題についても考えさせらるものになっています。
だからこそ、ラストで、息子を追い出した傲慢な父親が後悔に泣きぬれながら、なぜ背を向けて出て行ったまま、一度も帰って来てくれなかった、と息子を責めれば、だってあなたは帰れとは言ってくださらなかったから、ぼくはあなたに嫌われてしまったのだと思ったのです、と息子も滂沱の涙にくれるシーンが、鮮烈な意味を帯び、観る者の胸をしめつけるのです。観始めて三時間半じゃなくて、82分ぐらいのところでこのシーンがあったら、絶対貰い泣きしてたと思うわ、わたし。
や、それにしても、マサラはいいですね♪
インドのひとたちの、あの、バンビのような瞳の色は、一体何色と言ったらいいのでしょうね。東アジアの艶やかな黒とも、西洋の青や緑ともちがう、柔らかい暖かい濡れたような瞳は、ミステリアスでステキすぎます。
by shirakian
| 2010-04-25 00:17
| 映画か行